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76話*「がんばって」

 高く昇った太陽が『王の間』を照らす。
 たった数時間の戦闘でステンドグラスは割れ、白の大理石は魔物の死骸から零れる青緑の体液に染まる。突風が吹き通るのは、ヒビどころか巨大な穴が開いた壁のせいで、白い鳥が飛んでいるのが見えた。

 持ち堪えられていることが不思議でならない城に普通は驚くかもしれない。
 でも、今のわたしや起き上がった団長さん達。何より壇上に佇むノーマさんも、キツネさんから顔を出した女性に驚いていた。

 

 誕生式典時と服装は違えど、その綺麗な容姿を見間違うはずはない。
 フルオライト国の王妃──ニチェリエット様。

「母上っ、無事だったんだな!」
「セルジュ……」

 

 嬉しそうな声を上げたセルジュくんに、王妃様もか細い声で呼ぶ。
 安心からか、腰を抜かしたセルジュくんを慌てて傍にいたケルビーさんが支えるが、わたしの脳内は大混乱していた。

 ちょちょちょちょっと待ってください。あの人って王妃様ですよね? でもセルジュくんは『母上』って言いましたよね? つまりセルジュくんとナナさんのお母さん? ルアさんのお義母さん? 王妃様が? て、ことは三人は──。

「*#$£☆★׶ΣΨДИфーーーーーっっ!!!」
「うん……何を言ってるかわかんないけど……言いたいことはわかるよ」

 

 声にならない悲鳴を上げたわたしに、口元の血を袖口で拭ったルアさんは頷く。
 その顔は南庭園時同様に複雑そうで、山程ある疑問を問うことはできなかった。そこに、口から血を吐いたお義兄ちゃんがお腹を押さえたままやってきた。

「糸を巡らせても見つからなかったのに……今までどこにいたんだ」

 

 ヒビの入った眼鏡で王妃様を見上げるが、自問自答の意味はわからない。でも、脱いだベレー帽を指先で回すムーさんは理解しているように笑った。

 

「ひゃははは、そりゃ結界魔法の最高点『五段階結界(スィコ・エスカッシャ)』に護ら……いや、軟禁されてちゃ無理だよ」
「な、軟禁!?」

 

 驚いたように王妃様を見上げると、ムーさんに向き直す。
 宙に放り投げられたベレー帽を綺麗に頭に乗せた彼は汚れた緑のマントを翻し、細めた紫の双眸を一点に向けた。

「ね……ノっちー?」

 

 弧を描いた口元に、わたし達も目を移した。
 床に横たわる巨大な鬼よりも上。無残にも割れた七竜のステンドグラスの間から零れる陽射しに、ノーマさんの髪が輝いて見える。でも、その肩は震え、歯軋りしていた。
 今まで見たことないほどの苦痛と憤怒が入り交じった表情に足が下がるが、駆け寄ってきたセルジュくんは大声を上げた。

 

「どういうことだよ!? 軟禁って……母上は兄上がいなくなってからは自室に「違う」

 

 焦る声を静かに遮ったのはナナさん。
 王妃様の腰を支えたまま見下ろす彼女は変わらずのムッスリ顔だが、南庭園で会った時のような怒りは感じない。

 

「母上が自室に戻られるのは式典時だけだ。それ以外は兄上の件があって以降、北方の『福音の塔』に身を寄せている」
「は、初耳だぜ!?」
「どこかの愚兄と同じで式典にしか帰ってこぬ上に遊び呆けておる主の落ち度だ」

 

 すまし顔で言い放ったナナさんにルアさんは目を逸らし、セルジュくんは兄違いでグレイお義兄ちゃんを見た。叩かれる音に構わず、わたしは訊ねる。

 

「な、なんでお兄さんのことがあって、ノーマさんのところになるんですか?」
「我と同じで……母上も兄上が落ちたところを目撃したからだ」
「え……あっ!」

 

 静かに、けれど僅かに怒気を含んだ彼女の言葉にルアさんを見る。
 ナナさんに嫌われている理由が二年前……ランさんが落ちた時だと推測した彼は言っていた。現場にいたのは自分とお義母さんだけだと。つまり王妃様と……外にナナさん。そこにノーマさんがいたことになる。

 

「実際は宰相と二人二階にいたのだが、兄上が落ちたことで下りてきたらしい。そして普段から青のことをよく思っていなかった母上は青を攻め、青は出て行った……医者を呼び行ったようだがな」

 瞼を閉じたまま話す彼女のように、ルアさんも顔を伏せている。
 ぎゅっと握りしめられている手は震えているのがわかるが、ナナさんは続けた。

 

