52話*「モンスタータウン」
一週間振りに青のワンピースに袖を通し、胸元にピンクのリボン。そして上から白のエプロンドレスを被り、後ろで蝶々結びすればお仕事スタイル。
身体にピトリと合うのが嬉しくて、ジワリと目尻が熱くなる。
「わわわ! なんだ、どうした!? 着ぐるみが良かったか!!?」
「な、なんでそうなるんですか! 着ぐるみならセルジュくん……って」
牢に入ってきたセルジュくんに目を丸くした。
よく見ると彼が着ている服ははじめて会った時と同じトレンチコートの上に白のマントが両肩で留められ、虹色の竜と薔薇が描かれている。しかも左腰には金色の柄が光る剣。
「セルジュくん、騎士様だったんですか?」
「緊急時ならオレも持てるだけだ。あ、それとお前のリュックな。やたらと重いんだけど何入れてんだよ」
上流貴族さんならではの規則があるのだろうかと思いながら礼を言うと、リュックの中身を確認する。
園芸ばさみ、カッター、カナヅチ、ペンチ、モンキーレンチ、ドライバー、ロープ、軍手、釘数十本、飴玉数個、救急セット。特に変わってないようで良かったです。
「良かねーよ! どこの探検隊だよ!! んなもん持ち歩くな!!!」
「? 庭園の修繕には必要ですよ」
特に魔力がない+ギリギリ経営のわたしは経費削減しないといけないので、手作りできるところは手作り。それに護身用にもなりますと、園芸ばさみとカナヅチを手に笑顔を向けるが、なぜかセルジュくんは顔を青褪めた。すると、牢の外からメルスさんの声が掛かる。
「セルジュアート様。他はいないようなんで行きましょう。トゥランダも心配なんで」
「そういえば、トゥランダさんは?」
ノーマさんの後ろにナナさんがいるように、いつもセルジュくんと一緒にいる人が足りないことに疑問を持つ。けれど、顔を曇らせる二人に、袋に詰めた折鶴の山をリュックに入れる手が止まった。
静まり返る地下で寒さが伝うが、虹色の竜と薔薇の背を向けたセルジュくんが牢から出ると、手招きされる。
「トゥランダは外にいる。そろそろメルスに結界張らせんのもやべぇから急いで出るぞ」
その言葉にメルスさんを見ると彼の顔が青いことに気付く。
慌てて締めたリュックを背負うと足を進めるが、小さな羽を動かすフクちゃんが肩に乗った。
「ふんきゃ、一緒に行きましょう」
綺麗な青の双眸を向けるフクちゃんは小さく頷くと頬ずりする。
数日一緒にいてくれたフクちゃん。子供とはいえ、ずっとこんな地下に閉じ込めてては親鳥さんが心配しますからね。顎を数度撫でると、メルスさんを先頭に走りだす。
岩でできた地下牢は蝋燭の灯りが道を示すように点っている。
昨日までは見張りの交代、今日の昼には昼食を持ってきてくれた人の声や足音が響いていたのに、今はわたし達の音しか聞こえない。不安を抑えながら階段を上っていると出口が近いのか、冷たい風が吹き通ってきた。同時に臭ってきたものに顔を顰める。
「な、なんか変な臭いしませんか?」
「やっぱ臭うか? 数日前から臭ってたから芳香剤撒き散らしてたんだけど取れねーんだよ」
「突然城中に撒くんで驚いたっスよ。俺やトゥランダはそこまで感じないんスけど……」
鼻を摘むほどではない。けど、どこかで嗅いだことのある臭いに疑問符を浮かべながら階段を上り終えると外に出る。一週間振りの外は──静かだった。
「あれ……?」
地下牢のある場所は中央塔。つまり、上った先には受付があって、たくさんの人が行き交うホールがある。夜の八時でも残業している人や警備の人もいるから誰かはいる……はずなのに、誰もいない。
灯りだけが照らすホールは静寂に包まれ、受付カウンターにも人はいない。それどころか奥の食堂部からも声や料理の音が一切聞こえない。静かすぎる。
「今日って……休館日ですか?」
「んなわけないだろ! 年中無休だよ!!」
素早いツッコミありがとうございます。良かったです。
溜め息をついたセルジュくんとメルスさんは足早に受付の方へ向かう。慌てて後ろをついて行くと、カウンターに寄り掛かるように座り込んでいる人がいた。赤紫の髪に丸眼鏡と白のローブを着た……。
「トゥランダさん!?」
「モモカ……様……」
虚ろな茶色の瞳を向けるトゥランダさんはメルスさん以上に顔が青く、額から汗を流しながら荒い息を吐いている。メルスさんの手を借りて立ち上がろうとするが、意識を失うように床に倒れ込んでしまった。
「トゥランダさ……」
「モンモン、離れろ!!!」
駆け寄ろうとしたわたしの腕をセルジュくんが引っ張り、抱きしめられる。
すると、床から影のような黒いもの現れ、倒れたトゥランダさんを包みはじめた。慌ててメルスさんが彼に手を伸ばすが弾かれてしまい、大きく尻餅を着く音が響く。包み込まれたトゥランダさんはその場から跡形もなく消えた。
目の前で起こった出来事に、目を見開いたまま固まる。
