39話*「信じるのか」
無事に初日を終えた夜。
お風呂から上がり、パジャマを着たわたしの前に置かれた物。
直径十五センチのホールケーキを覆うクリームチーズと生クリームは雪のように真っ白で、敷き詰められた真っ赤な木苺は薔薇の形。
もはや職人技に目を爛々に輝かせていると横からフォークが伸びてくるが、黒い手刀に落とされた。
「貴様は何をしている……?」
「へ……美味しそうだなって」
「ですよね! お皿持ってきますから、ルアさんも食べましょう!!」
笑顔でキッチンへと急ぐわたしに、椅子に座るルアさんは嬉しそうに頷く。が、背後に立つお義兄ちゃんの手刀が頭に落ちた。
「っだ!」
「モモのために買ってきた物で貴様の物ではない。そして帰れ」
「あの部屋……ヤだ」
「お義兄ちゃん。嬉しいですけど、さすがにわたし一人では無理ですよ」
戸棚からお皿とフォークを出すわたしとケーキを交互に見るお義兄ちゃん。
せっかくのケーキですが、一ホールを一人はキツいです……太ります。
* * *
カットしたケーキをお皿に乗せると、わたしを真ん中に三人ソファに座ってもぐもぐ。甘酸っぱい木苺と、しっとりとしたチーズの美味しさに右隣のお義兄ちゃんの腕に頬をすりすりさせた。
「えっと……それ『ありがとう』って意味?」
「食べながら話すのはマナー違反だからな。貴様のように」
フォークを咥えたまま呆れている様子のルアさんを他所に、お義兄ちゃんはわたしの頭を撫でてくれる。
「それで、チビ塔の話だったか」
「あ、はい。ナナさんが言うには二十年ぐらい前に火事があったらしいんです。あと養親以外の方が使っていたとか」
色々あって聞くのを忘れていたチビ塔の話。
ジュリさんのおかげで思い出し訊ねると、お皿をテーブルに置いたお義兄ちゃんはペットボトルを手に取った。
「火事はわからないが、誰かに貸していたのは聞いたことがある。私は会ったことないが」
「ふんきゃ?」
「つまり……最悪、その人が火事を起こした人だったら……生きてないかもって話」
左隣で口をもごもごさせるルアさんの言葉に顔を青褪めるが、お義兄ちゃんも何も言わずペットボトルの水を飲む。てっきり別々の話だと思ってましたが、言われてみれば繋がってしまう。
何かの研究をしていたのは聞いたことがあるので、研究中に失敗して爆発もありえる。それに巻き込まれて亡くなっている可能性も。
そんな嫌な想像をしていると口元に甘さが伝い我に返る。見ると、一口サイズに切ったケーキをわたしの口元に寄せるルアさん。
「ま……仮定の話だけどね。ジュリの祖母が知ってるなら……そっちに聞いた方が早いよ」
「そ、そうですね」
「うん……はい、あーん」
突かれ慌てて口を開くと、柔らかいスポンジに、ほどよく染込んだクリームとチーズをパクリ。
わたしも何度かハーブを貰ったことのある西庭園のお婆さん。まさかその方がジュリさんのお祖母さんだったなんて驚きましたが、錆チビ塔のことをご存知のようで来週会う約束をしました。それもこれも、わたしが知りたがっていたのを覚えててくれたジュリさんのおかげです。
「ジュリ……結構モモカに甘いよな……あーん」
「ケーキも甘くて美味しいです。はむっ」
「女って……ま、いいか。話を戻すけど……火事のこと、ナナは誰に聞いたんだ?」
「え、さあ? ノーマさんですかね?」
「ふ~ん……はい、あーん」
突かれる度に口を開けてパクリ。もぐもぐしながら情報源のナナさんに詳しく聞くのを忘れていたのを思い出す。可能性としては主であるノーマさんですが……。
「二十数年前ならノーリマッツ様は二十歳そこそこ。補佐をしだした頃だな」
「ノーマさん長いんきゃっ!」
二人の上司はすごいと振り向くと、ザラリとしたものに跳ねる。一瞬のそれはお義兄ちゃんの舌。口角に付いたクリームを取ってくれたのとは思うがなぜに舌!?
「せめて手で取れよ……手袋外してさ」
「外すより舌が早い」
「ふふふふ普通に言ってください! ビックリしました!!」
茹でダコ状態になったわたしに気にする風もなく、お義兄ちゃんは舐め取った舌で自身の下唇を舐める。顔が熱くなるのが止まらず背を向けると、もぐもぐ食べるルアさんの腕に顔を埋めた。
「モモカ……悪いことは言わないから兄貴(あいつ)と別居しな」
「ふんきゃ!?」
「だって危ないよ……色々な意味で」
「義兄を殺そうとする義妹を持つ貴様に言われたくはないな」
ルアさんを睨むお義兄ちゃんにわたしも顔を上げる。
視線にルアさんは嫌な顔をするが、空になったお皿をテーブルに置くとソファに背を預け、わたしの頭に顎を乗せた。
「やっぱあれ……殺す気でいるのかな」
「貴様を討つために騎士団に入ったと言っても誰も疑いはせんだろ」
「で、でも今日は撃ちませんでしたよ!」
リビングが静まり返る。あ、あれ? 撃ってないですよね?
