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00話*「蓮火」

 いつの頃からか、“もう一人”が生まれた。

 それは弱さから生まれたのか、新しい自分になりたかったのか──確かなのは。

『♪~~~♪~~~♪~~~』

 薄暗い中、音楽が鳴り響く。

 布団の中で動く私は携帯だと気付くのに時間が掛かったが、誰からの着信かわかると慌てて跳び起きた。その場で正座をすると、即座に通話ボタンを押す。

「もっ、もしもし、千風(ちかぜ)です! ママ!?」

『あらあら、ちーちゃん。まだ寝てたの?』

 楽しそうに笑う主は私、宇津木(うつぎ) 千風が働く店のオーナー。

 みんなからは“ママ”と呼ばれている、皐月さん。源氏名ですが。

 茶髪の前髪をかき上げながら時計を見ると時刻は九時。けれどカーテンを開けると真っ暗。連休だからといって録り溜めていたDVDを観続けるのはダメですねと一息ついていると、ママも一息つくのが聞こえた。

「あ、すみません! それで何かありました?」

『実はね、VIP席にいるお客様が、ちー……“ふー”ちゃんに会いたいって仰られていて』

「奇特なお客様もいるものですね……Mですか?」

『ちーちゃん』

 黒い何かを含んだ呼び方に、携帯を持ったまま土下座。微笑んでいそうですが絶対悪い方だ! 怖いです!! ごめんなさい!!!

 そんな私が想像出来ているのか『頭を上げて』と本題に入る。

『それで、休みのところ悪いんだけど店に出てくれないかしら? もちろん、お給料は出すから』

「はひっ!? そ、そんなに上の人なんですか!!?」

 いつもなら従業員を大事にしているママはお断りを入れてくれる。でも、それが出来ないということはかなりの上客。

 胃がキリキリしてくる私とは反対に、ママは楽しそうに笑う。

『ふふふ、連れてくるのと連れて来られるのどっちがいいかって言われてね』

「完全にSっ気ある方じゃないですか!」

『良かったわね、Mなちーちゃん』

「私はフツーです!」

 涙目になりながら丸くなる。

 けれど『タクシーを向かわせてるから、二十分しかないわよ』と、選択肢はひとつしかなかった。

 しぶしぶ承諾し、通話を切ると急いで洗面を済ます。

 寝室にしている和室の隣、洋室に入り、積み重なった箱からパープルのイブニングドレスを手に取った。手触りの良い高級ドレスに頭を下げる。

「足立のおじさま、ありがとうございます」

 

 プレゼントしてくれたお客様に感謝しながらドレスを着ると、肩下まである髪をアップにする。装飾を付け、化粧をしている途中にタクシーから電話をもらい、カーテンの隙間から停まっているのを確認した。

 

「ええっと、ヒールヒール……ああ、ショール!」

 さすがに夏が近いとはいえ、肩出しで外に出るのはキツい。

 白の大判ショールを羽織り、バッグを持って家を出ると階段を下りた。現れた私に運転手さんが驚くのは、オンボロアパートから出てくるには意外な格好だったからだろう。木造アパート2Kですからね。都心の真ん中で。

 後部席に座るとスイッチが“ON”になる。

「すみません、お待たせしました」

「い、いえ。では、銀座でよろしいので?」

「ええ、『蓮華』へお願いします」

 口角を上げる“あたし”に運転手は車を出す。

 水曜の夜といっても車も歩行者も多く、銀座に入るといっそう明るさが増した。特に輝く一帯で降ろしてもらうと、一軒の店に入る。表には看板も何もないが、黒服が立つここがあたしの働く『蓮華』──高級クラブだ。

 有名企業のお偉いさん方が内緒で楽しむ場で、あたしはホステスをしている。

 お金が必要ではじめたが今では楽しんでいるのもあり、肩書きはNO.3。おかげで重役の常連も多いが、休みを無視する人はいないはず……つまり一見の指名。

 内心溜め息をつきながら更衣室に入ると、待機中の同僚達は驚いた様子であたしの源氏名を呼んだ。

「風(ふう)ちゃん! え、どうしたの?」

「お疲れ。皐月ママに呼ばれてさ……今夜のVIPって誰?」

「VIP……って、御門(みかど)様!?」

 再び驚く同僚達を横目に、VIPの名を頭の中で呟くが……知らん。

 記憶にない名前に首を傾げていると背後から皐月ママが現れた。身長は一七十手前。綺麗にカールされた黒髪に、黒のマーメイドドレスには真珠が散りばめられ、ネックレスもイヤリングも真珠。いつも以上に妖艶だ。

「ふーちゃん、褒めてるのかしら?」

「褒めてます褒めてます」

「ふふふ、まあいいわ。ほら、いらっしゃい」

 

 多少棒読みだったかもしれないあたしを他所に手招きされ、ポーチだけ持つと廊下に出た。スイッチが“OFF”になる。

「マ、ママ……みかど様って誰ですか?」

「あらあら“ちーちゃん”、やっぱり知らないのね」

 

 恐る恐る訊ねる“私”に振り向いたママは微笑むと人差し指を口元に持ってくる。

「先入観を持たないのが貴女の魅力のひとつよ」

「それって私が無知でバカのように聞こえますが……またトラブったら……」

「ふふふ、あの人と一緒でバカほど可愛いのよ。そんな貴女を今夜のお客様はお求めなの」

 

 貶して褒めた! フォロー!? 微妙です!!!

