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36話*「‟あたし”と‟私”」

 涼風に揺られる竹林がざわざわと音を鳴らす。
 心地良い音とは反対に動悸は激しく、ただ目の前の人を見つめていた。ここにはいないはずの男を、恋人を、総一郎を。

「なんで……アンタ……」

 

 鼻をすすり上げながら訊ねるが、総一郎は何も言わない。
 その態度が無性に腹立だしくて、涙を拭うと睨んだ。

 

「パターゴルフに行ったんじゃなかったの!? まだ数時間しか経ってないんだけど!!?」

 

 正常なのか混乱しているのかわからない怒声に沈黙が漂う。
 時計を指したまま固まるあたしに、総一郎の背後から顔を覗かせた角脇さんと柳田さんが手を挙げた。

 

「残念ながら、全二十ホール二時間も掛からず終了しました」
「社長が一位で二位が高階様……最下位は安室様で、その場解散となりました」 
「何それっ! アンタら休日をなんだと思ってるわけ!?」

 

 順に説明してくれた二人にすかさずツッコミを入れ直す。
 貴重な休みに二時間のゴルフをしただけで解散するとか何しに行ったのかわからない。ちゃっかり勝っているのも頭が痛いが、一番の疑問は別にある。

 

「なんで実家(ウチ)を知ってんの……」

 

 一応ここは元総理の自宅。
 六家といえど、余程親交がなければ知り得ないはずだ。彼の父親なら知っていたかもしれないが、総一郎が頭を下げるはずがない。まさか春冬が手引きしたのかと角脇さん達の間から見える男を睨むが、するわけないでしょと言うように手を横に振った。

 

「ジジイと遊んでた議員から聞いた」
「は?」

 

 冬を塞ぐように一歩前に出た総一郎は澄まし顔で答える。
 ジジイとは恐らく仁左衛門様のことだろうが、まだ混乱しているせいで結びつかず、総一郎は続けた。

 

「ジジイが月一でゴルフ場貸し切ってんのは有名な話だからな。そこにいた何人かの議員からちょちょいと聞き出して、お前が皐月ママと喋ってる間に先回りさせてもらった」

 

 平然と語られる内容に言葉を失う。
 議員をちょちょい扱いするのもそうだが、住所を知るためにゴルフに行ったのかと思うとストーカー春冬とは別の意味で恐ろしくなる。つまり柏木さんが言っていたお客様は総一郎で、既に……。

 言い放った言葉どころか存在すら忘れていたように振り向く。
 

 涙も乾いた目に映るのは腕を組んだまま瞼を閉じている父。静かになる室内にその目がゆっくり開かれると、私。そして背後の総一郎に移る。動悸が早鐘を打つ中、その口が開かれた。

 

「御門家の倅と付き合っていると言うのは誠か?」
「っ!」

 

 静かな問いには力があった。
 知られても平然といられるのは想像の中だけで、いざ問われると言葉が出ない。けれど、総一郎から聞いたともなれば嘘もつけず、頷きだけを返した。

 

 また静まり返る室内に緊張感と動悸が増す。
 あたし達にしか聞こえない、痛いとも思えるほどうるさい音。昔なら逃げ出していたかもしれないが、総一郎を前にそれはプライドが許さない。
 何より“彼”の本音も知りたくて、心臓を押さえたまま父と目を合わせた。少しの間が続く、と。

 

「そうか……」

 

 たった一言。それだけを言った父は頬と一緒に口元を緩めた。
 今まで見たことない“笑み”は優しく、あたしもちーも目を瞠る。その戸惑いを察してか、総一郎が割って入るように言った。

 

「お前は荒澤氏が母親を見捨てたと思っていたみたいだが、離婚を切り出したのは母親の方らしい」
「それは……この人が忙しくて……」
「ああ。病弱が故、総理候補に選ばれた荒澤氏の荷物になりたくないと離婚を申し出、荒澤氏はそれを拒否した」
「え……?」

 

 聞いたことない話に総一郎を見上げる。
 目の端には飲んだお茶をテーブルに置く父が映り、一息つくのが聞こえた。

 

「私は……千世の病気を知った上で結婚した。同情などではない、紛れもなく好きだったからだ……それを理由に別れるなど、ましてや手放す気などなかった」

 

 突然の告白を平然と言われ、あたしの方が恥ずかしくなる。でも、茜色に染まる庭先を見つめる父の目は切ない。

 

