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複雑なスノーフレーク

19話*「本心」

 僕は“春冬”だ。
 でも、本当の“春冬”は“春”と呼ばれている方で“冬(僕)”じゃない。春が幼馴染を好きで護りたいから僕も同じに決まっている。


 僕という個はない──はずだった。

 

 

 

 


「なに、冬は体調でも悪いの?」
「うーん……それがよくわかんないんだよね。引き篭ってて話も出来ないし……千風の風邪がうつったかな」
「えー、春に仕事させるの不安なんだけど」
「母さん、それ酷い」

 

 ソファに座る俺は口を尖らせて振り向くが、社長席に座る母さんはパソコンを打ちながら答えた。

 

「本当のことでしょ。クリスマスの依頼ダメにした分、年末年始は働いてもらうんだから」
「横暴だー、労金に訴えてやるー」

 

 文句を言うが『はいはい』で終了。
 また口を尖らせ仕事納めのニュースを呪っていると、テレビを消されてしまった。顔を顰めた自分が液晶に映るが、後ろにも同じ顔がある。パソコンを打ちながら母さんは話を続けた。

 

「千風ちゃんの風邪は大丈夫だったのよね?」
「うん。朝には熱も下がって食欲もあったよ。羽交い締めはちょっと緩かったけど」
「それならいいわ……で?」

 

 立ち上がりながら報告するが、前に立つとパソコンを打つ手も止まる。同時に上げられた視線は眼鏡越しでも鋭い。同じように目を細めると、主語のない問いに答えた。

 

「……今日で完済するよ。朝四時、俺も行く」

 

 感情のない声に、室内が静まる。
 暖房が入っているのに冷たさを感じるのは気のせいではないだろう。少しの間を置いて目を逸らした母さんは一息吐いた。

 

「……わかった。明日の朝までは空けてあげるから、ちゃんと見届けてきなさい」
「うん」
「いい? 見届けるだけよ? 相手を殴るとか絶対ダメだからね? ただでさえ勝手に接触して、あたしは頭を抱えてるんだから」

「やだなぁ、俺も立派な社会人だよ? 仕事してる人の邪魔をするわけないじゃん。終わった後はわからなっが!」

 

 笑顔で答えるが、秒で立ち上がった母さんにエルボーどころか、千風以上の羽交い締めを食らった。今さらながら、千風の師匠って母さんなのではと思う。

 


 

 


 

『十二月二十九日。午前四時。完済』

 

 携帯に残っていた文面。
 寝ていた俺宛に冬が残す方法だが、“この件”に関してははじめてだったため違和感を覚えた。何より、声をかけても姿さえ見せないのは、雅と話していた俺のように“何か”があり“隠している”とも言える。

 

「そうは言っても、風(ふう)ちゃんも冬くんも語らない子だから難しいわね」
「そうなんだよねー……て、俺は千風の様子を見に来ただけって言ったよね? 金を巻き上げとしてないよね? ねえ、皐月さん!?」

 夜も十時を回る、銀座の高級クラブ『蓮華』。
 カウンターの隅に座る俺に差し出されるワイングラスに反論するも、隣に座る女性。肩と胸元が開いたドレスを纏う『蓮華』のママ、皐月さんは微笑む。

 

「やだわ、春くん。今日はお仕事お休みで、お客様として来てるんでしょ? なら、私のお仕事、お酌でお金を落とさせるをしないと」
「Sいいいぃっ!!!」

 

 悪気もない、爽やかで妖艶な微笑みがある人と重なる。だが、背後から顔を覗かせた二人に反応するのが先だった。

 

「誰かと思ったら、ドMくんじゃない」
「本当だ~ふうりんの~Mくん~」

「……どうも、愛(まなみ)さん……百合(ゆり)さん」

 皐月さんに負けず劣らずの美女が二人。
 それもそのはず。俺とさほど身長も変わらず、パッチリとした目に紅色の唇。スリットから覗く脚も胸元も自信満々で開いている茶髪美人が『蓮華』ホステスNO.1、愛さん。逆に一五十ちょっとの小柄ながらも、清楚な黒髪と佇まいが着物と良く合っている美人がNO.3、百合さん。
 ちなみに千風のホステスとしての源氏名が『風』で、今月NO.4になったらしい。常連、捻り潰す。

