異世界を駆ける
姉御
16話*「空騎士」
~~~~*~~~~*~~~~*~~~~
風がやむと空気が変わる。
四方で唯一『上空に結界がない』北方に満ちる魔力。その圧倒的な力に、常闇のような漆黒の髪を持つ男と、太陽以上に明るい赤髪の男は身体を震わせた。
楕円城の屋上に立つニ人は追い風を背に受けながら北方の上空を飛ぶ三匹の巨大コウモリを見つめる。白い床に座る漆黒の男イヴァレリズは楽しそうに笑った。
「ベルッカが珍しくマジだぜ、アズ」
背後に立つ赤髪の幼馴染アズフィロラに視線を送るが、彼は見向きもしない。だが、魔力の震動で揺れる自剣の柄に手を乗せると、静かに口を開いた。
「……久し振りに拝めそうだな」
「ああ。ベルデライトの『四聖宝』──『白銀の空騎士(スカイリッター)』をな」
その震えは恐れか歓喜か──ひとりの男が心を騒がせる。
~~~~*~~~~*~~~~*~~~~
『貴様が私に忠誠を誓うのならその証を。そして本当に誓うのならばまた誓え』
なんか恥ずかしい台詞を言った気がするなーと、今頃になって顔から火が出る思いだ。終いには女の子に真っ赤な顔を指摘され、穴を掘りたい。
そんな私とは反対に銀髪の男。ベルは手袋を嵌め直すと、ファーで隠れていたのか、首元でマントを留めた。さっきとは別人で言葉を失うが、変わらない微笑が返されると私と女の子の周りに『天柱結界』が張られた。呪文っぽいの言ってないよな?
「ヒナタさんに怪我を負わせたオーガットは、あとで刺しておきますね」
「笑顔で恐ろしいことを言うな。あいつのおかげで助かったんだから……」
弟が大コウモリを足止めしていなければ、女の子どころか私もこの世にはいない。悲鳴を聞いたのに確認もせず逃げたことに胸が押し潰されそうになっていると、ベルはくすくす笑う。
「大丈夫ですよ。魔力は感じますので休んでいるだけでしょう」
「それならいいが……あの大コウモリをどうするんだ?」
「え? 落とせって言ったのヒナタさんじゃないですか」
具体的な対処法のことだったのに、瞬きされると転けそうになる。
大コウモリ=ヴァンパイアイメージがあるが、夕刻の今でも元気に飛び回っているのを見るに日光が弱点ではなさそうだ。あとはニンニクや十字架?
頭を押さえ考えていると、大きな手に手を包まれる。
見上げた先には心配そうな顔をしたベル。見ると私の手には血……そういえば激突したのを忘れていた。
「ヒナタさんは怪我をされているんですから、余計なことは考えず座っててください」
「よ、余計とはなんだ! これでも私はちゃんと「落とせばいいんでしょ?」
ハッキリとした声と微笑に大きく目を見開く。
だがすぐに頷くと、手袋をした大きな両手が頬を包み、翡翠の瞳と目が合う──と、唇と唇が重なった。それは一瞬で、何が起こったかわからない私はただ呆然とする。
なんだ今の……なんかリップ音がしたな……女の子の目もキラキラ……。
「キスだキスー!」
「なっ、ひゃあっ!」
思考を戻すよりも先に両くびれを摘まれ、大きく跳ねると雪の上にへたり込む。
すかさずベルを睨むが、背後に翼を広げると八メートルはある大コウモリが三匹迫ってくるのが見えた。慌てて指しても、ベルは振り向くことなく指を鳴らす。
『『『ギアアアアアーーーーッッ!!!』』』
突如悲鳴を上げた大コウモリ達は、ベルを避けるように急上昇した。
どこかぎこちない動きを観察すれば、両足にオレンジ色の箱みたいなのがくっついている。疑問を浮かべる私とは違い、数メートル離れたベルは鞘から抜いた剣を頭上で大きく一回転させると地面に刺した。
「なぜコウモリが逆さを向いているかご存知ですか?」
「は?」
突然の話題に素っ頓狂な声を上げる。
逆さも何も、あのコウモリ達が逆さになってるところなんて見てないぞ。今だって上空でジタバタと。
そんな目を向ける私に、ベルはくすくす笑いながら剣の先端にある折目を足で開くと、三十センチほどの足掛けに左足を乗せた。
「立つことが出来ないほど足の骨が弱いからです。特に後ろ足が」
「は?」
「なので楽な体勢である逆さまを向いて休憩をします。が、このベルデライトで逆さになれるのは騎舎のある二重門だけ」
言われて見れば殆どの家はドーム状。街灯すら丸い。電気がないこの世界には当然電柱もなく、モミの木も雪を被っている。それじゃ、コウモリ達は何時間も飛び回ってて疲れないのか?
