異世界を駆ける
姉御
32話*「見えない果て」
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ガラスが割れるような音と同時に地鳴りが響く。
星明りの下、足元には十メートルほどの黒い巨体が真っ二つに斬られ、荒野を青く染める。死骸の上に佇む漆黒の男は遥か先に見える“国”に顔を顰めた。
「……まさか」
瞳を揺らすと、急ぎ駆け出した──。
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下ろした髪を揺らしながら振り向く。
時刻は夜十一時。ピンクレースのベビードールの上にカーディガンを羽織った私は裸足のまま宰相室にいた。今日の『こども会』の報告をするためだが、途切れた声にのほほん男も書類の手を止める。
「どうしたの~~?」
「今……地鳴り……しなかったか?」
微かだが足元に何か響いた気がする。
だが、首を傾げられたため気のせいかと続きを話──そうとした時、扉が大きく開いた。
「緊急事態です、宰相様!!!」
突然駆け足で現れた白いローブの情報部隊に驚く。
反対に変わらない笑みで用件を促した宰相に、男は荒い息のまま敬礼を取った。
「ドラバイト騎士団と研究医療班より報告! 三時間半ほど前、南方にてコルッテオ団長が魔物らしきものと接触。その戦闘により瀕死の重傷を負い、現在医療班の集中治療を受けているそうです」
「アウィンが!?」
「それと……もうひとつお耳に入れたいことが……」
声を荒げたのは私だったが、宰相も険しい表情で男から耳打ちで聞いている。顔を青褪めた私は机を支えに手で口元を覆うと、先ほどの報告を繰り返していた。
アウィンが……瀕死。三時間半前って言ったら別れてすぐじゃないか……何が……それよりも。
嫌な予測に眩暈を覚えていると、大きく椅子から立ち上がる音と声が響いた。
「なんだって!?」
「ま、まだ確定ではないのですが……見つかった報告は今のところありません」
聞いたこともない大声に我に返る。
その主である宰相を見ると金の双眸が大きく見開かれ、激しく動揺しているのがわかった。沈黙に時計の針と心臓の音だけが大きく響き、冷や汗が止まらない。
目が合った宰相は顔を伏せた。
「ともかく研究医療班(下)に行こう……ヒナタちゃん、来る?」
「あ、ああ……もちろん行く!」
いつもと違う口調に戸惑ったが、行くか行かないかと問われれば当然行く。宰相は大きく頷くと首元に下げているアクロアイト石を握った。
「僕は他に指示出してから行くから、先に地下二階に向かって」
「わ、わかった!」
まったく態度の違う男に身体が強張るが、大きく頷くと宰相室を後にする。
夜の城は灯りを減らし階段も真っ暗。だが、手首に嵌めていた髪ゴムのアクロアイトブローチから現れた無数の『灯火』が私を囲う。暗闇が苦手なことを知った宰相が付けてくれたのだ。
混乱し、手袋もない今は階段を使った方がいいのかもしれない。
それでも速さを取った私はポールを掴むと勢いよく降下した。
下から巻き起こる風を受けながら心臓の音が激しさを増し、肩も震える。脳裏にはアウィンと最後会った場面が繰り返されていた。ボードに乗り、赤いハチマキを揺らす男。真っ直ぐな紫の瞳で唇と唇が重なり、残った感触。
縁起でもないと思いながらも止まらない。もし、アウィンが両親のように死ん……。
「ゃ……だ……」
小さな呟きと涙が宙を飛び、脳裏には赤い血と輝くモノ。
ふと痛くなる手を見ると、手首で光る“ソレ”に全身が恐怖に襲われ、両手を離してしまった。
