異世界を駆ける
姉御
48話*「私の騎士達」
髪に通された椿の花弁が一枚、暗い空へ舞うと黒竜の旗が大きく揺れる。
同じ竜を背に持つ男達が目の前に、真上に、真後ろに立ち、赤黒い血を流したまま倒れ込んでいる黒いソレを睨む。涙が引っ込んだ私は呟いた。
「なんで……ここに……」
「あん? てめーを助けにきたに決まってんだろ」
「エジェアウィン君、最後だったじゃないですか」
「ボク……一番……」
「セコい移動魔法使ってるてめーらに言われたかねー!」
アウィンの叫びが響くが、ベルとスティは無反応。
しかしアウィンもそれ以上言わないことに見回すと、顔色が悪いことに気付く。同時に『魔力を奪われた』と言っていたイズを思い出した。
「き、貴様ら『解放』などしたら魔力が」
『しせいほう……しだいノ騎士(エクイタートゥス)』
低い声に全員が息を呑むと、ゆっくりと起き上がるソレ。
額に腹に肩に、全身から血を零すソレは赤い目を細め、口角を上げていた。それだけで背筋に悪寒が走ると、スティが飛び出した。
「カレスティージ!」
「ヒナさんの前に現れるモノは──殺す」
聞いたことのない低い声と瞳だが、両手で柄を握るスティと違って黒いソレは片手で受け止める。その真上から一本の風矢が放たれたが、雪結晶に当たる前にソレの手に矢は掴まれ消滅。そのまま手を振ると黒い影がベルを襲う。
「これは……さすがに『宝輝』がないとマズいですよね──『風円陣(ふうえんじん)』!」
ベルを中心に竜巻が起こると黒い影は消え去ったが、彼の息が荒くなっている。その間にスティが下がると、アウィンも同時に斬りかかった。
「エジェ様……邪魔しないで……」
「あん!? ふらふらしてるヤツが言ってんじゃねーよっ!!!」
ニ人の剣を両手で受け止めたソレにアウィンが回し蹴りを食らわすと、楕円の隅まで飛ばした。直後アウィンは地面に片膝を着き、スティとニ人、苦しそうに息を荒げる。
「やっぱり……あいつら」
「ああ……五十……四十以下だな」
斬られた首元を手で押さえながら、顔を青褪めたフィーラがゆっくりと起き上がる。だが、咳き込んだ口から血を吐き出した。慌てて支えると、黒いソレと交戦する三人を見つめる彼は眉を吊り上げる。
「奪われているのを差し引いても……全然魔力がない……ラガーベルッカ様さえ……」
「貴様ら、そんな状態で戦うなど無茶だ!」
三人に制止をかけるが、穂先を伸ばし、ソレの剣を受け止めるアウィンが反論した。
「バカ言ってんじゃねー! コイツには散々ヤられた借りがあんだ!! んで、コイツをブッ倒したら次はヒューゲを殴る!!!」
「宰相……?」
「あと……王様……」
アウィンが受け止めている間にスティがソレの懐に入り込む。だが、突く刀は片手に捕まれた。身動きが取れないスティを黒い影が覆うが、雪結晶の結界に護られ、ベルは風矢を構えたまま微笑む。
「シッカリと聞かせていただきましたよ。“異世界の輝石”がなんなんのか……そして不満ながらも全員がヒナタさんに忠誠を誓ったことを──ね」
風矢がスティを護る雪結晶に反射すると、数を増やした風矢がソレに襲い掛かり、爆発が起こる。爆風から出てきたスティがアウィンの横に着地すると汗を拭くが、私は別のことで顔を青褪めた。
「きききき聞いてたとはどういうことだ!?」
「? そのままの意味……ですけど」
「そもそも、この非常時にトマト投げ大会とかおかしいだろ」
「アズフィロラ君が仰っているように、ヒナタさんはとてもわかり易いですからね」
「やはり……気のせいではなかったか」
溜め息をついたフィーラのケガなど忘れ、説明を求めるように肩を揺す振る。
すると『三人の気配があった……』と青褪めた顔で告白し、私は三騎士を睨む。なんでもない顔で回答が告げられる。
「風って、どこにでも吹いてるものですよね」
「地面って繋がってんだよなー」
「アズ様の家……植物……多そう」
「魔法で盗み聞きしてたとハッキリ言わんか!!!」
三騎士の返答はなし。
確かにフィーラの屋敷には窓も開いてたし花瓶もあった。しかし『四宝の扉』を通らず会話を聞き取るとか、どんだけ上級魔法……。
