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56話*「泡沫の星屑」

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 窓越しに見える空は燃えるように赤く、火柱が上がっていた。
 だが、水飛沫に火柱は消え、いつもと変わらない常闇と星が灯る空に戻る。同時に薄暗い部屋でチャリチャリ宙に投げては手に取る音も消えた。

「んー……やはりケルビバムには荷が重すぎたか」

 

 静寂が戻る室内で淡々と、それでいて楽しそうにも聞こえる声。
 佇む二人は椅子に背を預ける声の主に眼差しを向けるが、青の双眸の持ち主は再び窓の外を見つめ、小さく口を開いた。

「この気配……紫だな」
「ひゃははは、『覚醒』まで使ってるなんてマジじゃん。どうすんの、ジュっちーは例の話し知ってんでしょ?」

 

 静かな声とは違い笑い声を上げる紫の双眸に、白の手袋に収まる一本の鍵を持つ男は口元に弧を描いた。

「別にどうもしないさ。マージュリーが何かを言ったところでケルビバムは約束を果たすしかない。だが、青薔薇が解放されたのは面倒だな……それにもう一人」

 細められた深緑の双眸は手に持つ薔薇の刻印が施された鍵。三本しか存在しない内の一本を見つめる。

 

「本当……ことごとく邪魔をする存在だな“異世界の輝石”は」

 口元に笑みはあっても声は吐き捨てるかのように重い。
 だが、立ち上がった男は白に七色の竜と薔薇が描かれたローブを翻すと、変わらない笑みで佇む二人を見た。

 

「さて、色々とバレる前に動くか。行くぞ、ナナ、ムーランド」
「……承知した、主(あるじ)」

 青の瞳を数秒閉じ、再び開いた黄薔薇騎士ナッチェリーナは金色の髪を揺らしながら主(あるじ)の下へと歩き出す。そんな彼女とは反対にベレー帽を被る緑薔薇騎士ムーランドは立ち止まったまま、紫の瞳を窓の先──東庭園に向ける。

「気になるのか?」

 

 声のあった方に視線を移すと、既にナッチェリーナの姿はなく、男が庭園の鍵を見せる。ムーランドは男と同じ笑みを作った。

 

「ひゃは、誰のことを言ってんだか」
「両方だ。半分はお前のせいだからな」
「イヤミったらしいね……ボクはアンタの願いは叶えてあげたはずだよ」
「中途半端にな。そんな道化師にはもう一仕事してもらうぞ。まだ“保つ”だろ?」

 同じ笑みのはずなのに男の方が不敵でどこか不気味だ。
 そのせいか徐々にムーランドの表情は崩れ、歯を食い縛ると男を横切る。間際、静かに低く呟いた。

 


「──“ペカード・オリヒナール”」
「……それは私ではない」

 


 鋭い紫の双眸に合わせるように深緑の双眸を細め、笑みを浮かべるのは──宰相ノーリマッツ。
 緑薔薇の背を見送ったノーリマッツは一息つくと手に持つ鍵を指で弾き、足を進める。静かに宙を舞う鍵は無情にもゴミ箱へと墜ちた。

 

 同じように墜ちた庭園と小さな主(あるじ)のように──。

 


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 鍵を握る手が震える。
 わたしを抱きしめるセルジュくんも肩と瞳を震わせ、目先に立つジュリさんを凝視していた。それは宙に佇むケルビーさんが庭園を燃やしたと知った時と同じ……それ以上に耳を疑う答え。

「……ノーマ……さんが……?」
「首謀者、と言えるでしょうね。この事態も恐らく」

 動悸が早鐘しか打たないわたしとは違い、ジュリさんは淡々と話すだけ。
 ルアさんも剣を鞘に納めると濡れたコートを脱ぎ、染み込んだ水を絞る。それでも上がった眉と細めた青の瞳をジュリさんに向けていた。

 

「ジュリ……俺になんか……怨みでもあるのか?」
「あら、ないと思ってらっしゃるなんて相当の御・馬・鹿ですわね。庭園火災も食い止められなかった能無しなんてそのまま焼身自殺していただきたいところでしたけど、乙女の前だったので止めてあげましたのよ。感謝なさい」

 紫色に変わった杖を回転させながら微笑むジュリさんの背景に黒いものが見えるのは気のせいでしょうか。顔を青褪めたルアさんも足早にわたしを抱きしめるセルジュくんの後ろに回ると、彼とわたしごと抱きしめた。震えている身体は多分、寒さとは違う気がします。
 そんなルアさんの両手を握りしめているとポタポタと雫が落ちてきた。

「ルンルン、気持ちはわかるけどよ……濡れたまま抱きつくのはやめようぜ。主にオレに被害出てるから」
「ふふふ、面白い図ですわね。もっとも、そんな青の君よりカスがそこにいらっしゃいますけど」

 

 楽しそうにわたし達を見ていたジュリさんは細めた赤のガーネットの双眸を宙に佇む人に向けた。狼狽した様子で見下ろしているケルビーさんとは違い、ジュリさんは口元に弧を描く。

