01話*「お疲れ様」
***~~~=過去話
まだ寒い四月頭。
朝日が昇りはじめるのを横目に髪を後ろで結ぶと水やりへ。と、思ったらバケツがない。見渡せば、地植えの薔薇を通り越し、蔓薔薇の下にいくつものバケツが置いてあるのを見つけた。
「お義兄ちゃんが途中までしてくれたんですね。お礼を言わなきゃです~」
バケツが定位置にない時は出仕前にお義兄ちゃんが手前まで水をあげてくれた印。春に向けての剪定や肥料撒きが終わり、ヘトヘトだったわたしにはありがたい。
水が溜まったバケツを持つと何かを踏んだ感触があったが、気にせず残りの蔓や鉢薔薇の土にたっぷり水を撒いては次のバケツを持っての繰り返し。その度に何かを踏むのは盛り上がった土ですかね。
本来なら水晶に魔力を通せば自動でできるが、異世界人であるわたしに魔力はありません! それを知っているお義兄ちゃんが溜めていってくれたのです!! お義兄ちゃんありがとう!!!
なので、重いバケツを持つことは苦じゃありません。
そりゃ、はじめてこの世界にきた時は全然体力なくて、魔力あればと何度も思いましたけど……──。
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四年前──まだ小学六年生。
歌うのが大好きだったわたしはコンクールで優勝。あまりにも嬉しく、はしゃいでいたせいかトロフィー授与後、足元を見ておらず奈落に墜落。そう、奈落。
『ふんきゃ~!』と泣きながら痛い痛い床に激突して目覚めれば病院。ではなく、夕日に映える多色の薔薇世界が広がっていた。
天国かと錯覚するほど綺麗な景色。
でも、薔薇のアーチに頭から突っ込み、痛いってもんじゃない棘に地獄ではと泣きじゃくったものです。実際は日本どころか地球すら存在しない異世界。同じ容姿の人もいない、魔法がある、騎士団がある……信じられなくても信じざるおえなかった。
そんな“異世界人”と称されたわたしを助けてくれたのがロギスタン夫婦。
夫婦はわたしが墜ちたフルオライト国のフルオライト城で長年薔薇園の管理を勤め、政治部で働く息子さん=お義兄ちゃんと共にわたしを養子に迎えてくれたのです。それはもう実の娘と妹のように可愛がってくれました。
でも養親は一昨年病気で亡くなってしまい、管理をしたことがないお義兄ちゃんでは無理だと、薔薇園は閉園の危機。そこで、手伝いをしていたわたしが挙手したのです。
お義兄ちゃんはとても心配していましたが、毎日笑顔で世話をし、色鮮やかな世界を生み出していた養親の姿を忘れる事はできません。
何よりわたしを救ってくれた恩返しになればと──庭師になると決めました。
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「ふんきゃ~。黄薔薇さーん、アブラムシさんがいますね~」
正午前に水やりを終えたわたしは薔薇に話しかけながら痛んだ枝や棘を剪定する。ついでに害虫駆除。あと少しで開花だというのに邪魔されるわけにはいきません。
元の世界では弟がいたせいか虫には慣れっ子なわたしをなめないでください! Gは無理ですけど負けませんよ!! 新米でも庭師です!!!
「よーし、これで大丈夫。黄薔薇さん頑張って~。さあ次は~青薔薇さーん」
「はーい……」
「は、ないので~紫薔薇さーん~」
立ち上がり、中央に戻るとまた何かを踏んだ気がしながら別花壇に移動した。
この庭園は出入口のアーチを抜けると色分けされた薔薇が円を描くように何十にも囲み、円の中央で道が東西南北に分かれている。分かれた先にはフェンス、藤棚みたいなパーゴラ、縦に伸びたオベリスクに蔓を巻いた蔓薔薇などがお迎え。
薔薇の季節は主に春と秋。
特に五月と六月が一番の見頃! つまり来月!! もう早い子は咲いてます!!!
養親がいた頃は本当にたくさんの薔薇が咲いていましたが、わたしに代わってからは何株も枯らして減ってしまいました。でもニ年経った今、ちょっとずつ咲きはじめてくれて嬉しい。たとえ見てくれる人が小数でも。
別の花壇に何かを踏みながら移動すると城を見上げる。
フルオライト城は青の三角屋根のある塔が東西南北にあり、それより高さのある中央の建物=中央塔に王族が住んでいて、お義兄ちゃんの職場もあります。中央塔は五十五階、四方の塔は四十階まであるそうです。
『花の大国』と呼ばれるように北、西、南にも庭園があり、薔薇以外が栽培されています。そちらはたくさんの方が見にきてくれるのですが、残念ながら東は未熟なわたしのせいもあって客足は鈍い。
管理にもやはりお金がかかるというもので、綺麗なのを咲かせて顧客を作ったり庭園を公開して上の人に成果を見せないとやっていけません。今はお義兄ちゃんが話をつけてくれて大丈夫ですがなんとかしないと。
使い終わったバケツや用具を庭園奥まで運ぶと、チビ塔と呼んでいる三、四階建てほどのレンガ造りの塔内に置いた。中は吹き抜けで、天井には古びた金色の洋鐘が吊るされている。なんのための鐘なのか、そして他の庭園にもあるチビ塔の三角屋根は青色なのになぜ東は錆色なのか、お義兄ちゃんもわからないという不思議塔。
扉を閉めると中央塔から正午の鐘=ご飯の時間が鳴り響く。
円の中央、少し段差のある場所で両手を胸の前で組み、瞼を閉じると口ずさむ──。
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遠く 遠く 咲き誇る花
日差しに照らされ
迎えた朝は 今日もまた はじまる一日
カーテンを開いて 窓を開けるよ
そこに見えたのは 蕾
昨日まではなかった 蕾が咲いた
それは何色? きみは何色?
さあ それは 内緒
遠く 遠く 近付く花
日差しと潤いの水を混ぜ
明日はもっと大きな葉と蕾を見せてね
そして 教えて
きみのことを
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歌い終えると風が髪を揺らし、お義父さんを思い出す。
『動物にも植物にも人と同じように感情があってな、自分達がどれほど愛しているかを伝えれば、話せなくても薔薇達はわかってくれるんだぞ』
『本当ですか!?』
『ああ。だから仕事をはじめる時も終わる時も人間みたいに挨拶をしないとダメだ。モモカも“ありがとう”や“またね”と言われると嬉しいだろ?』
『ふんきゃ! じゃあ、モモは歌であいさつします!!』
『ははは、そりゃ全部に届いて良いかもな! 満開に咲いた時、それがモモカへの“ありがとう”ってお礼になるだろうよ』
元気な笑い声と姿が記憶の中で巡る。
いつの間にか唇を噛みしめ、握る両手は震えていた。その両手をゆっくりと解き深呼吸すると、動悸が治まってくるのがわかる。胸元に手を当てると笑みを浮かべ、お辞儀をした。
「午前中もありがとうございました! 午後もよろくお願いしま……んきゃ?」
深く腰を折り、挨拶したわたしは笑顔のまま固まった。
何しろ地面だと思っていた真下に襟付きの白いシャツボタンを数個開け、黒のズボンにブーツ。白のロングコートのようなものをシート代わりにして寝転がっている男性がいた。
柔らかなオレンジにも近い琥珀色の髪と、青水晶のように透明で綺麗な双眸と目が合うと、淡々としながらも透き通った声が耳に届いた。
「うん……お疲れ様。午後は……避けてくれるとありがたいかな……」
なぜにわたしは彼のお腹の上にいるのでしょうか────?