異世界を駆ける
姉御
21話*「不機嫌顔」
『空気の壁』。
アーポアク国の東西南の上空に張られ、飛翔能力を持つ魔物を防ぐ結界。その源は、この世界の者なら必ず持って生まれる魔力。それを各街の『四天貴族』が徴収し、張るもの。
「徴収は、生まれて間もない赤子からも採ります」
「生まれてからって……最初からそんなに魔力があるものなんですか?」
太陽が夕暮れへと変わり、チェリーさんにも影が差す。
辛く重そうな表情に私もつられそうになるが、何も言わず続きを待っていると彼女は目を伏せた。
「当然……大人の半分以下いうてもあるハズありまへん。せやから両親が魔力を分け与え繋いでいく。ウチらにとって魔力とは命……魔力がのうなってしまったら廃人になってしまうだけです」
「そんな……」
話の重さに愕然とするしかない。
心臓も魔力もこの世界では命。どちらかがなくなっても訪れるのは死。私は異世界人だから関係ないのかもしれないが、それとこれとでは話が違う。
むしろ、フィーラが望む『四宝の扉』を開放し、皆で護った方が軽減されるはずだ。なのに王はいったい何を考えている?
怒りが沸々と煮え滾ってくると、チェリーさんに御茶を勧められ一気飲み。苦笑しながら彼女は続けた。
「人口が多ければ多いほど徴収する魔力は増え、結界は強固になるんけど、魔力が弱い両親だと子に力を与えられず……カレ坊達のように捨てられる子達があとを経たへん」
彼女が移す視線の先はカーテンの奥。
思い返せば少年は私の両親が他界しているのを聞いた時とても悲しそうな表情をしていた。あの時は一緒に悲しんでくれているのだと思ったが、内心どんな気持ちだったのだろう。生きるためとはいえ、自分を捨てた親を恨んでいるのか何も想っていないのか……当然私にはわからない。
切り替えるように頭を振ると、ベルデライトを思い出す。
「それじゃ、北にないのは……」
「人口が少なくて張るだけの魔力がないんどす。本当はその方がええのかもしれへんけど、北と違って守りでもなければ遠距離やない騎士団(ラズライト)ではそれも難しゅうてな」
「……難儀な国だ」
ポツリと呟くと『本当になあ』と、チェリーさんは苦笑いする。
徴収をしている彼女(本人)が一番辛いだろうに私は何も言えなかった。
気付けば陽が沈み、窓の外がぼんやりとした明かりに包まれる。
覗いてみると、先ほどまで灯っていなかった提灯が輝き、閉じた襖からはチェリーさんを呼ぶ声が聞こえた。煙管で一服した彼女は立ち上がると微笑む。
遊郭と言っていたから“店”がはじまるのだろう。
「ほならウチは仕事ありますんで。あ、ヒナ嬢も良ければ一緒「遠慮します」
即答すると、彼女はくすくす笑いながらカーテンの奥を指した。
「やったらカレ坊を起こしてやってください。そろそろあん子、仕事に向かわせんとサティ嬢に怒られてまう」
「構いませんが、灯りって点いてますか?」
「? カレ坊は暗いんが好きやから点いとりませんよ」
不思議そうに首を傾げられたため、魔力がないことと暗闇が苦手なことを話す。
そう、私は暗闇が苦手だ。懐中電灯一本でも足りないぐらいで、こちらにきてからは蝋燭を灯したまま寝ている。それを聞いたチェリーさんは頷くと、奥の行灯をいくつも照らしてくれた。
「本当はカレ坊に怒られるとこやけど、ヒナ嬢なら大丈夫やろ」
「だといいんですけど」
少年に怒られると落ち込むなあと苦笑いしながら中羽織を着ると、黒ウサギを持つ。そんな私に、彼女は忘れていたを思い出させてくれた。
「なんと言うても、イズ坊の次に懐かれとんのやしな」
* * *
ここ(ラズライト)にきた目的をすっかり忘れていた私は、懐から大小違う紙をニ枚取り出す。大きい紙には黒いバツが付き、小さい紙にはメモが書いてあるがやはり読めない。
気にはなるが、人様のものだしなとカーテンを抜けると襖を開いた。
「っ!?」
開いた先は十畳ほど、丸窓から月が見える和室。
隅には四角の行灯が八つ点り、牡丹と藤の生け花が飾ってあるが、中央にはニメートルほどの──クッションが山積みにされていた。
何かの儀式かと後退りするが、覚えのある手が隙間から出ているのが見え、黒ウサギを落とす。
「少年ーーーーっ!!!」
足の痛みなど忘れ、クッションの山を崩して掘る! なんだってこんな寝方(?)してるんだ!! 窒息死するじゃないか!!!
