異世界を駆ける
姉御
43話*「もうじき」
壁から現れた“レウ”と呼ばれる人は恐らくイズの父親だろう。ソックリだ。
地面まで届きそうなほど長い黒のマフラーを揺らす男性は静かにベッドの横を通り過ぎると、ジェビィさんの前に立つ。大きな手が彼女の顎を持ち上げ、躊躇うことなく口付けた。
「□◎×@д@っ!?」
「んっ……レウ……あんっ……あとで」
“イヤンは止めてね”と言っておきながら、目の前で濃厚(ディープ)キスが行われている。真っ赤な顔のまま慌てて毛布で顔を隠すが、目は子供のようにニ人を見ていた。
腰に手を回し、緩やかに舌で舐め吸っている男性、イズの未来予想図はこんなんだろうな~……いや、おっぱいにしかいかんと、半分脳がどこかに逝った。
しばらく経つと『ヒナちゃ~ん』と目の前で手を振られ、我に返る。
「恥ずかしいところを見せてごめんなさいね」
「い、いえ! ジェビィさんの自室ですから本人が何するかなど……その……ね」
「あらあら、真っ赤で可愛いわね」
布団に潜りたくなる私とは反対に、彼女は息を乱すことなく微笑んでいる。凄い。すると男性に手を向けた。
「この人が私の旦那で鍛冶師をしているの」
「鍛冶師?」
「そ、騎士団の武器を作っててね。レウは主に団長と副団長のを作ってるのよ」
聞くところによると『研究』にも色々あるらしく、ジェビィさんは魔物専門の研究者で、彼は魔物に対抗する武器を研究する人。それに合わせ鍛冶師もしているらしい。他にも魔法、医療の四つのグループに分かれ、総勢四十名ほどが地下に住んでいるとのこと。
また新しい知識に頷くと、イズと同じ赤の瞳を見せる男性と目が合うが少し怖い。
「ごめんなさいね、この人アズちゃん以上に無口無愛想だから」
「ああ、誰かに似てると思ったら最初の頃のフィーラか。あ、えっと……ヒナタです」
「……“異世界の輝石”……今回は災いだったか……」
「え……?」
おちゃらけた息子(イズ)とは違う低い声に一瞬身体が跳ねたが、聞いたことのある呼び名と不吉な言葉に目を見開く。だが彼は目を伏せると懐から覚えのある穂先。五十センチほどに柄が縮んだアウィンの槍を取り出し、綺麗に磨かれたそれを私に放り投げた。
慌てて受け取ると、見た目に反してズッシリと重みがある。
「……コルッテオに渡しておけ」
「わ、私がですか!?」
「レウ、自分で行きなさいっていつも言ってるでしょ」
「……面倒くさい」
意味不明な台詞と身勝手なところは息子と一緒で殴りたくなる。だが、踵を返す彼に慌てて訊ねた。
「あ、あのっ! 『宝輝』とか“異世界の輝石”って……災いってなんですか!?」
ジェビィさんは彼から『宝輝』を聞いたと言っていた。なら、“答え”を知っているはずだ。
動悸が早鐘を打ちはじめると、足を止めた彼は振り向く。重く張り詰めた空気に怯み冷や汗をかくが、細い赤の瞳を捉える。彼の口がゆっくりと開かれた。
「……死ぬお前が聞いても意味はない」
「なっ!?」
衝撃的な重石を乗せられた。
死ぬってなんだ……確かに“異世界人が殺されている”とさっきスティに聞いたばかりだ。けれどそれは絶対なのか……?
