異世界を駆ける
姉御
37話*「女の武器」
足音が遠ざかるが、激しさを増す動悸が聞こえていないか不安になる。
本当は扉を開けて問いただしたい。けれど身体が動かず、先ほどの言葉が繰り返し脳に響く。
『あの女、殺していい?』
『世界が滅ぶのを天秤にかけたらさ』
サティとイズの会話を扉越しで聞いてしまった私はへたり込んでいる。
立ち聞きする気はなかった……なかったんだ。だが、サティから受け取った物に呆然としていたら聞いてしまった。
スティが見てもらいたいと言っていた物。それは一枚の写真。
機械がないこの国に写真はない。あるのは肖像画。
だが紛れもなくこれは写真。しかもカラー。写っているのは二人の赤ん坊を抱いている笑顔の男女で、男はわからないが女性はわかる。チェリーさんだ。
綺麗な菫色の髪にタレ目と泣き黒子。見間違うはずない。赤ん坊は恐らく彼女の子供達。つまり男は旦那さんになるが、私と同じ黒の瞳と髪で顔立ちはアジア人。
そして日付は──十年前。
漆黒の姿に王かと思ったが、現王が結婚しているとは聞いていない。
なら私と同じ異世界人かと考えるが、十年前なら宰相やフィーラやベルが騎士団にいるはずだ。なのに何も知らないのは本当なのか? 嘘なのか? チェリーさんも何か隠しているのか? イズは私を……殺すのか?
色々な感情が渦巻き、覚束無い足取りで奥部屋のガラスに額を当てると冷たさが伝う。それが身体中に伝わると早鐘を打っていた動悸が落ち着きを取り戻す。と、『コン』と小さな音。
目を開けると、ガラス越しに紫の双眸──アウィンと目が合った。
慌ててドアに手を掛けると、幸い鍵は掛かっておらず簡単に開いた。
室内は暖かく、甘い匂いに植物が溢れ、病室というより温室のよう。そんな中央のベッドで全身包帯を巻かれ横たわっている男に近付くと、額に小さな石が当たった。
「痛っ!」
「幽霊じゃ……ねーんだから……とっとと来いよ」
「き、貴様、心配かけておきながらそう痛っ! ちょっ、やめ、痛っ!!」
「あん? だーれが心配だ。さっきのてめーは……明らかに違っただろー……が」
まだ虚ろな瞳のアウィンだが、横に置いてある鉢の石を飛ばす。
手癖の悪いヤツだと髪留めに手を伸ばす。が、膝を折り、アウィンの胸板に頭を落とした。
「うげっ! おいコラ、何す……どうした?」
「…………ハリセン……折れたんだ……」
「……そりゃあ……助かったわ……」
沈黙。
* * *
ジェビィさんを呼ぼうとしたが、あとで来るだろと言われ、丸い回転椅子に座ると状況を話す。アウィンは瞼を閉じた。
「そっか……カレスティージも……」
「ああ、まだ奥の集中治療室にいる」
「はん、年少組がとっととリタイアとか情けねーな……」
鼻であしらわれるかのような仕草だが、紫の瞳は揺れ、悔しそうにも見えた。だが、すぐ切り替えるように私を見上げる。
「で、てめーは……なんで不細工な顔(つら)してんだ?」
「ぶ、不細工だと!?」
慌ててガラスに顔を寄せ確認する。
た、確かに目の下に黒いのが……化粧してくれば良かったと考えているとアウィンは笑う。
「やっぱ、化粧(それ)は大事なのかよ」
「誰もクマ付きで人前には出たくないだろ!」
「その顔できたヤツが言う台詞じゃねーな」
ごもっともですと素直には言えず口篭ったが、真っ直ぐな瞳に負けるかのように……話した。
フミ江さんの手帳のこと、写真のこと、そして先ほど聞いた会話のこと。さすがに『私を殺す』の部分は言えず『メラナイト』とかいうのだけ話すと、アウィンは頭を抱えた。
「面倒くせーことになってんなー……」
「おい、胸中複雑な私を察しろ」
「あん? てめーは図太い神経してるだ!!!」
怪我のことなど忘れ問答無用で頭を叩いた。一番酷いのは腹らしいから大丈夫だろ、うむ。
アウィンは頭を押さえながら睨むが私は威張ってみせる。図太いを証明してしまった気がするが、構わず手帳と写真を見せると物珍しそうな顔をされた。
「この“しゃしん”ってのは、てめーの”けいたい”ってのと同じか?」
