異世界を駆ける
姉御
14話*「コレ」
目前に広がるのは銀世界という名の──猛吹雪。
「寒っっーーーー!!!」
「マイナス五十度ぐらいですかね」
爽やか笑顔で補足した銀髪に、暑がりの私もコートの前をすべて留めた。マイナス五十度とかどんなんだ!? こんなんか!!!
そんな悲鳴を他所に銀髪は平然と前へ進み、私も慌てて追う。だが、フィーラは立ち止まったまま手を伸ばしていた。
「……やはり……通れないな」
その手は扉を通ることも雪を掴むことなく止まっている。まるで、何かが私とフィーラを遮るように。哀しんでいるようにも見え、気付けば彼の手に手を重ねていた。目を見開く彼に私は微笑む。
「行ってくる。土産話を楽しみにしておけ」
「…………ああ、頼む」
間を置いた彼は私と同じように微笑むと手を離した──。
~~~~*~~~~*~~~~*~~~~
扉がゆっくりと閉じていく。
今までと同じように、まるで資格がない者を拒むように。
だが白と銀の景色は目に焼き付けた。
自分の街とはまったく異なる街並みや“雪”という形。『火』の恩恵を受けているルベライトでは決して見ることがないものに心が騒ぎ立つ。
ヒナタは『寒い』と叫んでいたが俺には感じ取れなかった……でも。
「とても……冷たかったな」
彼女の手と手が重なった時に伝わった冷気。
それは確かに冷たく、手の平も僅かに濡れている。いつもなら虚しさだけが広がるはずが、彼女の“土産話”を考えると口元が緩んだ。
だが、同僚である彼を思い出すと硬く結ばれる。
『突然プロポーズしてきた男に貴様は負けるのか?』
衝撃だった。彼を尊敬しているのは本当だが、本気であるのなら尊敬で終わってはいけない。
昂る鼓動を抑えるように柄頭に手を乗せると踵を返した。
イヴァレリズでも捜して──斬るか。
~~~~*~~~~*~~~~*~~~~
ベルデライトは完全なる雪の街だ。
白の階段を降りても雪は一メートルほどに積もり、白い息を吐きながら直線状に出来た路を歩く。街並みはドーム状のニ階建てが多く、モミの木が列を成し、街灯の明かりと雪が降り続く光景はまるでスノードーム。
「メルヘンな街だな」
「そのような感想ははじめて聞きました」
先頭を歩く銀髪の笑いに、おかしなことを言っただろうかと小首を傾げた。
路は魔法でも使っているのか、滑ることも雪が積もることもなく茶色の地面が伸びている。銀髪が言うにはこの路を真っ直ぐ行くだけで騎舎に着くらしい。一直線なら大得意だと頷きながら、のほほん男と少年が話していたことを訊ねた。
「書庫に住んでいると聞いたが、どう言う意味だ?」
「そのままの意味ですよ。本好きが祟って、騎舎に戻るのが面倒になったので条件付きで書庫に住ませてもらっています」
マジか。そんな理由で住むってありなのか? なのに召集には遅れるのか? 騎士団長がそんなので大丈夫なのか?
そこまで考えて思い出す。
「貴様、フィーラと同じ『四天貴族』ではなかったか?」
「おや、それをどなたに?」
「どなたかだ。騎士団長に『四天貴族』ならば「問題ありません」
銀髪は振り向くことなく遮る。
歩く速度を上げた私は彼の顔を覗くが変わらない表情。だが、翡翠の双眸は遠くを見ているように思えた。
「確かに私は北方『四天貴族』ヴェレンバスハ家の長男ではありますが、面倒だったので弟に任せて家を出ました」
「は?」
「しかし、両親に騎士団長にでもなったら許してやると言われたので騎士団長になっただけです」
「はあ!?」
まさかの理由に足が止まる。
確かにイズに継承放棄したとは聞いた。しかし面倒だからって、それで家を出るために騎士団長って……おいおい、おかしいだろ。
私の足が止まったのを不思議がるように銀髪も足を止めたが、その表情は変わらない。
「ですので、家がない私は書庫(あそこ)に住ませてもらっているんですよ」
「なら貴様、あまりベルデライトには来ないのか?」
「一日一回様子を見にくるぐらいですかね。面倒ですが」
「面倒ですべてを片付けるな!」
大きく叫んだ声は木霊するように響き、気付けば頭ニつ分は高い男の胸倉……とも言わない、腰辺りの服を引っ張っていた。この感覚はルベライトでフィーラに感じた“怒り”に似ている。
だが、彼よりも“わからない”といった笑みを向ける男の方が腹ただしく、身体を揺す振った。
「どんな理由で団長になったとしても誇りを持つべきだ! それが街に民に忠誠を「誓っていません」
またもや遮った言葉に今度は耳を疑い、手が止まる。今、なんて言った?
怒りの熱で寒さなど飛んでいたが、白い雪の冷たさが頬を伝うのが徐々にわかる。呆然と見つめる私に、変わらず微笑む彼は言葉を繰り返した。
「私はアズフィロラ君のように街にも民にも忠誠は誓っていません。もちろん“王”にも」
「では……貴様は誰に……」
「誰も何も……ただ自分のために仕事をしているだけです。あ、でもヒナタさんには誓っても良いかなとは思っていますよ」
「っ、貴っ様「ストーーーーップ!!!」
ハリセンを出そうとした時、制止をかける大きな声に空を見上げる。銀髪の後ろ上空に、魔法で浮く騎士服の男が慌てた様子で下りて来た。
息を荒げる男は勢いよく頭を下げる。
「す、すんません! 何か無礼をしたんだと思いますが……あのっあの」
ペコペコと頭を下げる男に脱力した。
フィーラより少し肩幅があり、身長は私の少し上。ベルデライト騎士団の制服にマントは白。頭にはロシア帽を被っている。瞳は深緑だが帽子が耳下まであるせいで髪が見えない……色は銀?