「緑の君、黄の君ならまだしも貴方まで下僕と化すなんて失望しましてよ、ケルビー」
「ジュリ……」

 苦渋の色を浮かべ、顔を伏せるケルビーさんは大剣を握りしめる。その姿と今までの話から彼は望んでやっていることではないとわかり、慌ててジュリさんに声を掛けた。

「ジュ、ジュリさん! ケルビーさんは」
「モモカさん、首謀者が誰でもなんの理由があってもこの庭園を焼いたのはあの男。情けなどいりません」
「なんで……ケルビーって知ってんだ? 盗み聞き?」

 

 呟くルアさんに一瞬ジュリさんの目が向けられ、三人一斉に肩が跳ねる。と、回転を止めた杖でケルビーさんを指した彼女は大声を上げた。

「この男、買出しから戻った日から挙動不審でしたのよ! 戻って早々わたくしの元にはこない、食事も運んでこない、ラブレターが五十通こない、夜も押し掛けてこない、おやすみインコもこない!! 不気味以外の何者でもありませんわ!!!」

 

 静かな庭園に木霊する怒声。
 数分の間を置いたわたしは首を傾げた。

 

「ふんきゃ?」
「オレ……こんなヤツらに国を護ってもらいたくねー……って、心底思ってきた」
「うん……ごめん。なんでこう…… 団長(俺)達ってバカなんだろうな……」
「あら、わたくしを入れないでいただきたいですわね」

 ルアさんとセルジュくんのガックシ下がった頭を撫でながら空を見上げると、ジュリさんの杖に指されたケルビーさんも片手で顔を覆っていた。
 杖を下ろし、また回転させるジュリさんは笑みを消すと静かに口を開く。

「何より薔薇園を包む炎からは……この男の気配しかしませんでしたわ。黄の君とは違う、よく知った気配……」
「ジュリさん……」

 顔を伏せた彼女の顔は紫紺の髪で遮られ、どんな表情をしているかはわからない。それでも杖を回す手とは反対の手は握り拳を作り、肩は震えている。

 

「だから……帰国したら問い詰めてやろうと思っていました。ですが、料理長の話とモモカさんに『炎竜火』を放ったのを見て必要なくなりましたわ」
「料理長……?」

 

 眉を顰めたルアさんの問いにわたしも疑問を持つと、ジュリさんは杖の回転を速める。

 

「ニーアさん達のお話では以前から料理長がモモカさんを避けてらっしゃったと聞きます」
「は、はい。理由はわかりませんが……」
「当然ですわ。あの男“サクマホタル”さんを知っていたどころか、とんでもない罪を犯してましたもの」
「ジュリっ!!!」

 

 目を見開くと同時にケルビーさんが大声を上げながら数メートルにもなる炎の玉をわたし達に、ジュリさんに向けて投げる。けれど、どこからやってきたのかわからない水が彼女を護るように『水氷結界』に変わり、遮られた火球は蒸発した。
 そんな攻撃を気にも留めないジュリさんを中心に水が円を描きはじめるが慌てて訊ねた。

 

「料理長さんから何を聞いたんですか!?」
「ひとつは“サクマホタル”さんという異世界人の女性のこと」
「異世界人……?」

 

 ルアさんの呟きにドキリと心臓が大きく鳴ったわたしはワタワタする。そんなわたしを横目に、ジュリさんは続けた。

 

「彼女について言えることは二十四年前。まだ副料理長だった彼が宰の君ではない誰かに頼まれ彼女を殺そうとしていたこと」
「はあっ!? 誰かって誰だよ!!?」
「残念ながら途中で乱心状態に陥ってしまって、それが誰なのか、異世界人が何かまでは聞き出せませんでした。ですが、彼が殺す前にホタルさんは火災に巻き込まれていたそうです」

 

 どちらにしても不吉な話に身体が一瞬で冷える。そんなわたしと顔を青褪めたセルジュくんごと抱きしめたルアさんは呟いた。

「未遂なら……別に罪を犯したとは言わないだろ」
「御馬鹿。それだけならわたくしだって宰の君が首謀者とも考えませんし、朴念仁も殴ったりしませんわ」
「お義兄ちゃん?」

 

 つまりお義兄ちゃんもジュリさんと同じ話を聞いて料理長さんを……なんで殴ったんでしょう。そもそも足はよく見るけど、殴るとこなんて見たことない。

 

 義兄の珍しい行動に嫌な動悸は激しさを増すばかりで、いくつもの炎の玉を放つケルビーさんからわたし達を護るジュリさんの背中を見つめる。視線に気付いたように彼女と目が合うが、赤のガーネットは揺れていた。

「できればモモカさんには教えたくないのですが……ここまできたら知っておいた方がよろしいですわね」
「やめろ、ジュリ! ガキには言うなっ!!」

 