「同じだろうが、現像されているということはポラロイド型……つまりすぐ写真が出てくる専用機で撮ったんだろ」
首を傾げてくれたおかげでこの世界にカメラがないことを確認。同時に写真の男が持っていたと考えると異世界人になる。アウィンは手帳も捲るが『読めねー』とすぐ返した。
話す相手を間違えたと今度は私が頭を抱えていると、アウィンは一息つく。
「言っとくけど、“しゃしん”の男が異世界人かって聞かれてもオレは知らねーぞ。オレが会った異世界人はてめーだけだ。他の連中がどうかは知らねーがな」
心臓が嫌な音を鳴らす。
そんなの最初からわかってることだ。はじめて会った日、一緒に宰相から“異世界人”のことを聞かされた四人は私と同じように驚いていた。だから知らないはずだ……なのに『政治的理由』のように『間違いかもしれない』と思うのはなぜだ。
「けどな……」
顔を伏せたまま両手を握りしめていると、大きな手が頭に乗った。
それは右腕に上腕ギブスをし、鎖骨から腹部まで包帯を巻いたアウィンの左手。目覚めたばかりで辛いだろうに上体を起こし、頭を優しく撫でてくれる。
「少なくとも……『四聖宝』は……てめーに嘘はつかねーよ」
「え……」
「特にラガーベルッカとカレスティージはてめーに御執心だし、アズフィロラも今じゃ殺気も出てねー。そういうオレも……てめーは嫌いじゃねー。つまりオレらに、てめーを騙す理由がねーんだよ」
「騙すなど……悪い言葉だ……」
「けど間違いなくヒューゲとジジイは嘘をついてる。それは騙してるも同じだろ」
ズキリと胸が痛む。けれど、苦笑いするアウィンはゆっくり自分の額と私の額をくっつけた。
「だから『四聖宝(オレら)』だけは疑うな……」
その言葉に気付く。私は……彼らを“疑っていた”のだと。
騙すよりも何よりも私を心配してくれたフィーラに、嫁にと言ったベルに、好きだと言ってくれたスティに……そして目の前のアウィンに対して……つくづくバカだな。私も四人も。
また目頭が熱くなり、小さな雫が零れだす。
「お、おいっ!? こんなとこで女の武器か!!?」
「あはは……そんな話もしたな……そんなつもりはないんだ……」
「てめーの方が騙してんじゃねーだろうな!?」
「こらこら、貴様こそ疑うな。まあ女の嘘も武器と言うしな」
「どんだけ増やす気だよ!!!」
頭を抱え叫ぶ男に私は笑い、彼のくせっ毛の髪を撫でる。
アウィンは両頬を赤めるが、同時に何か足りないとハチマキを思い出した。だが生憎今は持ってないばかりか、まだ修繕してないと伝えると、口元に手を当てた彼は何かを考えながら私に目を移す。
「千切れたって、どんぐらい?」
「えーと、四十センチぐらいか? まあ、元が二メートルはあったから、問題ないなら切っておくぞ」
「……んじゃ、その切ったのはてめーにやるよ」
「……は?」
数度瞬きをするとアウィンは眉を上げる。
「んだよ。ヒーローのハチマキだぜ?」
「いや、今の貴様の顔は“悪人”にしか見えんし、“負けたハチマキ”だろ?」
「んだと!!!」
「あはは、冗談だ冗談だ。なら、髪を結うのに使おうか」
唐突に思ったことだったが、髪ゴムはひとつしか持ってないし、良い案かもしれない。
そんな元気な声を上げているとジェビィさんが楽しそうな顔を覗かせたが、速攻でアウィンをベッドに沈めた。気の毒にと思いながら時刻が三時前だと気付いた私もお暇しようと立ち上がる。帰り際、またアウィンの髪を撫でると笑みを向けた。
「次は勝ってくれよ、ヒーロー」
「へーい……」
気のない返事にジェビィさんと二人苦笑いしながら部屋を出る。前に、アウィンの大きな声が響いた。
「言い忘れてた。“しゃしん”はわかんねーけど、“フミ江”の肖像画ならドラバイトにあんぜ」
「本当か?」
「ああ、『あおぞら』って診療所にな。それと、メラナイトはカレスティージに聞け。適任つーか当人だかんな」
「? わかった」
疑問に思うことはあるが、ジェビィさんに挨拶を告げるとドアを閉めた。
