58話*「氷水花」
ルアさんの結界で人どころか魔物も消えた中央塔ホール。
地下から出てきた時よりもいっそう静まり返り、まだきていないキラさんを待つように、わたし達は床に座り込んで顔を寄せ合う。
「んじゃあ、取り合え……」
セルジュくんが口を開くと同時に『ぐ~』といった音。
静寂が包むホールで聞き逃すことはない音に、ゆっくりと顔を向ける。眉を下げたルアさんがお腹を押さえていた。
「腹……減った……」
「はあ? 何言って……て、まさかお前、一週間飲まず食わずか!?」
「うん……さすがに魔力の飯も……限界」
青褪めた顔で告白するルアさんは肩をすぼめる。
この世界の人達は食べなくても魔力をご飯代わりにできるそうなのですが『満腹感』が身体を満たすだけで、実際のお腹はスカスカ。お義兄ちゃんも昔その方法で何日も水だけで過ごしてましたね。
思い出に浸りながらリュックから飴玉を取り出したわたしはルアさんの手に乗せる。ついでにセルジュくんにも。顔を見合わせた二人は視線をわたしに向けた。
「あ、ありがと……モモカ」
「サン……キュー」
「ふんきゃ」
気を遣ってるように見える二人に、わたしは篭った声で頷く。
色々と衝撃的なことがあったせいもあるが、一番は泣きすぎて瞼は腫れ、鼻もグズグズ。思い出すだけで目尻にジワリとくる涙をセルジュくんから借りたハンカチで拭う。
二人は戸惑った様子で飴玉を口に運ぶが、外から聞こえた唸り声にセルジュくんの手が止まった。同じように肩が跳ねたわたしも外を見ると魔物らしい黒い物体が数匹、上空を飛んでいるのが見える。けれどすぐ、紅と紫の光に掻き消された。
モゴモゴと口を動かすルアさんはピースする。
「『解放』すると……魔物にも見つかりやすいけど……まとめて消せるから……一石二鳥」
「バトってても仕事してくれんのが救いか……」
「つーか……二人いるなら結界解いていいかな……さすがの俺もこのまま連戦になるとキツい……」
ルアさんは片眉を上げていた。
連戦……魔物がいない今、それはケルビーさんのように他の団長さん。特にナナさんとムーさんと戦うことになる可能性。多分二人はあの人と一緒にいるはずだから……あの人。
「ノーマさんの目的って……なんなんでしょう」
重い口を開くように呟いたわたしを二人が見る。
考えずにはいられない理由。彼の役職を考えれば薔薇園を閉鎖させることはとても簡単なはず。なのに養親のことも薔薇園のことも最悪の方法をとった。
それほどノーマさんは薔薇園やロギスタン家に恨みがあったのか。今までわたしやお義兄ちゃんに向けてくれた優しさや背中を押してくれた手は全部ウソだったのか。わたしが存続させると言わなければ結果は違ったのか……やっぱりわからない。
肩を震わせるわたしにルアさんが静かに口を開く。
「普通に考えたら……国の乗っ取り。けど……王家に対する忠誠心は強かったはず……だよな?」
細められたルアさんの青水晶の瞳はセルジュくんに向けられた。なぜ彼なのか疑問に思うわたしとは違い、腕を組むセルジュくんは飴をガリガリと噛み砕く。
「忠誠……は、誓ってるって聞く。けど、オレからすればなんつーか……胡散臭いヤツ」
「うさんくさい?」
「笑ってるけど目は笑ってねー……ってのが物心ついた時にあったから、オレはあんま好きじゃないんだ」
不機嫌そうに眉を顰めるセルジュくんの顔も珍しいが、なんでかルアさんを見るナナさんを思い出す。“嫌い”とは違う瞳もだけど……雰囲気?
