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​22話*「三人の影」

 それはまだ、この世界にきてすぐの頃。
 お義兄ちゃんに怒られ、一人どこかを彷徨っていた時に声を掛け、手を差し伸べてくれた人。お日様のように明るい琥珀の髪を揺らす人が見せてくれたのは──。

「──カ……モ……カ……て」
「ふにゃ……サーモン……丼」
「うん……俺はマグロカツオ丼にしよう……じゃなくて。モモカ、起きて」

 瞼を半分開いた先には綺麗な琥珀色。それがサーモン色にも見え、朝御飯が浮かぶとマグロ丼の声にお腹が鳴る。


 ふんきゃ~……朝からマグロにカツオって豪華ですね~ルアさん……ルアさ……ん?

 視界がハッキリしてくると端正な顔立ちが目の前にあった。鼻と鼻がくっつきそうな距離で見る青水晶の瞳はとても綺麗で、魅入ってしまう。と、人差し指で頬を突かれた。

「モモカ……起きた……?」
「おはよう……です」
「うん……この距離で平常のモモカ……ある意味すごい。まだ夜明け前だけど起きれる?」

 ゆっくり顔を上げたルアさんがテントの出入口を開けると朝風が入ってくる。
 ひんやりと身体が冷え震えるが、外を指す彼に誘われ起き上がると、上着を羽織ってテントから顔を出す。白い息を吐きながら靴を履くわたしに、ルアさんが自身のコートを掛けてくれた。あったかい。
 夜明け前の空は藍色で、星が見える。でも、薄っすらとオレンジ色の太陽が頭を出していた。

「朝って感じですね~」
「うん……空もだけど、地上もすごいね」
「ふん──!?」

 

 噛み合ってない会話に首を傾げるが“地上”と聞き、上げていた顔をゆっくりと下ろす。目前に広がるのは見慣れた薔薇。けれど、昨日まで硬く閉じていた蕾が──開いていた。

 赤、ピンク、白、黄、橙、紫……色鮮やかに咲き誇った数千本の薔薇。
 目を見開くと同時に向かい風が吹く。葉と花弁が宙に舞うと頬に多色の花弁が当たり、漆黒の髪と一緒に後ろへと流れていった。寒いはずなのに、身体の奥底から湧き上がる熱に足が進む。

「咲い……た」
「うん……咲いた」

 

 霞んだ声に、淡々とした声を返す彼を見上げる。シャツの間から青薔薇のネックレスを揺らすルアさんは目を合わせると微笑んだ。
 それだけで、目の前の光景は本当だと実感したわたしは両手を上げる。

「咲いたーーーー!」

 

 夜明け前にも関わらず、歓声を上げながら駆け回る。
 途中ルアさんのコートが落ちたことにも気付かないほど、薔薇を見ては走っての繰り返し。まるでト○ロのワンシーンのように。

 そんなわたしに、コートを拾ったルアさんも笑うと陽が昇りはじめた。祝うかのような光りが。

 


* * *

 


 喜びも束の間。
 着替えて朝御飯を食べ終えると出荷準備! 咲いてすぐは寂しいですけど!! お仕事なんです!!!


 できるなら携帯で写真を撮りたいが、わたしが日本から持ってきたのは優勝トロフィーのみ。異世界ではなんの役にも立たないと内心溜め息をつきながらルアさんに水やりをお願いすると枝を切って水に浸ける。

 状態によってはニ、三日で散ってしまうのが薔薇なので見極められるかが重要。この赤薔薇さんはアウトなのかOKなのか悩んでいると、声をかけられた。

「ごめんな……さすがに切るのは……」
「いえ、水撒きと害虫駆除だけで充分ですよ。森山さんがいないので土の中からもポコポコ出てきますから」
「ぶっちゃけ……駆除はグレイが適任だよな」

 苦笑いするしかない。
 お義兄ちゃんの虫嫌いは相当なもので、気配を感じるだけでも眉が極限まで上がり、一歩動いただけで『瞬水針』で百発百中で処分するほど。耳元で聞こえる羽音なんて最悪らしいです。

「あいつ……なんであんなに虫嫌いなんだ?」
「詳しくは知らないですけど、子供の頃に何かあったらしいですよ。でもルアさん、よくお義兄ちゃんが虫嫌いって知ってますね。殆どの人は知らないのに」
「昔……ちょっと悪戯して殺されかけたから……」

 なのに懲りずに虫を投げつけるとは、男同士って感じがします。
 そんなニ人はお義兄ちゃんが補佐になった五年前に初顔合わせ。挨拶だけで終わっても互いに問題児だったようで、よくノーマさんに怒られては宰相室奥にある反省室に閉じ込められたそう。