半分を過ぎた間に少年の顔が見えると掘り出す。必死に肩を揺らしながら頬を叩くと、藍色の瞳が半開きになった。
「……眩し……い」
「少年! しっかりしろ!! 生きろ!!!」
「……お姉……さん?」
少年は小さな瞬きをしながらゆくっりと上体を起こす。
髪も解け、前髪もいつも通り隠れているが、ボーとしている。着物も完全に右腕が出ているが、色っぽさよりも無事な事に安堵の息をつくと抱きしめた。
「驚かすな……」
「すみません……?」
疑問系に背中を叩くと小さな悲鳴が聞こえた。苦笑いしながら離すと、クッションの下に落ちた書類を手渡す。
「すまんな。これを渡しにきたのだった」
「……イズ様……ですか……」
筆跡でわかるということは結構イズと付き合いがあるのだろうが、少年の目は鋭い。珍しい顔つきに内心ざわつくものがあるが、読み終えると勢いよく抱きつかれた。
まさかの行動に体勢が崩れ、クッション山に埋もれる。少年はまた肩と首の間に埋まり、頬擦りした。
「こらこらこら!」
「うー……まだ眠いです……」
「ずっと寝てたんじゃないのか! しかも危ない方法で!!」
「暗いとこじゃないと……寝れない……それに徴収で……魔力吸われて……」
「吸われる?」
先ほど聞いたばかりのせいか嫌な動悸が鳴る。
それでも見つめていると、サラサラした髪の間から藍色の目が覗いた。その色に気を取られている隙に、小さなキスが首元に落ちた。身体が跳ねたのは唇の冷たさなのか、それとも……。
「魔力徴収は……毎日行われます」
「毎日!?」
「じゃないと結界持たなくて……特に騎士団は普通より魔力あるので……倍吸われます」
それはまた不平等だな。
話を聞くと騎士学校に入っても魔力を貯蓄出来る量は個人差でわからないため、団員になれる者は少ないらしい。ちなみに少年の部隊は五十人ほど。少なっ! 近距離部隊なのに!?
さらに聞くと団長はそのまた倍を吸われるらしく、まだ団長歴ニ年の少年は慣れず眠くなるという。ああ、フィーラのヤツ、よく八年も続けられているな。あいつ絶対過労死しそうだと内心合掌していると、少年が不機嫌顔をしているのに気付く。
「お姉さん……今……誰……浮かべたの?」
「だ、誰って……」
おっと、この雰囲気は前にも味わったぞ。
確かベ……そう思った瞬間さらに不機嫌になり、身体がビクつく。同時に首元を吸わ──咬まれた。
「あっ!」
痛みに声を荒げると、冷たい舌で咬まれた上を舐められ、身体が跳ねる。
少年は小さく笑いながら覆い被さり、額に瞼に鼻に頬に──唇にキスを落とした。唇と唇が重なった時もやはり冷たかったが……今。
「キス……したぞ?」
「はい。あ……ちゃんとしたので……良かったんですか?」
「いやいや! ダメだぞ!! だだだ、大事なものだからな!!!」
突然のことに顔を真っ赤にしたまま慌てる。
だが、苦笑する少年はファーストキスではないと返答。ちょっとホッ……いやいや早いな! お姉さんビックリだ!! 負けたぞ!!!