同じ金髪だからだろうかと考えていると、ノーマさんとは違う翠の瞳と目が合った。
「兄上は『ホトトギスみたいですね』って言ってたよ」
「分身の?」
「いや、本物の方」
手を横に振るセルジュくんにわたしは首を傾げる。その疑問に答えるように片膝を折った彼は天井を見上げた。
「確か托卵? ホトトギスって他の鳥の卵のひとつを蹴落として自分のを産んで育ててもらうらしいんだ。アイツはそれみたいとかなんとか言ってたんだけど……意味わかるか?」
「ふんきゃ。鳴かぬなら~殺してしまへ~ホトトギス」
「こっわ! 何こっえーこと笑顔で言ってんだよ!! お前やっぱ頭……いや、でも兄上も笑ってたしな」
ニコニコのわたしに、ブツブツ呟きはじめたセルジュくんは顔を青褪める。いえ、単純に意味がわからなかったので社会科で習ったホトトギスさんを言っただけです。ごめんなさい。
そんな申し訳ない気持ちになっていると、ガリッと飴玉を割る音に振り向く。
「……そっちの見方があったか」
細かく砕く音を響かせるルアさんの目は細い。
その瞳は“怖い”に近いせいかわたしとセルジュくんの喉が鳴ると、突然立ち上がったルアさんは南に向かって歩き出した。
「ル、ルアさん?」
「どこ行くんだよ!?」
「ちょっと……確認」
淡々とした声にセルジュくんと顔を見合わせるが慌てて追い駆ける。
けど、歩幅が違うわたしは早歩きルアさんどころかセルジュくんにも追いつけない。これではダメだと『必殺! 駆け足!!(反則技)』もするが、横から覗いたルアさんの険しい顔に失速する。
気付けばセルジュくんに腕を引っ張られながら大きな扉の前にたどり着いた。
それは他の庭園と同じ扉。
けれど、彫刻の花は薔薇でもアヤメでも菊でもない。長い葉に下垂で咲いた数十個の花が鈴のように見える鈴蘭。ここは──南庭園の出入口。
「なんの確認だよ?」
「確認したいのは中だ……」
「中……って、庭園内!? 重要地に入れるわけねーだろ!!!」
「『解放(全力)』で壊す」
「全力出しすぎだろ! 無駄な魔力使うなよ!! つーか、騎士の誇りはねーのか!!!」
金色の柄を握るルアさんを慌ててセルジュくんが止める。
セルジュくんが言うように四つの庭園は重要地に定められているらしく、特殊な結界が扉と外に張られているそうです。解除できるのは庭師とノーマさん以外では政治部の数人しかいないと聞きますが、お義兄ちゃんは含まれていない。
でも、東庭園は自分の家だからだと特別に自分で張るのを条件に許しを貰ったと言ってました。ニーアちゃんからは脅迫したと聞いた気がしますが。
足を進めたわたしは扉を見上げる。
花は違うけど、見慣れた高さと細かな彫刻になんだか落ち着く。でも、長く開けられていないのか間に埃が積もっていて、身体を支えるように扉に手を乗せると──ゆっくりと開きはじめた。
「ふんきゃ!?」
「あ……モモカが壊した」
「ごごごごめんなさい!!!」
「いやいや、さすがにそれはないだろ! つーか……」
顔を真っ青にさせ頭を下げるが、流れてくる風と柔らかな光に振り向く。
開かれた先には扉つきのアーチとアンティーク調で作られたポストランプが出迎え、地面に間隔を開けて置かれたポールランプが道標を作っていた。蝋燭のようにボンやりとした灯りでも、イルミネーションのように夜の世界を幻想的に魅せる景色にわたしの目と口は開いたまま。
すると、跳び出したセルジュくんがアーチの扉を開けた。
「ちょ、ちょっとセルジュくん!」
「うっわー! すっげー久々!! 変わってねーな!!!」
慌てて制止を掛けるも、大はしゃぎで行ってしまった彼に隣に並ぶルアさんを見る。その表情は大喜びのセルジュくんとは反対に冴えない。むしろ悲しんでいるようにも見えた。嫌な動悸に彼のシャツを握る。
「大丈夫ですか……?」
「へ……ああ、大丈夫。行こっか……」
小さな苦笑を漏らしながらシャツを握るわたしの手を握りしめたルアさんは歩き出す。その手に引っ張られるよう敷石でできた道を進みはじめた。
パンジーや菜の花やチューリップなど小さな花が多く、立ち木を除けば背が高い花はヒマワリぐらいでとても開けた庭園。
