異世界を駆ける
姉御
赤の間*「ただの」
*アズフィロラ視点
木の葉と多色の花弁が頭上を舞う。
屋敷の庭にある花々は歴代達の手によって増え、先代の父も厳格な性格ながらもこの庭にいる時だけは優しく、俺が一番好きな姿でもあった。母と共に病死したが、微笑んで逝ったことを今でも覚えている。
庭園奥にある円状に開いた芝生の中央には陽の光を受ける、一メートルほどの紅水晶(ローズクォーツ)が身を屈めた俺を映していた。地面にはいくつものプレート状の墓石が並び、歴代の名が刻まれている。
手を合わせていると、近付く足音に瞼を閉じたまま口を開いた。
「見張りにでもきたのか、ウリュグス」
「まさか。重症者が倒れていてはいけないでしょ」
「要らぬ世話だ。傷は深いが魔力は八割方回復している」
「一日半で……ですか?」
立ち上がると振り向く。
目を丸くしている副団長ウリュグスは団服を着ているが『自宅謹慎』にされた俺は剣も持たず、白のシャツとズボンに黒のショートブーツ。茜色のケープを肩に羽織っているだけで淡々と答える。
「他の三人と違って俺は一度『宝輝』を盗られたことがある。そのせいかおかげか、調整が上手く出来るんだ」
「と、盗られた!?」
「団長になった頃、イヴァレリズの悪戯でな」
ウリュグスは顔を青褪めた。
身体に宿した『宝輝』は今回のように剣で深く斬る以外に特殊な方法を使えば抜くことが出来る。そしてヤツはしやがった。暴発する勢いで溢れた魔力に倒れ苦しむ俺に『返す』の一言で終わり、散々文句を言ってやったが、おかげで対処法を考えることが出来た……ヒナタが去った後のアレも。
小さな風が吹くと、ケープとウリュグスのストールが揺れる。
黙り込んだ俺に、ウリュグスは背後の水晶に視線を向けた。
「紅水晶って『四天貴族』の象徴……でしたっけ?」
「ああ。『宝輝』ではないが四大の化身が遺し、炎系の水晶はすべてこれから創りだされたと聞く。他の『四天貴族』の家にも『緑幽霊幻想水晶(グリーンファントムクォーツ)』『青針水晶(ブルールチルクォーツ)』『煙水晶(スモーキークォーツ)』があるらしいが、残念ながら見たことはない」
「ベルデライト、『緑の扉』を開けられた時に行かなかったんですか?」
「知って……いたのか……」
『通行宝』なしではじめて通った『緑の扉(ベルデライト)』。
だがあれ以降、扉は開くことはなかった。それに忙しかったせいか、ウリュグスにも言っていない。疑問に思っていると彼は苦笑いする。
「ヒナタ様が教えてくださったんですよ」
「ヒナタが?」
「ええ、事件後起きてすぐの早朝……ドラバイトに行く前に思い出して来たと言っていましたね」
早朝となると恒例の退治後か?
俺は後処理で会えなかったのかもしれないなと考えていると、ウリュグスは楽しそうに話す。
「息を切らしながら笑顔で『副団長やったぞ! フィーラが緑の扉に入ったんだ!! 通行宝なしで!!!』とハイタッチされました」
頭を抱えた。なんと恥ずかしいことを……。
しかもそれを言って『じゃ!』と説明もなく去ったらしい。相変わらず奇怪な行動をしていく彼女に大きな溜め息をついた。
「アズフィロラ様が何も仰っていなかったので半信半疑だったのですが、あそこまで満面な笑みを向けられると信じる他なかったというか……本当だったようで安心しました」
「……本当だ。彼女が言っていたようにベルデライトはとても寒い街だったが幻想的でもあった」
屋上から見ていた白の景色はルベライトでは経験出来ない冷たさと粉雪が振り積もった街。だが、こんな街だったと報告しながら注意事項を語っていた彼女を思い出し、炎を纏ったまま駆け抜いたおかげで寒さはあまり感じなかった。
そんな俺の世界を変えてくれた女性だからこそ護りたいと……愛しい女性(ひと)だと心が認めた。けれど愛し、忠誠を誓った女性は目の前で去ってしまった。涙を流し、微笑んでいた彼女の姿と言葉は脳裏から離れることなく渦を巻く。
どれを優先すべきかわからない俺を他団長達が怒るのは当然だ。
「俺は……真面目なんだろうか……」
ふと顔を上げ、目に留まった赤い椿を手に取った独り言。それが聞こえたのか、ウリュグスは苦笑いする。
「何を今さら。全団員に聞いても頷きますよ」
「……全員か?」
「全員ですね。ヒナタさん曰く、過労死一位だそうです。ちなみに二位はオーガットさんらしいですよ」
俺と彼に共通点なんかあったか?