「ああー! 貴様らそれで魔力少なくなってますとか言うんじゃないだろな!?」
「「「ぎくっ!!!」」」
正解の声と一緒に大きく肩を揺らした三騎士に、手が無意識に髪ゴムに向かう。すると、低い笑い声が聞こえた。黒煙と共に現れたソレに真新しい傷はない。
『ククク、にぎヤカナれんちゅうダ……』
「あん? 羨ましいかコラ」
「楽しい主君ですからね」
「ヒナさん……盗るのは許さない」
『ナラバ……』
口角を上げたソレは一瞬でスティとアウィンとの間合いを詰めると、スティの刀を握り、赤の瞳を細めた。
『しゅくんヲなクシぜつぼうシロ──『悲しみの虚無(マエスティティア・ヴァニタス)』』
重い言葉と同時に黒い光が放たれるとスティの武器が──黒ウサギに戻った。全員が目を見開き、スティの震えた声が響く。
「どうした……月黒刀……っ、解放(リベラツィオーネ)!」
黒ウサギは反応しない。呆然としている隙に、腹にソレの足蹴りを食らったスティが吹っ飛ばされる。
「ぐはっ……!」
「カレスティー『『悲しみの虚無(マエスティティア・ヴァニタス)』』
アウィンがスティに向かって柄を伸ばすが、ソレに捕まれ『解放』が解ける。ラズライト側の隅で止まったスティは腹を押さえたまま起き上がろうとしたが、ソレに放り投げられたアウィンとぶつかり、二人して屋上から落ちた。
「スティ! アウィン!!」
「ラガーベルッカ様!」
「わかっています! 『風良(ふうりょう)っが!!」
フィーラの叫びに応えるように墜落する二人にベルが風を向けるが、真後ろに現れたソレの剣で背中を斬られる。同時にケガをしていた肩にかかと落としを食らい、ベルデライト側へ落ちた。
「ベル!!!」
「くそっ……!」
「待てっ、フィーラ!」
立ち上がったフィーラは駆け出し、数メートル先の床に刺さった自剣を抜く。『浮炎歩』で宙に浮くと、ソレの剣とぶつかり合った。が、首元から溢れだす血に目眩を覚えたのかぐらつき、ソレは笑みを浮かべる。
『まりょくガなケレバむのうナいキものダ』
「だまっ『『悲しみの虚無(マエスティティア・ヴァニタス)』』
左肩に手を当てられた瞬間、悲鳴を上げたフィーラの上半身を黒い剣が斬りつける。血飛沫が宙で飛び散り、竜に剣の模様を持つ紅色のマントが風で飛んで行くと、赤騎士は白の床へと落ちた。
白煙が舞うなか目に映るのは赤の髪と赤黒い血が混じり合い、仰向けのままピクリとも動かないフィーラ。残酷な光景に視界が揺れる中、立ち上がると、震える両手を伸ばす。
「フィーラーーーーっ!!!」
泣き叫ぶように駆け寄り必死に名を呼ぶが、虚ろな眼差しのまま動かない。大粒の涙がフィーラの顔に落ちるように、何かが地面に置いた私の手に落ちてきた。それは血で汚れた“緋“の『宝輝』。
彼の喉元には小さな穴が開き、血が零れだしているが、少しずつ塞がれていく。同時に背後に立つソレの気配も。
『かがやキトともニくレバわれハここカラさル。ダガこナケレバさらニまりょくヲうばイかってニしニたエテいクすがたヲみルダケダ』
何も考えられないのに片言の言葉はハッキリと耳に届く。脅迫の声が。
ゆっくり振り向いた先には、跳ねた黒髪に赤の瞳と尖った耳を持つ褐色肌の男。その真横で飛ぶのは──黒い蝶。
大きく目を見開いた私はソレの後ろで舞い消えた蝶に瞼を閉じた。同時に思い出したくない言葉が浮かぶ。
『ここに隠しときゃ大丈夫だ』
吐き気を覚える言葉が今では不思議と受け入れられ『宝輝』を握ったまま立ち上がる。震えるフィーラの手が服の裾を引っ張った。
「行く……な……問題……ない」
「ああ、問題ないさ……貴様らが思っているほど……私は弱くない。だから心配せず……“国”を護れ」
「何を……っ!?」
か細い声に振り向いた私は手に持っていた『宝輝』を口元に運び──呑み込んだ。
“ごっきゅん”と、覚えのある鉄錆のような血の味以外なんの味もしない物。フィーラどころかソレも息を呑んだように見えたが、気にせずフィーラの前で膝を折ると額と額をくっつけた。
「滅びは『宝輝』を壊したあとに黒の瞳らしい。だから体内に入れておけば時間は稼げる……その間に王に……あいつ共々私を殺しにこいと伝えろ」
「なぜ……」
