異世界を駆ける
姉御
22話*「蒼昊の影」
『いってきます』
そう微笑んだスティは水のように溶けて消えた。
さ、さすがにビビッたが、魔法だと思えば先ほどのパーマ男の出入りも納得出来るぞ、うむ。
その時、外から大きな悲鳴と何かが崩れる音が轟き、遊郭が揺れた。
慌てて窓に駆け寄ると、青の二重門前に氷の壁が見える。
「あれが『水氷結界』……っ!?」
だが、すぐに氷の壁は崩れ去ってしまった。
同時に空中に投げ飛ばされるツインテちゃんを目で捉えた私は黒ウサギを抱えたまま部屋を飛び出した。板の階段を駆け下りる度に和装美女や客達が驚くが、気に留めることなく玄関にたどり着く。頭上から大声が落ちてきた。
「ヒナ嬢! 第二戦闘配備やから大人しくしとかなあきまへん!!」
「大丈夫です! それに第二なんたらを私は知らないので!!」
二階の廊下から顔を出すチェリーさんに笑みを向けると裸足のまま外へ出た。
本道には多くの人々が二重門とは反対方向に走り、家や『宝遊閣』へ逃げ込んでいる。どうやら遊閣は避難所も兼ねているらしい。
そんな人並みに逆らうように二重門を目指した。
* * *
大きな音が耳と挫いた足に伝わる。
痛みを堪え荒い息を吐きながら人混みを抜け出したが、二重門周辺は既に人気がなく閑散としていた。少しばかりの恐怖を覚えるが、街灯があるのは幸いと、黒ウサギを胸に抱くと走り出す。が、突然肩を掴まれ、無意識に足を回した。
「待って!」
制止が女性であることに足が止まる。
見ると、桜色のローブを頭から下まで被った私より少し身長の低い人。顔は見えないが、隙間から青藍の髪が見える。怪しさ満点の年上女性に後退りしていると、落ち着きのある声が届いた。
「突然ごめんなさいね。でも、ここは危ないから早く『宝遊閣』に戻りなさい」
「……ご忠告感謝するが、私はここの住民ではないので貴女が戻られた方がいい」
「でも、黒ウサギを持ってるならカレちゃんの大事な人でしょ?」
「だだだだ大事な人……って、カレちゃん?」
“大事な人”発言に黒ウサギを抱きしめる腕が強くなり、頬も熱くなる。だが“カレちゃん”に冷める。恐らくスティのことだろうが、ローブを着るのは基本情報部隊。しかし色も違うし、私は見たことも聞いたこともない声。
何者だと訊ねようとした時、上空を勢いよく通り過ぎる人影。それがツインテちゃんだとわかると、何軒か先の家屋に落ちる音がした。
「悪いが失礼する!」
「え、え、ちょっと!」
振り向きもせず、所々に木箱が積まれた狭い路地を駆ける。
静かすぎるせいか、この世に自分一人しかいないような錯覚に囚われるが、乱れる息や足の痛み。屋根に穴のある家屋を見つければ、現実へと引き戻された。
駆け込むと、住人の姿はない。
だが、壊れた天井板の傍で、ツインテちゃんが倒れ込んでいた。
「おい、しっかりしろ!」
「……っなんで……アンタがここ……あああっ!」
「おいっ!?」
上体を起こしたツインテちゃんは悲鳴と共に血を吐く。
破れた服から見える傷からも血が滲み、ゴクリと唾を呑み込んだ私は黒ウサギを渡した。そして、彼女を抱えると外へ飛び出す。
「ちょっ、何……すんのよ」
「喋るな! 立ち止まるよりも医者に連れて行く!! 騎舎に行けばいいのか!?」
「き、騎舎はカレっちがヤってるからダメよ!」
「わかった、城に行く!」
狭い路地と道を塞ぐ木箱に苛立ち、木箱を台にするように跳んだ。
屋根に着地した際、挫いた右足が痛むが、今は気にせず屋根伝いに走っては跳ぶ。こんなスタントマンぐらいしか出来ない真似が自分に出来ることに驚くが、マイナスで考えてはダメだ。のほほん男が言っていたように『強い願い』を持たねば出来ない。心はただ『城へ』。
本当はラズライトの医者に見せたいが、場所がわからない上に本道は混んでいるはず。ならば城の医務室へ急ぐまで。なのに、腕の中の彼女は動きを止めないどころか、血を吐いているにも構わず声を荒げた。
「下ろしてよ! なんでアンタなんかに助けてもらわないといけないわけ!?」
「ケガしている人を助けて何が悪い!?」
「悪いわよ! カレっちに怒られるわ!! 死ぬわけじゃないんだから放っ「バカ!!!」
真後ろから響く爆音よりも私の声は遠くまで木霊した。
その迫力に気後れしたのか、押し黙った彼女に足を止めると呟く。
「……いつ何で……死ぬかわからないんだ……“いってらっしゃい”も“おかえり”も……言えなくなるのは……」
