異世界を駆ける
姉御
35話*「肌と肌」
時刻は夕方の四時を過ぎ、のほほん男と教会を出る。
するとロジーさんに手招きされ、皺々の大きな両手に手を包まれた。とても暖かい。顔を上げると彼は微笑み、懐から袋を取り出した。
「ヒナぼっこ、主にこれをやるため呼んだのじゃ」
「私にですか?」
受け取ると、手触り的には箱のような本のような物。
首を傾げているとロジーさんは腰を曲げ、私の耳元に口を寄せる。長い髭が頬を擦りくすぐったいが、淡々とした声。
「フミ江が遺した物じゃ。ワシには読めんもんじゃったが、主なら読めるじゃろ……ただし、宰相に見せてはならん」
同じ異世界人が遺した物に驚きながら、視線を宰相に向ける。彼はパレッドと変わらない笑みで話しているが、ロジーさんはなんだか怒っているようにも見えた。
「アウィンがヤツを狐狸と例えたのはあながち間違いではない。ワシも人のことは言えんが、宰相の職だからこそ主に隠さねばならん真実がある」
この国で宰相の職は“王”の次に偉い称号。
だが“王”が不在の中、国を動かしているのはヤツだと言っても過言ではない。そんな男は秘密が多い……と、思うべきだろうかと苦笑いしたかったが、次の言葉で消えた。
「ひとつ言えるのは、隠している真実が主にとって決して善いものではないということ。むしろ悪い……それでも知りたければヤツを問え。『四天貴族』と言うても立場はアヤツが上な分、ワシはこれ以上言えぬ……すまん」
彼の表情が冗談でもなく真実だとわかると“何かある”と背筋が凍った。
* * *
恒例になりつつある横抱きで、ドラバイトの上空をのほほん男の『駆空走』で飛ぶ。
白のローブが揺れ、ミントグリーンの長い髪が夕日色に染まると綺麗だ。金色の双眸も見えればもっと綺麗だろうに、細い目では難しいだろう。
「どうしたの~~?」
「いや……こうやって魔法とか鞘を掛けているのを見ると、宰相より騎士だと思ってな」
「ん~騎士出身~だからね~~」
コッソリではないが、実はこの男も剣を持っている。
普段はローブで隠れているが、細く柄が長い剣。聞けば通常アクロアイトは魔法中心だが、騎士の習慣が抜けない彼は装備しているらしい。
「そのまま騎士団長していれば良かったじゃないか」
「あはは~みんなにも~言われたけど~ダメ~~」
「ダメ?」
苦笑いする彼は真っ直ぐ城を見据えるが、薄く開かれた金色の瞳は鋭く怯んでしまう。
「騎士と宰相じゃ、出来ること……違うからね……」
語尾が伸びない時の宰相が本物なのか違うのか。
やはりわからない男に話を聞く勇気が持てない自分を悔いた。
『茶の扉』に入ると、団服を纏い、黒ウサギを持ったスティが壁に寄りかかっていた。私を見るなり笑顔で駆け寄り、抱きしめられる。
普段なら抱きしめ返すが、今朝の秘部を舐める他、指だけでイかせる手腕を思い出し頬が熱くなった。スティは上目遣いに首を傾げる。
「どうしたんですか……あ、もしかしてヒュー様に何か……」
「してないよ~ナイフ~出さないで~~」
大慌てで両手を振るのほほん男を冷たい目で見るスティ。たまにスティの性格も変わっている気がするのはこの国特有か?
