異世界を駆ける
姉御
44話*「最高の場所」
石造りの一軒家に青色の屋根。
待合室に飾られていたのはナースキャップを被り、優しい笑みを向ける女性の画。白黒だが、他の画とは違い髪は黒に塗られ、右下には“高田フミ江”と、日本語で書かれていた。
* * *
「もういいのか?」
診療所『あおぞら』から出ると、腕を組んだアウィンが待っていた。
所々に包帯を巻いてはいるがギブスは取れ、黒のタンクトップに白のズボン。端から見れば悪そう坊主だ。
「あん? 今なんつった」
「な~んにも言ってないぞ。ほら、お届け物だ」
眉を上げたアウィンに、赤いハチマキでリボン結びした槍をプレゼントする。冷めた目を向けられた。
「……ツッコミ入れねーぞ」
「うむ、私からの愛だ」
「相変わらず噛み合わねー女……ま、サンキュー」
ぶっきら棒な言い草だが両頬は赤い。
頭を撫でると当然怒られたが、すぐ人通りの少ない場所でハチマキが結ばれた槍を一回転させ、伸び縮みさせた。見惚れながら疑問を投げかける。
「ソレ、どこまで伸びるんだ?」
「さあ? 屋上でラガーベルッカとやった時は数百メートルぐらい伸びたけど、懐に入られやすいし魔力食うからあんましねー」
「屋上?」
首を傾げると城の上を指され、辿るように顔を上げた私は呟いた。
「私でも入れるのか?」
「あん? 誰でも入れんぜ。エレベーターは手前で停まって階段から上がることになるけど、お前は関……」
振り向いたアウィンの口が閉じたのは、私の瞳が輝いているからだろう。
知らない場所というのはワクワクするな! 地下は御免だが!! では行くとしよう!!!
冒険に駆け出そうと足を出すが、待ったが掛かり急停止。振り向くと、槍をベルトに掛けたアウィンが包帯から赤いハチマキに替えている。風で揺れるそれに私は笑みを零した。
「うむ、これこそアウィンだな」
「うっせーよ。屋上行くんだろ」
「なんだ一緒に……って、おいっ!」
瞬間、横抱きにされ慌てるが、次第に集まりだす土煙が彼の足元で薄いボードになり、先端が城の上を向く。嫌な予感に両手を彼の首に回すと口元に弧が描かれた。
「感知能力も冴えてんな──『駆空走』!!!」
「ひぃやあああぁぁーーーーっっ!!!」
勢いよく白煙を吹きながら発射したボードはドラバイトの街を過ぎ、階段の手すりを昇り、あろうことか壁を駆け昇る。大きな向かい風が当たっても、しっかりと両腕に支えられ飛ばされることはない。
空との距離が近くなっている気がしていると、黒地の旗が揺れているのが見えてきた。目を凝らせば、白線で翼のある竜が描かれ、壁がなくなると上空に浮……おいっ!
「ちゃ、着地はどうすんだーーーーっ!」
「手ぇ放すぜ──ブっびろっ!!!」
右腕を放したアウィンは縮めていた槍を取り出し、頭上で回すと伸ばす。反りのある穂先が旗下にある階段の手すりに引っ掛かると叫んだ。
「『地上高』!」
声に反応するように白い地面が波を打つと、大きな円弧状の斜面が現れた。槍を元に戻し、急停止を掛けたボードは振り子のように斜面を何度も行き来する。
次第にスピードは緩み、地面に着地すると斜面も消えた。
「ああっ、やっぱオレも魔力の波がふっ!!!」
「危険なことするなーーーーっ!!!」
さすがに泣きたくなる恐怖に年下構わず頭を叩くが、目尻の涙を飛ばす冷たい風に顔を上げた。屋上といいながら階段と旗以外は屋根もなく、一階ホールと変わらない。だが、その景色に目を瞠る。
木々や花が生い茂ったレンガ造りのルベライト。真っ白な雪にドーム状のベルデライト。木造の平屋に赤の『宝遊郭』が目立つラズライト。石造りに大きな十字架が遠くに見えるドラバイト。
植えられた木々が境界線の役目を果たすように分かれている四方の街並みが一望出来る。
目の前で見てきた景色とは違う。むしろ圧巻とも呼べる街並みに、息をするのも忘れてしまう。
頭の後ろで腕を組んだアウィンも楽しそうに言った。
「すっげーだろ。唯一、アーポアク国を見渡せるんだぜ」
「……ああ」
「他の街に入れねーオレ達にとっては最高の場所だ……まあ、あんま見てると虚しくなっちまうけどね」
「フィーラのように扉が憎くなるんだろ?」
指摘に苦笑しながら頷いたアウィンは城の陸屋根とも呼べる地面に座り、私も隣に座る。
