異世界を駆ける
姉御
46話*「はじまり」
風が揺れ、花弁が空を舞うと日の傾きで影の向きも変わる。
聞こえてきたのは──。
『コケコッコーー!』
元気な雄鶏コックの声。雌鳥のプールは構わず餌を食べている。
二メートルほどの豪華小屋を通り過ぎると、誕生日の時に座ったベンチにフィーラと二人、腰を掛けた。
“異世界の輝石”について重苦しく話していた私達。
すると突然『庭に出るぞ』と言った彼に連れられ、静寂な邸宅から誕生日の時には見えなかった花々が咲く庭園に招かれた。アメシスト月に入り風は冷たいが、やはり『火』の恩恵を受けているルベライトは暖かい。
生暖かい風を受けながら椿を見ていると、黙っていたフィーラが口を開いた。
「この国が生まれた当初は門外のように国内も荒地だったという。このような花々が咲いたのは今から四百年ほど前……建国百年と少し経った頃だった」
「四百年前……ん? 建国百年って……おい、今何年だ?」
四百年って凄いなと思ったが、次の百年に一瞬わからなくなった。視線だけ向けられる。
「今はアーポアク国暦五六八年だ」
「はぁっ!?」
まさかの暦に目を見開く。
てっきり『天命の壁』や『四宝の扉』、ややこしい物があるから何千年も前からあるのかと……しかし、思い返せばチェリーさんの写真に書いてあった年月日は西暦。そしてここは異世界。同じなわけがない。
「王すら十四代目の国を、ヒナタはどう思う?」
「ま、まだまだこれから……ですね……」
「これから……か」
五百年でも充分だと思うが、如何せん二十一世紀を知っているとなんとも言えない。戸惑いながら私の国は二千年以上経っている事を話すと、溜め息をついたフィーラは身体ごと私に向けた。
「ならばこの国はキミ達異世界人のおかげで創られたといえる。まだ人口も百万人にも達していないのに、魔法だけでここまでの発展はないだろう」
立ち上がったフィーラは椿を手に取る。
赤い後ろ髪と紅色のマントを見つめる私の脳内はぐちゃぐちゃだ。人口百万人未満とか、本気でベルの『たくさんの子供を産みましょうね』に貢献したくなる。道理で騎士団という割には団員数が少ないはずだ。
頭を抱えていると影が覆い、見上げた先には赤の椿を一輪持つフィーラ。
「屋敷の花の殆どは花屋ハナコで買ったものだ。その人が屋敷に、ルベライトに、国に花やかさを齎したのならば『四天貴族』として『四聖宝』として俺は感謝するだろ」
「それはまあ“幸福”の人だからな……」
「だが、俺個人が感謝するのなら、ヒナタにだ」
「……は?」
目を見開くと左耳の上に椿が通され、暖かい手が頬を撫でる。両膝を折り、目線が低くなった男は眉を下げた笑みを浮かべた。
「『緑の扉』……『四宝の扉』を俺が開くことが出来たのはヒナタのおかげだ」
「わ、私は別に……」
「いや、あの時……俺は屋上で戦いを、ラガーベルッカ様が影にやられ墜ちて行くの見ていた。けれど扉に向かったのはキミの悲鳴を聞いてからだ。当然彼の安否も気に掛かったが、それよりもキミが──ヒナタが心配だった」
フィーラの両手がゆっくりと腰と背中に回り、抱きしめられる。
胸元に顔を埋めた赤の髪に動悸は速さを増し、身動きが取れないでいると上げられた赤の瞳が私を映す。
「そんな……大切な人を、俺が殺せるわけがないだろ」
「た、大切って……んっ」
背中に回っていた手が後ろ頭を支え、前へと押す。重なるのは唇と唇。
今朝とは違い、このベンチではじめてした時のように優しく舌で歯列をなぞって入り、口内を満たしていく。
「んっ……ぅ、ん……」
「大切だと……んっ、好きだと言ったら……怒るか?」
「っ!?」
“好き”の言葉に頬が熱くなり顔を離すが、フィーラは微笑む。
動悸の激しさが止められないでいると、左手に巻かれた赤いハチマキを撫でられた。
「……三騎士と忠誠を交わしたか。だから俺に話したのか?」
「ま、まあ……あいつらよりは貴様の方が……その、話がし易いと言うか……冷静というか」
「そうか……残念だが話す相手を見誤ったな」
「は──んっ!」
低い声が一瞬聞こえたが、また彼の手に囚われると口付けられる。だが今度は小さく重ねるだけ。すぐ離れた男の赤の双眸は冷たい。
「悪いが俺が一番“王”を憎んでいる。ヒナタか王かと問われれば迷うことなく俺は王を切り捨て、キミを護るだろう。恐らく他の三騎士もな」
「ちょっ、そんなに!? というか自国の王を護らずどうするんだ!!?」
「自分の身ぐらい護れずして何が王だ。それよりも奇怪で危なっかしい主を護る方が先決だ」
王に対する『四聖宝』の忠誠のなさはなんなのか。
そして“奇怪で危なっかしい”は私のことだろうかと考え数秒……立ち上がると、屈んでいる男の頭を叩いた。
「き、貴様が忠誠を誓って主としているのはルベライトの民で、私ではないだろ! 浮気するな!!」
「それは騎士団長としての忠誠で、俺個人の忠誠は誰にもない」
「屁理屈だ!」
あれだけ『四宝の扉』云々とか言い合っていた意味ないじゃないか! 少しでも悩んでた私がバカだった!!