「反省室(あそこ)……暗いし狭いし魔法使えないし……マジ最悪だ」
「暗所閉所恐怖症なんですか?」
「あんま得意じゃない……モモカは平気?」
「暗所と閉所なら大丈夫です」

 数十本の薔薇を水に浸け、棘を切り終えると新しい薔薇を切る。水を入れ替えてくれたルアさんは首を傾げた。

「“なら”って……なんか苦手なのあるの?」
「高所恐怖症です」
「へ……?」

 

 意外だったのか目を丸くされる。
 恐らく奈落に墜ちたせいだと思うが、この世界にきてから高い所がダメになってしまった。でも、窓から見なければ平気なので重症というわけじゃない。なので木登りもできます。

「じゃあ……空中散歩とか無理だね」
「ふんきゃ~、もう飛行機とか乗れないかもしれません」
「ひこうき……?」

 海外旅行とか行きたかったのにと元の世界を夢見ていると、首を傾げていたルアさんが突然青水晶の瞳を細めた。

「……客」

 呟きに、屈めていた上体を起こし振り向くと、出入口を見るルアさん。瞳は細いが“怖い”ものではなく普通の口調で続けた。

「誰かきてるよ……女性……青のエプロンと三角巾した……どっかのお店の人?」
「エプロンと三角巾……ああ、雑貨屋さんですね!」
「雑貨屋?」
「プリザーブドフラワーを買い取ってくれる常連さんで、出来上がったのを連絡していたんです。あれ? で
も入ってこないですね」

 常連さんはお義兄ちゃんに許可を貰っているので、結界を抜けて庭園に入ってこれるはず。なのに姿が見えないことに疑問符を浮かべているとルアさんが指を鳴らし、扉が開く音が聞こえた。

「今……庭園に結界張ってるの俺なんだ……グレイ忙しいから」
「そうなんですか!?」

 そ、それって魔力を多く使ってるってことですよね。持ってないばかりか、その辺りの疲れがわからないんですが……おおおおお義兄ちゃん大丈夫でしょうか!? ルルルアさんも!!!
 顔を青褪めているとルアさんは手を横に振った。

 

「俺は平気……ワインあるし……太陽もある」
「モモカさん、こんにちは~」

 ワインと太陽?
 悩んでいる間に常連さんがアーチを抜けてきたため、先に仕事だと駆け寄る。商談中、ルアさんは隠れるように身を屈めたまま水やりをしていた。以前プラディくんと話していたように“無心”といった表情で。


 色々な表情を持つ彼はやっぱり近くて遠い不思議さん。

 常連さんを見送った後に振り向くと、薔薇園の真ん中に背を向けて立つルアさんの後姿が目に入る。日の光で照らされた琥珀の髪と花弁が揺れると白薔薇をくれた人に重なるのはなぜだろう。


* * *


 気付けば燦々と照らす太陽が夕日に変わっていた。
 カラスがお家に帰る声が聞こえるが、パーゴラ下で休憩するわたし達は机に突っ伏し意気消沈。もはや屍のようだ。

 

 一斉に咲いた薔薇にとても喜びました。感動しました。駆け回りました。でも、切るのキツイ。ルアさんが途中から棘抜きを手伝ってくれたおかげでペースは速いが、まだニ千本ちょっと残っている。

「俺……こんなに疲れたの……三日徹夜で魔物と殺り合って……そのままなんかの式典に出た時以来だ……」
「わたしも……学芸会で木の役をニ時間した時以来です……」

 互いに顎を机に置き視線を上げると眉は八の字、瞼は半分閉じ、口はへの字と同じ顔をしていた。
 疲労はピークだが、あと一千本ほど切っておかないと明日の最終日は夕方までしか作業ができない。出荷準備も考えると正午過ぎがギリギリ。また机に突っ伏していると運動会で聞くような鉄砲音が響き、空を見上げた。

「……各国の要人が城内に入ったんだろ。明日は五……四帝も揃うから警備が厳しくなりそうだ」
「四帝……?」

 

 視線だけルアさんに向けると『ホント、知らないんだな』と言っているような顔をされた。謝るしかない。


 四……実際は六帝。この世界にはフルオライトの他に大国が五つあり、“帝”とは国王の意。その六帝一人の誕生祭だけあって、他国の王が明日いらっしゃるってことらしい。

「代理って国もあるけど……殆どは王が出席だ。南はユナカイト、東はトルリット、北はセレスタイト……そして数年前、東南にできたパイライト国王……かな」
「なるほど……あれ、あと一国は?」

 六大国と聞いたのに五大国の名しか出ていない。
 上体を起こし首を傾げると、ルアさんは瞼を閉じる。徐々に重くなる空気に冷や汗をかきはじめると、彼は呟いた。

「…………アーポアク」
「アーポ……アク?」

 