二人のなんとも言えない沈黙に戸惑っていると、お義兄ちゃんの手が下ろした髪を撫でながらひとつの三つ編みにしていく。ルアさんも離れると、跳ねた前髪を直してくれた。
「ま……程々に頑張ってみるよ。さすがに昨日の今日で話すの無理だったけど」
「やっぱり突然席を設けてもダメでしたか」
「うん……無理っスね、センパイ」
「ふんきゃ、次を頑張りましょう!」
「二人して青春でも謳歌したいのか」
手を挙げるわたしにルアさんも控えめに挙げると、お義兄ちゃんのツッコミ。青春した記憶なんてないので、今後が楽しみです。
その青春とは、二人の男性に囲まれて朝を迎えたこと……では、ないですよね。
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時刻は明け方の五時。
まだ星空が見える時間でもフルオライト城に足を運ぶ者は多い。庭師をするモモカもその一人で、護衛のキルヴィスアと共にグレッジエルも出仕していた。
受付を通り過ぎたグレッジエルはエレベーターで四十八階へ向かう。
慣れた足取りで自身が所属する『情報総務課』の扉を開くと、まだ早い時間とはいえ、忙(せわ)しない同僚達が駆け回っていた。挨拶を交わしながら向かった宰相室の前には、黄薔薇騎士ナッチェリーナと部下数名が警備にあたっている。
「変わりないか、小娘」
「ない。昨夜も寝ておらぬから仮眠のため、あとで連れて行くぞ」
「わかった」
いつもの会話と会釈する者達に構わず扉を叩いたグレッジエルは返事を待たず入室した。
薄っすらと日が昇る窓の下には、書類の束が積み重なっているのが数個の灯りでわかる。静寂が包む室内ではペンを走らせる音しかないが、グレッジエルは気にする事なく自身の机に足を向けた。
そこでペンを止め、判子を押す音。
無意識に振り向いたグレッジエルの目に、白の封筒を差し出す宰相ノーリマッツが映る。
「おはようさん。ほら、監査結果だ」
「おはようございます。早かったですね」
「貴族連中の件もあるが開放前に一度見ているからな。特に問題なし」
「良かった」
眼鏡を上げながら封筒を受け取る彼にとっても関係があるせいか、安堵したようにも見える。苦笑いするノーリマッツは冷えたコーヒーに手を伸ばした。
「これで貴族連中も少しは大人しくなる。と、言いたいが、漆黒の髪と瞳を見られたからわからんな」
「やはり問題でしょうか?」
いつもの表情に戻したグレッジエルは溜め息をつく男を見る。コーヒーを置いたノーリマッツは椅子を回転させると窓の外を見た。
「お前も知っての通りモモカを除いて漆黒はこの国にはいない。いるとすればアーポアクの王族か魔物……キルヴィスアではないが本能的に嫌う色だ。その不気味さから捕えた方がいいと言う話もある」
「ルア共々吊るし上げますよ」
義妹への冒涜を一切許しはしない男の姿が窓に映るが、ノーリマッツは続けた。
「四年の月日は異世界人(モモカ)がどういう人間か見極めることが出来たが、逆に魔力を持っていないことに気付きはじめた連中もいる。まあ、異世界人について知りたいのなら研究課に連れて行くのが……ひとつの手を話しているだけだ」
背後から抑える気もない殺気が漂い、ノーリマッツは一息つく。
殺気(それ)だけで彼が義妹……異世界人がなんなのかを知る気がないのが伝わり、話をやめろとも命令されているようだ。それでもノーリマッツの口は動く。
「グレッジエル、先の式典でアーポアクの人間がきていたのは知っているな?」
「……はい。私は会っていませんがモモから聞きました。変態だったと」
いっそう濃くなった殺気にさすがのノーリマッツも冷や汗を流す。
すると、窓の外から自身の護衛をするナッチェリーナの分身セキセイインコが窓を突いているのが見えた。立ち上がったノーリマッツは『あ・ぶ・な・い・に・げ・ろ』のジェスチャーをするが余計に窓を突く音が響く。
うるさい音にグレッジエルが動くが、慌ててノーリマッツは振り向いた。必死に笑みを作って。
「いや、まあ人柄はともかく、数少ないアーポアクの王族だったおかげで情報は貰ったぞ!」
「情報……?」
「以前ヤキラスの報告にあったように、アーポアクにモモカと同じ異世界人がいるのは本当らしい。そして、その異世界人が他の異世界人を還す仕事をしていると」
一瞬でグレッジエルから殺気が消え、伝わってくるのは戸惑い。
先ほどとは反対に彼は冷や汗を流し、眼鏡の奥にある灰青の双眸を大きく見開いていた。その瞳をしばし見つめていたノーリマッツは机の引き出しを開ける。
「当然それが本当かはわからん。セルジュアート様の話でも随分な法螺吹き男らしいからな。もしかしたら王族ということも嘘かもしれない」
「……ノーリマッツ様は信じるのですか?」
「私が信じたら、お前は信じるのか?」
淡々とした返答にグレッジエルは口篭った。
握り拳を作った両手は手袋をしていなくても汗をかいていただろう。顔を伏せた男に一枚の封筒を取り出したノーリマッツは机に投げ捨てた。
「だから、お前自身で見てこい」
「……え?」
「向こうの宰相と連絡は取った。だが、私が行くよりはお前自身の目で確認した方がいいだろ」
無意識に顔を上げたグレッジエルの目には椅子に背を預け笑みを向ける男。その男の背後から顔を出す太陽が男の髪と深緑の双眸を光らせる。
「グレッジエル──アーポアクに行ってこい」
白線で竜だけが描かれた真っ黒な封筒に光が射す────。