だが羞恥は収まらずジタバタしていると、手と膝で身体を押さえ付けられた。
私より身長は低いのに、力も開けた着物から見える身体も“男”で、動悸が速くなると顔全体が熱を帯びてきた。すると、少年の顔も徐々に赤くなり、目を逸らされる。
「そんな顔……されると……困ります」
「なんで……だ?」
「……明るいの慣れて……灯り消していいですか?」
「それは止めてくれ!」
身体が暗闇の恐怖に襲われ、無意識に少年を抱きしめる。胸に埋まった少年は顔を上げると、前髪の隙間から覗く藍色の瞳を向けた。
「もしかして……暗いの……ダーメ……なんですか?」
「う……行灯五つは欲しい……かな」
何度も瞬きをする少年は本当に驚いているようだ。すまんな!
「夜道とか…大丈夫なんですか?」
「が、街灯がある分には問題ない!」
「ラズライト……路地裏にはないですよ……」
黙るしかない。電気がないということは、そういう場所もあるとは覚悟していたが……困る。少年はなんでか丸窓を見ている気がするが、構わず口を開いた。
「そ、その時は少「しっ」
『少年』と言おうとしたところで口を片手で塞がれた。
その手は私より少し大きくて、身体を起こした少年は襖に視線を送る。
「──何?」
私とツインテちゃんを黙らせた時のような低い声に肩が跳ねる。
襖に目を向けると、いつの間にいたのか、肩上までのミックスパーマの掛かった黒茶髪の男が片膝を折っていた。顔を上げた男は、髪と同じ黒茶の双眸を細めると口を開く。
「ご報告致します。五分前、開門と同時に魔物が多数出現。現在ゴジュリヴァ副団長の指示の下、撃退しておりますが中級の上のため団長の指示をいただきたく参上しました」
「……わかった。サスティスに『解放(リリース)』させて他は『水氷結界(すいひょうけっかい)』巡らせて……ボクの到着まで壊れないでよ」
「はっ!」
強い返事と共にパーマ男は消えるが、どうやって入って消えた?
口を塞いでいた手も離れたことで上体を起こすと、膝立ちになった少年と目が合う。藍色の瞳は寂しそうだ。
「すみません……仕事……行ってきます」
「わ、私に構わず早く行け! 死傷者出したら怒るぞ!! しょ、少年もケガするなよ!!!」
パーマ男とは違う口調とトーンに内心ドキリとしたが、その間に誰かがケガをしていては堪らず、大声を上げた。そんな私に苦笑いする少年は顔を近付けると小さな口を開く。
「……“スティ”って……呼んでください」
「……は?」
「お姉さん……ヒナさんには……そう呼ばれたいから」
藍色の目が真っ直ぐ私を捉える。
そりゃ……“少年”なんて呼ばれたくない……だろうしな……うむ。
まだドキドキが治まらないばかりか、顔も赤くなっている気がする。
この国の連中は私を赤くさせる天才だと賞賛しながらも深呼吸すると、彼の額に額をくっつけた。
「気を付けて行って来い……スティ……んっ!」
言い終えると同時に──口付けされた。
さっきの小さいのとは違い、奥深くまで冷たい舌が口内を回り、私の熱い舌を捕まえる。
「ふ、んぁっ……」
「“おかえり”も……ん、言ってね……」
唇が離れると倒れそうになるが、優しく包むように支えられる。
中羽織を脱がされると寝かされ、少年=スティはクッションの山から掘り出した毛布を掛けてくれた。見上げる私を他所に立ち上がると、中羽織にシュっと手を通す。
「『水変化(すいへんげ)』」
呪文と同時に生け花の水が増え、スティの周りを囲む。次第に水飛沫の中で着物が紺色のコートに、中羽織が竜と満月──青のマントへと変化した。
青の髪が満月の下で輝き“騎士”となった男は私を見ると微笑む。
「いってきます」