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40話*「見れない」

 それは突然のことでした。

「モモの木~開けてくれ~」

 

 夜の八時に響く知った声に玄関を開けると、キラさんが立っていた。その肩に担がれているのは顔を真っ青にさせたお義兄ちゃん。

 

「ふんきゃーーーーっむぐ!?」

 

 同じく真っ青になったわたしの悲鳴はキラさんの手に止められた。
 ありがとうございます……。

 


* * *


「アーポアクに出張?」
「それの打ち合わせをしていたんだが、見る見る内に元気がなくなってね。これはマズいと連れてきたのさ」

 ショールを膝に掛けて座るキラさんは、カップに口を付ける。
 向かいに座るわたしの前にも紅茶とお土産のマドレーヌが置かれてますが、膝にはローブと眼鏡を外したお義兄ちゃんが顔を埋め、両腕を腰に回していた。以前言われた膝枕に似てなくはないですが恥ずかしいです。そこでふと訊ねた。

「打ち合わせって、キラさんも行くんですか?」
「そうだよ。他国へ行く際は私が管理する国専用船で行くことになっているからね。必然的に私も同乗せねばならないんだ」

 眩しいキラキラ笑顔と背景に、両手で瞼を覆ってしまった。
 国専用船ってすごい、それを管理するキラさんすっごい、な言葉は呑み込み、ゆっくりと両手を外す。

「え、えっと……じゃあ何日ぐらいで帰ってくるんですか? 他国ですから一週間ぐらい?」
「二週間半かな」
「に、二週間!?」

 

 今度は口元を両手で覆うと、わたしを抱きしめる腕も強くなった。
 一週間なら前にもありましたが、二週間ははじめて。困惑しているとキラさんはポットに手を伸ばし、新しい紅茶を注ぐ。

「片道一週間かかるかどうかだからね。急いだとしても五日ちょっと、向こうで数日過ごすとなるとやはり時間はかかるさ」

 白い湯気が立つ紅茶をふーふーもせず口を付けるキラさんに感心しながら、片道一週間のアーポアク国を遠く感じる。飛行機もない世界で船ならそのぐらいかかって当然かもしれない。でも、二週間。二週間もお義兄ちゃんがいない。
 込み上げてくる寂しさに、頭だけのお義兄ちゃんを見ていると、カップを置いたキラさんが楽しそうに笑う。

「兄妹揃って寂しがり屋だね」
「ふんきゃ?」
「灰くん自身、本当はモモの木を連れて行きたかったらしいんだが、さすがに薔薇を置いてはいけないだろ?」

 薔薇園を浮かべると頷く。
 新しい花の手入れもありますが、開放している今、休園日以外で庭師(わたし)が空けるわけにはいかない。何より一緒に行きたくてもお義兄ちゃんも出張。お仕事のはず。お仕事。
 そう自分に言い聞かせると、キラさんに笑みを向けた。

 

「パタパタ駆け回ってたら二週間なんてあっと言う間ですよね!」
「あっははは、船上の我々は暇以外なさそうだがな。まあ、そこは船旅歴が長い私が色々と灰くんに伝授してやろう」
「はい、お義兄ちゃんをよろしくお願いします」
「任せておきたまえ。じゃ、今夜はゆっくり二人で過ごすといい」
「ふんきゃ?」

 

 首を傾げると、カップとポットをお盆に乗せ、キッチンへ向かうキラさん。すると『水晶』に手を付け、慣れた手付きで洗い物をはじめた。上流貴族さんなのに。
 呆然と見ていると、彼は変わらない声で話す。

 

「出発は明日の夕刻だよ」
「明日!?」
「船の準備も食料の積み込みもあるというのに、灰くんが面倒ごとは早く終わらせるとかで急かすから大慌てさ。だから今夜中にお別れはしておきたまえ」
「ふんきゃーーーーっっ!!?」

 まさかの強行軍に先ほどと比べ物にならない悲鳴が上がる。
 ご近所迷惑を考える暇もなく、慌ててお義兄ちゃんの背中を叩いた。

 

「おおおお義兄ちゃん、自分で言っておいて寝てる場合じゃないですよ! 早く準備しないと乗り遅れちゃいます!! 旅行鞄ってありましたっけ!!?」
「あっははは、荷物ならこちらで用意しておくよ。じゃないと灰くん、鞄にモモの木を入れてきそうだからね」
「そそそそんなホラーなことしませんよ!」