それからベルと何度も模擬戦したこと、スティに影という裏技を使われ喧嘩したこと、フィーラがよく屋上にいること……他愛無い話をしてくれた。
「アウィンは三騎士をよく知ってるんだな。私は名前以外知らんのに」
「その名前すら言えてねーだろ……ま、でもお前が墜ちてきてからのが多いな」
「え?」
「ラガーベルッカは前から付き合ってくれたけど、アズフィロラとカレスティージは月一会議以外はマジで会わなかったぜ。なのにお前が現れてからは重要呼び出しの上、一緒に監禁仲間」
溜め息をついた割には、寝転がったアウィンは楽しそうだ。
そんな彼の髪を撫でるとまた嫌がられたが、跳ね退けることはせず私は笑みを向ける。が、ふと考え込んだ。
「さすがに私もベルとスティのことは知っておいた方がいいよな……」
「あん? なんで二人」
「そりゃ、忠誠を誓ってくれたの「はあああぁぁーーーーっっ!!?」
突然の大声に、起き上がったアウィンと同じように仰天する。
「ちゅちゅちゅちゅ忠誠って……誰が誰に!?」
「だから……ベルとスティが私に……」
「ラガーベルッカは聞いたけどカレスティージも!? いつしたんだよ!!?」
「昨日」
「昨日かよ!!!」
拳を地面に叩き付ける姿に病み上がりでマズイだろと止めるが、睨まれてしまった。慌てて仮だと弁明すると、また寝転がったアウィンの紫の双眸が私を捉える。
「お前な……『四聖宝(オレら)』掌握して何してーんだよ」
「し、失礼なことを言うな! 私だって他に良い人がと思うが……第一貴様とフィーラは違うだろ」
「ああー……どーだろな……んー……」
歯切れの悪い男に首を傾げるが、千切れたハチマキのことを聞かれ、ポケットから四十センチほどの赤いハチマキを取り出した。ちゃんと切れた部分は直したぞ。
「髪を結うにはゴムに付けてるブローチが邪魔なんだ」
「ふーん……どこでも良いならリストバンド系は?」
アドバイスに頷く。確かに長さもあるし、二重に巻けばいいかもしれない。
早速左手首に巻くが、利き手ではないせいで緩くなってしまい、アウィンを見つめる。察したらしい彼は上体を起こすと、硬結びだが取れやすいように結んでくれた。
「うむ、大事にするな」
「これが紫色だったら、オレはお前に忠誠誓ったようになるんだろうな」
「まあ、宝石が苦手な私には良いかもしれんが……アウィンは誰にも誓ってないのか?」
「してねー。ジジイで良いと思ったけど他のヤツにしとけって言われた」
あー……ロジーさんなら言いそうだ。
苦笑いすると、胡坐をかいたアウィンの目が泳いでいる気がして、どうしたのか問う。
「いや……誓いの言葉ってなんだっけと思って」
「はあっ!? おいおい、大事な言葉を忘れるな!」
「うっせーな! てめー昨日聞いてんならわかんだろ!?」
まさかの逆ギレの上に私に言わせようと言うのか。
左手を手に取り『早く早く』と言うアウィンに脱力しながらベルとスティが言っていたことを思い出すと、両頬を赤く染めたまま顔を伏せた。
「こ……ここに……で、自分の名を入れる」
「ここにエジェアウィン・コルッテオは……」
「絶対なる君主(ひかり)である……あ、次に忠誠誓う人の名な」
「絶対なる君主であるヒナタ・ウオズミに……」
「おい、そこでなんで私の名を「忠誠を誓いましょう──」
両頬が熱いまま顔を上げると、真っ直ぐな紫の双眸と目が合う。
目を見開いたまま固まっていると左手がゆっくりと上がり“ちゅっ”と、手の甲とハチマキにひとつずつリップ音が鳴った。
「御命令を、我が姫君(プリンセス)……だっけ?」
いつもとは違い目を細め、笑みを向ける男。
顔が真っ赤になった私は慌てて手を放すと、震える指を彼に指したまま叫ぶ。
「ききききき貴様っ! ちゃんと覚えてるじゃないか!!」
「いや、あそこまで来れば思い出すだろ。つーか指すな」
「すすすすまん! ととというか今のなしだよな!? してないよな!!?」
真っ赤な顔と動悸が治まらない私にアウィンは笑うが、屈むと赤いハチマキを指す。
「大事なもん渡しちまったし、良いんじゃね?」
「そ──んっ!」
“大事”と言われ一瞬わからなくなった隙に唇と唇が重なる。
はじめての時とは違い、直ぐ離れることなく舌と舌を絡ませながらゆっくりと抱きしめられる。舌で混ぜられながら片手は上着を捲くり、腹部を撫でると臍を押された。
