異世界を駆ける
姉御
15話*「また誓え」
そのひと振りは、フィーラと同じだった。
右足を軸に上体と手首を捻るだけで長剣を振り、上空にいる魔物を次々と薙ぎ払って落とす。が。
「あの男……本を読んでるぞ」
魔物の恐怖を通り越して呆れるしかない私に弟は『あれがデフォルトっス』と苦笑い。そんな彼の兄である銀髪は戦闘中──本を読みながら。
目線は左手に持っている本だが、右手には一.八メートルほどの長剣を握っている。
切っ先はなく、平らで片刃。刃がない方の下には折目があり、上には小さい穴が十ほどある。何より驚くべきは片手で振るう銀髪の腕力だ。五キロ近いってマジか!?
コウモリの群れはまだ無数に上空を飛び回っているが、最初のヤツ以外は銀髪に近付くことも出来ず弾かれては落とされていた。あの弾かれ方は玉座逃走時に見たことがある。
「ベル兄の周りには見えない風の結界が自動(オート)で張られまスんで、ほぼ無傷っス」
「私を弾いた四段階というやつか」
「はあっ!?」
驚愕する弟の背後からコウモリが迫るのが見え、私は必死に後ろを指す。が、銀髪のひと振りによって蹴散らされ、白い雪が魔物の血らしき液体によって青に染まった。
「オーガット。ヒナタさんに怪我させたら後ろから刺しますよ」
「すすすすすスンマセン!!!」
顔は本に向いているのに、視線は弟を睨んでいるようにも見えた。弟は慌てて剣を構えると私の前に立ち、コウモリを切り捨てながら叫ぶ。
「本当に『四段階結界(フィーアエスカッシャ)』出したんスか!?」
「本人が言ったんだ! あれがソレじゃないのか!?」
「全然違いますよ! あれは一段階(アイン)で、充分中級の魔物を弾いたり下級や普通の人間(ひと)を閉じ込められます!! 四段階(フィーア)は上級以上の特待魔物用っス!!!」
「私を魔物扱いするな!!!」
無意識にハリセンで壁を叩くと一瞬揺れた。む、そんなに強くしたか?
弟が慌てていると一歩も動かなかった銀髪が大きく後方に跳び、私達の前へと着地。剣に付いた液体を振り落としているが変わらず本を読んでいる。
「オーガット、今日は数が多いようなので中央に集め、一気に叩きましょう」
「了解っス!」
銀髪の声に弟は駆け出すと剣を地面に刺し、手で何かの印を結んだ。徐々に弟のマントが揺れ、辺りに風が集まるのがわかる。
「『風壁方陣(ふうへきほうじん)』!」
掛け声と共に遥か上空に横長の透明な壁が一枚現れ、降下していく。すると左右と下からも同じ壁が現れ、コウモリ達を取り囲むように進む。風の影響なのか、退路を阻まれたコウモリ達は逃げることが出来ない。
呆然と空を見上げていると、本を捲りながら銀髪は話す。
「四方に散らばっている団員達で防壁を作り、一網打尽にするんです」
「さすが……守り主体の騎士団だな」
「ああ、で『『『『キアアアアアーーーッッ!!!』』』』
先ほどよりも不快な奇声に再び両耳を塞ぐ……が……頭痛が……両耳が潰れそうだ。印を結んだままの弟も冷や汗をかき、両足が震えているのがわかる。
上空を見れば、無数のコウモリが大コウモリ四匹に姿を変え、口からイヤな音を発していた。
「超音波、ですね」
「貴……様よく……平気だな……」
「風で相殺していますから。でも、オーガットはまだしも他が持ちませんね」
その言葉通り上空の壁はまだあるが、左右と下の壁が薄れていく。銀髪は一息つくと長剣を左右に振り、上空のコウモリ達にぶつけた。
『ギシャアアアアーーーッッ!!!』
一匹に当たると大きな音を立てながら近くの家へと落ちて行った。おいおい、家を壊していいのか?
