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​14話*「呼び名」

 振り下ろされる剣に、ぎゅっと目を瞑る。
 けれど、バスタオルが取れた髪と頬に大粒の雨が強く当たるだけで、それ以外の衝撃はない。代わりに何かが落ちる音と声が聞こえた。

「っだだだだだだ!!!」

 

 目を開けると、ルアさんが悲鳴を上げながら必死に両手を振り回していた。
 先ほどの音は彼が剣を落とした音だったようで、地面に転がっているのを見ると激しく鳴っていた動悸が治まってくる。

 

 そんな彼が戦っているのは、今朝も見た灰青の瞳を持つ──鷹。

 黒灰の両翼を広げ、鋭い嘴でルアさんの頭や腕を突きまくっている。まるで“獲物”を獲るような猛攻撃を呆然と見ていると、水溜りを踏む音と声が聞こえた。

「モモの木ーーーーっ!!!」
「キ……ラさん?」

 

 慌てた様子で金茶の髪を揺らすキラさんが傘も差さず駆けてくる。赤の双眸を細めた彼は歯を食い縛ると、片手を前に出した。

「『地籠中(じろうちゅう)』!」
「ああぁぁぁあーーーーっっ!!!」
「ルアさん!?」

 キラさんの声に地面が波を打つと、円形の高い土壁がルアさんを囲み閉じ込めた。悲鳴に驚くわたしの前をキラさんは遮り、指を鳴らす。土の壁は消え、力を無くしたようにルアさんが水音を鳴らしながら地面に倒れ込んだ。

 動かなくなった彼に顔を青褪めたわたしはキラさんの大判ショールを握る。振り向いた彼は眉を落としたが、優しく微笑んだ。

「大丈夫だよ。少し強めに衝撃を与えておかないと気絶なんてしてくれないからね」
「そう……ですか……あ」

 握るショールを離そうとするが、震える手が悴(かじか)んで離れない。
 その手を温かな両手に包まれた時、やっと自分の身体が冷えていたことに気付く。膝を折ったキラさんの服が土まみれになっていることに、わたしはゆっくりと口を開いた。

「お洋服……お洗濯しますね」
「あっははは。服より私自身を心配してもらいたいところだが、この場合はモモの木だな。怪我はなかったかい?」
「はい……お花畑と川は見えませんでした」
「ふむ、頭が重症だな。さ、いつまでもこんなところに座っていないで、素敵な屋根下に行こうではないか」

 笑うキラさんの両手に誘われるように立ち上がると、頭に大判ショールを掛けられた。それは水を含んでいるのに暖かい。握りしめていると、自身より身長の低いルアさんを担いだキラさんが出入口へと向かう。

 わたしはさっきの鷹さんを捜すが見つからず、呼ばれる声に慌てて駆け出した。

 


* * *

 


 時計の音がチクタクと響く。
 少し開いたカーテンから見える外は雨がやみ、厚く覆っていた雲が流れていくのが見えた。視線を落とすと、先日訪問した時のようにポピーやマリーゴールドが咲いている。でも、灯りと葉から落ちる雨粒は昼間とは違う景色を見せていた。


 心が落ち着いてくると、小さな呻きに振り向く。ベッドで眠るのはルアさん。

 キラさんの厚意で今夜はフォズレッカ家に泊めてもらうことになったが、ルアさんは目を覚まさない。不眠症な彼にとって眠れるのは良いことだと思うが、ずっとうなされていて汗もかいている。
 水の入った洗面器にタオルを浸け絞ると、彼の汗を拭きながら小さく口ずさんだ。

 


*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*

 


 いつしか 降り続いていた 雨が止んだ
 窓辺から覗くと 雫が落ちる

 

 それは 屋根から?
 それとも わたしの頬からなの?
 風に髪が揺れると 光が射す

 ねえ 瞼を開けて その瞳で見て

 

 広がるのは知らない世界
 大粒の雨を溢し見えなかった世界
 その先に手を伸ばして 飛び出そう

 

 一歩先の未来で 
 あの人が待っている

 


*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*~~*♪*

 


