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43話*「彼のドア」

 時刻は正午過ぎ。
 ルアさんとヘディさんのおかげで手入れも終わり、ルアさん作の薔薇ジャムを入れたジュースで乾杯。レモンの酸味と炭酸のシュワシュワが広がり、酸っぱい顔をすると二人に笑われてしまった。そんな二人に頭を下げる。

「せっかくのお休みに手伝ってもらってすみません」
「別に……日課と言うか」
「私も楽しいですよ。訓練にもなりますし」
「ふんきゃ?」

 

 苦笑いしながらジュースを飲むヘディさんに首を傾げる。
 確かに手入れは体力勝負なところがありますから良い運動になりそうですね。わたしもダイエットになるし筋肉モリモリになるかも!

 

「モモカ……最後のは笑えない」
「え、女性マッチョさんダメですか?」
「ダメではありませんが、モモカ様のマッチョは……ロギスタン補佐が寝込み……そうですね」

 

 目を逸らす二人に疑問符を浮かべながら、お義兄ちゃんの名前に青い空を見上げる。今日で五日、お義兄ちゃん元気でしょうか。ご飯の好き嫌い激しいからキラさんに迷惑かけてないといいのですが……同じ空、見てると良いな。
 急に寂しくなってくると、グラスを置いたヘディさんが慌てた様子で口を開いた。

 

「だ、大丈夫ですよ! ヤキラス様から元気すぎて困っていると手紙がきてますから!!」
「本当ですか!?」
「それ……暴れてるだけじゃ……」

 

 ジュースを飲むルアさんの声は聞こえず、わたしは笑顔。
 同時にお手紙と聞いて文通を考えるが、この世界の文字が書けないことに沈んだ。
やっぱりセルジュくんとお勉強しようかな……。

 


* * *


 片付けを終えると鈍い音を響かせる扉に錠を掛ける。
 燕尾服を着たヘディさんは胸に手を当てると頭を下げた。

「それではモモカ様、フローライト団長、お先に失礼します。明日もよろしくお願いいたします」
「うん……お疲れ」
「ふんきゃ、本当にありがとうございました。あ、そうだ。帰りにキラさんのお宅に寄ったりできますか?」
「はい、できますよ。何か?」

 

 紫の瞳を数度瞬きさせるヘディさんにわたしはリュックと一緒に置いていた植木鉢を差し出す。それにはオレンジ色の小さな薔薇の蕾が一輪。

 

「キラさんから貰った種から生まれた子です」
「あれ? でもキラ……薔薇園の仲間にしてくれとか」
「ふんきゃ、その一部です。残りの子は植えたんですが、やっぱり親元(キラ)さんにも渡したくて」

 何気ない言葉で励まし気遣ってくれる彼は親戚のお兄さんみたいで、本当に橙薔薇の花言葉のように無邪気で爽やかで信頼できる人。そんな彼が帰ってきた時、大好きなオレンジで元気になってもらえればとプレゼントです。
 ついでにビックリしてくれると良いなというサプライズ心もあって、反応が楽しみなわたしは笑顔になる。意図を察してか、見合った二人は苦笑した。

「まあ……目を丸くするのは浮かぶかな……犯人バレバレだけど」
「本当に。では、責任をもってお預かりします」
「お願いします!」

 白の手袋をしたヘディさんに鉢を手渡すと、キラさんの屋敷がある南へと去って行った。その背を見送ると、わたしとルアさんも中央塔へ向かう。

 

 天気が良いせいか中庭では遅めの昼食を取る人もいて、ご飯がまだなわたし達もお昼は何を食べるか相談しながら進む。その足が一歩ずつ食堂に近付くと動悸が激しく鳴り、顔が強張っているのが自分でもわかった。

「そんなに……緊張する話?」
「え、えっと。自分の知らないことを知ってる人に会うので……」
「ああ……ジュリの祖母さんと一緒で年の功……でも……ジュリの方はまだしも、料理長は……」

 

 眉を上げるルアさんにわたしも頷く。
 確かに招いてくれたジュリさんのお祖母さんと違って料理長さんとのお話は難しいかもしれない。会っただけで裸足で逃げ出されそうですし、感情の高ぶりも激しい方に見えた。

「ケルビー以上に熱血だからな……料理長になる前はそんななかったみたいだけど……年月が性格を変えたのかも」
「なるほどー……ルアさんも昔はヤンチャだったりしたんですか?」

 しみじみとした会話に訊ねると、ルアさんは片眉を上げ考え込む。その表情にNGな会話かと一瞬思ったが、変わらない表情でわたしを見た。

 