「青が出て行ってすぐ我も駆けつけたが、元々不安定だった母上は精神に異常をきたしていて……閑静な城よりも緑の多い『菩提樹庭園』で療養すればいいと……宰相に唆(そそのか)されたのだ」

 歯を食い縛る彼女に、誰もが言葉を失う。
 それだけルアさんを嫌っていたのも驚くが、二年もの間、北庭園に居たなんて考えられない。何より王妃様には王様……旦那さんがいる。なのになんで宰相である彼の言葉を聞くのかわからず、震えながら訊ねた。

「ノーマさんと……王妃様の関係って……?」
「…………主人と従者だよ」

 

 返してくれたのはセルジュくん。
 大きな息を吐き、瞼を覆っていた手を外した彼は何も言わないノーマさんを見た。

 

「聞いたことある……二十八年前アイツ……アガーラは母上に拾われたんだ」
「拾われた?」
「ああ……なんか行き倒れてたらしくてな。それで、コランデマ家に仕えるアガーラ家の養子にしてもらって、まだ結婚してなかった母上の従者として仕えたんだ」
「だからこそ母上は信頼しているし、執務が忙しい父上と違っていつも傍にいる宰相の申し出は藁にも縋(すが)る思いであったのだ」

 姉弟で語られる内容にルアさんの額からは汗が流れている。
 知らなかったのだとわかると、ノーマさんにとっての“転機”が王妃様との出逢いなのが推測できた。でも、この事態を招いた理由には繋がらず、そっと壇上に目を移す。

「ノーリマッツ……いったいこれはどういうことなのですか?」

 

 かけられる柔らかな声に、顔を伏せていたノーマさんの肩が一瞬揺れる。
 強気にも聞こえる声はどこか震えているが、眉を顰めた王妃様は真っ直ぐ彼を見た。

 

「ナナから聞いた時は半信半疑でしたし、外に出た時も貴方の仕業だと言われても信じられませんでした……けれど」

 徐々に声は弱々しくなり、彼女もまた顔を伏せる。
 それでもショールと一緒にネックレスを握りしめると精一杯の声を張り上げた。

「先ほどまでの話が本当だというなら、あそこにいたランはなんだったのですか!? そしてあの人は……ツヴァイハルドはどこですか!!?」

 

 今までの戦いで出た真実を聞いていたような悲鳴が響き渡る。
 それは息子さんと旦那さんを案じる普通の母親として妻としての言葉でもあり、彼女は何も知らないのだとわかるものだった。

 ポツリと『不倫じゃなかったのか』と呟いたケルビーさんを、ジュリさんがみぞおちを食らわす。別の悲鳴が木霊しても、口元に両手を寄せた王妃様は涙を落としながら続けた。

「いったい貴方は……何がしたいのですか……何が目的で……」
「…………国潰しですよ?」

 

 何かを含み、何かを抑えたような重い口が今までと同じ目的を呟く。口元にも変わらない笑みがある。

「私は代行者として執行しているまでです……貴女の望みを叶えるために」
「え……?」

 

 翠の瞳を丸くした王妃様にノーマさんの右手が上がる。
 同時に消え去っていた魔物が床から続々と現れ、慌ててルアさんとお義兄ちゃん。他の団長さん達も構えるように、ナナさんと王妃様の前はキラさんが遮った。
 現れた魔物は瞬く間に黒光を放つ本に吸収され、穴を開けられた巨体な体を修復していく。

 

「いつまで無様に寝転がっているつもりだ、クリミナル」
『ギ、ギギッ……ギシャアアアァァーーーー!!!』

 

 吐き捨てるかのような命令に、コウモリ羽を広げた鬼が奇声を上げながら起き上がる。
 大きく翼を打つ音と突風にわたしはお義兄ちゃん、セルジュくんはルアさんに支えられ、王妃様の悲鳴も響く。なのにノーマさんはなんでもないように言った。

 

「さて……続きをしようか。お前達の息の根を止めないと、どうにもこの感情は抑えきれそうにない……ははは」

 

 何も映していない目と感情のない笑い声。
 何より背後に見える禍々しい気配はゾっとするほど恐ろしく、吹き上がる風も強くなる。そこに緑のマントを揺らすムーさんが相殺するように割って入ると、少しだけ風が弱まった。

「ひゃは……原罪が説得すればなんとかなると思ってたのに……ちょっと予想外」

 