私とは反対に暗闇ではないと寝れないと言っていたスティ。
『いってきます』と『おかえり』を願う彼と、幼き日に両親を亡くした私の気持ちはきっと同じだ。昨日まであった言葉とぬくもりが消える恐怖。それを忘れるため、光と闇、違うけれど同じものにすがった者同士だ。
断続的に響く音と揺れさえも忘れ黙り込んでいると、冷たい手に頬を撫でられる。見下ろすと、目尻から涙を零すツインテちゃんと目が合った。
「そんな……説教して悲しむぐらいなら……さっさと行きなさいよ……」
「……うむ、そうだな。女の子の涙を見てしまった分シッカリ働くぞ」
「な、涙なんて出してないわよ! だいたいアンタっ──!?」
ツンデレ反応に微笑んでいると、突然両肩を掴まれる。
無理やり上体を起こした彼女にバランスが崩れ、屋根に倒れ込んだ。痛みよりも先に振り向くと、尖った針を全身に持つ、丸くて黒い物体が数体、勢いよく回転しながらツインテちゃんに激突した。
「きゃああああああっ!!!」
「ツインテちゃん!」
悲鳴と共に屋根から転げ落ちる彼女に跳びつくが、右足の痛さに間に合わず、一緒に墜ちてしまった。
しばらくして、顔に掛かった水の冷たさに重い瞼を開く。
虚ろな目に映るのは、水溜まりと湿った土。水溜まりに映る自分の髪も着物も泥だらけで、右足どころか全身が痛い。身体をゆっくりと起こし、隣で横たわっているツインテちゃんに手を伸ばす。
出血が酷いが、気を失っているだけで息があることに安堵する。
瞬間、全身がブルリと“恐怖”を伝えた。
墜ちた場所は街灯もない──路地裏。
「あ……あ……」
うるさい心臓を押さえるが、徐々に息が荒くなり、冷や汗が流れる。すると、雲が覆う満月の光で出来た家の影から何かが姿を現した。目を移した私は声にならない悲鳴を上げる。
ソレは四メートルほどの太い右手で、手の平には大きな目玉がひとつ。
目玉は私を見つめているような気がしてキモ──瞬間、その手に握られるように捕獲され、空高く掲げられた。
「うあっ……ああっ……!」
突然のことに身じろぐが、ビクともしない手に身体が圧迫され、口から唾液を吐き出す。目玉はやはり私を捉えているが、私はソレの背後にいるツインテちゃんと黒ウサギを見ていた。
意識が朦朧とする中、思い出すのは青の少年。
「ス……ティ……スティ……」
助けを求めるなど痴がましいだろう。
死傷者を出すなと偉そうなことを言っておきながら自分が死にそうになっているとは……“おかえり”って言えないかもしれない。あの少年にまた寂しい思いを……私はさせるのか?
薄れゆく意識の中、咬まれた首元に痛みが走り、叫びを上げた。
「スティーーーーーーッ!!!」
泣き叫ぶような声が静寂の街と空に響き渡る──刹那、無数の針が目玉だけを刺した。
甲高い悲鳴と共に噴出した青の液体が頬に付くと、暴れる手が宙へと私を放り投げる。動かない身体は宙を飛ぶだけ。けれど、辺りを包む冷気に不思議と鼓動は速まり、いないはずの名を呼んだ。
「スティ……?」
雲に隠れた満月が少しずつ光を与え、辺りを照らす。
水溜まりが空中で円を描き、人の形を取ると、強い衝撃もなく私を受け止める両手。青の髪と藍の瞳を持つ彼を虚ろな目で見上げると微笑んだ。
「……ス……ティ……」
「なんで……きたんですか……」
横抱きにしたままゆっくりと地面に足を着けた彼は私を見下ろす。その表情は苦しくて切なそうで、今にも泣き出しそうだ。
「なんでなんでなんで待っててくれないんですか!」
「ツインテちゃんが飛ぶのを見て……身体が動いてしまったんだ……」
「なんで……暗闇嫌いって言ってたのに……こんなとこ……なんですぐボクを呼んで……くれなかったん……ですか」
今まで聞いたことのない大声だが、その声も身体も震えている。両手を彼の首に回し抱きしめると、頬を寄せた。
「呼んでは……頼ってはいけないと思って……でもダメだった……ごめんな……スティ……」
「ヒナさん……もう……震えてない……?」
「ああ……スティといると……落ち着く……」
確信は何もないが、震えが止まっているのも本当だ。
今まで何人の友達と歩いても手を繋いでも止まらなかった震え。それが月だけの下でなんともないのは実に二十年以上振り。暗闇の恐怖と、何かを知っているスティだからなのか。
そんな彼に目を合わせると──口付けられた。
「ちょっ……んっ」
啄むものではない、唇と唇を重ね、舌で味わうという完全なる大人(ディープ)キス! でもダメだ!! さっき吐いたから汚いぞ!!!