 

「あらあら。お客様を減らしたら、風ちゃんが泣いちゃうわよ?」
「俺が養うからいいんです」
「わあ~たくましいお言葉~ドンペリ入れてもらって~いいですか?」
「アタシはピンドンで」
「この店、Sしかいないのっ!?」

 

 同じ笑顔の三人に、テーブルに突っ伏して泣く。
 フツーなら美女三人に囲まれてウハウハだろうが、俺は千風にしか興味ないし、Mにもならない。それでも顔を上げると訊ねた。

 

「最近のち……風はどうですか?」

 

 眼鏡をかけていない真剣な目に、笑っていた三人の声が止むと、千風がいるVIP室を見た。

 

「いつも通り~には見えるけど~無理~してる感~あるかな~」
「客がいない時は眉間に皺を寄せてるしね……でも、ママから聞いたけど、もう終わるんでしょ?」

 

 控えめでも抑制のある愛さんの声に静まり返る。
 と言うのも、皐月さんを含めた三人は店で唯一、千風の父親や二重人格など事情を知るメンバー。フツーなら店の黒服として勤めそうな俺が我慢出来るほど信頼している人達。だからこそ頷いた。

 

「今夜には」

 

 その一言で察した愛さんと百合さんは、少しほっとした顔をする。だが、VIP室を見た百合さんは眉を落とした。

 

「そしたら~ふうりん~お店~やめちゃうのかな~」

 

 呟きにまた静まり返るのは、借金のためにはじめた仕事だと知っているからだ。
 喜ばしいだろうが、仲の良い二人にとっては複雑なんだろう。同様に『その後』を知らない俺も皐月さんを見ると微笑まれた。

 

「終わっても終わらなくても、私はあの子が進みたい道の手助けをするだけよ……今度こそ」

 

 それは彼女も聞かされていないという答え。
 変わらず微笑んではいるが、僅かに逸らした目が揺れているのを俺は見逃さなかった。それでも見て見ぬフリをすると、身体を三人に向ける。

 

 水商売なんて世界、千風には行ってもらいたくなかった。
 でも、割り切ることが出来たのは三人がいてくれたおかげだ。男で幼馴染の俺ではわからない、知ることが出来ない本音を千風が零すことが出来ただろうし、支えてもくれる。
 それはこれからも大事なことで、願いたいこと。だからこそ自然と頭が下がり、言葉が出た。

 

「千風のこと……これからもよろしくお願いします」

 

 当然、驚くような気配がした。
 けれど、顔を上げると三人は頼もしい笑顔をしていて、ひとつの不安が消える。が、お酒を断り続けていたらおつまみ系をいくつも頼まれ、地味に財布の不安が増えてしまった。

 

 もうっ、この店ヤだっ!!!

 


 

 

 


(春、いくら払ったんです?)
「なんのことー?」
(……なーる)

「読むなよ!」

 

 溜め息をついた冬に頬を膨らませる。
 そんな独り言を不審に思う目どころか、人の気配さえない明け方の四時前。建物を影に千風のアパートを外から見張る俺は、白い息を吐きながら見上げる。空ではなく、相方を。

 

「冬こそ、なに隠してんのさ」
(隠すとは?)
「とぼけるな。風邪の件以来、お前おかしいぞ」

 

 不満気な問いに返答はない。いや、考えている素振りは見せるが、黒い靄のようなものが冬の前で渦を巻いていて思考が読めない。
 覚えのある感覚に手で口元を押さえていると呟きが聞こえた。

 

(気付きたく……なかったです)
「は?」
(いえ……それより、来ましたよ)

 

 殺気づいた感情で我に返ると、一台の車がアパート前に停まった。運転席から出てきたのは、変わらず飄々とした借金取りの男。英金融の若社長だ。
 

 緊張以上に、冬から苛立ちと黒い靄が溢れ出る。危険な感情に気を引き締めると、足音を立てないようアパートに近付き、物陰から様子を伺った。

 さすがに時間を考えてか、若社長はインターホンではなくノックをする。しばらくしてドアが開き、不機嫌顔の千風──ふぅが出てきた。

 

 それだけで全身がざわつき、靄が増幅する。
 吐き気さえ感じるが、必死に明細書を確認する二人を見上げた。静かな夜のおかげかせいか、下にいても声が届く。

 