 なぜその国だけ最後が“ト”じゃないのかと考えていると、ルアさんは静かに立ち上がる。さっきまでの重い空気はないが、青水晶の瞳は細く、赤い夕日を見つめていた。それが“怖い”方にも見え、無意識に椅子の音を立て立ち上がる。

「で、では気合い入れて薔薇摘み再開しましょう! 他国の方にも見てもらえるなんて二度とないかもしれませんからね!! あ、ルアさんはまだ休んでていいですよ!!!」

 

 変なテンションだとわかっていても、気にせずパーゴラから出る。
 話を逸らしてしまったのは多分まだ“怖い”彼を見慣れていないせい。見慣れていない、きっとそうだと一息つくと、動悸を早めながら振り向く──前に、ルアさんの口が開いた。

 

「お客さんだよ……」
「ふんきゃ?」
「ケルビーとジュリ……」
「ふんきゃ!?」

 

 まさかの名前に驚くと、変わらない表情で頷いたルアさんが指を鳴らす。扉が開く音が響いて数分、アーチから葡萄髪と紫紺の髪を揺らす男女が現れた。

 

「こんばんは、モモカさん。青の君」
「んだよ、贅沢に青薔薇のけっがっ!!!」

 

 禁句ワードを口走ったケルビーさんの顔面にルアさんの靴がヒット。そして華麗に避けたジュリさんは辺りを見回す。

「まあまあ、とても綺麗に咲きましたわね」
「ジュリさんとスーパーノーマさんのおかげです!」
「おっし、ガキ。その調子でもっとジュリを褒めごふっ!!!」
「お黙んなさい、カス男(お)。もう帰ってよろしいですわよ」
「マジかよ!? 一緒行くってオレいっだ!!!」

 硬い水晶の付いた杖で容赦なくケルビーさんの頭を叩くジュリさん。
 どうすればいいのか悩んでいると、靴を履き直したルアさんが訊ねる。

 

「で……何しにきたんだ?」
「手伝いに参りましたの」
「ふんきゃ?」

 

 ルアさんとニ人、顔を見合わせると頭を押さえるケルビーさんが口を挟んだ。

「ガキ、朝食の時に『咲いた咲いた~』とか歌ってただろ?」
「あ、歌いましたね。途中からサーモンの美味しさに『サーモンの歌』に変わりましたけど」
「まあ、それは聞いてみたかったですわ」
「すごい歌だった……」

 真剣な眼差しで頷くルアさんにジュリさんとケルビーさんがわたしを見る。すごいと言われても即興だったのでもう覚えてません。謝ると、ケルビーさんが咳払いした。

「ともかく、そのことをジュリに話したら手伝いに行くって言うからオレ様がお供したってわけだ」
「おお! 護衛ですね!!」
「……ただの迷子防止だっど!!!」
「っだ! なぜオレ様……まで」

 

 素早いステッキ攻撃がルアさんとなぜかケルビーさんに当たり、ニ人は頭を抱えたまま身を屈める。本当にお付き合いしているのかわからないでいるとジュリさんは杖を置き、綺麗な紫紺の髪を結いはじめた。

「何本まで済みましたの?」
「え、えっと、あとニ千ちょっとです……ジュリさん?」
「それなら今日中に半分終えましょう。ケルビー、手伝うのならグローブは外しなさいな」
「わーてるって」

 

 そう言いながらジュリさんはポケットから出した軍手を嵌めると切りバサミを取り出す。呆然とするわたしとは違い、ルアさんが腕のシャツを捲りはじめた。

 

「手伝って……くれるって」
「え、ええ!? 式典明後日なのに!!?」
「明日は無理ですけど今日ぐらいならお手伝いできますわ」
「オレ様も食堂部にいなくていいからな。本当はニ人っきりで過ごしてぇけど、ジュリがやるってんならしゃーねぇ」

 状況にまだついていけていない間にルアさんはバケツに水を汲み、ケルビーさんはチビ塔から新聞紙を運びだす。わたしの隣には優しい赤の双眸を向けるジュリさん。

「薔薇ははじめてですので、まずはご指導お願いしますわね。庭師として一度で覚えてみせますわ」
「ジュリさん……」
「見事に咲いた薔薇で王の誕生を祝いましょう、モモカさん」

 優しく心強い声と一緒にルアさんとケルビーさんも笑みを向ける。
 それだけで今朝のように胸の奥が熱くなった。今までずっと夕方になってもわたしと薔薇の影しかなかった。でも今は三人の影がわたしの影に重なり、嬉しい気持ちが湧き上がるように笑顔になる。

 


「はいっ!!!」

 


 それは薔薇達が星々に祈ってくれたのかもしれない。不安になっていたわたしに喜びと笑顔を届けたいと────。

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