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​19話*「スーパー庭師」

 オレンジに変わりはじめる空の下で、堅く蕾を閉じた薔薇達。
 髪を後ろでひとつの団子にしたわたしは両手に青の液体が入ったスプレーボトルを持ち、腰にも同じ物を六本掛ける。いざ、出陣!

「地味……っだ!!!」
「ドアホ言ってる暇があるなら手を動かせ、役立たず」

 屈んで土に霧吹きしている後ろで、グレイお義兄ちゃんがアフロ髪から戻ったルアさんの背中を蹴る。顔面転けした彼に慌てて立ち上がるが、震えながら無事の手を上げた。そのままお義兄ちゃんと同じように霧吹きをはじめる。

 数時間前、ノーマさんから消毒薬を貰ったわたしは薔薇園に戻り、ルアさんとお義兄ちゃんの手を借りて消毒を開始した。そう“消毒”。

 

 土に大変なモノが混ざっていたのです──。


 

***~~~***~~~***~~~***~~~


 ナナさんの炎矢で気絶したルアさんを木陰で介抱していると、前髪を掻き上げるノーマさんがやってきた。その表情はなんだかお疲れで、ベンチに腰を掛ける。と、ナナさんが頭を下げた。

「申し訳ありません、緑には逃げられました」
「構わん……後で呼び出しておく。ご苦労だった、ナナ」
「はい、主(あるじ)」

 

 長い腕を伸ばしたノーマさんは、白の手袋をした手でナナさんの頭を撫でる。彼女の眉は変わらず上がっているが両頬が少し赤い気がした。
 そこに、別のベンチに腰を掛けていたジュリさんが口を挟む。

「それで宰の君、いかがでしたの?」
「ああ、マージュリーが言った通りウイルスが原因だな」
「危ないものなんですか!?」

 

 慌てて立ち上がったわたしは、不安な表情でノーマさんの前に立つ。
 もし薔薇にまで影響を及ぼすものであればすべての薔薇を処分し、土を耕し直さなければならない。それこそ誕生祭以前に薔薇園がなくなってしまう。
 嫌な動悸と冷や汗を流すわたしにノーマさんは眉を寄せたが、一息つくと手を横に振った。

「モモカが心配している事態にはならん。と、言いたいが、庭師としては迷惑な話だ。ウイルス(こいつ)は魔法でできた寄生虫でな、開花を強制的に止めるらしい」
「止める?」
「開花しようとすると根に吸い付いて阻止するんだ。モモカが立ち上がりたいのに私に頭を押さえられて立てない、みたいにな」

 説明しながらわたしの頭を押さえ付けるノーマさん。
 いえ、これは立ちたいと言うか動けないって、ちょっと意味が違うと……必死に手を退けようとしていると、杖をゆっくりと回すジュリさんが訊ねる。

「寄生虫(それ)は水辺の花にも効果がありますの?」
「効果というなら花を付ける植物すべてだ。土にいたのは害虫と間違われて処分されるのを逃れるためだろ」
「じゃ、じゃあ……森山さんがいなくなったのは」

 顔を真っ赤にさせながら手を退かそうとするわたしに全員が首を傾げる。しばらくしてノーマさんが頷いた。

「モグラのことか」
「モグラ……橙ではないが変なネーミングセンスを持っているな」
「ふんきゃ……っとと!」

 突然手が離れ後退する。必死すぎて出た汗を見たジュリさんが魔法で小さな風を送ってくれた。ふんきゃ~涼しいです~ありがとうです~。

 

 和みながら続きを聞くと、寄生虫も結局は害虫。
 なので、森山さんのような敵から身を守るために嫌な臭いとバリアを張っているそうです。それを嫌って森山さんが庭園から出ていったのでは、と。

 なんてことでしょう……わたしが気付かなかったばかりに大切な友達を失うなんて。
 

 哀しみに沈むわたしに三人は戸惑った様子で顔を見合わせるが、咳払いしたノーマさんはローブの中から青い液体が入った三角フラスコを取り出した。

「ともかく、寄生虫(そいつ)を沈める薬は作った」
「本当ですか!?」
「もっとも試さないことにはわからないから、一株持ってきてくれ。問題がなければ量を増やす」

 真剣な目を向けるノーマさんに両手に握り拳を作ると、深く頭を下げた。

「ありがとうございます! すぐ薔薇を持ってきますので大量生産お願いします!!」
「おいおい、まだ本当に「大丈夫です! ノーマさんですから!!」

 言葉を遮り宣言したわたしに三人は目を見開く。
 経験値が五十ぐらいしかないわたしと違ってノーマさんは一万を持つスーパー庭師ですからね!と、目を輝かせながら言うと、額に手を当てたノーマさんは溜め息をついた。

「スーパーって……過大評価しすぎだろ。人を信じすぎるのもどうかと思うぞ」
「心が大丈夫と宣言してるので間違いありません!」
「どんな根拠だ……まったく、グレッジエルも変な義妹をもったな」

 苦笑いしながら腰を上げたノーマさんはわたしの頭をニ、三度軽く叩き、虹色の薔薇の背を向けた。同時に正午の鐘が鳴ると風で摘んだ沈丁花の芳香が広がり、木陰から出たノーマさんの蜂蜜色の髪が太陽で照らされる。

「それじゃ、信用に応えて量を増やすか。モモカ、ちゃんとグレッジエルに私は働いていたと伝えておけよ」
「もちろんです!」
「それと、キルヴィスアに派手に戦うのは構わんが私の庭園ではするなと言っておけ。うるさいのがダメなんだ」