呆然とする私の代わりにジェビィさんが怒ってくれているが、彼は気にすること無く踵を返した。
「この最悪な状況は……お前か“王”が死なねば治まらん……どちらが死ぬなどわかりきったことだ」
「レウっ! ちょっ、待ちなさい!!」
淡々とした口調で話す彼に、顔を顰めたジェビィさんが手を伸ばす。
だが、掴むことなく消え、小さな風が吹いた。地下なのに風なんて変だろと思っても、頭の中は何がなんだかわからない。
先ほどのスティとは明らかに違う……彼は確信を持って言ったのだ。
震えだす身体を両手で擦りながら顔を伏せる。
すると両肩に柔らかい手が乗り、顔を上げると漆黒の双眸と目が合う。その瞳は僅かに揺れていた。
「ごめんなさいね。本当あの人は何も話さず不安だけ煽って……問い詰めてくるわ!」
「ジェビィ……さん」
「ヒナちゃんはもう休みなさい。目覚めたばかりなんだし……いいわね?」
小さく頷いた私の頭を優しく撫でたジェビィさんは駆け足で出て行った。
ベッドに寝転がると室内は静かなはずなのに心臓の音がうるさく響く。灯りは点いている。別室にはベルもスティもアウィンもいる。怖いものなど何もない……けれど繰り返される“死”の言葉に心臓の激しさは治まらない。無意識にベッドから起き上がると──部屋を出た。
鍵も掛かっていなかったドアは簡単に開き、静寂が包む中央へ辿り着く。螺旋階段をゆっくりと上り、書庫を、一階を過ぎ、二十階に着くと廊下の窓から夕日が見えた。
さすがに最下層から上ったせいか息は荒く、エレベーターを使いたくなる。
三十代前でコレは厳しかったかと苦笑いしながら自室のドアを開けるが、ベッドの上に黒くて丸い物体。イズが寝ていた。
「こらーーーーっ!!!」
「や~んっ!」
跳び蹴りを食らわすとベッドが大きく跳ね、床に顔面衝突する音が響く。
だが、気にせずベッドに座った私に、鼻を押さえたまま上体を起こしたイズは悠長に手を振った。
「おかえりなり~」
「ただいま。家主に断りもなくとは良い度胸だな」
「いや~眠いところにふかふかベッドあってさ。まあ、柔らかいおっぱいないのは寂しブホッ!!!」
枕を投げ、床に沈める。
会いたいような会いたくないような男に会ってしまい半分混乱、半分不法侵入猥褻罪の制裁。上体を起こしたイズは枕を膝に置くと胡坐をかいた。
肩下まで伸びた漆黒の髪は耳辺りでひとつに結ばれ、左目の包帯はまだ取れていない。だが、右目の赤の瞳は先ほどの男と同じで腹が立ち、ベッドから起き上がると奪った枕で頭を叩いた。
「や~ん、痛いなり! 何す……て、ちょ、マジで痛いんだけど!?」
「うるさいっ! 親子揃って意味不明なことを言いよって!! 私にどうしろと言うんだ!!!」
「はあっ!? 親子ってなったたた」
「貴様の父親だ! そんなに二人して私を殺したいのか!!」
「っ!?」
八つ当たりだとわかっているが、枕で何度も頭を叩く。
少なからずイズにも怒りがあるのも確か。そしていい大人が年下相手に情けないが、私は感情を我慢出切る人間ではない。騒いでいたイズが大人しく頭を叩かれているのにも腹が立ち、息を乱しながら何度も叩く。けれど体力が限界になったのか、枕を放すと力が抜けたように膝を着き、彼の胸板に顔を埋めた。
「なん……なんだ……もう……」
その声は擦れ、涙が零れた。
窓から射し込む光がゆっくりと消えはじめ、夜の闇が包む。指を鳴らす音が響くと部屋の蝋燭に灯りが点り、長い手が私を抱きしめると髪を撫でた。
「……どこまで知った?」
「貴様が……メラナイト団長で私か王が死なねば……事態が治まらないこと……過去異世界人が多く……現れ……死んでいること」
震える声で顔を上げると、涙を零す漆黒の瞳で赤の瞳を見た。
「イズが……私を殺そうとしていること……」
「……そんな男の胸の中に飛び込んでいいのかよ」
イズは苦笑いすると自身のベルトを指す。そこには三十センチほどの細い剣がニ本あるが、奪った私はベッドの上に放り投げた。小さな悲鳴を上げたイズは肩を竦める。
「手癖悪いね、お前」
「貴様ほどではないがな……」
「ふーん……まあ、バレたならしょうがねぇか」
離れた男は溜め息をつき、両手を床に着けると天井を見上げた。
「確かに俺はメラナイトの団長で、カレスやサティ達団員が四騎士団に所属している中、孤立で動いている。主に“国”に害する者を殺すのが仕事で国外が多い」
淡々とした口調で語る彼を涙を拭いた眼差しで見つめる。
