幕間3*「切り札」
*寺置視点です
東京に帰ってきて最初に思ったのは『渋滞疲れる』でした。
横にまき様でも居れば色々おちょくれて楽しいのですが、後ろの人では飽き……シートを蹴るなんて足癖悪い上司ですね。すぐ彼女を浮かべる自分には苦笑するしかありませんが。
ただの仕事だと出向いた先でまさかの恋をした。
被り続けていた“仮面”がすぐ剥がれたほど、理性を押し込めるのに時間が掛かるほど。
クリスマスが近付く中、なんとなく見かけたオレンジのマフラーに目が止まった。唐突に浮かんだのはムッスリ顔のまきに羊着ぐるみを着せ、マフラーを付けた姿──想像しただけでお腹を抱えてしまい、クリスマスプレゼントとして贈った。
毎日送るメールにも律儀に返す彼女は離れていても楽しい。
「……お前って犬系だったか?」
至極真面目な表情で言った海雲様の頭を、丸めた新聞紙で叩いた。笑顔で。そのまま給湯室に向かい、コーヒーを淹れる。
「なんだって私が犬になるんですか。貴方に忠実ではないでしょう」
「いや、俺じゃなくて……毎日なんか嬉しそうにメールしてるだろ?」
砂糖を入れる手が止まる。
確かに彼女とのメールは楽しいが、その返事を犬のように尻尾をフリフリして待ってるとでも言いたいんですかね。小さく笑いながらソファに座る海雲様にコーヒーを渡すと、彼は礼を言って飲む。が。
「あまっっっっっ!!!!!」
甘党海雲でも砂糖五杯に撃沈。恐るべし、まき。
* * *
クリスマス。
まき様からのはじめてのメールに内心喜びながらマフラーが届いたのだろうと開いた。
『なんでオレンジ色なの?』
爆笑した。
さすが、まき。“ありがとう”を通り越して文句とはお前ぐらいだ。
会社でも女子社員達に貰うが、あのメールだけで充分。
すると海雲様が手乗りサイズのペンギンを手に乗せ、ジーと見つめているのを目撃。こういう場合はそっとしておくべきなんだろうかと思ったが、一応声を掛けると難しそうに口を開いた。
「……みきから会社宛に“クリスマスプレゼント”って紛れてたんだ」
「は? 自宅にではなく会社宛に贈られてきたんですか?」
「確かに家の住所は教えてなかったが……ちょっと出てくる」
羽織ったコートのポケットにペンギンを入れ出て行く姿に、もしかして贈ってないのかと悟った。相変わらずの姉妹なようだ。
その日の深夜、不可解な事があった──まきからの着信。
まさかの着信で一瞬取るのに躊躇っているとすぐに切れた。
深夜一時を過ぎて悪戯電話するわけもないとメールで確認するが『間違えただけだよ!』の文字。引っ掛かりは覚えたものの、明日確認しようとひとまず頭の隅にやった。
* * *
翌日、海雲のペンギン枕の件と電話の件をメールで送ったが返事に変わりはなく何も……なかったと思う。メールでも素直ではないと知っているがどうにも自信がない。
離れても問題ないと思っていたが、こうも腹がムカムカすると気持ち悪い。我慢をやめて電話をしようと思った十二月二十八日。ソレは舞い降りた。
「お秘書さーーん!!」
「っ!?」
会社のエレベーターから降りてすぐ、聞き慣れた声に目を瞠る。
一瞬まきにも見えたが、同じ黒の天パは腰下まであり、声のトーンも若干高く笑顔──姉のみき様だった。
見間違えた自分に苛立ちながら彼女の元へ向かうと、わざわざ海雲様に会いにきたと言う。何も聞いてなかったので本人も知らないだろうと上の階に居る上司を呼び出すと、二十階から階段で下りてくるというバカ姿を見てしまった。
そのままズーリズーリと『小会議室』でお楽しみに入られたのを見て、今朝『大きな鳥が飛び立ったよ』の意味深なメールを思い出す。大きな爆弾すぎるだろ。
その夜、みっちゃん様からまき様の伝言を聞き、ムカムカ感が晴れたのは内緒です。さて、次に会った時どう苛めてさし上げましょうかね。
しかし翌日、冗談めいたメールを送っても返信はなかった。
年末で忙しいのかと考えながら、三十七階建てのタワーマンション最上階住まいの海雲様とみっちゃん様に別れを告げ、自分の部屋へと向かう。
あ、私はニ階住まいですよ。なんでって、階段でも行けて便利だからです。
0時過ぎまで仕事をするとシャワーを浴びる。
雫が掛かる度にホテルの件を思い出し、やはりヤっておけば良かったと少し後悔した。ズボンを穿き、上半身裸のまま出ると携帯が鳴っているのに気付く。海雲かと眼鏡を掛けると──まき。
クリスマスの時と違って鳴り続ける音に、不覚にも動悸が激しくなるが、平静を装った声で出た。
「……はい、寺置です」
『ぷぎゃあっ!!!』
第一声に爆笑した。
久々に聞く声がまさかの変声で笑いが止まらずいると怒られる。おかげで笑いも幾分収まり、ソファに座ると改めて挨拶を交わした。
『電話出るの遅かったから寝たかと思ったよ』
「すみません……丁度お風呂に入っていまして。上がったら鳴っているのを見て驚きましたよ」
まきは『あっそ』とつれない返事だが本当に慌てた。そして──まきの声だ。
海雲が毎日のようにみっちゃん様と電話する気持ちがわかる。これは明日から困りそうだと、つれない声に合わせ『会いたくなったのか』と聞いたのがバカだった。
『そうだよって言ったら……どうする?』
……なんだコレ。俺は何を試されているんだ。
クリスマスは過ぎたぞと思いながら『どこでも●ア開発しましょう』なんぞ言ってしまった。いや、今なら創れるかもしれないと本気で思った。
それを止めるかのようにインターホンがニ回鳴り、海雲だとわかる。みっちゃん様とベッドの中じゃないのか?