怒りのままに彼の頭を叩くが、両手を捕まれ肩が大きく跳ねる。見上げる赤の双眸に抵抗をなくした手は左手だけ下ろされ、右手は片膝を地面に付けた男に取られる。
「屁理屈でも、ただ一人を選べと言うなら俺はキミしか選ばない」
冷たい風が大きく吹く。
けれど、フィーラの言ってることがベルやスティやアウィンみたいに冗談ではなく真っ直ぐな瞳。本気だとわかる。瞬間、全身が熱くなった……本当、揃いも揃って。
「も、物好きなヤツらだな……誓っても良いこと……ないぞ……」
赤めた顔を伏せ、視線を右往左往させる私にフィーラは目を見開く。だが、小さく笑いながら『それでいい』と、ゆっくりと右手が彼の口元に近付いた。
「ここにアズフィロラ・セレンティヤは絶対なる君主(ひかり)であるヒナタ・ウオズミに忠誠を誓いましょう──御命令を、愛する姫君(アムール・プランセッス)」
他の三人とは違う単語が入った気がするが、手の甲で鳴るリップ音に身体が跳ね、それどころではなかった。フィーラは苦笑するが、立ち上がると私を横抱きにする。慌てて彼の首にしがみ付いた私に向けられるのは笑み。
「では、参りましょうか」
「ま、参るってどこに!? というか敬語やめろ!! 誕生日の仕返しか!!!」
「誓ってすぐこれとは困った姫君だ……確かに誕生日の時の丁寧なキミには引いたからな」
「うるさいっ!」
「それよりも急ぎ城に戻り、“王”とヒューゲバロン様を止めるぞ」
羞恥で顔を赤くしていたが、フィーラの真剣な表情に私の頭も冷める。
そうだ、今日は“王”と宰相が私の処遇を話しているのだった。もう終わっているかもしれないが“判決”はまだ届いていないし、間に合うかもしれない……だが。
「もし……私に死刑判決出たら……」
「寝言は寝てから言え。そもそも執行するのがイヴァレリズとわかっているのならば俺は容赦せん。今日も勝手に屋敷に潜り込んだ上に、客人用の菓子を盗みおって……」
お得意の苦虫顔だが同意するように呆れる。
今日イズがルベライトに来ていることが菓子の紛失でわかったのだ。まあ、フィーラは甘い物嫌いだし、盗るのは一人だけだな。
苦笑いしていると髪を撫でられ、赤の双眸と目が合う。
「安心しろ。他の三騎士も揃えてすぐ抗議しに行こう。国に発展をもたらした者達を身勝手な理由で始末するなどあってはならん」
「し、しかし、世界が滅んでは……」
「その滅ぶ意味が俺にはわからない──『走炎火(そうえんか)』」
大きな風と共にオレンジ色の炎が円を作ると、足元で勢いのある炎の渦が巻かれ宙に浮く。そのまま城めがけて飛ぶが『浮炎歩』の倍以上のスピードに叫ぶしかない。
「うわわわわーーーーっ!!!」
「『宝輝』はこの国の宝だ。しかし、なぜそれが世界を巻き込む力になるのか……それこそ理由を聞かねば納得──っ!?」
猛スピードの中でも余裕で話すフィーラの声が突然止まる。
違和感に肩に埋めていた顔を上げると暗闇が広がりはじめていた。それはラズライト、ドラバイト、そして先日ベルデライトでも感じた……。
『ソレハコノせかいノはじまりダカラダ』
「「なっ!?」」
聞き覚えのある低い声。けれど今度はハッキリ聞こえる。
嫌な汗が流れ肩が震えはじめると、上空で停まった私達の目の前に広がるのは暗闇。城を半分ほど隠し、中央に開いた穴から出てきたのは右手に黒い剣を持った人の形……いや、違う。
「人間……!?」
息を呑みながらも呟きが漏れる。