 気絶中のルアさんに鋭い目が向けられ慌てて頷く。一息ついた彼は口元に笑みを浮かべた。

「あと、モモカ。お前の経験値が十、上がったぞ」
「ふんきゃ?」
「寄生虫はな、始末しないまま花を切ると一瞬で枯れるんだ。それが昨日まで出荷した薔薇にはなかった……つまり、お前の見る目は確かだったってことだ。気付くのが遅れたのは減点だが、枯らすよりは数百倍マシだろ。また精進しろ、新人」

 

 表情は優しく、目を見開いている間にノーマさんは歩き出してしまったが、その背に頭を下げた。恥じるべきことだとわかっていても小さな喜びが湧き、胸と目尻が熱くなる。
 そんなわたしの肩に手が乗るのに気付くと、紫紺の髪を揺らすジュリさんが微笑んでいた。

「ふふふ、良かったですわね。見ていたらわたくしも自分の庭園を見に行きたくなりましたわ」
「行ってきてください! 長い時間引き止めてすみませんでした。本当に助かりました」

 

 彼女のおかげで原因がわかり、ノーマさんの所へと助言もくれた。恩人に慌てて頭を下げると小さく笑われる。

「わたくしも勉強になりましたから感謝していますわ。でも、薔薇をお持ちになられるまでは待っていますわね」
「ふんきゃ?」
「だって、今ここで青の君を一人にしたら高確率で黄の君に殺されますわよ。わたくしは構いませんけどモモカさんは嫌でしょ?」
「ふん……きゃーーーー!?」

 

 振り向けばナナさんが小型ナイフの切っ先をルアさんに向けていた。
 悲鳴を上げるとすぐ彼女はナイフを背に隠し『我は何もしていない』とそっぽを向く……ナナさん、どんだけですか。

 その後、持ってきた一株に寄生虫がいるのを確認してから試したところ数時間後に花を咲かせ、寄生虫も消えたことがわかった。それからすぐスーパーノーマさんから消毒薬を貰うと、急いで目覚めたルアさんとニ人庭園に戻った。

 途中、ルアさんは『なんか頬……痛い』と呟い──気のせいですよ。

 


***~~~***~~~***~~~***~~~

 


 腰に掛けていたボトルも使い終わると陽が沈みはじめる。
 汗を拭い、新しいのに詰め替えるため中央に戻ると、グレイお義兄ちゃんに水の入ったペットボトルを渡された。

「モモ、少し休憩しろ」
「でも、まだ半分以じょんきゃ~!」

 

 息を切らしながら撒いていない辺りを指すと抱えられる。
 お義兄ちゃんはプラスチック製の椅子に座るとわたしを膝に乗せた。突然のことに慌てるが、ガッチリ抱きしめられているせいで身動きもとれず意気消沈。

「そのままでいい。モモは開花したのを切る体力を温存しておかないとな」
「で、でも、お義兄ちゃんもルアさんも忙しいのに……」
「私はノーリマッツ様に言ってある。ルアは小ガキなんぞに負けた罰だ。まったく、使えんヤツめ」

 溜め息をつきながら眼鏡を上げるお義兄ちゃんの背景が黒い。汗を拭いたのに、また流れるのはなんででしょうかと水を飲む。そんなお義兄ちゃんの気配にルアさんも気付いているのか素早く霧吹きしているのが見えた。

「でも、ムーさんと戦っている時のルアさん、特に“怖い”って感じはしませんでしたよ?」
「騎士モードだからだろ。魔物相手じゃないなら負けることもある」

 抱きしめたまま頬ずりするお義兄ちゃんに顔を赤くさせながら説明を受ける。
 口調がのんびりで『お前』と呼ぶ時が“騎士モード”。『てめぇ』と荒くなってる時が“キレモード”。人間相手だと大体が騎士モードで周りに被害は出さないがキレモードだと……ルアさん、すごくムラがあるんですね。

「気紛れだからな……困った男だ。モモ、やはりヤツを護衛から外そう」
「ええ!? だ、大丈夫ですよ! それに、ルアさんと一緒いられるのもあと少しですから……」

 慌てて首を振ると溜め息をつくお義兄ちゃん。
 護衛というより殆ど薔薇園の作業を手伝ってくれたルアさん。今も身体にダメージがあるのに手伝ってくれて……そんな彼とは誕生祭が終わったらお別れ。

 大きな魔力を持つ団長さんは長く一箇所にはいられないようで、何か御礼できるとしたら手伝ってくれた薔薇を咲かせることだと思う。なのにわたしが休むわけにはいきません!

「モモ……行く気満々だな」
「はい! お義兄ちゃん行ってきます!!」

 

 目を輝かせるわたしに、お義兄ちゃんは溜め息をつくと抱きしめていた手を離してくれた。膝から下りると心配そうな灰青の瞳を見せながら両手で頬を撫でてくれる。笑みを浮かべていると撫でながら訊ねられた。

「行く前にひとつ、ルアがきてから庭園におかしなところはなかったか?」
「ふんきゃ?」
「ウイルスの出所を探るなら庭師の意見は大事だろ。知らない物が置いてあったとか気付いたこと……ないか?」
「そう言われても、見逃したから起こったわけで……」

 落ち込んでいると優しく頭を撫でられ数日前を思い出す。
 ルアさんがきた日……ケルビーさんの暴発があってムーさんと会ってルアさんと一緒に水やり……。

「そう言えば……水やりする前から土が濡れているところがありました」
「濡れていた?」
「はい。前夜寒かったので霜ができたのかもしれませんけど……」
「……わかった。無理はせず行ってこい」

 持っていたペットボトルを取られると、笑顔で見送られる。わたしも笑みを返すと、薔薇を元気にするため駆け出した。

 椅子に腰を下ろしたお義兄ちゃんがペットボトルを開け、自身の口に運んだことなど知らず────。

/ 本編 /
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