そんな疑問を抱きながらも、残りの三匹は小コウモリと分散したせいか無傷で、また大コウモリへと変化した。超音波が消えても頭痛がする。
弟も上空の防壁を消し、荒い息を吐きながら膝を折っていた。その姿にさすがの銀髪も本を閉じたが、苦笑い。
「と~~~~ても面倒になりましたね」
「余裕ぶってるぐらいならなんとかしろ銀髪!」
「あはは、ヒナタさんには“ベル”と呼んでいただきたいですね」
「バカ!!!」
罵声に銀髪は笑いながら上空へ浮くと、コウモリの軍勢へ突っ込んだ。無謀にも見えるが、自動結界のおかげで傷は負っていない。安堵していると結界内へと入ってきた弟を支えながら地面に座る。
「大丈夫か?」
「スんません……この数と声量は予想外でした……」
「でも銀髪が行ったから大丈「無理っス」
弟は苦笑いしながら上空の銀髪を見る。
聞くと『風壁方陣』は上級魔法で、よく失敗に終わり、今みたいな状況にもなるらしい。だが銀髪は時間稼ぎはするが決して止めは刺さず、団員達の魔力回復を待ち、方陣をまた組ませてから刺すことを決めているという。
「未熟な俺らが悪いんスけどね……」
「それで街に被害を出すのでは意味がなかろう」
住民が避難しているとはいえ、家を壊されては堪らん。すると、苦い顔をする私をジっと見つめていた弟がポツリと呟いた。
「さっきヒナタさん、“私ではなく街の者に忠誠を”とか言ってましたけど……」
「ああ。ここに来る前に銀髪に『お嫁さんになれ』って言われたばかりか、私になら『忠誠を誓っても良い』なんぞほざきやがってな」
「……は?」
腕を組み、苛立ちながら弟を見るが、彼の両目が点のように見える。
疑問符を浮かべながら目を合わせると弟は顔を赤らめ、慌てて両手を左右に振った。
「ちょちょちょちょ! え!? ベル兄がヒナタさんをお嫁……えええっ忠誠っスか!!?」
頷くと『本に忠誠を誓ってるのかと』とアホをほざいたのでハリセンで叩いてやった。弟は背中を擦っているがまだ慌てている。
「で、でも、さっきも愛称呼ぶの許可してましたし……ベル兄マジじゃ……」
「んなバカ──」
その時、何かが聞こえた。
立ち上がった私は辺りを見渡すが、銀髪がコウモリを斬る音と悲鳴しか聞こえない。でも何かのレーダーが反応していて、首を傾げる弟の帽子を取ると髪を撫でた。銀髪と同じだが、若干濃い銀色に束感ショート。
「な、なんスか?」
「いや……年下レーダーが動いているようなんだが」
「は? 年下って……どこに年下が」
弟も辺りを見渡す中、私は目を瞑る。
そう、この感覚は少年を見つけた時に似ている……でも、この街で年下は目の前の弟しか今はいない。それでも必死にイヤな音を省き、静寂に包まれた街に耳を澄ませた。
「──あさ~ん!」
「っ!?」
無意識に動いた身体は後ろへと駆け出し、結界から──跳び出した。
驚く弟が手を伸ばすが、捕らわれることなく走る。
「ヒ、ヒナタさん!?」
「オーガット、追いなさい!」
銀髪の大声が聞こえたが、構わず路から逸れ、雪道を駆ける。雪に足を取られるが、前に前にと荒く白い息を吐きながら走る。
確かに聞こえた。小さくてか弱い──女の子の声が。
その声が近付いてくると同時に大きな翼の影が私を包む。
背筋に悪寒がするが振り向いてはダメだ。その影が“何か”とわかっていながら振り向いたら恐怖で走れなくなる。だが、影が近付くにつれ心臓が早鐘を打つ。
「『天柱結界』!」
風に煽られ転倒するが、雪のおかげで怪我はしなかった。冷たい。