支えを失った身体は勢いよく落下する。
まるでこの世界にきた時のように、底の見えない果てに消えるかのように──。
「うわっと!!!」
だが、今度は柔らかい椅子とは違うものに収まった。
大きい声に目を開けると、薄暗い中でも光る白銀と翡翠の双眸が見える。
「ベ……ル」
「大丈夫ですか? 驚かさないで……て、泣いてらっしゃるんですか!?」
風を纏い、私を抱えるベルは珍しく慌てている。だが、指摘に急いで涙を拭った。
「な、泣いてなんかいない! が……助けてくれてありがと」
「そういう可愛いことはベッドの上が嬉しいのですが、生憎緊急召集を受けているので一緒に行けないんですよ」
「貴様そう言うことばか……っ!」
心底残念そうに額にキスを落とされ、ハリセンで叩こうかと考える。だが、思い出したようにベルの頭を叩いた。
「それよりアウィンだ!」
「えーと……ああ、エジェアウィン君が何か?」
「瀕死の状態で研究医療班に運び込まれたんだ!」
「えっ!?」
さすがのベルも目を見開くが、それは一瞬。
すぐ手の平から白い鳩を生みだすと何かを言って上へ飛ばした。
「このまま地下へ向かいます」
「あ、ああ」
横抱きにされた状態で一階を過ぎ、ゆっくりと下りる。
その途中で先ほど聞いたことを話すが、徐々に震えだす身体にベルのコートを握った。すると上空で停まる気配がし、顔を上げる。口付けられた。
「ふっ!? んあ……ん」
こんな時に!と、口を硬く結ぶ。
だが、大きな舌で歯列を無理やり割り、口内への侵入を許してしまった。上半身を支えていた手はブラの隙間を通り、片胸の先端を摘む。
「ひゃっ……こらあっ!」
「いえ、あまりにも可愛い仕草だったのと、見覚えのある下着をしてらっしゃるので」
「っと、これは……だな……んっ!」
指摘に自分が誰に貰った物を着ているのかを思い出し慌てる。
すると、摘んだ手によって露になった胸の先端に吸い付かれ、淫らな音が響いた。喘ぎも漏らしているとショーツの隙間に長い指が入り、擦られる。
「あふ……ん……ゃあ」
「あまり濡れてないのは……ん、残念ですね……ああ……指を奥まで入れたらいいですかね?」
「~~~~ベルッ!!!」
指の侵入前に羞恥が崩壊し、叫びを上げた。
どこまでも響く怒号に、ベルは苦笑しながらショーツから手を退ける。と、胸の先端と唇に小さなキスを落とした。
「はい、少しは和んだでしょ?」
「どこがだ!」
「一大事な時ほど自分ペースでいないと」
ほう、つまり貴様にとって私は怒っているのが普通なんだなと視線を送る。だが、変わらない笑みのまま地下二階へと到着した。
蝋燭が数本あるだけで薄暗く、階段もポールも続かない床に足を着ける。
辺りを見渡しても一階玄関と同じ中央に階段とエレベータ。そして渡り廊下はないが、四方に扉がある。無意識にベルのコートを掴んだ。
「こんなとこに病院作るなよ……」
「まあ、最初は研究だけだったのを無理やり増築したそうですからね」
「おかげで大変なのよね~」
「そうのんびりな…………今の誰だ?」
明らかに女性の声がした。
しかもどこかで聞いたことに振り向くと、人が立っていたことに悲鳴を上げる。急いでベルの後ろに隠れた私に、くすくす笑う声が響いた。
「あらあら、案外ヒナちゃん怖がりさんなのね」
「暗所恐怖症のようですが、実はオカルト系もダメかもしれませんね」
こらこら、何を言い出すんだ! 第一ベルに暗所のこと言ったか!? というか女性は私の名前を知って……ん? 女性?
