異世界を駆ける
姉御
緑の間*「愛する姫君」
*ラガーベルッカ視点
起き上がると、ソファの端に座る。
溢れた蜜を舐めながら寝息を立てている彼女──忠誠を誓ったヒナタさんの頬を反対の手で撫でると、額にキスを落とした。
「おやすみなさい── 愛する姫君(リーベ・プリンツェッシン)」
下腹部の蜜を拭き取ると自室へ運ぶ。
基本は書庫で寝るため使わない部屋だが、常にベッドメーキングされてあるのが幸い。掛け布団を掛けて灯りを消すと部屋を後にした。
団服を着直し武器を背負えば、フードを被ってバルコニーへと出る。
ベルデライトの外側は雪山。これのせいで年中雪だが、慣れればなんてこともない。ただ風に乗れば良いだけ。
小さく指を鳴らすと『風』で出来た鳥『伝風鳩(でんふばと)』が生まれた。
「オーガットに城へ行くと伝えてください。ヒナタさんを自室に寝かせてますがすぐ戻るとも」
離すと同時に自分も風を纏い、夜のベルデライトを飛ぶ。
今までだったら何も動かなかった。けれど“街も護る”と誓ったのだから行動するしかない。
そう──目の前に墜ちてきた時点で囚われてしまったのだから。
***~~~***~~~***~~~***~~~
執着するものなど何もなかった。
唯一誰かの言葉より、滲んだインクと古ぼけた紙に記されたものが脳に広がっていく本が好きだった。『四天貴族』も決して悪いとは思わないが、誰にも邪魔されず静かにすべての本を読みたくて家を出る決意をした。
しかし、騎士団長とはなんて面倒で忙しいのか。
そんなことを思いはじめたある日。バロンに条件付きで書庫に住まわせてもらうことになり平和が訪れたが『四天貴族』の名は尾を引き、家を出ても結婚云々と言われ続ける始末。結果、さらに本にのめり込み、一日一回の見回り以外は本を取られるか緊急以外動かなくなった。
誰も何も忠誠などなく、ただ自分のために生きる──彼女が現れるまでは。
会議中に突然墜ちてきたのは見たこともない服を着た女性。
その時の私は本を読んではいたが内心焦っていた。何しろ『結界魔法』を得意とする自分が何も気付かず侵入を許したのだから。
そんな彼女が三人を倒す姿に釘付けになり、気付けば腕に頭突きを食らい逃げられてしまった。
すぐ『一段階結界』を張るが抜けられ『ニ段階』『三段階』と、止まることなく走り続ける彼女に身体が心がざわついた気がした。最初は気のせいだと思っていた。けれど『四段階』で止まり、エジェアウィン君の槍に臆することなく振り向いた彼女から大きな風を、ひとつの想いを感じた。
彼女が──欲しい。
それが一目惚れと言うのかなんなのか。
確かに惹き付けられ、はじめて執着心が湧いた。ただ貴女の傍にありたいと想えるほどに。
***~~~***~~~***~~~***~~~
冷たい雪と風を受けながら『緑の扉』に入ると『伝風鳩』を飛ばす。
時刻は二十時を回るが、変わらず渡り廊下は静寂に包まれていた。フードを脱ぎ、雪を払いながら中央まで足を進めると、脳内で大きな音が鳴り響く。
それは緊急召集の音で、宰相の下に私の伝言が届いた証拠。
団長には緊急に伝えたいことがあれば宰相を通して他の団長を召集できる権利がある。軽い場合は宰相室まで出向くが、緊急の場合は迅速手短に話すため、この一階中央に集まるのが規則。
懐から取り出した本を読みながら待つこと数分。猛スピードで駆けてくる音に柄を握ると大声が響いた。
「ラガーベルッカー! はええーなっ!!」
足を踏み込み、高く跳んだ茶髪に赤のハチマキを巻いた男性。
三メートルほどの槍を頭上で回転させ穂先を向けるが、鞘から抜いた片刃で受け止めると跳ね返した。背中から落ちる音と呻きが聞こえたが、本から目を逸らすことなく声をかける。
「こんばんは。エジェアウィン君こそお早いですね」
「おうっ! 丁度近くにいたもんだからよ」
何もなかったように南方ドラバイト騎士団長は立ち上がると伸縮自在の槍を縮める。腰に掛けると、楽しそうな紫の瞳を向けられた。
「さっき随分と派手にやってただろ? 空がピカピカしたってガキ共が言ってたぜ」
「お恥ずかしながら、そのことで私が召集を頼みました」
「あん? じゃ、今日の用事はてめーかよ」
本から顔を上げて微笑むと武器を鞘に戻──さず、背中の切っ先を受け止める。
「……お姉さんのこと……ですか?」
「ではないと思いたいですね。ともかくカレスティージ君、やめましょうか」
樋(ひ)部分で受け止めたと思ったが、十の穴のひとつに細い刃を通されているのを感じる。背後にいる西方ラズライト騎士団長に細めた目を向けると、切っ先の感覚がなくなった。
安堵するとエレベーターから宰相とルベライト騎士団長が現れる。
「やあ~揃ってるね~~」
「んだよ、アズフィロラいたのか」
小さく頷いた赤髪の男性は私を見る。
大コウモリを潰した時に屋上にいたのを思い出しながら武器と本を仕舞うと、一歩前に出た。