国外と言いながらも頻繁に見ている気がしていると赤い瞳が細められ、父親と同じ重い空気が張り詰めた。
「そんな俺にもうじき下されそうな仕事が──異世界人であるお前を殺すことだ」
重石が緊張感が一気に増す。
彼の言葉と表情に嘘は見えず、喉を鳴らすとベッドに背中を預けた。意地の悪い笑みが向けられる。
「今のところ『殺せ』って命は出てねぇけど、お前か王かって言うなら、国の人間的にお前を殺すことになるだろうな」
「理由は……?」
「理由なんざ書類には書いてねぇよ。歴代団長は殺ってたみてぇだが、俺ははじめてなんでね。“王”と宰相の決定を待つだけだ」
「それって……結局私に死ねと言っているようなもんだぞ」
「あー……少なくとも俺は今んとこ望んでねぇよ。このおっぱい殺すの忍びねぇし」
「貴様そこっあん!」
シリアス空気から一変、両人差し指に胸の先端を押された。
身体が跳ねると腰に腕を回され、首元に吸い付かれる。膝を折った股の間には手が入り、ショーツを撫でながら耳元で囁く声は楽しそう。
「俺の見舞い品を穿いてんのか」
「お、起きたらこれだっただけ……んんっ!」
「御袋も粋なことしてんな……の、割りにエラく濡れてねぇか?」
「そ、それはスティが……」
その名にイズは数度瞬きする。だが口元に弧を描くとベビードールを脱がせ、両手で乳房を掬い上げた。ひんやりとした冷気に先端は尖りはじめ、イズはパクリと咥え込む。
「ひゃぁっ……やめ……あぁ」
「ん……良い弾力……つーかカレスがOKで……俺はNGってなんだよ」
揉まれている片方は大きく形を変え、片方は舌に転がされる。必死に退かそうとするが、先ほどの枕攻撃で体力を使い果たしたのかまったく力が出ず、喘ぎしか出せない。
「んっ……ふぁっ……」
「あのカレスが殺さない女か……もしかして忠誠誓ったか?」
「ん……言葉だけ……はぅ…」
「あー……そうか、お前宝石ダメだっけ。そーいやなんでダメなの?」
「それ……ふぁ、ああっあぁぁ!」
先端を手と口で摘まれ快楽が襲う。
胸だけで達しそうになる自分が恥ずかしいが、全身に刺激が伝わってしまいもうダメだ。
虚ろになっていると、顔を上げたイズは苦笑いする。
先端を舐めながらいつものチョコをポーチから取り出すと、私の口に入れた。甘い甘いチョコの味……視界が揺れる中、イズの声が聞こえる。
「ちょっとずつ味方増やしてんな……ま、俺はどっちにもなれねぇけど……」
「み……かた……だろ……」
途切れ途切れで出た言葉に目を見開いたイズが見えた気がしたが、意識が遠退く。
ただ最後に見た彼の表情は──とても切なかった。
* * *
目が覚めるといつかの時のようにベッドの中に入り、イズの姿はなかった。
カーテンの隙間から射し込む朝日を見ながら数秒停止。思い出すと同時に枕を殴った。
もうあのチョコは食べんぞ! ベルとスティに言ってあいつをフルボッコしてもらおう!! フィーラも手伝ってくれるよな!!!
ジェビィさんといい、眠らせるのが好きな親子だと怒りが沸く中、彼女に何も言わず出てきた事に顔を青褪めた。急いで情報部隊の服を着用し、アクロアイト石の付いたゴムで髪を結う。修繕を終えた赤いハチマキを手に取ると、ポールで地下二階まで下りた。
恐る恐るジャビィさんの自室のドアを開けるが、誰もおらず拍子抜け。その隙にアウィンの武器を持ち出し、三騎士がいるはずの西の扉へと入るが、同じく誰もおらず途方にくれる。
引越しでもしたのかと中央に戻ると、白衣を着た男がいたため声を掛けた。
「ああ、エジェアウィンさんならドラバイトに戻られましたよ」
「ドラバイトに?」
「ええ、すぐ戻ると言ってました。ラガーベルッカさんは魔力の波が激しいので東の魔力研究班といます。カレスティージさんは昨日の検診で激しい乱闘を起こしたので監禁戻りで爆睡してます」
検診で乱闘を起こすとはどんだけ病院嫌いなんだスティは。
溜め息をつきながら頭を抱えると、ジェビィさんのことを訊ねる。すると顔を赤くされた。なんだ?
「あーと……班長は……旦那さんが出てきたので……お食事にお付き合い中かと……」
「食事? なら十階か」
「いえ……北にある旦那さんの自室で……恐らく明日まで出てこないと思います……堪ってたと思うんで」
長い食事だなと思いながらも円満は良きことだ。
礼を言って別れると階段を上り、一階へと着く。アウィンがドラバイトにいるなら丁度良い。『あおぞら』にも行きたかったし団員に言って合流しよう。
背伸びをしながら長い南の渡り廊下を歩き『茶の扉』を開けた────。