「あうっ……やぁっ」
「ん……ホント臍は……ダメみたいだな……」
「そ、そこは……触る……なぁあっ」
苦手な臍を押され身体が大きく跳ねるが、密着した身体はビクともせず、動く手は止められた。すると唇と臍にあった手を離したアウィンは頬にキスを落とすと苦笑いする。
「お前……ヤってる時……可愛くなんのやめろよ」
「う、うるさ……あんっ……」
“可愛い”に顔が赤くなり、上着の下を通る手が背中を這うとゾクゾクと身体が疼きはじめる。そのままブラのホックが外され、大きく胸が上下に揺れる──と、弾けた胸がアウィンの顔に激突した。
「ふぼっ!!!」
そのまま胸の谷間にアウィンの顔が埋まる。
小鳥のさえずりと風が吹き通る音はいつしか止み、沈黙が続いた。ポツリと呟く。
「……そうか……そんなに埋まりたかったか!」
「へぼっふ!!!」
アウィンの頭を押さえ、さらに谷間に埋めた。
胸元でジタバタしている男を熱くなった顔で見ながら、本当に私なんかに忠誠を誓ったのだろうかと心臓が激しくなる。そんなことを悶々と考えていたせいか、アウィンが息絶えそうになっているのに気付くのに数分掛かった。
* * *
「あっははは~エーちゃん~ドジ~~」
「笑い事じゃないぞ、ホント……」
時刻は夜の十時。
宰相室のソファに座る私だが、のほほん男は変わらず書類が山積みの机で一人手を動かしている。だが、気にすること無く話を聞いてくれていた。
「だけど~三騎士が~忠誠~誓ってるとはね~~」
「いや、忠誠と言うか……アウィンは……」
「ハチマキ~渡すぐらいなら~本気だと~思うよ~ロジじいちゃん~大事なもんは~大事な人に~って~言ってたからね~~」
「じゃあ、貴様からは何が貰えるんだ?」
ロジーさん繋がりで聞いたことだったが、手を止めた彼は顎に手を当てたまま考え込む。冗談だぞと苦笑いすると眼鏡を外した男は椅子に背を預け、薄い金色の双眸を天井に向けた。
「僕ね……なんだろ」
「……今日『あおぞら』に行ってきたんだが」
突然の話題転換にも関わらず彼は何も言わない。
診療所に行ったのはフミ江さんの肖像目当てだったが、私が情報部隊だと知った院長があることを漏らした。それを言うか悩んだが、口調を変えた今のこいつならと続ける。
「貴様、病院通いしてたそうだが最近行ってないらしいな」
「ああ……忙しいからね」
「目が……殆ど視えてないと聞いた」
立ち上がり、彼の傍まで行くと顔を近付ける。
金色の双眸は確かに私を映してるはずなのに焦点が合っていない。どこか遠くを見ているようにも思え、ゆっくりと手を伸ばす。が、すかさず手首を捕まれた。
「もう十年は経つからね……気配や感覚で大体わかるよ」
くすくす笑う声に息を呑む。
最初聞いた時は驚いた。何しろ普通に悪いのではない。数センチも視えない、失明に近いのだ。それで何千枚の書類を見つめ生活しているなど、どれだけの度数がある眼鏡なんだと思ったが、この世界にある力を忘れていた。
手を捕まれたまま彼の膝にある眼鏡に目を落とす。
「眼鏡(それ)が……魔法とはな」
「そ、ヒナタちゃんのハリセンに叩かれても割れないほど強度に創られてるんだよ」
「余計な心配かけよって……」
「あはは~……そんなこと言って、心配なのは自分のことじゃない?」
溜め息をついた私はすぐ向き直す。
眼鏡を掛け直した瞳は今度こそハッキリと私を映すが、どこか鋭さがあり、左手首にある赤いハチマキを撫でられた。金色の双眸が怪しげに映る。
「昨日イヴァレリズがきてね、キミが色々と知ったことを話してくれたよ」
嫌な動悸に手を引っ込めると下がる。
忘れそうになるがこいつは宰相。そして昨日イズが言っていた言葉を思い出す。
『“王”と宰相の決定を待つだけだ』
心臓の音が激しさを増し睨むが、変わらない笑みのまま立ち上がった彼は窓を見る。
「交換条件、出そうか」
「交換……条件?」
繰り返し呟くと指が鳴る。瞬間、訪れたのは──暗闇。
すべての明かりが消され、月も見えない暗い夜に低い声が木霊する。
「僕とキミが持っている秘密をね……」
身体が動かなくなる中、目だけを動かすと輝く石が目に入る。
それが長く災厄な夜をもたらした────。