ソロリと顔を覗かせると、膝下までひとつの三つ編みにした青藍の髪。服は黒のロングホルターネックドレスに白衣。そして瞳は──漆黒。
目を見開くが、彼女の声と青藍の髪。何より暗闇で思い出す……彼女は。
「ラズライト以来ね。改めて、研究医療班の班長ジェビィよ。よろしくね、ヒナちゃん」
「あああぁぁっ! 私を変な匂いで眠らせた人!!」
二人は目が点になるがすぐに爆笑した。
それだけで似た者同士だとわかり、羞恥に顔を真っ赤に染める。するとベルが私の手を取り、女性=ジェビィさんに見せた。痛みが走ると思ったら、手の平にいくつものマメが出来ている。
「ひとまず、ヒナタさんの手当てをお願いします」
「あらあら、素手でポールを下りちゃったのね。ちょっと待って」
「い、いや私よりもアウィンの容……お願いします」
黒い気配に頷くだけにした。やっぱ同じ属性か。
数分後、エレベーターからフィーラ、スティ、のほほん男が現れる。手当てを受ける私に、昼間とは違う騎士団服のスティが駆け寄ってきた。
「どうしたんですか!?」
「手袋なしでポールを使ってしまってな、マメが出来たんだ」
「えっ、僕のせい~~!?」
説明に、スティとフィーラがのほほん男に冷たい視線を送る。
ベルトからナイフを取り出すスティを慌てて止めるが、不満そうに頬を膨らませた。苦笑いしながら髪を撫でると、今度は仰天の目を向けたフィーラが駆け寄ってくる。
「なぜそんな格好できた!?」
「? パジャマじゃダメなのか」
「パジャっ!?」
「良いこと聞きましたね」
「……素足」
「うん~いつもだよね~~……あれ?」
いつも見ているのほほん男に三騎士は冷たい視線を送りながら柄を握る。すると、ジェビィさんが割って入った。
「エジェちゃんのお話、いいかしら?」
「「「「「あ」」」」」
* * *
彼女に続いて西の扉へ入ると、独特な病院と植物の匂い。
薄暗い中をスティと手を繋ぎながら道なりに進むが、人はおらず物が置いてあるだけ。しばらくして奥に灯りが見えると、ガラス張りの部屋に着いた。覗いた先には──。
「アウィン!!!」
ガラス越しに見える彼は全身に包帯が巻かれ、ベッドに横たわっていた。呆然と見つめる私の後ろで四人も息を呑むと、紙を取り出したジェビィさんが淡々とした口調で話しはじめる。
「十九時四十分頃に魔物らしきものと接触。それから二時間ほどの戦闘を行い敗北。それからすぐウチに運ばれてきたけど、複雑骨折と内臓のいくつかも潰れてて既に意識もなかったわ」
「だ、大丈夫ですよね……?」
「肺や心臓にも負荷が掛かってるからなんとも言えないけど、頑張り次第じゃない?」
ニッコリ微笑まれると怖い。しかも結構投げやりだ。
しかし十九時四十分となると私と別れて本当にすぐということに……二時間の戦闘も。押し黙っているとベルが口を挟んだ。
「他に被害は出なかったんですか?」
「家畜が何匹かだけで人は……というより、エジェちゃんが手出しさせなかったみたいね。詳しくはミっちゃんに聞いた方がいいと思うわ。今ドラバイトに……あ、戻ってきたみたいね」
誰のことかわからないでいるとブーツ音が響く。
振り向くと、金髪に眼鏡を掛けた副団長の眼鏡女子が現れた。だが、赤茶の瞳は酷く揺れ、何度も涙を拭った痕がある。前に出る私に制止を掛けた彼女は見回し、小さな声を発した。
「……私が気付いたのは……『解放』の気配があったからです。外に出ると……黒いモノが……細い剣のようなものを持ち……上空で団長と交戦していました」
「剣ねぇ~~」
「私は手助けしようとしましたが……団長に……『絶対手出しするな』と……」
“絶対”に疑問を持つが、続きを待つ。
彼女の目頭には涙が出てくるのが見えたが、それを懸命に堪えるように言葉を紡いだ。
「それから一時間以上……一人で戦って……地面に何度も落とされ……片腕も動かなくなるまで……なのにヤツはなんの疲れも見せず……執拗に腹部ばかりを狙って……」
「腹部って、まさ「申し訳ありません!!!」
フィーラの焦りを眼鏡女子は大声で遮った。
木霊する声にその場は静まり返り、全員が冷や汗をかく。大きく頭を下げた彼女の身体は震え、床には涙が落ちる。それでもゆっくりと顔を上げた彼女は、か細い声で呟いた。
「『宝輝』を……奪われ……ました……」
────“ほうき”?