「いやいや、わからないぞ。ノンノンくんだって『バナナはおやつに入るがモモカは入らない』と注意していたぐらいだからね。だから二週間分、モモの木パワーをあげといてくれ」

 全然笑えない話に思えるのはわたしだけでしょうか?
 第一わたし鞄の中に入りませんよ。そんなに身体も柔らかくないですし、今朝も昨日のケーキ食べて……太りましたから。
 自分のお腹を見るわたしにキラさんは笑いながら手を拭き、ソファに置いていたショールを羽織るとドアへ向かう。

「それじゃ、私はこれで失礼するよ」
「キラ男……」

 

 わたしが言う前に、黙り込んでいたお義兄ちゃんが呼び止める。
 ドアノブを握ったキラさんが立ち止まると、お義兄ちゃんは顔を伏せたまま続けた。

「一人で帰れるな……?」

 

 不思議な問いにキラさんを見ると、開かれたドアから冷たい風が入り込む。僅かに揺れる金茶の髪を手で流しながら振り向いた彼は苦笑していた。

「今夜は見えないし大丈夫さ。またね、モモの木、灰くん」
「あ、すみません。送ってもらった上に洗い物まで。見送りも……」
「灰くんがその状態では無理だからね。ああ、それとヘディングくんに薔薇園の手伝いを命じているから、ルーくん共々こき使ってやってくれ」
「ええった!?」

 横に振ろうとした両手はお義兄ちゃんの手に叩(はた)き落とされ、手を振るキラさんがリビングから出て行く。しばらくして玄関のドアと自動ロックが掛かる音がすると室内は静かになった。
 一人いなくなっただけで静まり返る家が明日から続くのを考えていると、手を握る横顔のお義兄ちゃんと目が合う。

「ルアは……どうした?」

 

 膝に後頭部を埋め、わたしを見上げる。
 いつもは眼鏡の層で見えない本物の灰青に頬が熱くなるほど魅入ってしまうが、その頬を撫でる手袋の感触で我に返った。

「ま、魔物の気配があるって、わたしを送ったあとに飛んで行きましたよ」
「そうか……なら今日はこないな。モモ、私がいないからといってヤツを泊めたりするなよ」
「は、はい!」

 

 数度頷くわたしに小さな溜め息をついたお義兄ちゃんは撫でていた手を退け、顔をまた横にする。出張が二週間といってもなんだか元気がないように見え、さっきされたようにお義兄ちゃんの頬を撫でた。その頬はルアさんのように柔らかくてスベスベ。何度も指で突いてしまう。

「モモ……」
「あうっ、ごめんなさい!」
「元の世界に還りたいか?」
「…………はい?」

 咄嗟に離した手がピタリと止まる。
 何を聞かれたのか一瞬わからなかったが、すぐ脳内で繰り返される言葉に灰青の双眸を向ける人を見つめた。

「お義兄……ちゃん?」
「いや……アーポアクと聞いて、同じ漆黒の男に会ったことをモモが喜んで話していたのを思い出してな」

 瞼を閉じるお義兄ちゃんに、イズさんを思い出す。
 瞳は違うけど同じ漆黒の髪だったアーポアクの変人で変態さん。確かにはじめて同じ漆黒の方を見たので喜びましたが、それと還るが繋がらない。でも、お義兄ちゃんに聞かれると言うことは……。

「おおおお邪魔なら出て行きます!!!」
「なぜそうなる」
「だだだってわたしがいたらお義兄ちゃん好きな人がいても一緒に過ごせなっだ!」

 

 伸ばされた大きな両手で頭を叩かれた。お、お義兄ちゃん……今日荒い。
 痛む頭を押さえていると、上体を起こしたお義兄ちゃんは眼鏡を掛け、ソファに背を預ける。そのまま手を伸ばし、わたしを引き寄せた。

 今度はわたしがお義兄ちゃんの膝に頭を乗せるという状態になり、頬が急激に熱くなる。けれど、手袋を外した本物の手に撫でられ、恥ずかしさより嬉しさが勝ってしまった。

 

「私はモモを手放す気はない。だが、それは私の話で、もし元の世界にお前が還りたいと望むなら……」

 途切れた言葉と止まった手。
 見下ろすお義兄ちゃんの顔は今まで見たことないほど切なく映り、胸の奥が酷く痛む。でも、頬が緩む。怪訝そうなお義兄ちゃんに笑みを向けた。