「確かに全部ですね。お疲れさんでした」
「なら、もう二度と来るな」

 

 あっけらかんとした労いに、苛立ちの声が響く。
 俺も後者に頷くが、くすくす笑う声に寒気が走った。顔を歪ませるふぅに、目先の男は口元の笑みを深くする。

 

「あらら、そんなつれなくせんでもええやないですか。僕とお嬢はんの仲やのに」
「っ、うっさい!」
「──!?」

 

 瞬間、顔を青褪めたふぅがよろけ、抑えていた靄が全身を覆う──と、駆け出していた。俺ではなく“僕”が。

 

(なっ、冬っ!?)

 

 一瞬で替わったことに、驚く春の声が頭の中で響く。
 だが今は構わず階段を上り、嫌な男の元へ、彼女の元へ向かった。

 

「ふうぅぅーーっ!!!」

 

 二階に上がると同時に時間も関係なく叫ぶと、虚ろな目のふぅと目が合う。が、すぐに瞼は閉じられ、力を失うように身体も落ちた。

 

「おっ「触るなああぁっ!!!」

 

 抱き留めようとする手を振り払うと、伸ばした手で腕を掴む。そのまま引っ張り上げると、意識を失った身体を抱きしめた。

 

「ふぅ……ふぅ……!」

 

 うわ言のように呼ぶ声に返事はない。すると、背後から拍手が贈られた。

 

「いや~、ほんますごいわぁ。兄(あん)さん、前世は騎士(ナイト)やないです「黙れっ!」

 呑気な男とは違い、地を這うほど低い声。
 睨みつける視線も渦巻く黒い靄も殺意に等しく、何かを叫ぶ春の姿さえ掻き消した。拍手を止めた男も感じ取っているのか少しだけ眉を顰めるが、口元の笑みは変わらない。

 

「執着もここまでくると化け物(もん)やね……けど、気ぃ付けた方がええですよ。はよ、その感情捨てな兄(あん)さん……いや、お嬢はんも含め危険やで?」
「……一番危険であるお前が消えればいい。さっさと帰れ。そして二度と関わるな」

 抱きしめる腕を強くすると、白い息と共に吐き捨てる。しばらく見つめていた男は一息吐くと背を向け、『ほな、さいなら』と去って行った。
 階段を下りる音、車に乗る音、車が去って行く音を確認すると、千風を抱えたまま部屋に入る。そして、閉じた玄関扉の前で膝を折ると、彼女の胸に顔を埋めた。

 

「っん……」

 

 小さな声に顔を上げる。だが、開かれた目は望む彼女じゃなかった。

 

「冬く……ん?」
「……ちぃ……っ!」

 もう一人に呼ばれても僕は歓喜しない。むしろ苦しくて哀しくて──怒りが沸いた。

 抑えていた気持ちは行き場を失い、自然と言葉に変わる。
 

 この四年間、ふぅが身代わりになっていたこと、護っていたこと。一人で抱えていたことすべてを語った。ふぅは怒るだろうが、僕はもう我慢ならなかった。

 だって、ちぃがいるから、ちぃがいたからふぅはボロボロになった。護るために生まれた存在だろうと、二重人格だろうと、僕にとってふぅは一人で、大切なのは千風でも──ふぅ。

 

 

 僕は──ちぃなんて嫌いだ。

 

 


 それは、紛れもない本心だった。
 自分から生まれたはずなのに、大切な存在も同じだと思っていたのに違った。もう一人を蔑(ないがし)ろにしていたのは“俺”も同じだ。勝手に好きだと、“春冬”は“俺”だと、結局は冬を見ていなかった。靄の正体を、本音を知ろうともしなかった。

 

 ぎゅっと唇を噛みしめた俺は真実を知ったちぃのように涙を零し『ごめん』と呟く。返事の代わりに真っ暗だった世界が真っ白に変わり、また涙を零すと誓った。

 

 この世界を、気持ちを平等にしよう。
 ちぃとふぅ、二人が共に大切ならば俺はちぃを、冬はふぅを大切にすればいい。苦しめるヤツとの縁は切れた。それだけで充分だ。楽しいのはこれからだし、護り続けることに変わりはない。何も問題ない──そう思っていた。

 

 あの帝王が現れるまでは────。

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