異世界を駆ける
姉御
18話*「恐ろしい」
深く暗い闇の底で光る七色の光。
太陽とも星とも違う美しい輝きに、普通なら吐息が零れるだろう。だが、その正体を知った私は悲鳴を上げた。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! やめてくれ!! 私は……私は……!!!
逃げたいのに身体は前にしか進まず、必死に抵抗する。と、光の上で黒い影が人の形を取り、弧を描いた口元が開かれた。
『オ……イ……デ……』
大きく目を見開いた先にあるのは白い天井。
カーテンの隙間から射し込む光に上体を起こすと、乱れた息を整える。汗でキャミソールは濡れ、身体は震えているが、カーテンを開けると眩しい太陽。
東側にある自室からは朝日と一緒にルベライトの木々が見える。
今日も太陽の下で一人の男が剣を振るっているのを考えると、無意識に苦笑が漏れた。
* * *
「なぜ“苦笑”なんだ?」
不機嫌そうに訊ねるのは、のほほん男の用事が終わったところで出会(でくわ)したフィーラ。
十階にある食事処のカウンター席に座る私達は昼食を摂りながら他愛ない話をしていた。が、口走ってしまった内容に白身魚を均等に切っていたフィーラの手が止まる。クリームパスタを口に運ぶ私は苦笑した。
「いや、今日も頂上からやっているのを考えるとどうしてもな」
「致し方あるまい」
「一緒に戦えなくて寂しいんだろ?」
「…………違う」
躊躇ったような口調に笑うと、フィーラは眉を上げたまま魚を口に運んだ。その頬が赤いことは黙っておこうと、窓から見える景色に目を移す。
私がアーポアク国に降り立ってニ週間が経った。
最初の三、四日は東と北に行くことが出来たが、西と南にはまだ行けていない。書類もなければ団長ニ人も来ないからだ。年下ニ人に会えないのは寂しいが、のほほん男の手伝いをしていたおかげで“この城”。つまり、アーポアク城のことがわかってきた。
国の中央にありながら形は楕円! 全っ然城じゃないな!! 迷子にはならないのに、ぐるぐる回ってると方向感覚が麻痺する罠!!!
本城とも呼ぶ太い楕円は四方にある細い楕円と渡り廊下で繋がっているが、細い楕円には『四宝の扉』しかない。そして本城はB2・B1・1・10・20・30の階しかなく、B2=研究医療施設(不明)、B1=書庫(誰でも入れるがベルしかいない)、1F=玄関ホール、10F=食事処と奥に使用人の部屋、20F=私や幹部クラスの自室、30F=宰相室や会議室(私が墜ちた所)となっている。
各階には大浴場があり、メイドさんに頼めば自室で食事も摂れるが基本私は食事処。一人は寂しいからな。
城には宰相が団長を務めるアクロアイト情報部隊三十人前後と、灰色のローブを纏い、昔から仕えているご老人達。そして住み込みのメイドやコックが数十人の五十人いるかどうか。
地下には『研究医療班』がいるが“王”同様、まだ会ったことはない。本気で国伝説にしていいと思える“王”に、ナフキンで口を拭くフィーラにフォークを向けた。
「やっぱりポックリ逝ってないか?」
「それはない。魔力を感じるからな」
手刀でフォークを落とされる。うむ、マナー違反だったな。
“王”についてフィーラに聞いても『気紛れ』で終わり。『四宝の扉』の件があるせいか良く思っていないのは確かだが、これでは進みようがない私はふと訊ねた。
「上空にも結界が張ってあるのだろ?」
「『空気の壁』か」
「あれは出生率が悪いから北にはないって聞いたんだが……ホントか?」
ナフキンをバルカポケットに仕舞ったフィーラはすぐに頷いた。
ベルだと怪しさ満点なのに、フィーラが頷くと信憑性が増すのはなぜだろう。しかし、人口云々とは結びつかず、また訊ねる。前に、凝視されていることに気付いた。
パスタが欲しいのかと口元に持っていったが拒否られてしまい、小首を傾げる。
「いや、ヒナタの瞳は本当に漆黒だと思ってな」
「珍しいのか?」
「そうだな、俺が知る限りでもニ……三人だ」
おおー、それは会ってみたいな。この国で漆黒はまだイズしか……って、ヤバイ。そろそろ髪を染め直さないとプリンになる。食事は変わらないし、ヘアカラーもあるかもしれないと考えながらフォークを置くと、フィーラに顔を寄せた。
「な、なんだ?」
「いや、あったら赤系にするかと思ってな」
「は……と言うか……近いぞ」
隣に座っているのだから近いのは当たり前だが、フィーラの顔は赤い。誕生日とは違う様子にからかいのひとつやふたつ言ってやろうかと思ったが、目先にある唇に私の顔も赤くなった。
それは二週間経った今でも鮮明に浮かぶ口付け。見つめる赤の瞳に動悸の激しさが増してくると、フィーラとの距離が少しずつ近──。
「おや、浮気ですか?」
「「うわあああああっ!!!」」
背後からの声に、揃って肩を大きく揺らしながら席を立つ。が、私は大きな腕に抱きしめられた。顔を上げた先には、いつの間にきたのかベル。見下ろす翡翠の双眸はどこか冷ややかにも見え、弧を描く唇が開かれる。
「困った主ですね」
「こ、こら、ベ──んっ!」
腕から逃れようとしたが、唇が重なるのが先だった。
まだ休憩中のメイドさん達どころか、フィーラもいるのに、お構いなしにベルの舌が口内に入って──。