わたしを抱きしめるセルジュくんも歯軋りし、メルスさんは尻餅を着いたまま拳を床に叩きつけた。唇を震わせながら呟く。
「いったい……何が……」
異常すぎる事態に身震いしてくると、瞼を閉じたセルジュくんは一息つき、抱きしめていた腕を離した。
「……夕飯食いに三人で食堂部に行ったら、突然その場にいた数百人が倒れ込んじまって、さっきの黒いのに包まれて消えちまったんだ」
「残ったのは俺らと、食堂部で赤薔薇部隊に所属してる数名だけ……だったんスけど、戦闘で魔法を使ったら同じように倒れ込んじまって消えたんス」
「戦闘……?」
「……きやがったな」
瞼を開けたセルジュくんの瞳は怖いほど鋭く、柄を握るとレイピアのような細い剣を抜いた。同じように起き上がったメルスさんもローブの下から八十センチほどの太い剣を抜き、片腕でわたしを抱き抱える。
「ふんきゃ!?」
「モンモン、ぜってーメルスから落ちんなよ!」
「できれば目を瞑っててくっさい! あんま一般人には見せたくないんで!!」
今までにないぐらい大きな声を上げた二人が背中合わせになると、さっきのように床から黒いものが現れる。徐々に形を取りはじめたそれはニメートル近いカマキリへと変わり、数十匹ほどに囲まれた。その色は真っ黒で、青い唾液を吐いている。
「まさか……魔物?」
「大当たり」
「緑部隊(ウチ)の結界担当が途切れたのか知らないっスけど、城内にまで現れちまって狙ってくるんス──っよ!」
わたしを抱えたまま右手に持つ剣を大きく振ったメルスさんはカマキリを斬り、青い液体が飛び散る。後ろにいるセルジュくんも鎌状の腕を避けると、レイピアで胸を突き刺し、他のカマキリにぶつけた。
宙に床に青い液体が散らばり、二人の白のマントとローブが返り血のように青色に変わる。
慌ててメルスさんの肩に顔を埋めるが、見てしまったものは何度も脳で繰り返され、聞こえてくる奇声に身体が震える。
遠くから見たことあっても、こんな目の前で行われる戦闘も魔物も見たことない。怖い。とても怖い。いったい何が……何がフルオライトで起きてるんですか!?
「うわっ!」
「セルジュアート様っ!?」
二つの声に顔を上げると、レイピアが宙を回転しながら数メートル先の床に刺さった。手袋が破けたセルジュくんの右手からは血が流れ、カマキリが三匹、鎌を振り上げたまま襲いかかる。
「セルジュくんっ!!!」
「『地浮槍』!!!」
わたしの大声と共に別の声が上がると、三匹のカマキリの身体に無数の穴が開き、胴体が真っ二つになった。崩れ落ちるカマキリの背後には青に染まった刀身三十センチほどに加え、柄は一六十はある薙刀を片手で握る人。紫の双眸を細め、燕尾服を着た──。
「ヘディさん!」
「モ、モモカ様!?」
「ヘディディン、サンキュ!」
互いに驚いていると、礼を言ったセルジュくんはレイピアを床から抜き、メルスさんに向かうカマキリを斬る。慌ててヘディさんも薙刀で斬りつけると、ものの数秒でカマキリ達は動かなくなった。
積み重なった死骸を見ないようメルスさんに下ろしてもらうと、薙刀を数センチに縮め、腰に掛けたヘディさんが近寄ってくる。久し振りに見る彼の右頬にはガーゼが貼られ、訊ねようとすると、突然土下座された。
「本当っに申し訳ありません!!!」
「ふんきゃ!?」
どこかで見たことのある土下座にワタワタするわたしと目を見開くセルジュくんとメルスさん。床を見つめたまま、ヘディさんは続ける。
「薔薇園火災に続いて、此度も目の前で残虐なところをお見せしてしまって……私は……」
「い、いえ……おかげで助かりました。ヘディさん、お強いですね」
「ヘディオードさんは俺と一緒で橙薔薇部隊の一隊長さんっスからね」
ふんきゃ、まさかのヘディさんも騎士様でしたか。
考えればキラさんと橙団長さんはお知り合いのようでしたし、そういう縁があったのかもしれませんね。一人納得していると薔薇園のことを思い出し、わたしも座る。
「あの……薔薇園のことでご迷惑かけてすみませんでした。ヘディさんも事情聴取されたと聞いて……」
「お気になさらないでください……モモカ様がそんなことをする方ではない事は数日働かせてもらえればわかります。しかし、一向に話を聞いていただけないばかりか、自宅謹慎になってしまいまして面目ありません」
「お前もかよ……」
呆れるセルジュくんの手から落ちる血に、慌ててリュックから取り出した消毒液と包帯をメルスさんに渡す。ヘディさんに向き直すと、彼の右頬を撫でた。
「ほっぺ、どうしたんですか?」
「え? ああ、帰国されたロギスタン補佐に殴られまして」
「ふんきゃ!?」
「当然の報いなんですけどね」
苦笑いしてますが全然笑えませんよ。
料理長さんばかりかヘディさんまで殴るなんて……薔薇園を壊したわたしに愛想尽かしたお義兄ちゃんがグレた……って!