小首を傾げていると、微笑むベルは柄頭に左手を乗せた。
「観察したところ小さいコウモリの時は下級の魔力を発していますが、大きいコウモリに変化した時に僅かながら上級の魔力を感じました。恐らく魔力を消した上級コウモリが混ざっているのでしょう。後ろ足を支え、疲れを軽減するために」
「じゃあ、その上級コウモリを……どうやって落とすんだ?」
「そのために両足に結界を張っているんですよ」
ああ、あのオレンジの箱、結界だったのか。
つまり命令をくれる上司が捕まったもんだから部下がどうしたもんかとジタバタ上空で……ん、上空?
遥か上空にいる大コウモリとベルの長剣を見比べた私は顔を青褪めた。
「おいおい! 上空にいるのをそのバカデカイ剣でどうやって落とすんだ!? ひと振りで落とせるのか!!?」
大慌てするが、ベルは数度瞬きすると微笑む。
「ああ、やはり勘違いされているようですね」
「は?」
「私はコレを“剣”だとは言っていませんよ」
「……は?」
剣じゃ……ない?
いや剣だろ。だってコウモリも斬ってたし………あれ。じゃあ、あの足掛けや小さい穴はなんだ?
動悸がドクンドクンと高鳴る中、ベルは右足で強く地面を踏むと、左手で柄頭をゆっくり弓形に曲げ……弓形!?
「そう、私の武器は──“弓”です」
大きな風がベルの周囲を包む。揺れるマントには竜と──三日月。
風が小さな穴に六つ吹き通ると、右手で引く形を取る。何も握っていないハズなのにそこには弦が……否、目に見える風が弦と矢の形を取っている。ベルは上空の大コウモリ達を細めた目で捉えた。
「嫌なんですよね、高みから見下ろされるのは……“あの方”だけで充分なんですよ」
「あの……方?」
「はい。なので──墜ちろ」
六つの風矢が勢いよく同時に放たれる。
コウモリは四方に散らばるが、風で矢は軌道を変え、オレンジの箱をすべて──射抜いた。
『『『ギシャアアアアーーーーッッ!!!』』』
大コウモリの悲鳴が空を震わせ、爆発が起こる。
青い雨が降り注ぐが結界によって被ることはなく、血ともいえる青色の液体は雪に沈んで消えた。
「すごい……」
ベルの半径ニメートルには雪がなくなり、地面が顔を出している。それほどの威力があった証拠だが、ベルを溜め息をついた。
「そう言えば、もう一匹いましたね」
「は?」
『キアアアアーーーーッッ!!!』
彼の言葉を理解させるように、一匹の大コウモリが上空に現れる。
それは弟達の『風壁方陣』で墜落した大コウモリ。まさか今まで暗い家の中で体力温存……おいおい冗談じゃないぞ!
慌ててベルを見るが、その姿はなかった。辺りを見渡す私に女の子が空を、大コウモリを指す。
「あそこ」
「『風壁方陣』」
『ギアアアアアーーーーッッ!!!』
大空で透明の箱が大コウモリを押し込める。
弟達のとは違い、羽を広げることも不可能なほどに小さく、箱の上には白緑のマントを揺らすベルが佇んでいた。柄を左手で握り、刃を下に向け、右足を足掛けに乗せたまま微笑む男が。
「私より上空(うえ)に行くの、やめてくださいね」
ゆっくりと右手を引くと、大きな一本の弦と風矢が生まれる。
『天命の壁』ほどの高さにいる男を見上げる私の脳裏に、フィーラの言葉がよぎった。
『それほどあの方は純粋に』
「上空の領域(テリトリー)は──私が支配者ですので」
『強い』
眩しい閃光に、悲鳴もすべて掻き消された。
瞼を開くと『天柱結界』は消え、夜空と星々が見える。風と雪が頬を伝うと、笑顔で両手を上げる女の子につられるように上空を見上げた。
そこには変わらない笑みを浮かべる────ベル。