「ラガーベルッカ様!」
「はい?」
フィーラの大声に唇が離れた。
息を荒げながら見ると、フィーラの顔は赤い。けれど、ベルを睨んでいるようにも見えた。
「たとえ主でも……このような場での行為としてはどうかと思います。彼女を放してください」
「……仕方ありませんね。ではヒナタさん、この紙にお名前を書いてください」
ゆっくりと腕が解かれるとテーブルに紙が置かれる。
聞けば『異世界』について興味が湧き、文字などを知りたくて私を捜していたらしい。捜すぐらいなら見回りに行けと言いたいが、既に疲れた私は借りたペンで漢字を書いた。ベルは興味深そうに見ながら自身の名を隣に書く。が、読めん。でもドイツ語に似てるような……。
「あと、横に拇印を押してください」
「拇印か……朱肉がいるな……拇印……拇印……拇印?」
「ちょっと待ってください!」
考え事をしていたせいか、反応が遅れた私の横からフィーラが紙を奪い、重ねてあった紙を捲る。顔を青褪めた彼は額に手を当てると、紙を見せながら呟いた。
「これは……『婚姻届』だ……」
沈黙後、怒りの大声とハリセン音が響いたのは言うまでもない。
みんな、結婚詐欺には注意しよう。
~~~~*~~~~*~~~~*~~~~
怒りのヒナタが恐ろしく、背中を見送ることしか出来なかった。
隣では頭を叩かれたはずのラガーベルッカ様が変わらない様子で紅茶を飲んでいる。ある意味この人も恐ろしい。いったい彼のどこを尊敬したのか自問自答したくなる。
「アズフィロラ君」
「は、はいっ!」
突然かけられた声に肩を揺らすと、椅子を指され、ひとつ空けて座る。
するとヒナタが粉々に破いた婚姻……を『風』で集めると、くっつけて見せられた。なんの苛めだ。
「ヒナタさんのこの文字、見たことありますか?」
「い、いえ……はじめて見ます」
「では、過去の住民記録で捜してみてください。重要機密で」
思ってもいなかった話に目を見開く。
『四天貴族』が街を管理しているとはいえ『重要機密』は余程のことがない限り当主である俺ですら見ることはない。事が悪ければ城から処罰を受けることもある代物だからだ。
なぜそんな物をと疑問に思うが、ラガーベルッカ様の顔は真剣。
しかも他者に聞き取られぬよう結界を張る徹底振りに目を細めると耳を傾けた。
「……バロンがはじめて廊下でヒナタさんと会った時“異世界の輝石”と呼んでいたのを覚えていますか? そしてその説明がなく『五人の異世界人がきた』と言っていたことを」
そう言えばと思い出すが、いったいなんの関係があるのか。
眉根を寄せる俺に彼は続けた。
「弟に頼み、記録を捜してもらったところ、過去ベルデライトに異世界人が住んでいたことがわかったのですが、面白くない物も発見しましてね」
「面白くない物?」
既に弟君を使って実行していることに頭を悩ませるが、翡翠の双眸が細められた。
「おかしなことに──十一名の方がいたんです」
「なっ!?」
まさかの数に席を立つ。
五人ではなく十一人……倍じゃないか。しかもベルデライトでということは他の街にもいた可能性があるのか?
握り拳を作り、額から嫌な汗が流れるのを感じていると、紅茶を一口飲んだ彼はさらなる発言をした。
「そして、その内の一名を除き、残りの十名には黒のバツが付いていました」
「メラナイト騎士団!?」
黒のバツは暗殺部隊メラナイト騎士団の印。
俺も先日住民票の一枚にバツを付け、封をしたところだ。生誕の夜、月明かりの下で塊となったレオファンダエ公の紙に。
なぜ奴ら……“王”が異世界人を標的(ターゲット)にしたかはわからない。だが、この状況でわかることがある俺達は顔を見合わせると、急ぎ彼女の後を追った──。
~~~~*~~~~*~~~~*~~~~
「ま~ったく、ベルのヤツは!」
ハリセンでベルを叩いた私は螺旋階段で一階へとやってきた。
これはもうルベライトかベルデライトに行って可愛い子供達と遊ばねば気がすまん。まったく隙があれば何をしでかすかわからん男だ。本当に忠誠を誓ってもらって良かったのか不安になるしイライラする。
「や~ん、なにカリカリし──っ!?」
「貴様もなっ!!!」
性懲りもなく背後から胸を鷲掴みしたイズに背負投げを決めた。
それはもう痛い痛い音が響いたが今は気にする余裕もない。大の字で転がり、若干目を回すイズが私を見上げる。
「年下の俺に暴力とか、実は年下好き詐欺か?」
「痴漢及びセクハラなら私は容赦せん。そもそも貴様の方が年齢詐欺だろ」
「どこがだよ。俺ピッチピッチの二十っ!?」
ハリセンを落とす。私のレーダーが故障しているとは思えん。
ともかくベルとこいつは嘘つきだと今までの経験で記憶している。
私が不機嫌だとわかったのか、イズは床でゴロゴロ回りまじめた。
途中止まると、ポーチから取り出したチョコを食べ、さらにポーチを……逆さにするが出てこない。どうやらチョコ切れのようで頬を膨らませた。あ、なんか可愛い。
すると紙に何か書くと起き上がり、私の手に大小違う紙を手渡した。
「代わりにコレ渡してきて」
「はあっ!?」
読めない字で腹が立つが、イズはニヤリと笑った。
「西方ラズライト騎士団長のカレスティージに」