「俺は……のんびり静かなとこで寝転がってるのが多かった」
「あ、今と変わらないですね。ご両親やお友達と一緒に北庭園に行ったりとかは?」
「いや……母親は俺を産んですぐに死んだし……父親も忙し……モモカ?」

 突然立ち止まったわたしにルアさんも足を止めると首を傾げる。
 NGじゃないと喜んで、ご両親の話も出たのになんてことでしょう。顔を青褪めたわたしは慌てて彼のシャツを握った。

「ごごごめんなさい! 亡くなってるの知らないで聞いちゃって!!」
「へ……ああ、別に。俺も顔すら覚えてないし……唯一モモカにあげたネックレスが形見かな」
「おおおお返しします!!!」

 

 余計に申し訳なくなり、慌てて身に付けていた青薔薇のネックレスを取ろうとすると制止を掛けられる。焦るわたしとは違い、ルアさんの表情は変わらない。

 

「あげた時も言ったけど……俺にとってはあまり良い思い出じゃないから」
「思い出って……お母さんのこと覚えてないんですよね?」
「うん……でも、目の前で死んだことはよく覚えてる」
「目の前……?」

 

 なんだか噛み合ってない気がして不安気に首を傾げると、ルアさんは瞼を閉じる。と、何かを決意したように目を開き、わたしの手を握った。そのまま暖かい太陽が草や花を照らす中庭へと足を運ぶ。
 楽しいお喋りをしていた人々が遠ざかり、小鳥だけが鳴く場所で立ち止まった彼はわたしを見下ろした。

「前……漆黒の髪と瞳をした男を捜してるって……言っただろ?」

 

 ドキリと心臓が嫌な音を鳴らす。
 昨日そのことを考えていたわたしには痛い言葉で汗が流れた。けれど、必死にルアさんを見つめたまま頷くと、僅かに瞳を揺らしながら彼は口を開いた。

 


「その男に──殺されたんだ」

 


 静かで重い声に目を見開くと、大きな風と共に小鳥達が一斉に飛び立つ。
 動悸が激しさを増しながら、彼の言葉を脳で繰り返していると、震える口が無意識に聞き返した。

「殺……された……?」
「うん……俺が生まれてすぐ大雨の夜……目の前で真っ黒な男が母親を斬ったのをよく覚えてる。あと……部屋に薔薇が散乱してたこと。顔は覚えてないくせに……そういうのだけは覚えてるって……酷いよな」

 

 顔を伏せたルアさんは苦笑いしている。
 それは本人もなんて言えばいいのかわからないといった様子で、わたしは服の下に隠れているネックレスを握りしめた。

「犯人や理由とか……わかってるんですか?」
「いや……それを問いたいのもあって捜してるんだ……単純だろ?」

 

 胸元で握りしめるわたしの手を、彼は変わらない表情で見つめる。
 太陽でその瞳と髪は綺麗に輝いて見えるのに、なぜか悲しく見えて、わたしの目尻からは涙が零れてきた。手の甲で拭っても増える一方で、喉が痛くなりながらも何かを言おうと口を開く──前に抱きしめられた。

 頬に当たる白のシャツを涙が濡らすが、彼は気にすることなくわたしの後ろ頭と腰に腕を回し、肩に顔を埋める。同時に耳元で聞こえる声。

「何も……言わなくていいよ。きっとモモカは泣くと思ってたんだ……良い子だから……」
「ル……アさ……」
「うん……ごめん、嫌な話して……でも……なんでかな、モモカには話してもいいって思ったんだ……泣くってわかってても……」

 

 心地良い声と背中を撫でる優しい手に、わたしの涙はまた溢れる。
 それは悲しい半分、嬉しい半分。不謹慎かもしれないけど閉ざされていた彼のドアが少し開いたように思えた。同時に気付いたことがあるわたしは涙で顔がぐしゃぐしゃになっていても、肩に寄りかかって見つめる彼に目を合わせた。

「薔薇と黒が……嫌いな理由は……それですか?」

 問いに彼は目を見開くが、すぐ瞼を閉じると肩に顔を埋めた。
 今でも覚えているという黒い男性と薔薇。それはどちらも彼が『嫌い』と言っていたもので、涙を零したまますぐ隣にある彼の頬に頬を当てると、目と目が合う。その瞳は揺れていた。

「うん……嫌いだ……血に混じった薔薇も……目の前に佇んでいた黒も……同じ色を持つ魔物も……見たら我を忘れる」

 