居留守を使う気でいたが、やはり彼女は許してはくれず、本当に自分の頭に犬耳があるようにシュンと下がってしまった。溜め息をつきながらインターホンの電話越しにニ回ペンで叩く。合鍵を持っている海雲に『勝手に入ってこい』という合図だ。
叩きながらまきに『エロイ声』を所望したが予想通り怒られる。
だが色々狂わされた御礼はしなければと携帯を耳に寄せるよう言った。真面目なまきだからきっとするだろうなと内心笑うと、携帯に口を寄せ──キスをした。
『ドッサーーーー!!!』
ベッドに倒れ込む音に“勝った”と確信する。
残念ながら犬は犬でも私は猟犬ですよ。
くすくす笑っているとリビングのドアが開き、海雲が入ってくる。が、目を見開くと顔を青褪めた。俺が上半身裸のせいだとは思うが、寂しくも電話を切ると振り向く。
「みっちゃん様とお楽しみ中じゃなかったのか?」
「……先にイかれてな。お前こそ口調が戻ってるぞ」
ああ、まきと話してたからか。
最近じゃ海雲の前でも戻らないからなとTシャツを着ると、冷蔵庫からビールをニ本取り、笑顔を向けた。
「飲みましょうか、海雲様」
「気持ちわりーよ」
即答されたが、ソファに腰を掛ける。
ビールを飲みながら海雲の用件を聞くと母親が突撃してきたらしく、明日みっちゃん様と実家に戻る事になったらしい。みっちゃん様は三十一日夕方の飛行機で帰る予定だが、海雲の母親の強引さなら三箇日まで掛かりそうだな。
そこまで考え、口に弧を描いた俺は意地悪く言った。
「みっちゃん様が本宅に泊まるのなら、俺が代わりに使う」
「代わりって……お前が福岡行くのか?」
明日が終われば俺も三箇日まで休み──だったら。
俺の笑みに海雲の顔色が悪くなるが、少し考え込むと躊躇いがちに口を開いた。
「……みきの妹か?」
問いには答えなかった。
さすがに長い付き合いだと俺のタガが緩みすぎている事がわかるようで、海雲もその先は言わずビールを飲みながら『みきから許可貰えよ』と溜め息をつく。
そこはなんの問題もない。
俺は丸め込めるのが得意だし、相手はみっちゃん様。まき以上に誘導し易く、何より良いタイミングで切り札がある。
一月一日は俺の誕生日。
それを聞いた海雲は肩を大きく落とし、ジト目で見つめる。
絶対エイプリルフール生まれっぽいとか考えていそうだな。失礼なヤツめ。
海雲が出て行くと着信歴“まき”の文字を指でなぞり、電気を消した。
* * *
翌日、綺麗にみっちゃん様を丸め込み、福岡行きチケットの変更手続きを完了させました。もちろん、まき様には連絡しないよう口止めもしまして。だって面白くないじゃないですか。サプライズ大好きですからね、私。
そして十二月三十一日の大晦日。
羽田空港では出発も到着ロビーもたくさんの人が溢れ、久々に会う家族と抱き合っている姿が見える。まきはあんな素直じゃないなと苦笑すると、メールを送った。みっちゃん様を空港まで迎えに行くと約束していた彼女は手元に置いていたのかすぐ返信がきた。
『黒い鳥が飛び立ちますよ』
『サンダーバードでもいたのか』
……ええと、恐らくは人形劇ではなく神鳥の方ですよね?
お母様を考えると人形劇の方も知ってそうな気はしますが、ツッコミはやめておきましょう。そう飛行機に乗ると、窓の外を見ながら笑みを浮かべた。
神鳥でも良いですよ。
雷の精霊と言われた鳥になぞって貴女を────落としてあげますから。