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55話*「道化師」

 太陽の色とは違い、真っ赤なそれは炎。
 空を明るく照らす炎は夜空と混じり合うと黒煙のように映り、一週間前“この”庭園を彩っていた薔薇を消し去った惨禍が蘇る。けれど、違う色の背中に聞き返すのが先だった。

「今……なん……て……」

 

 震える身体以上に、動悸は空に佇むルアさんと庭園を囲む炎と同じ色を纏う男性──ケルビーさんに早鐘を打つ。

 わたしの問いに二人は何も答えない。わたしの声が小さかったのか、パチパチと火の粉がぶつかり合う音で聞こえなかったのか。嫌な汗と不安が襲いはじめていると、同じように聞いていた人が声を張り上げた。

「ケルルンが薔薇園を燃やしたって、どう言うことだよ!?」

 隣に立つセルジュくんの怒声に身体が跳ねる。けれどその言葉に、聞き間違えではなかったと知り、背中を向けるルアさんの先、ケルビーさんを見上げた。
 一瞬目が合い、また身体が跳ねる。すぐ両手で炎を纏った大剣を握った彼は、ルアさんに向かって斬撃を飛ばした。

「瓦礫の影に隠れろ!」
「え、え、ふんきゃ!」

 

 剣を構えたルアさんの大声に思考も身体も困惑していると、セルジュくんに手を掴まれ、まだ残る塔の瓦礫に身を隠す。頭上では爆発が起こり、小さな瓦礫と土が大量に降り注ぐ。けれど、頭を押さえ込むセルジュくんに張られた結界のおかげでかすり傷もつかなかった。

 上空では刃と刃がぶつかる音が静寂に包まれた国にどこまでも木霊する。
 顔を上げることができないわたしとは違い、セルジュくんは空に向かって叫んだ。

「ちょっ、お前らな! 殺り合う前に説明しろよ!! いったいどう言うことだ!!?」
「どうもこうも……さっき俺とお前が言った通り……だっ!」
「だからなんでケルルンが犯人なんだよ! 火災の日、そいつは国にいなかっただろ!?」

 

 指摘に顔が上がる。
 薔薇園が燃える前日にご飯を持ってきてくれたケルビーさん。翌日、西庭園に行くわたしの誘いに彼は『仕事が入ってるから』と断った。買い出しがあるからって。

 

 刃と刃が交差する音と風の中、立ち上がったわたしは空を見上げる。
 大きさが全然違う剣でもルアさんは『風』を使い、一瞬でケルビーさんの背後に回ると横から斬り付けた。けれど炎の壁に遮られ、再度ルアさんは距離を取る。
 刃の音が消えた空にわたしは呟いた。

「あの仕事は……ウソだったんですか……」
「モンモン、危ないから屈め!」
「本当は……薔薇園を……」

 

 立ち上がったセルジュくんに身体を押さえ込まれるが、抵抗するように揺らし、炎の壁に護られるケルビーさんを見る。茶の瞳は炎で赤にも見えるが、いつも見せてくれていた優しい瞳は鋭く、笑みもない。
 握り拳を作った両手を震わせながら叫んだ。

「本当は薔薇園を燃やすのが仕事だったんですか!? ケルビーさんっっ!!!」

 

 目尻から零れる涙が風で飛ばされる。
 木霊する声だけが庭園を包み、ポロポロと涙を流しながらしゃくり上げるわたしの声だけが響く。セルジュくんもルアさんも顔を伏せた。

 

「……嘘じゃ……ねぇよ……」

 

 低く、静かな呟きが空から落ちてくる。
 涙で揺れる視界の先に佇むケルビーさんは炎の壁を振り下ろした大剣で消すと肩に担いだ。鳶色のコートを揺らしながら二人と同じように顔を伏せた彼の眉は上がったままだが、その表情は切ない。

「買い出しはマジだったし……行ったのも本当だ……けど」
「それは……俺を止めた後に行けばいいだけだ……解放精を使えば目的地まで時間は掛からないし……唯一の目撃者である俺が捕まればバレない……」
「じゃあ、本当に……」

 淡々と話す二人に頬を伝う涙が増える。
 それはケルビーさんが本当に“この”庭園を燃やした犯人だと、真実だと認める言葉。ゆっくりと辺りを見渡すと、瓦礫と灰になった茎や土しか残っていない、庭園とは名ばかりの荒地に両手で顔を覆う。

 はじめは怖い人だと思ってた。でも、美味しいご飯と一緒に相談にも乗ってくれて、気にかけてくれた。いつも怒ってたけど一途で真っ直ぐで……何度も笑顔で頭を撫でてくれた。そんな優しい人がなんで。

「なんで……なん……ですか……」

 

 両手で覆ったままの口から零れる声。
 なんで。それしか出るものがないわたしの肩をセルジュくんが抱くと、空から声が聞こえた。

「モモカ……モモカが思ってるケルビー像は間違ってないよ……こいつは優しい。荒っぽいけど……団長の中でもキラ以上に優しくて……仲間思いだ……」
「ルアさ……ん……」