本当は『宝輝』についても聞きたかったが、フィーラやベルが詳しいかもしれない。明日診療所に行ったら二人に聞こうと西の扉を開くと、薄暗いホールに人気(ひとけ)はなかった。
サティがいるか不安になったが『殺さないで』と言ってくれた彼女に何かを思うなど失礼だ。
ペタペタと足音が響く螺旋階段は髪ゴムから出た灯りしかなく、見上げた先には暗闇しかない。
そこで思うのは、下はもうないが上はどうなっているのか、屋上があるらしいが私も入れるのか。こんな非常時にそんなことを考えるほど疲れているのか眠いのか苦笑を零すしかない。だが、目の前に笑えないもの──ベルが倒れていた。
「おおおぉぉーーーーいっ!!!」
一瞬で血の気が引き、急いで駆け寄ると、書庫の出入口で俯けになっている男の背を叩いた。
「ベル! どうした!? 変な死に方するな!!!」
「んー……ヒナタさん……襲っていいですか……?」
「却下!!!」
寝惚け顔に安堵しながらも変わらずな発言に片足で思いっ切り背中を踏みつける。『ぐっ!』といった呻きが聞こえたが、裸足なら問題ないだろと睨むと笑みを返された。
「今日は黄色にリボン付きショッ!!!」
両足で背中を踏みつけた。変態とセクハラお断り。
* * *
本棚に背を預け座っていると、紅茶を貰う。
書庫に住んでいるベルは奥に寝室があり、飲み物なども置いているのだ。武器を棚に立て掛けた彼は隣に座るが欠伸をしている。その頬を突いた。
「あんなところで倒れるほど寝不足なのか?」
「最近バタバタしているので、タイミングを逃してしまうんですよ」
「なら、ナイトキャップでもして早く寝ろ」
「そうですね、ヒナタさんが隣で全裸に「そういえばアウィンが目覚めたぞ」
頬をつねながら話を逸らす。数度瞬きしたベルは笑みを浮かべ、私の身体を横抱きで浮かせると自身の膝に乗せた。魔法の感覚がなかったため腕力だけかと驚く私の頭に顎が乗る。
「お元気そうでしたか?」
「ああ。色々と話を聞いてもらった」
「おや、何かあるなら私がお聞きしましたのに」
くすくす笑いながら私の腰に腕を回すと頬擦りされる。
年上のくせしてデカイ猫みたいだ。そういえばトラとか例えられていたなと思い出し、似ているかもと笑う。ベルは不思議そうな顔をするがすぐ笑みを見せ、悪戯をはじめた。
「ちょっ、あっ、こ……ら」
「気になる笑みですね。何を考えてらっしゃるんですか?」
「べ、別に……あんっ」
ワンピースの隙間から手袋を外した手が入り、素足なせいか脚を撫でられると身体がいつも以上に疼く。
「生脚を見せられると理性を試されているのかと思います。いけない主(ひと)ですね」
「う、うるさ……あぁん……」
長い指はショーツの間を通り、濡れはじめた秘部を擦ると“ぐちゅっ”と、静かな書庫に音が響く。羞恥で顔が赤くなっているとベルは笑みを見せ、うなじを舐めはじめた。
「んっ、ひゃん……」
「このままベッド行きましょうか……」
「だだだダメだ! そそそそれより『宝輝』について聞きたい!!」
「『宝輝』……ですか?」
恥ずかしすぎて無意識に叫んだが、ピタリと手が止まった。
素直な彼に違和感を覚え見上げると、スティのように複雑そうな顔。普段見ない表情に胸がズキリと痛む。
するとどこまで聞いたのか問われ、ベルの右肩にあるのが『宝輝』であること、国の宝物であること、四つと何かがなくなると世界が滅ぶことを話した。ベルは一息吐くと、顎をまた私の頭に乗せ、しばし沈黙する。
「……昔々あるところに」
「は?」
突然のことに顔を上げる──と、口付けられた。
「んっ!? ……んんっ」
騙されたーーー!!!、と内心叫ぶが、舌を入れることもなく離れ、翡翠の双眸に見つめられる。目が離せず胸がドキドキしだすと、彼の口がゆっくりと開いた。
「……今からお話するのは、ある絵本の話です」
「絵本?」
「ええ……それはこの国の者ならば聞かされて育つ有名なお話で、題名は──『アーポアク国が生まれた日』」
静かな書庫に、ひとつの物語が語られる────。