 内心涙を流しながら暗幕から出るとスイッチが“ON”になり、“あたし”は視線だけ動かす。店内は平日でも多くの客が座り、指名を貰ったことのある人も何人かいた。手を振ってくれるお茶目なお客さんに笑みを向けると、VIPの個室が見えるが、なぜかドアの横には店の黒服ではない男が立っている。

 一九十はありそうな長身とガタイ身体。

 サングラスにスキンヘッドの額には十字傷があり、口は“へ”の字。皐月ママは『護衛の人みたい』と笑うが心底心配になってくる。しかし高級クラブなら誰がきてもおかしくないと納得し、スキンヘッドの男に会釈すると皐月ママに次いで入室した。

 薄暗い部屋には正方形のガラステーブルに酒が数本。

 目が慣れてくると、一人掛けの黒革ソファと、中央のL字ソファに一人ずつ男がいた。もっとも中央の男はスーツの上着を脱ぎ、俯けで寝転がっている。おい、生きてるか?

 呆れた眼差しに、一人掛けに座る男が立ち上がった。

 黒髪のショートは綺麗に揃えられ、外の男よりは細いがスーツ越しでも鍛えているのがわかる。笑みひとつない仏頂面だが、先に会釈と共に口を開かれた。

「急な願いにも関わらず、お越し頂きありがとうございます」

「いえ……こちらこそ、お待たせしてしまい申し訳ありません。風です」

「あ、私ではなく……少々お待ち下さい」

 頭を上げた男は背を向けると、寝転がった男の背を思いっ切り叩いた。それはもう良い音が響くほど。アンタ、秘書か何かじゃないの?

 そんな痛い手に寝転がっていた男も不機嫌な声を発しながら起き上がった。

「った……なんだよ……角脇」

「ご希望のお嬢様がいらっしゃいましたよ、総一郎様」

 二十三なのもあるが、あまり呼ばれたくない“お嬢様”にぶるりと震える。

 必死に鳥肌を抑えながら、ソファに背を預けた中央の男を観察する。

 濃茶に染めた髪は束感ショートで、白のシャツボタンは数個開けられネクタイはなし。けど、間から見える鎖骨と胸板だけでも他二人同様、体格の良さがわかる。にしても片肘はソファの後ろ、足を組む姿は……偉そうだ。あたしは笑みも作らず会釈する。

「ご指名ありがとうございます、風です」

「……愛想のねぇ女だな」

「貴方の秘書と同じぐらいだと思われます」

 

 部屋が沈黙する。皐月ママの笑みは何かを言いたそうにも見えるが、これがあたしだ。

 それにしても店に来る殆どは年配のお客さんなのに、二人は精々三十代。いったいどこの重役だと頭を悩ませていると、中央の男が笑いはじめた。

「くくっ、角脇とどっこいって言うなら口も腹黒さも立派って意味だぜ?」

「腹黒さはありませんが、口の悪さとご期待を裏切るのは得意です」

 

 ニッコリと営業スマイルを向けると二人は目を細めた。

 当然“かどわき”という男の方が鋭いが、ヤバさでいうと中央の男が上。それでも知りたかったことを訊ねた。

 

「ところで、貴方は誰でしょうか?」

 

 また静寂が包み、皐月ママは眉間を押さえる。

 けれど眉を上げた“かどわき”さんとは違い、中央の男は笑った。

「くくくっ、さすが噂の『蓮火(れんか)』様は一癖も二癖もあるようだな。待ったかいがあったぜ」

「…………お褒めに預かり光栄です」

 一瞬で脳内には亀裂が入り、同じように細めた目を男に合わせる。

 通常のホステスならば許されない言動と行為ばかりだろうがあたしは違う。むしろその名で客を取っているようなもの……『蓮華』を火の色に変える意味で。すると男はソファを叩いた。

「別に俺がどこの誰かは関係ねぇ。それが『蓮華(ここ)』だろ?」

「そうですね。でも、あたし的には一応接待させていただくお客様なので、名を知らぬままというのは失礼にあたりそうです」

「充分やらかしちまってるけどな」

 喉を鳴らして笑う声に眉を顰める。

 男はソファから背を離し、足を組んだ上に両手を組むと、面白そうな笑みを向けた。

 

「俺は御門 総一郎。今夜お前を買う男だ」

 その態度と笑みに、苗字は絶対“帝”だと変換した────。

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