悩みながら椿を見ているとウリュグスは続ける。
「肩の力を抜いてください、と言っても貴方はわかってくださらないでしょうね」
「そうだな。どう力を抜けば『真面目じゃない』と言われるのかが知りたい」
「まあ、少なくともそこで花占いなんかされたら真面目じゃないですね」
「はな……」
呆然と椿を見てしまった。
ニワトリ事件ではないが、最近他団長同様ウリュグスも手厳しい気がする。
悶々としていると、遠くからコックの声が聞こえた。
唐突にヒナタから貰った鳥の編みぐるみをどこに置くか悩むが、彼女を思い出す度に渦が深くなる気がして思考が停止する。隣に並んだウリュグスは白の椿を手に取った。
「もっとも今『自宅謹慎』の身の台詞ではないでしょう。八年前『四宝の扉』に挑んだ時ですら厳重注意だけだったのに」
「だな……騎士団長ではない状態では彼女の『街と国を護れ』の命が守れない。困ったものだ」
「だからこそ、今ではないですか?」
木の葉が大きく風に煽られる。
目を見開いた俺より少し背の高いウリュグスは、椿の花びらを風に任せるように飛ばすと目を合わせた。
「“ただの”アズフィロラであれば何をしても構わないと思いますよ。あくまで我々騎士団の仕事は“守護と平和”だけで“日常”に手は出せません」
「……それこそ屁理屈だな」
イヴァレリズではないが意地の悪い笑みを向けると『なんとでも』と同じ笑みが返ってきた。そんな男に瞼を閉じ思い出すのは彼女の言葉。
『『四宝の扉』など気にせず強く願えば、どんな扉でも開く。貴様らが私を助けてくれたように、手を取り合えばなんだって出来る。だから……それを信じろ』
そうか……そうだな。
俺はヒナタを護りたいと強く願って扉を開いた。再度開こうとして開かなかったのは、昔のように街のためなど複雑に考えていたせいかもしれない。だが……今なら。
瞼を開くと、視線だけ隣の男に向けた。
「俺が……“王”と“国”に喧嘩を売ると言ったらどうする?」
「それはまた大きな仕事ですね」
突拍子もないことに苦笑するウリュグスだったが、身体を俺に向けると赤紫の双眸を細めた。そのまま胸に手を当てると頭を下げる。
「我が御心は国竜の剣(つるぎ)の下、緋(あか)き恩恵を受けし王(ロワ)アズフィロラと共にあります。ウリュグス・バスカーノ、炎帝が導くままどこまでもお供致しましょう」
「……堅苦しいな」
「これがいつもの貴方なんですけどね。それに、言われずとも貴方の剣にも盾にもなるとヒナタ様に誓っているので」
いつの間にそんな約束をと嫉妬する自分も、ラガーベルッカ様やティージのことは言えないほどヒナタが好きなのだと思い知る。
落とした椿が風によって流れるように足を進めた。
「どちらへ?」
「散歩だ」
ウリュグスは何も言わず頭だけ下げたが、俺は振り向くことも『浮炎歩』で飛ぶこともしなかった。
* * *
ヒナタと子供達と植えた花々を横目に階段を上ると『赤の扉』へ入る。
足音だけが響く廊下を渡り終えたホールには、見慣れた男が大の字で寝転がっていた。無視するか踏ん付けるか悩んだが、仕方なく声をかける。
「イヴァレリズ、急所を踏み潰すぞ」
「んー……避ける自信あるからジョブジョブ」
幼馴染の男イヴァレリズは瞼にタオルを当てたまま起き上がろうとはしない。解かれた漆黒の髪は腰辺りまで伸びているが、溜め息をついた俺は横切る。と、声をかけられた。
「どっかにお出掛け?」
「ああ、仲間集めにな」
「ふーん……どーなっても知らないなりよ」
「心配無用だ。もう迷いなどない」
はっきり答えると、珍しくイヴァレリズが目を見開いた気配がした。だが、ここで振り向いては負けてしまうと真っ直ぐ足だけを進める。
そう、迷いはしない……かけがえのない人が出来たのだから。もっとも他にも同じ気持ちの者がいるのは悔しいが、逆に考えれば良い味方だ。
小さな笑みに何かを感じたのか、イヴァレリズの怯んだ声が届く。
「……クーデターでも起こすの?」
「それはいいな。イヴァレリズ、今日俺が剣を持っていないことに感謝しろ」
「や~ん……」
持っていたら確実に避ける暇も与えず刺しただろう。何しろこいつは敵だ。
それ以降の会話はなく、ただ俺は廊下を進む。
ヒナタ、キミは確かに身勝手で奇っ怪な主だ。
そんな主に習って俺も好きなようにさせてもらおう。望みを捨てたように。街に民に忠誠を誓っていた俺の心を動かした、ただ一人の姫君よ。たとえ他の者が狙おうとも騎士ではなく、ただ一人の男として揺るがず立ち向かい、キミを──攫おう。
口元に弧を描いたまま両手を伸ばすと、新しい扉を────開いた。