10話*「住み着いた」
「よう、モモカ」
青の空がオレンジに変わり出した頃、アーチから呑気な声が届く。
パーゴラの下、椅子に座るわたしとルアさんの前に現れたのは蜂蜜色の髪に笑みを浮かべた男性。目を見開いたわたしは割り箸で掴んでいた薔薇を加工液に落とすと、慌てて立ち上がった。
「ノノノーマさんっ!? かかかか監査って今日でしたっけ!!?」
「いや、それは来月だな。お、キルヴィスアも久し振りじゃないか」
同じように立ち上がったルアさんは、フルオライト国の宰相であるノーリマッツ・アガーラさんこと、ノーマさんを睨む。そんな彼に構わず、ノーマさんは白手袋をした大きな手でわたしの頭を回しはじめた。
「ふんきゃ~っ!」
「ははは、薔薇と一緒に育ってるか~?」
「身長はこれからです!」
笑いながら薔薇園を見渡すノーマさんはルアさんより少し身長が低いですが肩幅があり、お義兄ちゃんと同じ白のローブ。左胸には金縁に黒の宝石が埋められたブローチが光る。
たまにサボってお義兄ちゃんを困らせているが、気さくな方で城内外でも人気者。実際、目鼻立ちの整ったイケメンな上に三十代後半の独身なので、狙っている方が多いそう。
この方の声ひとつで薔薇園の存続が決まるわたしは苦手ですが。
回す手が離れ、グラリと大きくふらつくと何かに支えられる。
回る目で見ると、ルアさんの腕。片方の手はノーマさんの手首を握り、鋭い目を向けていた。
「ノーマ……何しにきた」
「そう睨むな。私はモモカに仕事を持ってきたんだ」
「ふんきゃ!?」
“お仕事”の言葉に、ルアさんのコートを握ったまま顔を出すと、ノーマさんは笑う。ルアさんは片眉を上げたが、一息つくと柱に背を預け見守る体勢をとった。
笑っていたノーマさんの声が止み、真剣な深緑の双眸がわたしに向けられる。
「モモカ・ロギスタン!」
「は、はいっ!」
「来週の国王誕生祭のメインホールを薔薇で飾ることを命じる!」
「は、はぃぃ~~~~?」
突然の大声に背筋を伸ばしたが、大きく首を傾げる。
えっと、来週の国王様の誕生祭のメインホールに薔薇を……飾る?
「薔薇スタンドを作ればいいんですか? 国王様おめでと~って」
「ある意味すごいな。してもいいが、私が言っているのはホール全体に飾れってことだ」
「ちなみに……量は?」
お楽しみ会でいうところの飾りつけ係だとは思うが、メインホールに入ったことないわたしには想像がつかない。さらに首を傾げると、ノーマさんは満面笑顔で言った。
「生花で三十万本ぐらい」
「無理ですっっ!!!」
即答のわたしにノーマさんは笑う。
一年中咲く薔薇とはいえ三十万本って……そんな量が今の薔薇園にあるわけない。あっても八万ちょっと。半分以下な上に、まだ咲いていないのが殆ど。どんな苛めかと両手で顔を覆っていると、肩に手が乗る。見上げれば、のんびりルアさんが首を横に振っていた。
「そんなバカ……グレイが許すとは思えない」
「んきゃ……?」
「ははは、当然『吊るし上げますよ』って怒られたさ。第一、私も庭師なんだ。季節とこの状態(バラ)を見れば足りないのはわかる。順調に咲いてもニ万ちょっと……三十万なんて程遠い話、ジョークだとわかれ」
また手で回す攻撃を受けては離され、ぐるぐる回る。足が覚束無いわたしを他所に、ノーマさんは腕を組んだ。
「だからせめて一万本。切り花で良い、用意しろ。色は『虹霓薔薇』と同じ……厳密には青と藍はないから他五色だ」
「ピンクと~白は~?」
「ピンクは良いが、白は苦手とする方がいるからダメだ。それがなければ混色でも構わない」
苦笑いするノーマさんに、ふらふらな身体をなんとか止めると考え込む。
確かに一万本なら天気が良ければ蕾が咲き、来週でも間に合う。切り花なら咲いているのを先に切って水で長持ちさせれば……そもそも『用意しろ』の時点で拒否権なし。なかなかの俺様だ。
「期限は一週間……いえ、搬入もありますから五日ってとこでしょうか?」
呟きにルアさんは目を見開くが、ノーマさんは楽しそうな笑みを浮かべたまま頷く。同時に目を合わせたわたしは宣言した。
「モモカ・ロギスタン、謹んでお受けします!」
「……良い返事だ。何回かに分けて構わないから揃い次第連絡を寄越せ」
「はいっ!」
「それと赤薔薇を三本包め」
「はいっ!」
言われるがままパーゴラを飛び出したわたしは急いで赤薔薇花壇にパシリのように向かった──。
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飛び出して行ったモモカをノーリマッツは楽しそうに笑うが、キルヴィスアは鋭い目で彼を睨んでいた。モモカの背を見つめたままノーリマッツは話す。
「いつもは当日帰国のくせに今年は早かったな。しかも薔薇園(ここ)に居着くとは」
「……俺の勝手だろ」
「気紛れ小僧め……まあ、いい。ケルビバムも帰国したし、これで『虹霓薔薇』は揃った。残るは王子だな」
溜め息をつくノーリマッツにキルヴィスアは中央塔を見上げる。
日も沈み、複数の窓からは灯りが漏れているが、上階にはひとつもない。
「まだ……帰ってないのか?」
「ああ。途中どこかで下船したらしい。ギリギリかもしれないと連絡がきた。お前、暇な「断る」
即答にノーリマッツは苦笑いすると足を進める。