 

 ケンカばかりだったはずのルアさんの声に顔を上げる。
 風が静かに吹きはじめる中、瞼を閉じていたルアさんの青水晶の瞳が開かれるが、変わらず目先のケルビーさんを睨んでいた。けれど、彼の表情も切なく、下ろしていた剣の切っ先を再びケルビーさんに向ける。

「それを踏まえ……思い当たるのが…………ムーだ」
「ムー……さん?」
「火災の前日……こいつは俺達の他にムーに飯を届けに行った……言った言葉を曲げる男じゃないから……本当だろ」

 わたしとセルジュくんは互いを見合う。
 確かにムーさんが篭もってることをメルスさんから聞いたケルビーさんは持って行くと言ってた。わざわざセルジュくん達にも持ってきてくれた彼なら本当に行ったのだと思う。

 

「その時……ムーから何か聞きだしたんだろ。あいつの体調は……モモカでも気付くほど悪かった」
「なんでわたし“でも”なんですか?」
「それが予想以上に悪かったなら……お前は問いただすはずだ……その内容が関係してるんじゃないのか?」

 綺麗にスルーされたおかげで涙が引っ込むと、ケルビーさんを見る。
 瞼を閉じていた彼は細い茶の瞳を開くと、担いでいた大剣を片腕だけで持ち上げ、同じようにルアさんに切っ先を向けた。

「どんな内容でも青薔薇……てめぇには関係ねぇよ……」
「今さらシラ切ってんじゃねぇよ、赤薔薇。恐らく……いや、ほぼ間違いなく俺達の中で“この事態”を予期していたのはムーだ」

 禁句ワードのせいなのか、何かが切れる寸前なのか。ケルビーさんと同じ口調のルアさんに“キレモード”が降臨しそうでわたしとセルジュくんの肩が震える。でも、いつもならすぐ反論するケルビーさんは何も言わず睨むだけ。ルアさんは溜め息をついた。

 

「本当……散々ムーには振り回されたぜ。敵か味方か……答えは両方だったけどな」
「両方……?」
「モモカにとっては敵、国にとっては味方ってこと……」
「意味わかんねーよ!」

 

 頭を抱えて叫ぶセルジュくんと同じポーズを取りたいです。
 そんなわたし達とは反対に空に佇む二人は理解しているのか、互いに剣を両手で握り構えると、ルアさんだけ笑みを浮かべた。

「ムーは別に国を……俺達を裏切ってはいない。むしろ、遠からずやってくるこの事態を防ごうとしていた」
「じゃあ、なんでムンムンは言わなかったんだよ!? わかってたなら言うべきだろ!!!」
「言えなかったのさ……裏で糸を引くヤツにバレたくなくて」
「え……」
「『円火状(えんかじょう)』!!!」

 

 ケルビーさんの大声に庭園を囲っていた炎がケルビーさんとルアさんだけを包む。
 数メートルの高さまで上がる炎の壁は、下にいるわたし達も感じるほど熱い。なのに二人は平然と宙に立ったまま剣を構えている。笑みを消したルアさんをケルビーさんは睨んだ。

 

「青薔薇……てめぇ、いつ気付いた……?」
「ハッキリとした理由までは知らねぇよ……ただ、地下に閉じ込められていた間てめぇらがどうやって侵入したかを考えれば……答えは出る」

「てめぇら……って、他にもいたんです──?!」

 聞き返すよりも先に、炎を纏ったケルビーさんの斬撃がルアさんを襲うが、素早く避け、斬撃は塀にぶつかった。焼き焦げた跡に背筋がゾクリと冷えるわたしをセルジュくんが抱きしめると、ルアさんの必死な声が響く。

「あの時っ、俺の耳に聞こえたのは上空に張った結界じゃなくて出入口に張った結界だった!」
「出入口って、さすがにそれは見てたヤツがいるだろ!? 目撃情報なんかなかったぞ!!!」
「それを……っ、防いでいたのがムーだっ!」

 セルジュくんの胸板から顔を離すと熱い火の粉が舞う中、円の中で宙を飛びながら剣を交差させる二人が映る。大きく振り下ろしたルアさんの剣をケルビーさんは受け止め、汗と荒い息を吐くルアさんは続けた。

「あいつは緑薔薇の団長……防御に関して右に出るヤツはいない。害虫騒ぎも今回も……人を遠ざける防御壁を張るぐらい朝飯前だ」
「体調悪いヤツが朝飯前に何やってんだよ!」
「な、なんでムーさんはそんなに薔薇園を狙うんですか!?」

 

 受け止めていた刃を振り返したケルビーさんに、ルアさんは宙で片膝をつくと汗を袖で拭う。先ほど国に結界を張ったせいなのか、炎に囲まれた中では息がし辛いのか動きが鈍い。それでも立ち上がった。