目先には三騎士達を瀕死に追い込み『宝輝』を奪った黒いソレ……けれどその姿はフィーラより少し高い身長にガッシリとした体格。黒いローブを纏ってはいるが裸足。漆黒の無造作に跳ねた腰より上の髪を揺らし、赤の瞳を細め褐色の肌をした──人間だ。
「……いや、尖った耳を持つ人間はこの世界にはいない。何より……この悍ましい力」
フィーラの指摘で耳が尖っているのがわかる。左腕だけで私を抱えた彼は右手で柄を握ると目を細めた。
「今度こそ──燃え死せ」
低い声と同時に勢いよく鞘から剣を抜くと、赤い一閃の衝撃波がソレにぶつかる。爆音と爆風でルベライトの住民が騒ぎ立つのが聞こえた。
「フィーラ!」
「わかっている! 『炎柱報(えんちゅうほう)』!!」
後ろに下がると剣を掲げ、大きな火柱が上がる。
『空気の壁』があるのか、一定の上空で炎が弧を描くと大きな警報が響き渡る。以前のより長く間を空け木霊させる警報に、住民が慌てて家々に入るのが見えた。
「非常事態警報だ。ヤツに俺以外が触ると魔力を失い死──っ!!!」
「うわあっ!」
爆風の中から現れた黒い剣をフィーラは受け止めるが、すぐ真後ろで刃と刃がぶつかる嫌な音が耳に響く。片手のフィーラは両手で剣を持つソレに押し負けているが、小さな声で唱えると複数の炎の玉を作り命中させた。
「フィ、フィーラ、私を下ろせ! このままでは貴様が……」
「ダメだ! ヤツの狙いは俺の『宝輝』だろうが、ヒナタを狙っている節もある」
「わ、私なんぞ狙っても──!?」
『いみハアル』
いつの間にか真上にいたソレは低い声と赤の瞳で私を見つめ、黒い剣を振り下ろした。重い空気と同時に落ちてきた斬撃に目を瞑る。
「火炎渦巻き 焔の如く世上を舞え──解放(リベラシオン)」
頭上で爆発が起こる。
オレンジ色の光に瞼を開けると、フィーラと私の周りを炎の円が囲い、構えた剣には炎が渦を巻いていた。以前も見たフィーラの『解放』に心臓の音が治まりはじめ、宙で足を踏むのを感じるとしがみ付く。
「燃え死せっ! ピュルガトワ『『悪魔の闇(ディアボロス・オプスクーリタース)』』
耳元で囁かれたような重く低い声が響くと空が暗闇に覆われる。
全身が寒気に震え、しがみ付く腕を強めた。が、フィーラの剣に渦を巻いていた炎が──消えた。
「なっ──ああ゛あ゛ぁぁっ!!!」
「フィーラ!? おいっ、どうしっ」
暗闇に怯むよりも、突然苦しみだしたフィーラを支えるのが先だった。見ると、剣の炎どころか足元にあった『走炎火』まで消え──落下する。
「うわあああああぁぁーーーーっ! フィーラ!! フィーラどうした!!?」
『ソイツハモウとベナイ』
一緒に落ちるソレの言葉に、私を抱えるフィーラの瞳が虚ろになっているのに気付く。真下はレンガの屋根……このままではぶつかる!
『オまえダケハおトサナイ』
「えっ!?」
目が合った赤の瞳には強い何かが見え、大きな褐色の腕と影が私に伸びる──
「『束影縛(そくえいばく)』! 『影爆破(えいばくは)』!!」
──前に、別の影が私とフィーラを包み、真上で黒い爆発が起こる。
爆風に瞼を閉じると、ゆっくりと地面に足が着くのがわかり、地面にへたれこんだ。瞼を開けた横には身体を丸め、苦しそうな声を上げるフィーラ。そして目前には背中。
「や~ん、なんで俺がアズ助けねぇといけないんだか……代償は高いぜ?」
ソレと同じ漆黒でも、ひとつに結ばれた髪と赤月の瞳は輝くように光り、口元に弧が描かればソレよりも悪に見える。右手に持つ短剣をソレに向ける男は──イズ。