異世界を駆ける
姉御
緑の間*「気紛れ」
*ラガーベルッカ視点
窓越しに見えるのは静かに舞う雪。
『宝輝』を失い、荒れ狂う吹雪が多かったせいかとても久し振りに感じるが、実際はまだ数日しか経っていない。チェアから腰を上げ、コートを羽織っていると、ペンを走らせていた男が気付いたように声を掛けてきた。
「ベル兄、こんな夜にどこ行くんスか?」
「散歩ですよ。何日も実家に居るなんて暇以外何もありません」
「自宅謹慎中でしょ! しかもまだ一日しか経ってないっスよ!! 実家も七年振りじゃないっスか!!!」
今日も元気なオーガットを余所に部屋から出ると長い廊下を歩く。
『自宅謹慎』の命で書庫に入ることも許されず、久し振りに戻った実家では当然両親の小言を聞く破目となった。まあ息災で何よりですが。
屋敷の外に出ると数メートル以上もの積雪。
それより遥か頭上に見える月に飛びたくなるが、生意気にもオーガットと城に回している結界のせいで叶わない。
結界といえば、北方に『空気の壁』を張ったのを怒られるとは思いませんでした。“街も護る”とはそのぐらいしないといけないと変に絡まったようです。でももう、なんの意味も成さない……彼女がいなければ。
月を見つめる瞼を閉じると静かに呟いた。
「……出てきたらどうですか。どんなに隠れても、殺気だけ抑えられていませんよ」
静寂が包む中で解けた雪が落ち、水になる──と、渦を巻き、騎士団服を着た青髪に黒ウサギを持った少年が現れた。その背にマントはなく、腕にも『通行宝』がないことに目を細めると、長い前髪から覗く藍色と目が合う。
「出てきてくれて……助かりました」
「貴方とは思いませんでしたが……なんの御用ですか?」
「トラ狩りに来ました……けど」
「けど?」
「ここ…………寒い……へっくし!」
大きなくしゃみと共に、しゃがみ込んだウサギは震えながら丸くなった。
このまま生き埋めにしましょうかね。
* * *
突然の来訪者の襟首を持って屋敷に入ると、案の定オーガットが目を見開いた。
「カカカカカレスティージさん!? なんで!!?」
「マッチは要りませんかって言って倒れたんですよ。取り合えず隣のダジリガさん宅の前に捨ててこようかと思いまして」
「真顔で何言ってんスか!? 説明が面倒だからって嘘が雑すぎでしょ!!!」
「わかりました。ウサギを拾ったのですが、嫌いなので捨ててきていいですか?」
「ベル兄ーーーーっ!!!」
よくもまあ叫ぶ弟ですね。
なんだか早死にしそうで兄は少々心配です。
仕方なく本棚が並び、暖炉のある部屋へと運ぶと大きなクッションの上に放り投げた。しばらくするとモゾモゾ動き出し、花瓶の水が彼を包むと団服が着物へと変わる。便利な魔法持ってますね。
コートを脱ぎ、近くのチェアに座ると藍色の双眸と目が合ったため、先に訊ねる。
「通行宝なしで入れたんですか?」
「アズ様が何も考えず……入りたいって考えろって言ったので……トラを殺し行くぞー……って……そしたら開きました」
本心はわかりませんが、どうやらアズフィロラ君が関係しているよう。
先日彼も『通行宝』なしでベルデライトに入っていたが、当時本人は『わからない』と言っていた。それが『考えろ』だけで入れるとは思わな……やめましょう、今は何も考えたくない。
「ヒナさんのことも……考えたくないんですか?」
「貴方が誰かの表情を読むとは思いませんでした。しかしハズレです。私の頭には常にヒナタさんしか居ませんよ」
「……変態」
人のことは言えないと思いますがね。というより『四聖宝』で考えない者がいるかどうか……まあ、エジェアウィン君はわかりませんね。アズフィロラ君も。