 大声を上げるケルビーさんは両手で握った大剣から大きな斬撃を飛ばす。けれど、飛び出したルアさんの剣によって弾かれた。『飄風走』で宙に浮くルアさんの眼差しにジュリさんは頷くと、わたしを見る。

「モモカさん、先代……つまり御養親。御二人は病死と伺ってますけど、病名はなんですの?」
「え、えっと、よく覚えてないですが、お腹の中に入った悪い病原体がぷくぷく太って破裂する感染症でした」
「ぷくぷく太って破裂ってなんだよ?」
「では、庭園まで食事を運んでもらっていたのはご存知ですか?」

 

 眉を顰めるセルジュくんに構わずわたしは頷く。
 わたしとお義兄ちゃんは食堂部まで食べに行ってましたけど、養親はデリバリーを頼んでました。特に開放期間中は目が回るほど忙しかったみたいなので、三食共頼んでましたね。その偏った食事がキッカケでわたしは料理を覚えたのです。

 

 でもなんの関係があるのだろうと首を傾げる。
 けれど、宙に浮くルアさんは目を見開き、セルジュくんまでも冷や汗を流していた。

 

「ちょ、待てよ、ジュリリン……まさか心魔薬とか言うんじゃねーよな……?」
「しんまやく?」
「摂取し続ければ体内破裂し……心臓も魔力も即死させる……『心魔破裂感染症』を引き起こす毒性のある薬物だ」
「毒……え?」
「あれはデカイ魔力を持つ子供のを抑えるためので、一般じゃ販売……っ!?」

 

 何かに気付いたルアさんとセルジュくんが息を呑むが、わたしはちっともわからない。なんでここで養親の話が出るのか。なんで毒なんて危ない物が出るのか。そしてその毒がどこに……誰に。
 ゴクリと喉を鳴らすわたしにジュリさんは眉を上げると瞼を閉じ、静かに口を開いた。

 


「宰相であり、北塔庭師をするあの男と……全料理の最終チェックをする料理長がいればわけありませんわ…………ロギスタン夫婦を毒殺することなんて」
「っ!!?」

 


 悲鳴にならない声を上げると目の前が真っ白になる。今……何を言われた?
 真っ白な世界でも笑顔を向ける二つの姿が見える。忘れることはない特別な人達。でも残酷な言葉が二人を消す。ヨーギお義父さんとスーチお義母さん……が……殺された……?

「モンモン!?」
「あ……ああぁ……」

 

 グラリと視界が揺れ、力を無くした身体が崩れるとセルジュくんの腕に抱き留められる。栓を抜かれたような勢いで涙が零れる中、出てくるのは一人の姿と名前。

「お……義兄ちゃ……ん……お義兄……ちゃ……グレ……イ……お義兄……」

 

 呼んでも返ってこない声に泣き伏すわたしをセルジュくんは胸に抱き、歯を食い縛る。同じように宙に佇む二人の男性も身体を震わせ、ルアさんの手からは血が流れていた。

 

「ノーマ……っ!」

 

 怒気を含み、吐き捨てるかのようなルアさんの声は顔を伏せていても怒っているのがわかる。わたしは怒ればいいのか泣き叫べばいいのかもかわからない。なんで薔薇園どころか養親まで……なんでノーマさんは。
 もう役に立たない鍵を握りしめるわたしの耳に、ジュリさんの静かな声が聞こえた。

「……青の君、そこのカス男はわたくしが相手をします。貴方は宰の君を捜し、捕縛なさい」
「けど「お退きなさい」

 

 遮る声はルアさん以上に低くて重くて、涙を零しながら顔を上げる。
 空には“怖い”方でジュリさんを睨むルアさんがいるが、徐々に表情は青くなり、ケルビーさんも眉を上げると距離を取った。

「正義面する貴方が、これほどの暴挙を犯す宰の君に就いているということはそれなりに理由があるのでしょうけど……どうでもいいですわ」
「「え?」」

 先ほどのルアさん以上に彼女の声、目が怖いせいか、涙を零したままでも素っ頓狂な声をセルジュくんと一緒に上げた。そんなわたし達を宙から下りてきたルアさんは慌てて引っ張り、下がらされる。
 荒地が広がる庭園の中央に佇むジュリさんは瞼を閉じたまま、目にも留まらぬ速さで杖を回しはじめた。

「今のわたくしは庭師として、騎士として、恋人として貴方に怒りしかありません」
「マジかよ……ジュ「お黙りなさい、カス男」

 舌打ちするケルビーさんは大剣を構えるが、ジュリさんの一声に息を呑む。そんな彼女の瞳が開かれると、回していた杖を反対の甲で停め、水晶を握りしめた。

 


「水鏡(すいきょう) 泡沫(うたかた)の星屑(エンハンブレ)を散らし 宙(そら)へと舞いなさい──解放(リベルタ)」

 


 紫の光が放たれるとジュリさんを中心に円を描いていた水が薔薇を描き、竜巻が彼女を覆う。その光と言葉に目を奪われるわたしをルアさんは抱き上げ、すったこらさーとまた距離を取った────。

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