「だが……千世にとっては苦しかったようだ。支えたいのに出来ない、心配をかけてばかりで仕事の邪魔をしていると……首相になったら、もっと申し訳なくなると」
「それを見兼ねて忠興様は候補を辞退なさろうとしましたが、党内でも一番の支持率を持っていたので……」

 

 申し訳なさそうに春樹さんが補足するが、頭を左右に振った父は少しだけ口角を上げた。

 

「既に新しい家も職も見つけ、私が留守にする明日に引っ越すと言われたら手の打ちようもなかった……まったく、あの行動力には頭が下がる」

 

 苦笑するように喉を鳴らされると、なぜかあたしに視線が集中する。
 どちらかといえばあたしはヒッキーだと反論したいが、既に許容範囲を越えているせいで何も言葉が出てこない。そんなあたしを一瞥した父は肩を落とした。

 

「それほど苦しめていたのならと、苦渋の想いで判を押した。だが、そこで引き下がった私が愚かだった……あの時、既に症状が悪化していたのをわかっていれば……」

 

 力の篭った声と一緒に握り締められた両手。
 その手も身体も僅かに震えているのがわかると、先ほどの自分と重なった。彼は同じように堪えていた“本音”を言っている。同じように怒り、悔いていた。あたし達と同じように……なのに。

 

「千風……仕事を理由に構ってやれなかったばかりか、何も報せぬまま追い出してしまってすまなかった。どれだけ私を恨んでも構わない……だが、千世やお前達愛娘を想う気持ちだけは……それだけは本物だとわかってくれ」

 

 立ち上がった父は、懇願するように頭を下げた。
 必死に紡がれた言葉の一つ一つに胸も喉も痛くなるのは“お前達”と聞こえたから。知らないと思ってた。わかるわけないと思ってた。でも本当は“あたし”と“私”……二人に気付いてくれてた?

 

 頭を下げたままの父に頭を振る。
 違う。謝るのは貴方じゃない。何も知ろうとせず、ただ悪者扱いしていたあたし達のせい。歩み寄ろうとしなかったあたし達のせい……お父さんのせいじゃない。

 そう伝えたいのに“私”は声が詰まって何も言えない。
 

 次第に引き篭もってしまったふーちゃんと重なった感情が涙へと形を変え、頬を伝って落ちていく。そこに大きな手が頭の上に乗ると、真っ直ぐな目で見下ろす帝王様がいた。優しく撫でる手に涙は増えるばかりで、口を結んだまま彼の胸へと抱きつく。

 声にならない悲鳴を厚い胸板で抑えると、震える両手を背中へと回した。
 同じように彼の手もあやすように背中を撫で、私も抱きしめる腕を強くする。涼やかな風と一緒に父の声が届いた。

 

「どれだけ傷つけてきたかはわからぬ……それでも共になれる者に出会えたのなら……もう何も言うことはない」

 

 安堵するような柔らかい声。
 微笑んでいるようにも聞こえたが、私はただ瞼を閉じて涙を落とした。

 

 黒い渦に覆われていた胸の奥が真っ白に変わりはじめるのを感じながら。


 

* * *

 


 目を開けば薄暗く、背に感じるシーツも枕も慣れない。
 でも、匂いは覚えてる。今の家とは違う、実家(ここ)だけの匂い。

 

 久し振りの帰宅となった実家の自室は、柏木さんが定期的に掃除をしてくれていたおかげで家具も物も出て行った時のまま。それが不思議と心地良いが、ベッドに寝転がる“あたし”は瞼を閉じてもちーのように眠ることが出来ない。
 まだ、気持ちの整理がついてないせいかもしれない。

 

 父の気持ちを知り、総一郎の胸で泣き伏せていた千風(あたし)達。
 さすがにそのままいることは出来ず、総一郎も無理に時間を空けて来たのか、ひとまず今日はと言って去って行った。頭をグリグリ回してチョップまで落としていきやがったので次こそ殴る。

 

 そして同じようにあたしも帰ろうとしたが、柏木さんと春樹さんに笑顔で止められ、晩御飯ばかりか泊まることとなった。引継ぎやらなんやらで忙しない様子の父とも食事を共にし、少しだが会話も弾んだ。はじめて父子(おやこ)になれた気がした。
 それが嬉しい反面、なぜだか“あたし”の心はざわついている。

 

「……ダメだ」

 

 速まる動悸の正体がわからず、何か飲もうと起き上がるとドアを開く。が、覚えのある光景に目を瞠る。縁側に座る男も気付いたように振り向くと、度の入っていない眼鏡であたしを見上げた。

 

「おはよ……ふぅ。まだ二時だけど」
「春……」

 