振り向くと四角形の結界が私ではなく、背後にいた一匹の大コウモリを閉じ込めている。その後ろには弟が壁に背を預けながら剣を立てていた。
「ヒナタさん、今の内に逃げて……」
「バカ! この近くで子供の声を聞いたんだ!! 放っておけるわけないだろ!!!」
「こ、子供? そんな、避難は済んで……あ、この先に公園があります! もしかしたらそこっ──うあっっ!!」
『キアアアアーーーーッッ!!!』
大コウモリの超音波に結界が揺らぐ。
弟は必死に止めようとしているが、どのくらい持つかわからず、私は頭痛のする頭を押さえながら駆け出した。
しばらくすると、少し開けた場所に出る。
近くには雪を被ったブランコやジャングルジム、弟が言っていた公園があった。辺りを見回すと、スベリ台の下に蹲っている子を見つけ、急いで駆け寄る。ファーコートに帽子を被った女の子が小さい人形を持って泣いていた。ゆっくりと手を差し出す。
「もう大丈夫だ……おいで」
「ふあっ……お母さんが……いな……こわ……いよ……おねえちゃ……」
大粒の涙を零す女の子を抱く。こんな所で一人怖く寂しかっただろう。
涙が出るのを堪えるように強く抱きしめるが、弟の悲鳴に急いで走り出す。上空には大コウモリが結界を破り、空でニ匹と合流していた。その後ろにいる銀髪に女の子は指をさす。
「きしの……おにいちゃん……たすけて……くれるよね?」
「ああ……騎士団長だからな」
そう笑顔を返すも、一匹も数が減っていないことに、本気で団員の回復を待っているとしか思えない。しかも姿は見えなかったが、弟もさっきので殆ど力を使い切ったはずだ。
歯を食い縛るが、雪に足を取られるのと同時に大コウモリ達の翼で突風が吹き、大きく転倒する。
「うあっ!」
「おねえちゃんっ!」
女の子は幸い抱きこんでいて無事だが、私は街灯の柱に頭を打ち、若干だが血が出ている。虚ろな目で上空を見ると、銀髪が青褪めた表情でこちらを見ているのがわかり、我慢ならずに叫んだ。
「……っ、ちょっとこーーいっ、ベルーーーーーーっっ!!!」
大声に、銀髪も女の子も身体が跳ねる。
すると剣を鞘に収めた銀髪が素直に私達の前に下りてきた。あれだけ上空を飛び回っておきながらマントも肩に羽織ったまま。息ひとつ乱していないことに起き上がった私はハリセンで頭を叩いた。あ、眩暈がする。
「った! 何するんですか!?」
「何じゃない! このバカ団長!!」
眩暈も忘れ何度もハリセンで叩く。だが、銀髪の表情が真剣だったので止めると、ハリセンでさした。
「貴様は私に忠誠が誓えると言ったな!?」
「……ええ」
「その言葉に二言はないな!?」
「……ありません」
数秒目を閉じた銀髪だったが、その翡翠の瞳に揺らぎは見えなかった。
一息ついた私はハリセンを戻すと女の子を地面に下ろし、右手を銀髪の前に差し出す。
「なら……誓え」
「……え?」
「私に忠誠を誓うのならその証を。そして本当に誓うのならばまた誓え──私に尽くすならば、ベルデライトも護るとな」
私の言葉に銀髪=ベルは目を見開くが、すぐ伏せると口元に弧を描いた。次いで片膝を地面に着け、手袋を外した手で私の手を取る。
「ここに、ラガーベルッカ・ヴェレンバスハは絶対なる君主(ひかり)であるヒナタ・ウオズミに忠誠を誓いましょう──御命令を、我が姫君(プリンツェッシン)」
手の甲に小さなキスが落ちる。
普段なら恥ずかしいともいえる行為だが、気にもせず微笑むと、ハリセンで大コウモリをさした。
「よっし! 落としてこい!!」
「承知」
ベルがいつもとは違う深い笑みを浮かべると、雪も風も────やんだ。