「さっき……『死刑』の判決蝶が舞ったんだ……私は死なねばならん」
虚ろだったフィーラの瞳に生が宿るのがわかる。
宰相からの宣告は『“王”との判決で“生”であれば白、“死”であれば黒の蝶を飛ばす』。そして結果は黒。わかりきっていたが、最後ぐらい国に、忠誠を誓ってくれた騎士達に礼をせねば日本人らしくない。呆然とするフィーラを横目に額を離すと耳元で囁いた。
「フィーラにベルにスティにアウィンに……私の騎士達に最初で最後の命令だ」
「なっ!?」
「私と王を怨むなとは言わない……ただ自分の街と国を護れ。『四宝の扉』など気にせず強く願えば、どんな扉でも開く。貴様らが私を助けてくれたように、手を取り合えばなんだって出来る。だから……それを信じろ」
目を見開いたフィーラに構わず立ち上がると、黒いソレに笑みを向けた。
「エスコートはシッカリしてくれよ」
『……どりょくスル』
差し出された大きな手に手を乗せると、黒い穴が現れる。ゆっくりと歩きだす背後から叫びが上がった。
「待て! そんなことを言われて……引き下がるわけっだ!!」
無理に起き上がった男の頭をハリセンで沈める。
ソレが目を瞠ったが、ハリセンを戻した私は穴の中へ入り、背を向けたまま言った。
「女々しい男は嫌いだ……でも、最後まで身勝手で奇っ怪な主を……貴様らに好きになってもらえた私は──幸福な異世界人だったよ」
振り向いた私は、涙を流しながら微笑んだ。
災厄だと言われても短い期間だったとしても、四方の街を駆け、たくさんの住民と騎士達と話をし、騎士団長達とは長い時間を共に過ごした。そんな時間の中で気付かぬ内にたくさんの愛の言葉を貰った。
『私のお嫁さんになりません?』
『大好きで……愛してるんです』
『大事なもん渡しちまったし良いんじゃね?』
『大切な人を俺が殺せるわけがないだろ』
それで充分だ。満足だ。絶望の暗闇しかなかった私に一筋の光が見えた。
でも、いなくなってごめん。
でも──愛してくれてありがとう。
「ヒナターーーーッッ!!!」
大きな悲鳴と伸ばした手は届くこと無く、私とソレは暗い影に包まれ──消えた。
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暗闇が空から消え、青空が通り過ぎると夕暮れが訪れる。
だが、『空気の壁』を失ったアーポアク国の頭上を数千の魔物達が飛んでいた。
黒竜の旗が大きな影を作ると、夕日以上の明るい赤髪を持つ男は目先に落ちていた赤い椿の花弁を握りしめる。そのまま立ち上がると、拾い上げた剣が空に掲げられた。
太陽の瞳から頬を伝った雫が地面に落ち、掠れた声が響き渡る。
「炎獄の錠……開け放ち……炎帝(えんてい)よ舞い下りろ──!!!」
叫びの声が届いたかのように、燃え盛る炎が国を覆った。
ベルデライトの雪を溶かし、ラズライトの水を蒸発させ、ドラバイトの地を干上がらせ、空を飛び回る魔物達を炎帝が一掃する。まるで主の命に従うように、国を──護るため。
炎が静まり返ると風が吹き、螺旋階段を上がる音が響く。
長いミントグリーンの髪と白色のローブを揺らす男は俯けで血を流したまま倒れている赤髪の男を眼鏡越しに見つめる。そこに、耳元からいくつもの報告が聞こえた。
『こちらラズライト! ストラウス団長を保護!! 意識ありません!!!』
『ドラバイト! ランアード副団長の助けにより、コルッテオ団長の無事を確認!! 意識はありますが重症!!!』
『ベルデライトです! ヴェレンバスハ団長が暴れて手が付けられません!!』
「ん~わかった~取り合えず~ラーくんは気絶させて~みんな~地下に運んで~あ~武器の取り上げと~魔力遮断は絶対~だよ~こっちも~上級片したら~すぐ……──行くから」
上空を飛ぶ巨大な生き物が数体、城を狙っているのがわかる。大きな溜め息をついたヒューゲバロンは腰に掛けていた剣に手を伸ばすと柄を握った。
「さぁてと……大きな賭けだ」
金色の双眸を細めると静かに口元で弧を描き、ゆっくりと鞘から剣を抜く。
「地歌舞(じうたまい) 静静(しずしず)と 土を踏み経て結わえ──解放(リベレーション)」
上空で金色の光が放たれた────。