すると銀髪が親指を彼に向けながら微笑んだ。
「コレ、弟です」
「は?」
「で、副団長です」
「はあ!?」
「で、現ヴェレンバスハ家の当主です」
「はああっ!!?」
「ちょちょちょちょ! やめてくっさいよ、ベル兄……じゃなかった団長!!」
銀髪の弟で副団長で現当主という男は半泣きで手を左右に振っている。あ……この男、私と同じ歳で誕生日後だなと、レーダーがいっており撫でたくなる。男は改めて私に向き合うと騎士の礼を取った。
「はじめまして、オーガット・ヴェレンバスハと申します。歳は二十八。ラガーベルッカ団長の弟で、まだ未熟者ですがベルデライト騎士団副団長を勤めております」
「ああ……ヒナタだ。アクロアイト情報部隊に所属している。敬語は別に……いらんからな」
困惑する私に弟は銀髪と変わらない笑みを向ける。兄弟だなあ。
「ヒナタさんスね。お話には聞いてましたが可愛いらしい方っスね」
いや……ホント、この兄弟は。
頭を抱えていると、なんでか銀髪が笑顔で弟の頭を叩いた。その珍行動に疑問符を浮かべるが、歩き出した男に私も弟と並んで歩く。先ほどの話を確認した。
「貴様が今『四天貴族』をしているのか?」
「あ、はい。本当はベル兄が良いと思うんスけど……一度言ったら聞かない人ですし、唯一執着している本を取上げるわけにもいかずってことで」
弟の話によると銀髪は子供の頃から『四天貴族』としての教育を受け、真面目に勉強していたらしい。が、資料を読んでいる内に本自体にのめり込み、半年で家の本を読み終えると数年でベルデライト中の本を読了。そして城に書庫があるのを知ったヤツは継承放棄してでも家を出て今に至るという。執着を通り越して執念だな。
そして気付けばまた本を読みながら歩いている。苦笑いする弟とは違い私は呆れるしかない。
「あんなマイペースなヤツが団長って、絶対コミュ力ないだろ」
「いや、まあ、本を読んでいなければ普通に街の人と会話しますし、戦闘になれば頼もしいスよ」
「なら私ではなく街の者に忠誠を……」
そこまで言って気付いた。
私はまだこの街で──住民を見ていない。
弟を追い越し辺りを見渡す。
街灯は点いているのに家の灯りは点いていない。静寂すぎる。心臓が早鐘を打つのと同時に追い駆けてきた弟に叫んだ。
「なぜ住民がいない!?」
「それは「オーガット」
返答の声は前を歩く銀髪によって遮られ、ハリセンで殴ろうとブローチに手を当てる。だが銀髪は左手で本を持つと、背負っている長い鞘の柄を右手で握った。その姿に弟も腰に掛けていた鞘から剣を抜くと構える。
「『天柱結界(てんちゅうけっかい)』!」
声と同時に私と弟の周りに風の渦が出来ると、一メートル半程の四角形の透明な壁が生まれた。弟は壁から出られたが私は出れずジタバタ。
「お、おい! いったいなんなんだ!!」
「え、ベル兄に聞いてないんスか?」
「聞いとらんわ!!!」
弟は慌てた様子で私と銀髪を交互で見ながら上を指す。
見上げると──コウモリのような形をした無数の黒い生き物がベルデライトの上空を飛び回っている。あの黒いのは今朝も見た。
「魔物か!?」
「そうっス! さっきベル兄が二十分後に魔物の軍勢が来るって書類持ってきたんで、第一戦闘配備で住民を地下に避難させたんス!!」
「銀髪~~~~っ!!!」
さっきの書類とどこかに行った理由はそれか! だから街が静かなのか!! なのに私を連れてきたのかコンニャロー!!!
壁を叩きながら『バカ!ボケ!おたんこなす!』と叫ぶと銀髪は顔だけ振り向かせる。その表情は楽しそうだ。
「なぜ怒ってらっしゃるんですか?」
「怒るわ! 最悪な状況の時に招待しやがって!! 」
「最悪って、ありのままの街をお見せしただけですよ──それに」
黒い軍勢が追い風に乗り、勢いよく銀髪に向かってくる。
塊は全長六メートルにはなる大コウモリに姿を変え、その迫力は目の前に近付くほど恐ろしく、私の足は動かない。黒いコウモリは鋭い爪で、立ち止まったままの銀髪を捕らえると呑み込──。
『ギシャアアアアーーーーッッ!!!』
奇怪な悲鳴と共に爆風に煽られるが、雪は四角形の結界を避けながら散っていく。悲鳴は甲高く、耳を塞いでも伝う。鼓膜が破れそうだ。
しばらくして音がやむのを感じ、閉じていた瞼を開く。黒い塊が細切れとなって青い液体を散らしていた。
冷たい風と雪が舞う中、残骸の中央にはひとり背を向け佇む男。
左手に本を持ち、肩に羽織ったままの白緑のマントは汚れることも落ちることもなく風に揺れている。長剣を右手だけで持つ銀色の男は先ほど同様、顔だけ向けると微笑んだ。
「こんな障害物(魔物)────私が墜として終わりですから」