花壇は四角、コの字、曲線、連杭柵など様々な形をしていて、一箇所ずつランプの他に動物らしいオーナメントが置かれている。その両手には看板のようなものを持っていて、字は読めないが多分この花壇はなんの花という説明書きがされている気がする。
フラワースタンドも三輪車のような形だったり、ブリキポッドだったり遊び心満載。見ていて楽しいし、庭師心がウズウズ。そんな気持ちが出ていたのか、つい繋いでいたルアさんの手も大きく揺らしてしまい苦笑された。
中央まで足を進めると円状の噴水池が現れ、池の中央には高さ五メートルはある翼の生えた竜の銅像。開かれた口からは水が勢いよく噴き出し、虹が薄っすら見える。
さすがに予想外すぎて唖然としていると、ルアさんが呟いた。
「趣味……悪いよな」
「ふ、ふんきゃー……」
「おおーい! あったぜー!!」
返答に困っているとセルジュくんが楽しそうに何かを持ってきた。
テーブルに置かれた物を見ると十センチほどの透き通った正方形。触ると冷たいし、水滴が零れてきているので氷だとわかるが、中には白い蕾がいくつも入ってる。
「これって氷中花っていうやつですか?」
「それと水中花を合わせたやつだよ」
「合わせた?」
「まあ、見てろって」
鼻歌交じりに氷を手に持ったセルジュくんにルアさんは何も言わないのでわたしも見学。するとセルジュくんは氷を噴水に落とした。
「ふんきゃーー!? か、勝手にダメですよ!!!」
「平気平気。これがやり方だって」
「や、やり方って……!」
彼の肩を勢いよく揺らすと噴水を指される。目を移すと揺らす手が止まった。
ポストランプで照らされる水面には波紋が描かれ、その先には沈んでいく氷。その氷が水によって溶けていくと、捕らわれていた蕾達が自由になるかのように水面へと現れる。
けれどそれは蕾ではない。ゆっくりゆっくり自身を覆っていた花弁を開き、純白の色を、見慣れた──白薔薇を咲かせた。
「白……薔薇?」
「『氷水花(ひょうすいか)』って言って、特殊な氷の中に蕾を入れて水に浸すことで花を咲かせるんだ」
笑みを向けるセルジュくんを横目に、水面で揺れる薔薇にを見つめる。
もう見ることは叶わないと思っていた薔薇の開花に動悸が激しくなるが、それはとても嬉しい音。ゆらゆら揺れる薔薇を震える手ですくい上げた。
「あれ……?」
持って気付く。手触りが違うことに。
手の平から零れる水のせいでも、一週間振りに触るからではなく“花”自体が違う。それ以前に花弁が一枚も散っていないことに呟いた。
「もしかしてこれ……造花?」
確認するようにセルジュくんを見ると変わらない笑みを向けられる。
「合わせたやつって言ったろ? 水を吸って咲かす水中花の花は造花が使われるからな」
「ていうか……ここの全部だよ」
「全部?」
「モモカ……季節考えて。今、五月」
溜め息をつくルアさんに言われ庭園を再度見渡す。
そしてまた戻ってきたわたしの目にルアさんは『気付いた?』といった目を向け、わたしは笑顔になった。
ふんきゃ、おかしいですね。
なぜに五月の今、夏に咲くはずのヒマワリや秋に咲くパンジーがあるのでしょう。しかもよく目を凝らして見れば桜までありましたよ。春夏秋冬問わない花が勢揃いです。しかも数年閉鎖されていたはずなのにとっても元気。
これが本物ならどんな魔法なのか訊ねたい。
けれど、先ほどの会話を聞くに魔法以上にすごいことのような気がして、歓喜に鳴っていた動悸が早鐘を打ちはじめる。そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、セルジュくんが笑顔で答えた。
「当然だろ。ここ南塔は『造花庭園(フロール・アルティフィシアール)』。すべての花と木が造花でできた庭園だ」
「ぜぜぜぜぜ全部ですか!!?」
「木は何本か本物が混じってるらしいけど、オレもわかんね」
あははーと笑うセルジュくんにわたしの頭の中では予想大当たりパンパカパーンと音が鳴った。でもビックリドッキリの方が強くて何度も確認するように庭園を見渡す。
するとセルジュくんの手がわたしの手にある白薔薇に触れた。彼の口元には笑みがあるが、それは今まで見たことないほど優しい。
「んで……この庭園の庭師をしてるのがさっきのシロフクロウの主で、オレの兄上──コーランディアだ」
見惚れる口元から告げられた名前に、ルアさんが静かに瞼を閉じるのが見えた────。