 のんびりと腕時計を見た幼馴染は滅多に会うことがない、春。
 上着とネクタイがなくてもスーツなのは変わらず、閉めたドアに背を預けると腕を組んだ。

 

「何やってんの?」
「ん? 当然“千風様”の護衛……見張りの時は便利だよ、二重人格」

 

 そう笑う声に変化がないのは、ちーのように冬が寝ているからだろう。
 珍しがっていると水が入ったペットボトルが投げられ、両手でキャッチする。ありがたく乾いていた喉に通すと、春はくすくす笑いながら思い出したように言った。

 

「そうだ……明日悪いけど、父さんが送るから」
「へえ、アンタなら死んでも代わるかと思った」
「俺だって送ったお礼に踏まれ貶され罵られる最っ「アンタ、なんでちーが好きなの?」

 

 興奮気味の男に寒気が走り、遮るように訊ねた。
 それは今更な問い。だが、暫し考え込んだ春は気付いたようにあたしを見た。

 

「そっか……ふぅも俺とちぃの出会いを知らないのか」

 

 冬も聞いたのだろうかと考えるが、頷くだけにした。
 “あたしの記憶”は“自分が生まれた日”。小学校五年生からはじまり、中学で冬が生まれ、『蓮華』に勤め総一郎と出会った今日までの記憶がある。けれど、それ以前。“ただの”春冬との出会いはない。

 

 ちーが周りに幼馴染だと言っていたから気にする必要もないと思っていたが、春(こいつ)の執着は半端なかった。
 にへらとして、踏まれるのが好きなドM。だが、冬以上に感情の起伏が激しく、気に入らないヤツは片っ端から捻り潰すという危ない男……それがあたしから見た春。

 そのギャップが心底苦手なんだが、自分ではないちーに向けられている安心感もあり、先を促すように見つめる。と、身体ごと向けた春は微笑んだ。

 

「初対面で背負い投げされたからだよ」

 

 目が点になる。
 反対に当時を思い出しているのか、春は嬉しそうに身体を揺らしはじめた。

 

「はじめて会ったのは三歳、正月参りの日。千世おばさんの後ろにちんまり隠れてたのも可愛いかったけど、握手と見せかけて背負い投げされたんだ! しかも笑顔で!! その衝撃と勝ち誇ったS顔がもう最っ高「黙れドM!!!」

 

 さっき以上の興奮で話す男に苛立ちよりも鳥肌が立つ。
 同時に『ちーっ! 冬ーっ!! 替われーーーーっっ!!!』と脳内罵声を飛ばすが、これっぽちも起きる気配がない。こんちくしょーっ!

 

「……ふぅはさ、なんで笑わないの」
「は?」

 

 突然のことに両腕を擦っていた手が止まると瞬きするが、春は小首を傾げた。

 

「ちぃは良い笑顔も悪い笑顔もするけど、ふぅはちっとも笑わない……なんで?」

 

 見据えるような目に、動悸が嫌な音を鳴らす。
 笑うことぐらいある。そう返したいが、仕事と意地悪な笑顔しか記憶にない。短気な性格を考えれば総一郎、春冬、櫻木隆成、周りに怒らせる相手しかいないせい……だと思うが、なぜだか考えてはいけない気がした。

 

「……うっさい。あたしを嫌ってるアンタが気にすることじゃないでしょ」

 

 ムカムカする口元を押さえたまま睨む。だが、春はきょとんとした。

 

「嫌ってる? 俺が? ふぅを? なんで?」
「な、なんでって……アンタ、殆どあたしの時は替わらないし、替わってもちぃの時と態度違うじゃない! つまりあたしが嫌いなんでしょ!? 櫻木隆成のようにちーの方が好きなんでしょ!!?」

 

 首を傾げる彼に理解出来ず、つい思っていたことを口走る。それが動悸を速ませるが、春は不快そうに片眉を上げた。

 

「櫻木隆成は帝王共々捻り潰すとして……え、だってふぅは冬のものでしょ?」
「はあ?」

 

 とんでもない回答に今度はあたしが片眉を上げた。口元に手を寄せた春は呟く。

 

「俺は笑顔で罵られるのが好きだから笑わないふぅよりSちぃがいいし……冬もまあ、ちぃとは色々あったけど、元々イジメがいのあるMふぅがいい……ほら、需要と供給バッチリっが!」

 