 溜め息混じりの彼は笑っているが、その頬には汗が見える。
 それが疲れからなのか、本当に予想外なのかわからないでいると、風に煽られながらルアさんが叫んだ。

「ムー……お前っ、いったいどこまで知ってたんだ!?」
「……九割方、かな」

 必死なルアさんとは違い、淡々と返したムーさんはゆっくりと振り向いた。

 

「その内……四割は本当、五割は想像さ」
「想像……ですか?」
「捻くれた性格をしてるとね、どうしても色んな憶測をしてしまうものさ……そして事件が起きても気付かないアンタ達が悪いんだって助けることもない……ボクはそういう男……でもね」

 

 いつもの能天気な声は力がなく、震えてる。
 背後では完全に修復された鬼の影が迫るが、ムーさんの瞳はキツネさんから見下ろすナナさん。そしてわたしに向けられた。両手に集める風を球体にしながら大きくマントを揺らす彼の頬、緑薔薇の上を一筋の涙が零れる。

 

「好きになった子と……親友のためなら頑張れるんだよ」

 

 柔らかな微笑に目を見開くと、十数センチにもなった風玉が勢いよくルアさんに当たった。衝撃に吹っ飛ばされた彼とセルジュくんがわたしとお義兄ちゃんにぶつかり、揃って床に倒れ込む。
 ガンッと何かに当たる音が響くと同時に見上げれば、鬼の張り手を食らったムーさんが血を吐きながら宙を飛んだ。

「ムーさんっ!?」
「緑ぃぃっ!!!」
「ムーランドっ!」

 

 わたし、ナナさん、ケルビーさんの悲鳴と一緒に、激しく壁に激突する音が響く。
 白煙を上げる壁に埋め込まれたムーさんは力なく床に落ち、音もなくベレー帽が自身の血の上に乗った。上体を起こしたわたしとお義兄ちゃんは身体を震わせたまま動かない彼を凝視する。

「なんだ、かばったのか……バカなヤツだ」

 

 静けさの中に響く声は宙に浮いた鬼の先にいるノーマさんのもの。
 涙ではっきりとした顔は見えないが、笑っているようにも見えた。実際彼が言うように、ムーさんが風玉を当ててなければ巻き込まれていたかもしれない……なんで。

 

「なんで……いつも俺に当てて……いつも言わねぇんだよ……不器用ヤローっ」

 

 身体を揺らしながら立ち上がったルアさんは握りしめた拳から血を落とす。
 その目には微かに涙があり、大粒の涙を流しながらキラさんに押さえ込まれているナナさんと共に鬼を、ノーマさんを睨みつけた。なのに彼は平然と床から魔物を召喚する。

「ムーランド……お前は確かに良き共犯者ではあったが、信じるには値しない道化だ。あれだけ口走った毒によって一人死ねばいい」
「…………そんなん……で……死ね、るわけ……ないだ……ろ」

 弱々しい声に全員の視線がムーさんに集まる。
 青緑の液体と赤い血が滲む上で、ひゅーひゅーと喉を鳴らしながら浅い呼吸を繰り返すムーさんの目は朧気。それでも必死に血を零す口を動かした。

「毒(NG)薬の……解毒は……ここにくる前……済ましてる」
「なんだと?」
「ひゃは……研究者を甘く、みんな……よ……それと」

 片眉を上げたノーマさんの口元から笑みが消える。
 反対に、虚ろな目でも彼を捉えたムーさんは口角を上げた。

 

「アンタの庭園に……咲く……十年かけて作った『魔封香』の……元になる花……薔薇園に使った害虫で……全部……潰し落としてやったもん……ね」
「なっ!?」
「ざま……あ」

 

 目を瞠るノーマさんに、薄笑いするムーさんは覚束ない手で『菩提樹庭園』に咲いていた花を取り出す。そこに数ミリほどの小さな虫が乗ると一瞬で花が枯れた。

 わたしは開いた口が塞がらず、お義兄ちゃんは両腕を擦るが、拳を解いたルアさんは息を吐き、ケルビーさんは『さっすが!』と指を鳴らした。涙を拭うナナさんの口元にも笑みがある。
 けれど、ノーマさんの逆鱗に触れたのか、黒い火柱が壇上で上がると、右手が上げられた。その目は鋭い。

「──沈め」

 

 一言は重く、同じように上げられた鬼の手がムーさんに向けて振り下ろされる。直前、ルアさん、ケルビーさん、ジュリさんが飛び出した。

「モモっ、チャガキと一緒にキラ男のところに行け!」
「は、はいっ!」

 