そこで、寝転がり、落ちていた本を読む彼に疑問を投げかけた。
「アズフィロラ君はご一緒じゃないんですか?」
「アズ様は……エジェ様のとこ行きました……今日中に全員と手……組みたいって……これ……読めない」
そう言って本を投げ捨てた男はクッションに顔を埋める。
マナーの悪い子ですね。しかし『手を組みたい』と言って、なぜトラ狩りする気満々の子を寄越したのでしょう。ニワトリだのなんだの苛めていた仕返しでしょうか。
机に置いていたトラの編みぐるみを突いていると、くぐもった声が聞こえた。
「ラガー様は……なんでヒナさんのこと……好きになったんですか?」
「まさかの貴方と恋バナですか」
「いえ……ボクもおっさんとする気っだ!!!」
厚みのある本を笑顔で投げた。
本当マナーのなっていないガキですね。さすがメラナイトと言いますか……実際彼と私では十一も違いますが、これも教育だと思って罰を与えておきましょう。
「私は一目惚れでしたよ。カレスティージ君こそなぜヒナタさんを? まあ、年上大好きエロガっ!!!」
豪速球で飛んできた黒ウサギが顔面に当たる。
膝に落ちた黒ウサギを投げ捨てると、クッションの上で仁王立ちする男に笑みを向けた。珍しく前髪を左に寄せ、藍色の目が見える。
「裏の仕事で年上が多いだけで……ボクが誰かを好きになったのはヒナさんが最初です」
「それは残念でしたね。初恋は実らないと言いますから」
「そっちこそ……ヒナさんは年上に興味ないですから脈ないですよ……御愁傷様」
互いに意地の悪い笑みを向け、殺気を放つと──動く。
彼の足を受け止め拳を振るが、上体を反転され避けられると足が後頭部に当たった。だが足を掴み、投げ飛ばす。互いに床と本棚にぶつかる音が響くと、ドアが大きく開いた。
「何してんスか!?」
「「喧嘩!!!」」
「はあっ!? ちょっ、えぇっ!!?」
最初は拳や足だけだったのが、手当たり次第に物を投げるという行為にまで及び、頭上には本やカップや家具が飛ぶ。大の大人と、大人に成りきれていない子供の大喧嘩だ。
こんなにも感情を高ぶらせたのはいつ振りか。
昔から本ばかり読んでいたせいか、オーガットとも喧嘩など記憶にない。心は雪が毎日振り続けるように緩やかだった……それが吹雪になるなんてどうしたことか。なぜこんなにも彼が気に食わず、大人げなく優位に立ちたいと思うのか……そんなのわかり切っている。
彼女──ヒナタさんのことだからだ。
彼ではないが、恐らく私自身も初恋に近いだろ。これ程に執着し、嫉妬し、渡したくないと全身が語っているのだから。それに負けることなど──。
暴れ尽くした部屋は物が散乱し、鏡も割れ、蝋燭の火も消え、暖炉の火だけが照らす。汗と荒い息を吐きながら大の字で寝転んでいると顔にタオルがかかる。溜め息をついたオーガットが机を戻し、ガラスの水差しを置いて出て行くのが横目に見えた。
シャツのボタンをすべて外し、タオルで額を拭くと、後ろで息を整える彼に訊ねる。
「なぜ魔法を使わなかったんですか? 私と違って魔力は殆ど回復しているでしょ」
「……別に……他に使う相手がいるだけです」
「他ね……妙なところだけ大人ぶって」
他とは恐らくあの黒いモノだろう。
斬られた身体が疼きながらも彼が……そしてアズフィロラ君が何をする気でいるのかは察しがついた。上体を起こした彼は汗を拭きながら長い前髪をかき上げると藍色の瞳を向ける。
「大人とか子供とか……ラガー様……気にしすぎじゃないですか?」
「はい?」
瞬きをしながら同じように上体を起こすと、水差しに手を伸ばす。コップに注いだ水を飲みながら耳を傾けた。