 

「なんだか『還るな』って言われてるみたいで嬉しいです」
「そう言ってるだろ」
「だって昔は『還れ還れ』の連呼でしたし、その後も『還る方法を見つけてやる』で『還るな』って言われたのははじめてですよ」
「…………昔の自分を殴りたい」

 溜め息をつくお義兄ちゃんに笑いながら瞼を閉じる。
 四年経った今『還りたいか』と聞かれると正直困ります。もちろん還りたい気持ちはありますが、この世界で出会った人達や薔薇園のことを考えると簡単に割り切れるものじゃない……何より。

 

「わたしが還ったら、お義兄ちゃん一人ぼっちですよ」
「私の話なのか?」
「ふんぎゅ~っ!」

 

 鼻を摘まれ変な声が出る。
 もし還れたらわたしは本物の家族に会えるかもしれない。でも、ヨーギお義父さんもスーチお義母さんも亡くなり、わたしまでいなくなったらお義兄ちゃんは一人。わたしにとっても“お義兄ちゃん”は世界中探してもグレイお義兄ちゃん一人。
 そんなお義兄ちゃんに『還るな』と言われて還ったら、わたしはきっと後悔する。

「だから還る方法があっても、お義兄ちゃんが『還っていい』と言うまでわたしは一緒にいます。いさせてください」
「……一生還ることが出来ないかもしれないぞ」
「還る方法がなかったら間違いじゃないですよ。それにしてもお義兄ちゃんから『一生』って聞くとプロポーズみきゃきゃ」

 

 首元をくすぐられ身じろぐと、お義兄ちゃんの口元に笑みがあるのに気付く。その表情は晴れ晴れとし、手袋を嵌める。

「プロポーズだったらモモはどうするんだ?」
「ふんきゃ!?」
「ああ、そういう反応か」
「ふんきゃ!?」

 二度驚くとお義兄ちゃんは楽しそうに笑い、冗談だったことにわたしの顔は真っ赤になる。上体を起こし胸板を叩くが、平然とローブを手に取ったお義兄ちゃんは一枚の封筒を取り出した。

 

「忘れていたが監査の結果だ」
「忘れないで!!!」
「特に問題はなかったそうだ」
「答えも言わないで!!!」

 

 ドキドキ期間など素っ飛ばしての回答に、封筒を受け取ることなくお義兄ちゃんの胸板に顔を埋めた。今日のお義兄ちゃんは変です、意地悪ですと内心呟きながら胸板を叩いていると、ゆっくりと抱きしめられる。トクントクンと動く心臓の音を聞きながら落ちてくる声。

 

「まだ本当に還れるかなんてわからないからな……この目で見るまでは……」
「そ、そうですよ! わからないことより今の状況を考えるのが先です!! な、なんでこうなってるのとか!!!」
「なんだ、モモは私が二週間いなくても平気なのか?」
「さ、寂しいです!」

 

 眉を落とされたせいか慌てて抱き返す。
 耳元で小さく笑う声が聞こえると恥ずかしくなるが、怒る気はしない。反対に、最近はこの暖かさと声に包まれることが多かったせいか、明日からなくなることを考えると寂しくなる。髪を撫でてくれる手も、頬と耳に当てられる口付けも、眼鏡の冷たさも、目の前の笑みもしばらく見られない。

「なるべく早く帰ってくるから無理せず過ごすんだぞ」
「はいっ! お義兄ちゃんも気を付けて。あ、イズさんに会ったらよろしくお伝えください」
「ああ、吊るし上げておこう」
「ふんきゃーーーーっっ!!?」

 

 黒い笑顔に悲鳴を上げるが胸板で止められた。
 そんなもごもごをしながら二週間の間の決まりごとなどを聞いてると、あっと言う間に寝る時間になり、ベッドに入る。隣にはお義兄ちゃん。もう、一緒に寝るのってお決まりだったんですかね。

 顔が赤くなっても、握る手が安らぎを与えるように、瞼はすぐに落ちた……──。

 


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 夜の帳が下りた頃、静かな一室で眠る女がいた。
 その寝顔を見つめる者は女の唇に指先をあてると、静かな声で呟く。

 


「もう少し待っててくれ……“ミ・アモール”……」

 


 指先を離すと顔を近付け、自身の唇を唇に重ねた。
 深く遠い記憶を思い浮かべながら────。

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