内心涙を零しつつ顔を赤めていると唇が離れ、小さな声が届く。
「だったら……今度からボクが……助ける……」
目を合わせた彼の瞳は真剣だった。
「暗闇から全部ヒナさんを護る……騎士に……」
「スティ……」
『ギシャアアアアーーーッッ!!!』
聞き覚えのある大声に振り向く。
見れば、ツインテちゃんに突撃してきた丸くて黒い物体……五十センチほどのサイズに、血迷った目と青い唾液を吐いている魔物。見た目ハリモグラ数体が回りを囲み、体を回転させている。あんなのに攻撃されたら全身に穴が開くぞ!!!
冷や汗をかく私とは反対に、慌てる様子もないスティの背を叩こうとしたが、甘ったるい匂いが辺りを包んだ。
「『緑香風(りょこうふ)』」
透き通った声に、次々とハリモグラ達が意識を失うように地面に倒れる。
何が起こったのかわからないでいると、小さな足音と共に、手の平サイズのガラス小瓶を手に持った先ほどの桜色フードの女性が現れた。顔を見せない女性は変わらない口調で話す。
「これで中級は全部みたいよ」
「それじゃ……魔物(こいつら)運ぶ代金として……ヒナさんとサスティスをお願いします」
「あら、カレちゃんが頼み事なんて珍しいわね」
「お願いします……ジェビィ様……」
“ジェビィ”という女性を睨んだスティは私を地面に座らせる。次いでツインテちゃんを俵担ぎで抱え、隣に寝転がせた。おい、雑だな。
だが、転がっていた黒ウサギを抱えると、横ベルトからバタフライナイフを三本取り出し、左手の間に挟んで振り向く。背後には青い液体を噴出しながら、興奮したかのように目玉を真っ赤にさせた黒い手。
「っひ!?」
「あらあら、随分本気みたいね。あの上級」
上級の言葉に息を呑むが、スティは迷うこと無くナイフを投げる。
手はそれを避けるように影に潜るとスティとの間合いを詰め、拳の形を作って彼を突き上げた。
「スティーーーーっ!」
「大丈夫よ。本気度なら今夜のカレちゃんが上だもの」
女性の声に目を凝らすと、空高く飛んだスティは氷の壁に守られ、傷を負うことなく屋根へと着地する。安堵の息をつくが、突如黒ウサギの両耳を持つと空に掲げた。
「なななななん!?」
「あらあら、本当に今日はラッキーだわ。まさか西方の『四聖宝』──『蒼昊(そうこう)の影騎士(オマンド・カヴァリエーレ)』を見られるなんて」
楽しそうな女性とは反対に、ウサギの生け捕りを見ているようで私は顔を青褪める。そんな彼の頭上にどこからかやってきた水が集まりだすと、真っ黒な雲が月を覆った。
暗闇にも見える空に恐怖が押し寄せるが、静かな声が耳に届く。
「水 滴り朧月夜 黒に染まりて刃(は)よ月を照らせ──解放(リベラツィオーネ)」
“朧月”のように揺れる月が雲間から現れると、黒ウサギが形を変える。
黒い靄と水に覆われたソレは耳が黒の柄に、体は黒の刃に、そして柄頭の先には手の平サイズの白ウサギが鎖で繋がった──刀。
藍色の瞳を細めると、黒の切っ先を魔物へと向けた。
「月黒刀《ネーロ・ルーナ》」
低い声と共に黒の刀を持つ青騎士の背後には、雲も消えた満月が聳え立つ────。