「此度の用件は私から二つ。ひとつは三時間十九分前、ベルデライト上空にて下級の軍勢と対峙。しかし上級が統率しており撃退に長時間要したため、他騎士団でも戦闘体制の変更を勧めます。それから……」
殆どない魔物の動きに全員の眉が動く。
だが何も言わず、次に耳を傾けたので笑顔で言った。
「私、ヒナタさんに忠誠を誓いました」
「「「「…………は?」」」」
「のは、合間の話で」
「合間ってなんだよ!!!」
エジェアウィン君の素晴らしいツッコミに拍手を送る。
報告とか面倒なの嫌なんですよね。あと、真面目な空気。そんな私の笑顔にアズフィロラ君は顔を青褪め、カレスティージ君からは殺気を向けられる。するとバロンが割って入った。
「え~と~その話は~後で~聞くと~して~~」
「なのでバロン、書庫の条件も下げさせてもらいますね」
「ん~それも~後でね~ともかく~本題本題~~」
バロンの表情は読めないが、四人を見回した私は瞼を閉じる。
時間が経つに連れて鋭い視線を肌で感じていると、細めた目と重い口を開いた。
「実は──」
続いた言葉は全員の目を見開かせ、静かな城内に大きな風を起こした。
* * *
「ベ~ル~っ!!!」
「はっだ!!!」
騎舎に戻ると勢いよくハリセンで背中を叩かれた。
叩いたのはヒナタさん。一時間ほどしか経っていないのに、もう起きていることに驚くが、コートの両襟を揺すぶられる。
「貴様、床に本を置きっ放しにするな! 踏んだりして危ないだろ!! あと灯りを点けてから出て行ってくれ!!!」
「は?」
想像とは違う絶叫に困惑していると、オーガットが小走りでやってくる。
何やら花を持っているが、ヒナタさんは怒り顔から笑顔に変わり、オーガットを抱きしめた。柄を握ったが、花を受け取った彼女は私の元へと戻ってきた。
「そうだそうだ、ほらベル!」
「スズラン……ですか?」
ヒナタさんの手には小さなスズランの花。
聞くに、先ほど助けた女の子がお礼にと騎舎に来たそうだ。嬉しそうに見せる彼女は私の手を取るとスズランを乗せる。
「ちゃんと『きしのおにいさんにも』と貰ったものだからな。半分こだ」
「そう……ですか」
「うむ、今度遊ぶ約束もしてな。あ、弟も一緒にどうだ!?」
「い、いや、俺は~~」
拒否るオーガットに、ヒナタさんは不満そうに口を尖らせる。
年上の自分にはあまり見せない顔に少しショックを受けるが、愛称を呼んでもらえるようになっただけ良しとしましょう。そう頷くと、彼女の寂し気な表情に気付く。
「どうしました? オーガットが釣れなかったからですか?」
「いや……あの女の子と弟を見ていると愛ちゃんと洋一……知り合いを思い出してな」
振り向いた彼女の笑みは無理をしているように見える。
それだけで酷く胸が痛んだ私はぎゅっと抱きしめた。けれど変わらず腕の中でジタバタと動きながら叫ばれる。
「こらこらなんだ! 私はもう帰るぞ!!」
「いえいえ、もう遅いですからどうぞ泊まっていってください。私のベッドに」
「誰が~って、こらっ!」
ジタバタするヒナタさんを抱えると、オーガットに笑みを向ける。顔を真っ青にすると両手を上げられた。まだ何もしてないのに。
一息つくと、彼女に聞こえないよう『風』で伝わる声を発した。
(家に戻って過去の異世界人の記録を捜しなさい)
(……え?)
(重要保管庫の奥にあるはずです)
主語は言わなかったが、察したオーガットは大きく頷いた。
今の私は『四天貴族』ではないが“騎士団長”としてならオーガットを『現当主』ではなく“副団長”として動かせる。ズルくはないと笑みを浮かべる私に、オーガットは控えめに続けた。
(あの……どうもヒナタさん、暗い所がダメみたいっス)
(暗い所?)
(『伝風鳩』を受けて団長室に向かったら、ヒナタさんが真っ青な顔で廊下にいたんス。本人は灯りが点けれず何か踏んでビビッたとか言ってたんスけど……)
そう言えば魔力がなくて『水晶』が使えないとバロンに聞いたのを思い出す。同時に灯りをすべて消して出たことも叩かれた理由にも納得した。
宝石が苦手だったりと何やら私の主には色々ありそうだが──。
「では、参りましょうか“奥さん”」
「違うだろーが!!!」
「ああ、すみません“お姫様”」
片腕で抱いた彼女の怒声を聞きながら団長室へ向かう。
だが、脳内に響くのは最後退治した魔物が死ぬ間際発した──“言葉”。
今まで何十体の上級が相手でも魔物が“言葉”を発したことなどなかった。他の団長達にも確認したが同じ。だが、途切れ途切れの低い声は確かに言った。
『みヅゲタ……グロ……ノ……メ……』
それが“黒の瞳”で彼女を指しているのであれば決して許しはしない。
たとえ貴女に何があったとしても私は貴女の騎士で貴女は私の主ですべてを奉げる人です。必ず──護りますから。
なのに途中、ものすごい力で離されてしまった。
理由は女子団員達と会ったから。そのまま女子トークの上に泊まりにも行ってしまい、私は一人寂しく徹夜で本を読む夜を過ごすことになったとさ────。