 全力で水の入ったペットボトルで頭を叩いた。
 息を荒げるあたしは心底滅しろと願うが、ドMには悦ぶ材料にしかならなかったようで嬉しそうに転がっている。ガックシと肩を落としていると『ふぅ』と呼ばれ、力ない顔を上げた。
 眼鏡を外した男は覚えのある“もう一人”と同じ笑みをしている。

 

「どっちかなんて関係ないよ……“俺達”は“千風”が好き。ただそれだけなんだからさ」

 

 月夜と重なる笑みと細められた目。
 一見美しくも見えるだろうが、少しの間を置いたあたしは水を飲み干す。そして膝を折ると顔を覗かせた。笑顔で。

 

「悪いけど、あたしもちーも好きなのは総一郎だから」
「だあああぁぁっ! もうっ、なんで帝王なんっ!!」

 

 数秒前のイケメン顔が無残にも崩れるが、空になったペットボトルで叩いてやった。額を押さえる春はゴロゴロと転がり、ペットボトルを置いたあたしは立ち上がると自室の戸を開く。一歩足を入れたところで止まると、背中を向けたままポツリと言った。

 

「ありがと……春冬」

 

 零した呟きに、転がる音が消える。
 振り向くことなく自室へ入ると戸を閉め、ベッドに雪崩れ落ちた。カーテンの隙間から見える雲もない夜空と月。もう迷うことも恐れることもないと語る光に口元が小さな弧を描くと瞼を閉じた。

 

 静かに動きだす音の正体に気付きながら。

 


* * *


 

 翌朝、雲もない晴れた夏空。
 春樹さんの車でアパートの近くまで送ってもらった“私”は、車外から頭を下げる。

 

「送ってくださって、ありがとうございました」
「こちらこそ、忠興様の件が終わらなくてごめんね」

 

 申し訳なさそうな春樹さんに、頭を上げると苦笑する。
 今朝もやっぱりいなかった父。でも、本音を聞けたおかげか、不思議と不快になることはなかった。むしろまだ働くのかと、体調を気遣う自分もいる。

 

「はい……今度また、改めて伺います……例のこともあるので」

 

 小さく笑うと、少しだけ春樹さんは悲しそうな顔をした。
 けれどすぐ『あっ』と思い出したように懐から一通の手紙を取り出す。表には『千風さんへ』としか書かれておらず、受け取った私は小首を傾げた。

 

「春冬くんが安心院くんの仕事で白鳥(しらとり)さんに会ったらしくてね。お嬢さんへの手紙を預かっていたそうだ」
「ああ、カナさんですか!」

 

 懐かしい級友の名に声が弾むと『相変わらず執事くんと仲良さそうだったって』と聞き、再び頭を下げる。鞄に仕舞うと同時に車から離れ、春樹さんがハンドルに手を掛けるが、今度は私が訊ねた。

 

「あの、お父さんは二重人格……私とふーちゃんが……」
「もちろん、知ってたよ」

 

 即答だったせいか呆気に取られる。
 でも、空を一瞥した春樹さんははにかむように微笑んだ。

 

「ウチも春くんと冬くん。どっちも春冬くんで息子だからね……子供の違いがわからない親はいないよ」

 

 それは仕事では見ない“父親”の顔。
 また知らなかった真実に、胸の奥がぎゅっと熱くなった。

 

 遠ざかる車を見送ると、アパートに向かって歩きはじめる。
 その足取りは行きがけよりも軽いのは、父という人の誤解が解けたおかげか。でも、背けていただけの現実が思い込みと勘違いだったのを考えると恥ずかしい。

 

「はあ……この五年はなんだったんでしょうね」

 

 まだ人通りも少ない時間帯なのもあり、つい声を掛けてしまう。
 でも、ふーちゃんの反応は薄い。何か考え事をしているようにも思えるが、昨日はずいぶん長く強制交替していたのもあり、多くの負担をかけている。
 疲れが出るのも当然で、アパートの敷地に入ると笑顔で言った。

 

「ふーちゃん、ダッチュ食べてゆっくり寝ましょ(待って、ちー)

 

 遮った声が低かったせいか、肩が跳ねると立ち止まる。
 脳内を窺うように視線を上げるが、顔を顰めたふーちゃんは別のところを睨んでいた。その視線の先、階段に座る一人の男に目を瞠る。

 

 ネクタイもない、少しよろけたYシャツにズボン。
 髪は先日よりも跳ねていて、朝帰りのように欠伸をしている。けれど、赤の眼鏡を上げ直すと何も変わらない笑みを浮かべた。

 


「どぉも、お嬢はん。今日もええ天気ですねぇ」
「英……赤司」

 


 五年間を狂わせた男に両手を握り締める────。

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