「ヒナさんのこと……一目惚れって言って最初に忠誠を誓ったのラガー様でしょ。なのに……何も動かず城に無駄な魔力を使ってるなんて馬鹿じゃないんですか?」
「そう言われましても仕事ですし……」
「あぁー……今アレになりましたよ。私と仕事どっちが大事かと聞かれて仕事取った人」
「リアリティある台詞吐きますね」
『宝遊郭』でロクな話を聞いてないな。昼メロとか好きそうだ。
それは置いといて、彼の言うこともわからないではない。仕事とはいえ城に結界を張るのは書庫に居座るため。だが、彼女と書庫と問われれば間違いなく彼女を取るだろう。なのに悠長にいるのは、その忠誠を誓った彼女の命がどちらも“街を護れ”だったからだ。
「主が……ヒナさんが死んでも……その命を守れるんですか? ボクは嫌ですよ……“街を護れ”って言われても……ヒナさんがいないと」
「……我侭なガキですね」
呟きに睨まれる。そういうところだとは言わないでおこう。
だが彼は自由奔放に好きなことをしているのだと悟った。自分が好きなものは本当に好きで、嫌いなものは徹底的に嫌い潰す。それは子供じみていて自分勝手にも聞こえるが、それが人間の本質だ。
私の中でヒナタさんが消えず傍に置きたいと願うのも我侭。大人になり、仕事をするとどうしても我慢してしまう感情。けれどそれが恋愛に絡み、好きにしていいと言うのなら……。
水を飲み干し立ち上がると、水差しを持ってドアに向かう。背に視線を感じるが、振り向くことなく口を開いた。
「早朝までに色々と手続きを終えておきます」
「……急に……どうしたんですか?」
「再度ヒナタさんに答えを聞かねばならないことを思い出しました」
「何を……?」
ドアノブに手を置くと、振り向き、首を傾げる彼に微笑んだ。
「『私のお嫁さんになりません?』って」
「そんなの許すわけ──!?」
今度こそ『解放』しそうになった彼に『四段階結界』を張るとドアを開く。
「部屋の片付けをお願いしますね」
「なんでボクが! ラガー様もでしょ!?」
「大人の事情で言うと私は手続きで忙しいから。私的に言うと貴方がムカツクから。あ、水はコレ以外ありませんし、私の結界は貴方の上司以外の影は防げますから逃げられませんよ」
「卑怯者!!!」
ギャーギャー叫ぶ声をドアで遮断すると、呆れ顔のオーガットがいた。変わらない笑みを見せると溜め息をつかれる。
「……行くんスね?」
「ええ、お嫁さん争奪戦に不参加なわけないでしょ」
オーガットは頭を抱えた。
廊下を歩きながら窓の外に目を向けると、雪が不思議と避ける『緑幽霊幻想水晶』が輝く。何事にも屈指しないと言われるそれを見ながら、付いてくるオーガットに言った。
「両親の説得後、家を出て城の結界を解除します」
「一応当主の俺の説得はないんスか……?」
「貴方は私が一番何をしたいかなどわかっているでしょ。立ちはだかるぐらいなら“副団長”として動きなさい」
立ち止まり振り向くと、笑みを向ける。
私の無茶振りも頑なな性格も知っているオーガットは大きな溜め息をつくと頭をかいた。
「……あぁー、もういいっスよ! どうせ言ったって聞かないの知ってますよ!! ヒナタさん帰ってきたら散々文句言って叩いてもらいますからね!!!」
妙な棄て台詞を吐きながらオーガットは先に行ってしまった。同時に彼の手で押さえられていた魔力が戻りはじめ、小さく笑う。
「戻ったらヒナタさんと三人で酒盛りでもしましょうかね……」
果たして彼女が飲めるかはわからないが、強くても弱くても関係ない。
私は穏やかにも嵐にもなる気紛れな風ですから、いつも通り文句を言いながら逃げる貴女を振り向かせ、可愛い姿に溺れさせ──手中に収めましょう。
ジックリと────ね。