前方から走ってくるのは赤薔薇を手に持った笑顔のモモカ。振り向いたノーリマッツはキルヴィスアを見据えた。
「今年の誕生祭、例の男が現れるかもしれんぞ“青薔薇”。くれぐれも“闇”には気を付けることだ」
その言葉にキルヴィスアは目を見開くが、すぐ閉じると歯を食い縛ったまま顔を伏せる。震える手が胸元の青薔薇を掴むのを横目に、ノーリマッツは静かに立ち去った──。
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赤薔薇を三本包んでくると、ルアさんが顔を伏せているのが見えた。
震えているようにも見えたが、ノーマさんに『見送り頼む』と、出入口まで引っ張られる。促されるまま薔薇園から出ると、彼の護衛をする黄色の腕章をした男性ニ人と女性一人の騎士さんが並んで敬礼していた。小さく頭を下げるわたしにノーマさんは笑う。
「いつもいつも、モモカは頭を下げてばかりだな」
「え、えっとあっと……」
日本人の癖みたいなお辞儀はこの世界にはないようだが、ついしてしまう。
慌てるわたしから薔薇を受け取ったノーマさんは上体を屈めると耳元に顔を寄せ、甘美な声で囁いた。
「それが異世界人の癖なのはわかるが、堂々とするのも大事だ。私は三十万本をジョークと言ったが、本来ならそれ以上の薔薇がこの庭園には咲いていたはずだろ?」
わたしが異世界人という事実をグレイお義兄ちゃん以外で唯一知る人。目を合わせると笑みを返されるが、お義兄ちゃんやルアさんみたいに優しいけれど何かが違う。
くすくす笑いながら上体を戻したノーマさんは背中を向けた。
「モモカ。お前が今、薔薇園の主だと言うのなら三十万だろうが百万だろうが咲かせてみろ。それができれば一人前の庭師だと認めてやる」
それはとても大きな背中。
十数年以上庭師をしている彼にとってわたしはまだ卵がやっと割れたぐらいの存在。そして、お義父さん達の時代を知っているからこそ未熟の言葉は痛く刺さるが、大きな力も沸く。雛が卵を必死に割って出てくるように、目の前の背中に追いつくために。
「はいっ!」
握り拳を作ると、虹色の薔薇を持つ背に大きく答える。
その声を受け取ったように、ノーマさんは薔薇を小さく振りながら北塔へと歩き出した。
動悸が激しくなりながらわたしも踵を返すが、護衛の女性騎士さんが薔薇園を見つめているのに気付く。けれどわたしに気付くと頭を下げ、ノーマさんを追うように去って行った。
「んきゃ?」
「モモの木ー!」
首を傾げていると後ろから呼ぶ声。
振り向くと、大きな袋を持つ従者さんと一緒にキラさんがやってきた。
「何をやっているんだい? 私の迎えなら嬉しいが違うだろ」
「あ、さっきまで宰相さんがいらっしゃってて……キラさんこそ、大きな荷物を持ってどうしたんですか?」
「ん、これかい? ルーくんに頼まれた物さ」
「ルアさんに?」
「あ……キラ、持ってきてくれた?」
瞬きしていると、のんびりルアさんが扉から顔を出す。
震えているように見えたのは気のせいだったのかなと安堵していると、ルアさんは従者さんからベージュの袋を受け取った。何やらシート的な物にも見えるが……。
「それ、なんですか?」
「うん……俺の新しい家」
「ふんきゃ?」
笑みを浮かべるルアさんにわたしは大きく首を傾げると驚愕した。
* * *
「住み着いただと!?」
「はい……」
夜の九時過ぎ。
式典が近いせいか、遅い帰宅となったグレイお義兄ちゃんに今日のことを話すと、頭を抱えたままソファに座り込んだ。
キラさんがルアさんに持ってきた物。それは──テント。
大人一人は余裕で入るテントをスペースの開いた場所で組み立てたルアさんは『薔薇園に住む』と言い出したのです。部屋が空いている我が家にと誘ったのですが『グレイに殺されるからヤダ』と断られてしまった。お風呂上りのわたしはお義兄ちゃんの隣に座る。
「騎士って、各団の騎舎にお住まいなんじゃないんですか?」
「青と藍薔薇にはない……だがあいつは城下に家を借りていたはずだろ」
「それが、契約更新をしていなかったらしくて、宿に泊まろうにも式典が近くて殆ど埋まっていたそうです」
「ドアホめ……それで薔薇園とは」
眼鏡を取り、深い溜め息をついたお義兄ちゃんの手がわたしを抱き寄せる。藤色の髪が頬に当たるのがくすぐったくて身じろぐが、お義兄ちゃんは気にせず続けた。
「まあ、あいつがそれで良いと言うなら構わん。好きにさせろ」
「止めないんですか!?」
「家に泊まらせるよりは数百倍マシだ。それより、ノーリマッツ様の依頼を受けたそうだな」
お、お義兄ちゃん、なんでそんな頑なに拒否るんですか……ルアさんもですけど。
でも、依頼の話を出したお義兄ちゃんは眉を落としている。お得意の心配顔に苦笑すると胸板に頬を預けた。
「大丈夫ですよ。切り花なら少し開花した子達でも搬入できるので間に合います。切ったり水に浸ける作業はありますけど、ルアさんも手伝ってくれると言ってくれたので心配しないでください」
笑みを向けるとしばらくお義兄ちゃんは黙ってしまったが、溜め息と一緒に優しく髪を撫でてくれた。眼鏡を掛け直した灰青の双眸はいつもと変わらない。
「……くれぐれも無茶はするなよ」
「はいっ!」
国王様のお誕生日、素敵に祝ってあげますとも────!