そんな疑問は、のほほん男の咳払いで消えた。
「カーくん~編成~出来た~~?」
「出来ました……今夜には出れます」
「出るって、スティどっか行くのか?」
私の時とは違い淡々とした口調で話すスティは頭を横に振る。
「ボクは出れません……長くラズライトを留守には出来ませんし……出るのはボクの部下や研究医療班を集めた六人です」
「『宝輝』をね~捜すんだよ~~」
本気で宝捜しをする気だろうかと冷や汗をかく。
聞くと元々『宝輝』には大きな魔力があるらしく、見つけやすいという。まあ、地形を崩すほどならば可能かもな。
『宝輝』のことを多少なり知った私にスティは複雑そうな表情を見せたが、変わらない口調で話す。
「ただ……感知し難いらしくて、時間が掛かるかもしれません……」
「ん~魔力防止の~魔法でもあるのかな~もうひとつぐらい~奪われたら~わかりやすいけどね~~」
「バカを言うな!」
不吉な発言にスティを抱きしめる。
アウィンのように大ケガを負うのを前提とした方法に抗議するが、のほほん男は変わらない笑みを向けた。
「残念だけど~『宝輝』は~それほど~大事なものなんだよ~~」
「なら、なぜそんな物を団長達の身体に宿す!? そんなことをするからアウィンが……」
「それは~……政治的理由で却下」
圧し掛かる重い声に、スティを放した私は床にへたりこむ。
この国はいったいなんなんだ。『天命の壁』『四宝の扉』『空気の壁』『宝輝』。それらが“国”を護っているというが、すべて悪い方にしか向いていない。何をしたいのかまるで見えてこない。
顔を伏せる私を他所に二人は何かを話している。
しばらくするとのほほん男だけが去り、スティが私のところに戻ってきた。膝を折った彼は、ゆっくりと私を抱きしめる。
「国の宝物って言われてますけど……ボクも『宝輝』いらない……ヒナさんに触れてもらえないから……」
「触れる?」
肩に埋めていた顔を上げたスティの長い前髪の間からは藍色の双眸が覗く。僅かに揺れる瞳が。
「だってヒナさん……宝石……嫌いでしょ?」
「それはそうだが……触れるなら今……」
「ダーメ……」
「んあっ!」
低い声を発したスティは、首筋に舌を這わせ噛みつくと舐める。チクリとした痛みと同時に身体が疼いた気がしたが思考は手放さなかった。
「た、確かに『宝輝』は宝石だが……それはスティの身体にあるだけで……服を着ていれば触れられるだろ」
そう、直視しなければ今みたいに抱きしめることが出来る。だがスティは耳朶を甘噛みしながら、物悲しそうに囁いた。
「ダーメ……肌と肌が良い……」
「んっ、肌って……」
「服も下着も全部脱がせて……ありのままのヒナさんを……抱きたい」
九つも下とは思えぬ台詞と色気に茹でダコ状態になる。
そんな私にスティはくすくす笑うと首元を舐め直しては“ちゅっ”と赤い花弁を付けた。
「でも……ボクに『宝輝』があると……ヒナさん気になって……最後までしてくれないでしょ」
「あ……んっ……最後って……」
「だからラガー様もしない……それは良いことですけど……出来ないのやだ……それなら『宝輝』はいらない……世界がなくなっても」
「世界が……なくなる?」
目を見開くと、スティは『マズった』みたいな表情をし、沈黙。
こらこら、急に止まるのはよくないですよスティ君。綺麗に吐きなさいの眼差しを向けると、目を泳がせながら呟いた。
「そう……云われてるだけです」
「云われてる?」
「実際どうかなんて知りませんけど……四つの『宝輝』と何かを失うと……世界が滅ぶって聞きました」
「世界規模なのか!?」
スケールの大きさに唖然とするしかない。
アーポアク以外にも国はあるはずなのに、なぜ『宝輝』がなくなるだけで他も巻き込むことになるんだ。
だがスティは『さあ?』と首を傾げるだけ。
一番重要なところを知らないことに両手で床をベシベシ叩いていると、スティは私のポーチに挿してあった菜の花を抜いた。そして落ち込んだ様子でボソボソと何かを言いはじめる。
「だって……世界史つまんなくて……寝てたし……」
「まさかの授業の聞き忘れ!?」
「この草なんですか?」
「理科も悪かったのか!?」
そんなのでよく卒業を……騎士なら学業は関係ないのか?