 叫んだお義兄ちゃんも遅れて飛び出すと、先陣の三人が落ちてきた鬼の手首を斬る。次いでお義兄ちゃんが指を動かすと木っ端微塵になった。
 慌てて振り向いたわたしは未だに寝転がっているセルジュくんの背中を揺らすが、両手で頭を押さえている。

「テナガエビでも刺さりましたか!? 意外と痛いですからね!」
「経験者!? じゃなくて、なんか硬いもんに当たったんだよ!」

 

 涙目で元気そうに叫んだ彼は両足をバタバタさせる。
 瓦礫にでも当たったのかと辺りを見て目を疑った。何しろ見慣れた物。南庭園に置いてきたと思っていた物がある。

「ふんきゃ! わたしのリュック!?」
「へ? あ、マジだ」

 

 座り込んだわたしに、上体を起こしたセルジュくんも覗き込む。
 床に置いてあったのは庭園の手伝いをはじめた頃にスーチお義母さんに買ってもらい、魔法が使えないわたしが庭師道具を入れている愛用リュック。少し粉塵を被ってるけど間違いなくわたしのリュック……だけど。

 

「なんか濡れて……あれ?」
「はあっ!?」

 

 湿っているリュックを開くと、園芸ばさみでもカナヅチでもない、袋に入った十数センチの正方形。白い蕾が閉じ込められた氷の塊が出てきた。

 

「これって……『氷水花』ですよね?」
「なんで……あ、なんか紙が入ってる」

 

 冷たい塊は南庭園で見た『氷水花』。
 なんでこんな物がリュックに、そしてここにあるのか疑問に思っていると、リュックから出てきた一枚の紙を見ていたセルジュくんが眉を顰めた。わたしも後ろから覗くと何か書いてある。

 

「なんだ……読めねーぞ」
「え? 『これを彼に投げてください』でしょ?」
「え? 読めんの?」
「え?」

 

 互いに瞬きすると、また紙に目を落とす。そこで気付いたわたしは紙を奪った。
 驚くセルジュくんの声も聞こえず、折り目のついた紙に書かれた文字を凝視する。今まで読めなかった字とは違う。これはマリエットさんが書いてくれた物と同じ──日本語。
 動悸が激しくなっていると、一文の下に書かれた一言を震える声で読み上げた。

 

「…………“もう少し、がんばって”」
「主ら、何をしておるのだ!?」

 

 怒声で我に返ると、目前に魔物が迫っていた。
 セルジュくんと悲鳴を上げながら抱き合うが、炎を帯びた数十の矢が魔物を射抜き、奇声と共に火の粉が舞う。涙を浮かべたまま瞬きしていると、炎弓を持つナナさんがわたし達の前に降り立った。が、その顔は憤怒。

「こんのバカ共が! 死にたいのか!?」
「「はいいぃぃっ、ごめんなさいっ!!!」」
「さっさとソラのところに行けっ!」

 

 鬼より怖い一括に土下座するが、軽く頭を叩かれるだけだった。
 見上げるわたし達にナナさんは大きな息を吐き、黄色のマントを翻すと動くことができないムーさんの元へ走る。氷と紙を持ったまま立ち上がったわたしはその背を見つめた。

「おいっ、モンモン急ぐぞ!」

 

 肩にセルジュくんの手が乗るが、わたしの目は紙。文字が書かれてない方を映す。
 その色は白でも折り紙だとわかり、折り目をなぞった先が一羽の鶴になる気がした。ずっと暗い牢屋でルアさんのお義母さんのために作っていた鳥。

 その王妃様はキツネさんの上で必死に声を上げている。
 爆風や奇声でなんて言ってるかは聞こえない。でも、傍で魔物を斬るキラさん達に構わず、大粒の涙を落としながらノーマさんに向かって何か……彼を呼んでいるようにも見えた。

 振り向きもしない彼はただ歯を食い縛ったまま、動き回る騎士を沈めようと両手を動かしている。解放精がいないルアさん達もさっきのダメージがあるのに必死に食らいついている光景に、わたしは立ち尽くした。

 これはいったいなんの戦いなのか。
 なんで一緒に国を護ってきた宰相と騎士が戦っているのか。ありふれた日常と笑顔を血と涙に変えて何が叶うのか。

「……て……いい」
「モンモン?」
「何も……叶わなくていい……ただ……笑い合えるだけでいい」

 大きな変化なんていらない。
 ただ嬉しいこと悲しいこと、少しだけ違う一日を過ごして笑顔で終わりたい。明日なんてわからなくても楽しかった昨日があるならわたしはまた……。