 一本の糸が繋がる。
 極度に嫌う魔物はすべてが黒で、それは母親を殺めた人と同じ色と惨劇を思い出す色。感情が高ぶるのは当然かもしれない……たとえその中にわたしが入っていても。
 先ほどとは違う哀しさに胸が痛くなり瞼を閉じる。と、突然ザラリとしたものが目尻に伝った。

「ふんきゃっ!?」

 

 飛び退くように身体を動かすが、ガッチリと抱きしめられているため逃れる事はできなかった。さっきのザラリとしたものには覚えがある。お義兄ちゃんにクリームを舐め取ってもらった時と同じだ。

「モモカ……大丈夫? 茹でダコになってるよ」
「ふんきゃきゃきゃきゃ!」
「あ……壊れた」

 

 顔を真っ赤にさせるわたしをルアさんは楽しそうに見ながら反対の目尻に舌を這わせ、涙を舐め取った。また声にならない悲鳴を上げるが、強く抱きしめられ耳元でも囁かれる。

 

「嫌い……だけど、モモカのおかげで苦手まで落ちたんだ」
「え……」
「いや……薔薇は……好きになったよ」

 

 顔を上げた彼の表情はとても柔らかい。
 綺麗な笑みにまた頬と胸の奥が熱くなるが『好き』だと言ってもらえて嬉しいわたしも同じ笑みに変わる。ルアさんは頬を赤くさせたが、ネックレスのあるわたしの胸元に手を当てた。

「だから……持ってて。嫌な物かもしれないけど……薔薇が大好きなモモカと一緒なら……俺ももっと好きになるから」

 

 淡々と、でも優しい気持ちがこもった声にわたしは微笑んだ。

「……はいっ」

 

 少しずつ変わりはじめる何か。
 それは彼の何かとわたしの何か。胸の奥から湧き起こる気持ちの芽が成長していくのがわかる。その気持ちがなんなのか考えていると遠くから声が聞こえた。

「モモっちーー!」

 

 呼ばれた声にルアさんの腕が離されると、コック服を着たプラディくんが帽子を振りながら駆け寄ってきた。わたしも急いで彼の元へ向かうと、荒い息を吐くプラディくんは汗を拭う。

 

「捜し難いとこいんなよ……薔薇園まで行っちまっただろ……二人目立つから良かったけど」
「あ、ごめんなさい!」

 

 どうやら捜していたようで慌てて頭を下げる。
 プラディくんは汗を流しながら苦笑いすると後ろにいるルアさんに慌てて会釈した。けれどルアさんは既に無心。なんだか面白い。

 

「今から食堂部に行こうと思ってたんですけど何かありました?」
「あ~……それなんだけど……」

 

 帽子を持つ手とは反対の手で頭を掻く彼は言葉を濁す。ルアさんも眉を顰めると歯切れが悪そうにプラディくんは言った。

 

「悪い……料理長が逃げた」
「ふんきゃ!?」

 

 まさかの悪い予感的中にルアさんと顔を見合わせる。プラディくんは勢いよく両手を合わせた。

 

「ホント悪い! ケルビバム様に言うなって言われてたんだけど、せがまれて他のヤツが喋ったんだよ!! そしたらすっげー顔色悪くして『異世界人も二年前も何も知らん!』とか言って帰っちまったんだ」
「二年前?」

 最近よく聞く年数に首を傾げるが、やはり異世界人(わたし)はダメかと肩を落とす。ルアさんも溜め息をついた。

「完全……なんか知ってる台詞だな」
「はい……仕方ないですが料理長さんはお義兄ちゃんにお願いして、ジュリさんのとこに行きましょう。プラディくん、わざわざすみません」
「いや、マジでこっちのせいだから。何か動きあったら連絡するよ」

 

 何度も頭を下げるプラディくんにお礼を言うと、彼は申し訳なさそうに中央塔へと戻って行った。それにしてもプラディくん、第二食堂なのにケルビーさんが頼むって仲良くなったんですかね。
 そんなことを考えているとルアさんがわたしを見ているのに気付く。言い難そうに彼は口を開いた。

 

「ジュリんとこ行くの……少し時間置いてからで……いい?」
「どうしました?」
「いや……自分でやっといてなんだけど……その腫れた目で行ったら……その……グレイに……」

 右往左往している目に自分の目尻を触る。ピリッとした痛みが走った。泣きすぎて腫れているのがわかると、彼が恐れている理由に検討がつき沈黙。
 ふんきゃ、わたしもぐしゃぐしゃで恥ずかしい顔では行けないので、ご飯を食べてから行きましょう。

 

 そしてルアさんもどうかこの酷い顔は忘れてください────。

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