溜め息をつきながらアウィンの見舞い用と言うと、嫌な顔をされる。だが菜の花を一本貰った私は微笑んだ。
「これは私の名前なんだ」
「ヒナさんの……?」
「陽菜多の“陽”は太陽、“菜”は菜の花、“多”は多くで“陽菜多”。太陽が照らすように快活な愛を自分にも周りにも多く与えられるようにという名だ。恥ずかしくはあるがな」
「なんで快活な愛なんですか……?」
「それが菜の花の花言葉だからだ」
花言葉は“快活な愛”“競争”“小さな幸せ”。
そんな菜の花を見つめるスティに笑いながら、床に置かれた黒ウサギを撫でる。
「スティ、『解放』する時に『朧月夜』と言っていただろ?」
「はい……謳(うた)はパスワードみたいなものなので……」
「意味は違うかもしれんが、私の世界の歌曲に『朧月夜』というのがあってな。それは菜の花畑から生まれた歌なんだ」
「え……」
懐かしい歌曲を口ずさむと、スティは菜の花と黒ウサギを見つめながら私に寄り掛かる。静かなホールに響く声は遠くどこまでも届くようで、歌い終えると恥ずかしくなってきた。
照れる私にスティは菜の花を見せる。
「ヒナさん……これ……貰ってもいいですか?」
「ん、良いぞ」
「やったあ……」
ただの菜の花なのに嬉しそうなスティに私も笑顔になる。
するとスティは少し頬を赤め、何やら目を泳がせると私のベルトに掛けていた袋を指した。それはロジーさんから貰った物で、思い出したように中身を取り出す。出てきたのはA5サイズの手帳。
「ボロボロ……ですね……」
「まあ、六十年前の異世界人の物だからな」
「へー……異世界人の……あっ!」
珍しい大声に、開く手が止まる。
どうしたと訊ねると、スティは黒ウサギを持って立ち上がった。
「ヒナさんに……見てもらいたいのがあるんです」
「私に? ならラズライトに行くか」
「いえ……ちょっとマズい物なので……少し待っててください」
「マズい物ってなんだ! またチェリーさんを怒らせたのか!?」
先日金庫を真っ二つにしたとサティに聞いて慌てるが、スティはなんでもない様子で微笑んだ。
「別に……ボクにとってはヒナさんが優先ですから……躊躇しません」
「なぜ私が優先になってるんだ!?」
「あれ? ボク……言ってませんでしたっけ……」
噛み合ってない様子に首を一緒に傾げる。
すると、膝立ちになったスティは顔を近付け、藍色の瞳と同じぐらい柔らかい表情と声で言った。
「ボクはヒナさんが大好きで……愛してるんです」
「は……──んっ!」
一瞬何を言われたのかわからず呆けていると、唇が重なった。
フィーラの時のように違うと否定したい。けれど今、彼は『大好き』『愛してる』と言った。その甘美な声と舌に頭が身体が支配される。
「あ……んっ、んん……」
「んっ……ヒナさん……好き……大好き」
喘ぎと唇から漏れる音が静かなホールに響き渡る。
小さなリップ音で離れたが、もうバッタリと倒れたいほどにヤられた私は息を整えるのに必死だ。そんな唇に黒ウサギの手がくっつくと、立ち上がったスティは満足そうに微笑む。
「それじゃ、ちょっといってきますね」
「い、いってらっ……しゃい……」
青のマントを翻した彼を見送ると壁側に寄り、激しい動悸を抑える。
まさかの告白を受けてしまった。以前ベルに求婚っぽいことを言われたが、あれはまだスルーで流せる親密度。けれど一緒にいた時間が長いと……ああ、もうどうすればいいのかわからん!!!
ひとまず別を考えて頭を冷やそうとフミ江さんの手帳を開く。
紙はボロボロになっているが懐かしい日本語で書いてあり、別の意味で動悸が激しくなる。見ていくと一言日記みたいなもので、彼女が六十年前の四月に来たことがわかった。
「六月七日……またロジエットさんがケガをした。困った人。六月十日……ルベライトの花屋で彼の好きなチューリップを貰った。元気かしら……」
捲りながら彼女の軌跡を辿る。
所々には涙だろうか、濡れて文字が滲んでいるものに胸が痛くなりながら次を開いた。
静かな雨が降り出したことなど気付かず────。