「ちっ、しぶとい国竜め……これは早々に魔物に沈めてもらった方が早いな──クリミナルっ!」

 

 苛立った様子のノーマさんが声を荒げると、大きく開かれた鬼の口から黒い光線が放たれた。けれどそれはルアさん達ではなく西の壁を突き破る。その先にあるのは最後の『福音の塔』──『蔓庭園』。

「ダメですっ!」

 

 叫びは届かなかった。
 大きな爆音と共に一瞬で西庭園は炎に包まれ、戦いの手を止めた全員の目に黒煙が映る。薔薇園と同じように。

「そんなっ……!」
「ちょっ、メルスいなかったか!?」

 口元に手を寄せたジュリさんはその場にへたり込み、セルジュくんは顔を青褪める。無情な笑い声だけが響いた。

「はははっ! 『解放』が使えなければ護れないお前たちは国竜でもなんでもない、ただの哀れな人間だ!! そのまま沈むときを待てばいい!!!」
「てっめええええぇぇぇーーーーっっ!!!」
「ケルビーっ!?」
「ふんきゃああああぁぁぁーーーーっっ!!!」
「モモっ!?」

 

 既に狂っているノーマさんに、ケルビーさんと同時にわたしも泣き叫びながら飛び出す。慌ててルアさんとお義兄ちゃんも飛び出すが、ケルビーさんと三人鬼の手によって振り払わされた。
 反対に、身を屈めていたわたしは鬼が飛び出す本の下を通り、ただ真っ直ぐ走る。

 

 頭では何も考えてない。誰の声も聞こえない。迫る魔物も怖いけど怖くない。止まっちゃいけない。走らなきゃいけない。そこにチャンスがあるから。後悔したくないから。

 魔物さえ避けるわたしに全員が驚愕しているのが見えたが、積み重なった死骸を駆け上ったわたしは壇上に向かって勢いよくジャンプした。笑みなどない、ただ驚いたように目を見開くノーマさんが映る。

「ウソだろ……」

 

 小さな呟きに氷を持ち上げたわたしは、涙を零しながら大きく口を開いた。

 

「ノーマさんのっ……バッカアアアアァァァーーーーっっ!!!」

 

 ありったけの力と怒りを込め投げつけた氷がノーマさんの頭に当たる。
 鈍い音と共に体勢を崩す彼に、息を呑む気配がした。けれど、鋭い目を向けたまま手を伸ばしたノーマさんに腕を掴まれる。

「ふんきゃ!?」
「まずいっ!」
「モモっ!」

 

 引っ張られる腕と一緒に、鬼の手がわたしとノーマさんに向かって落ちてくる。
 スローモーションのようにゆっくりと落ちてくる大きな手を瞬きせず見つめてしまうのは、白い鳥がいるから。手よりも早くわたしの元へ向かう鳥は──フクロウ。

「なっ!」

 

 勢いよくノーマさんの手に体当たりしたフクロウさんによって離されたわたしは宙に浮く。怖いはずなのに、振り向いたフクロウさんの瞳が青なことに喜ぶ。でも、体長は五十センチ以上あり、首を傾げた。

 

「フクちゃんの親御さんですか?」

 

 頭上に迫る鬼の手に慌てるルアさんとお義兄ちゃんよりも訊ねた。


 

「いいえ、僕です──『銀氷結(ぎんひょうけつ)』」


 

 くすりと笑う声が聞こえると、解けた氷の上に倒れ込んだノーマさんの背中と手足が一瞬で凍りついた。蕾だった白薔薇も花を開かせる。

「なっ!?」
「あれは……っ!」

 

 驚くノーマさんとルアさんとは違い、わたしの目には燃えていたはずの西庭園が氷漬けになった銀色世界が映っていた。すると、ピタリと鬼の動きが止まり、優しい両手がわたしを抱き留める。
 軽やかに地面を蹴った足は壇上から跳び下り、白い大理石へと着地した。

 突然のことに瞼を閉じてしまったが、頬を撫でる柔らかい羽毛に目を開くと、大きなシロフクロウを肩に乗せたままわたしを横抱きする人がいた。

 腰下まである長い金色の髪をうなじ辺りで結い、身長はルアさんと同じぐらい、服は白のアオザイ。腰には柄頭から三本の赤い紐と鈴が付いた剣が掛けられ、見上げれば綺麗な青水晶の瞳と笑みがあった。

 


「ありがとうございます、モモさん」
「ふんきゃ……?」

 


 それはルアさんにとても似た王子様二号さん────。

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