「お、お義兄ちゃんは無事ですか!? ノーマさんや団長さん達は!!?」
静かすぎる城と消えたトゥランダさんに、自宅謹慎中で魔力が殆ど残っていない義兄を浮かべたわたしは顔を青褪める。包帯を巻き終えたセルジュくんとメルスさんもヘディさんと顔を見合わせると、わたしに向き直した。
「ラッシード団長も食堂部にいなかったでスし、西庭園も休園。ウチのアスバレエティ団長もコランデマ団長も連絡がつかないんス」
「エレベーターも動かねーし、伝達魔法使っただけでトゥランダが倒れちまったしな」
「そのことなんですが……」
顔を曇らせる二人に、立ち上がったヘディさんは上着を着直すと紫の双眸を細めた。
「何人かの部下を見て思いましたが、どうも上級魔法以外を使うと大幅に魔力を削られ、意識を失うレベルまで達すると黒いのが出るようなんです」
「マジかよ!?」
「確かにトゥランダが使ったのは中級でしたけど……」
「さっき私が使った『地浮槍』は上級ですが、いつもと魔力の減り方は変わりません。ヤキラス様の鳥も通常通りきましたので上級なら大丈夫だと思います。使いすぎるのも危険ですが」
「キラキラ無事なのか!?」
久し振りに聞く名前にセルジュくんと一緒に目を見開くと頷きが返される。ほっとするも、ヘディさんは申し訳なさそうに続けた。
「ただ、ヤキラス様は港町に戻られていて、帰国までに一、ニ時間かかるそうです。しかも魔物の大群がフルオライトに向かっているらしく、退治しながらだと倍は遅くなるかと」
「じゃあ、オレらは正門に向かって合流した方がいいか」
「いえ、城外が一番危険です」
口元に手を寄せていたセルジュくんの呟きにヘディさんが素早く否定する。眉を顰めた彼はホールにある窓を、雲のかかった月夜を見つめた。
「城下街も人っこ一人おらず、魔物が徘徊しているだけのモンスタータウンですよ」
「おいおい……」
「騎舎に戻ったところ残っているのは隊長クラスだけで、緑部隊も魔物を倒すのに手一杯といったところでした」
「マズいっスね……ウチは戦闘向きじゃないっスから」
「しかも緑部隊のではない強力な結界が張られていて国外に出ることもできません」
「じゃあ……わたし達は閉じ込められたってことですか……?」
震えるわたしにヘディさんは頷く。
安全であるはずの国から出れない上に、たくさんの魔物がすぐ近くにいるなんて……話の中のホラーではない、本当の恐怖に腕を擦る。
「ですが、ヤキラス様が部下で試したところ国外に出れないだけで、国内には入れるそうです」
「キラキラ到着までオレらが保つかだよな……」
視線をヘディさん、メルスさん、わたしに向けたセルジュくんは溜め息を零す。すみません、わたし一番お役に立てないです。なんで無事なんですかね。
そんなことを思っていると恐る恐るヘディさんが手を挙げた。
「誠に申し訳ないのですが……実は私、ヤキラス様と交代で港町に行かなければなりません」
「はあ!? お前あんな戦闘力持っておきながら離脱すんのかよ!!?」
「そ、そもそも私はメルスさんを呼びにきたんです。彼とヤキラス様の力を同時に放てば、一時的に結界が壊れて外に出れるかもと……何やら大事な客人が来航するらしくて……」
「客人より国の一大事だよ! 大体メルスはオレの護衛だぞ!! やんねーぞ!!!」
怒声を上げるセルジュくんにヘディさんはペコペコ頭を下げる。セルジュくんを押さえるメルスさんが慌てて口を挟んだ。
「お、俺もアスバレエティ団長に護れって強く言われてるんスよ。なんで、せめて他の団長見つけてからでいいっスか?」
「他って言っても誰がいんだよ! 橙以外が国にいるかもわかんねーし、そもそも大群の魔物相手できるのは……」
口を尖らせるセルジュくんに全員が天井を見上げると、視線がわたしに移る。
同じように自分の胸元を見ると、外に出していた一輪の薔薇が目に入った。それは世にない薔薇。けれど『奇跡』の言葉を持つ色。
「ルアさんが……います……」
琥珀の髪と青の双眸を揺らす────青薔薇騎士が。