「ムーが狙ってるんじゃない……あいつは人をからかい惑わすのが趣味のような……道化師みたいなガキだ。その言動に惑わされなければ偽りのない、真実しか口にしていないのがわかる。たまに嘘あるけど……そんなヤツより上がいたんだっ!」

 今度は炎を纏ったケルビーさんの大剣が振り下ろされ、ルアさんが剣で受け止める。サイズは違うのに、踏み止まるルアさんは必死に歯を食い縛った。

「ムーが結界を張り……中に侵入したこいつが庭園を燃やした……さすがに罪悪感があったのか……すぐ警報が鳴ったけどな」

 

 意地の悪い笑みを向けるルアさんに、ケルビーさんは苦渋の色を浮かべた。
 泥棒や邪な考えを持つ人に反応するという結界。それが鳴ったということはケルビーさんは迷ってくれた。本心じゃなかった。

「そんなケルルンにルンルンは負けたのかよ!?」
「さすがの俺も……『解放』した二人を相手にすんのは……『解放』しねぇと無理だっ……それが罠とも知らずになっ……」
「二人って、迷ってるケルルンと体調の悪いムンムンなら余裕じゃねーか!」
「ムーは入ってない! 別のヤツだ!!」
「「三人!?」」

 

 目を見開くわたし達にルアさんは大剣を押し返した。
 同時に距離を取ったケルビーさんは舌打ちすると、二人を囲う壁が火柱を上げるように高くなる。炎の勢いに片手で光を遮るわたし達とは違い、ルアさんは瞼も閉じず、ただ汗を流す。

「ムーは結界だけで……ケルビーと一人が……モモカがくるまで俺を抑える役だったんだ……」
「わたし……?」
「ああ……火災の罪を俺達に被せるのが目的のひとつ……そして最大の目的は薔薇園を潰すこと」
「つぶ……す……?」

 

 不吉な言葉に震える両手でスカートを掴む。
 するとポケットに何か入っているのに気付き、手を入れた。出てきたのは扉と同じ薔薇の彫刻が施された庭園の鍵。慌てて燃える空に向かって叫んだ。

「ま、待ってください! 中に入ったと言いましたけど、扉はどうやって開けたんですか!? ウチは他と違って錠があるんですよ!!?」

 魔力のないわたしのために造られた扉と錠と鍵。
 扉にはひとつの鍵で二つの錠を開けることになっている。ひとつは太いU字の南京錠。ひとつは扉自体に施錠するもの。南京錠は確かに焼け焦げていたので、イズさんが言っていたように魔法を何度も当てれば壊れるかもしれない。けど、扉自体に掛かった錠を壊すのは扉を破壊するのと同じで、易々と開くものじゃない。それはさすがに他の人やルアさんが気付いてくれるはず。

「堂々と……開けて入ったんだよ……害虫騒ぎの時も」
「ど、堂々……?」
「モモカ……複雑に考えちゃダメだ……単純に考えろ……その鍵を持ってるのは誰だ? そして俺の足を止め……地に落としたヤツは誰の下に就いてる?」

 

 苦々しそうに言いながらシャツを握りしめるルアさんに、わたしは鍵を見下ろす。

 庭園の鍵……特注で造ってもらった鍵は全部で三本。
 一本はもちろんわたしで、一本は何かあった時のために預かってくれているお義兄ちゃん。でも出張でいなかったし、いつも通り鍵も持って行ったはず。残りの一本は扉を造ってくれて、ルアさんを地に落とした人の……あれ?

「ちょ、ちょっと待ってください!」
「『炎竜火(えんりゅうか)』!!!」

 顔を上げた瞬間、炎を巻いたケルビーさんの左手から放たれた赤い竜がわたしに向かってくる。目を見開いたまま足が動かないわたしにセルジュくんが手を伸ばし、両手を広げたルアさんが前を遮ると目を瞑った。

 


「『水龍覇』!!!」

 


 ──刹那、火の粉ではない水飛沫が頬に当たり瞼を開く。
 赤い竜は消え、小雨が降り注ぐと、わたしと後ろから抱きしめるセルジュくんの真上には全身びしょ濡れになったルアさん。濡れた地面に足を着けた彼は雫を落としながら極限まで上がった眉と瞳でアーチの下に佇む人を睨んだ。

「そう……すべては手の平の上で転がされていただけでしたのよ」

 

 真っ直ぐな紫紺の髪を後ろに流し、紫のエンパイアドレスを纏った女性は紫色に変わった水晶の杖を回転させながら足を進める。その赤のガーネットの瞳はルアさん以上に鋭く、わたしもセルジュくんも肩が跳ねた。


 けど、それ以上に火柱を治めたケルビーさんは息を呑んでいる。立ち止まった彼女──ジュリさんに。そんな彼に構わずわたしに目を向けたジュリさんは瞼を閉じ、静かに口を、導き出した答えを言った。

 


「二十年以上前からあの男……フルオライト国宰相────ノーリマッツ・アガーラに」

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