 淡い灯りが点る部屋に静けさが戻る。
 そこで寝ている人の横でなんて迷惑行為と今さらながら慌てるが、気付けば彼の手がわたしの手を握っていた。昨日と違って温かい。顔を見ると先ほどより良いように見え安堵するが、繋がった手の温かさに段々顔が熱くなる。

 けれど、ノック音に慌てて解いてしまった。
 服を着替え、髪を下ろした家主キラさんが笑いながら入ってくる。

「一人で面白いことして、モモの木は飽きないね」
「そそそそそんな面白いこととはあああルアさんだいぶん顔色良くなりましたよ!」

 両手を振りながら顔を赤くするわたしに、キラさんはルアさんの額を触る。そのままわたしを見ると微笑んだ。

「ふむ、これなら明日には元気になるだろう。戦闘時に大きな力を使った反動がきているだけだろうしね」
「やっぱり……あの魔物の大群はルアさん一人で?」
「…………そうだよ」

 数秒瞼を閉じたキラさんは、すぐ真剣な顔を向ける。
 珍しい表情にどうしたらいいか悩むが、隅にあった椅子に座った彼は変わらない笑みで別の椅子を指した。わたしも腰を下ろすと、キラさんはカーテンの隙間から見える外を見つめる。

「……ルーくんはね、極度に魔物を嫌っているんだ」
「嫌ってる?」
「実際はわからないが、普段ギリギリまで魔力を抑えている他の団長達とは違って彼は半分以上を出している。まるで自分を狙いにこいというようにね」

 目を大きく見開くと『彼のせいで』と言っていたムーさんを思い出す。顔を伏せたわたしにキラさんが首を傾げたので、躊躇いながらもジュリさんとムーさんの話をした。

「なんだい、北塔でマドレーヌちゃんには会ったけど、ムースくんにも会ったのかい」
「キラさん、お腹でも空いているんですか?」

 美味しそうな名前に今度はわたしが首を傾げる。
 すると笑いながらマドレーヌ=ジュリさん、ムース=ムーさんだと教えてくれた。ど、独特な呼び名ですね。

 

 そしてジュリさんはすぐわたしを追い駆けたそうだが方向音痴らしく、北塔に行ってしまったとのこと。それを見かねたキラさんが事情を聞き、薔薇園にきたそうだ。普通の人はお義兄ちゃんの結界に阻まれますが、キラさんは許しを貰えて入れますからね。

「ムースくん……『緑薔薇騎士(ベルデロッサ)』の言っていたことは気にしないでいい。さすがのルーくんも帰国中は魔力を抑えてくれているからね」
「じゃあ、一昨日と今日の魔物は……」
「団長が揃っているせいだと思うよ。魔物はその変の察知力が高い」

 

 そう微笑まれ、安堵したわたしはルアさんを見下ろす。でもキラさんの表情が真剣になったのがわかり、視線を戻した。

 

「逆に団長が揃っているからこそ働く規定もある」
「ジュリさんも言ってましたけどそれって……」

 

 規定(そ)のせいでジュリさん達が助けに入れない様子だったせいか顔が強張る。キラさんも赤の双眸を細めた。

「青薔薇が帰国中、国に魔物が現れても彼にすべてを任せ、一切戦いには関与しないこと」
「っ!?」

 

 無意識に椅子から立ち上がる。
 揺れる瞳でキラさんを見つめるが、彼の視線はルアさんに向いていた。

 

「さっきも言った通り、ルーくんは魔物を極度に嫌っている。そのせいか気配を察知した途端性格どころか戦闘力まで上がるんだが……今日の戦闘で蒼い光は見たかい?」
「み、見ました……ピカーって綺麗なのが」
「あれは『解放(リベルタ)』といってね、抑えている力を百パーセント引き出す時に出る光なんだ。選ばれた者のみの力だが、それを使われたら本当に彼はすべての敵を葬るまで止まらない」

 ルアさんを見つめる鋭い眼差しに“怖い”の比ではないと察する。嫌な動悸に震える両手を組んだわたしが椅子に座り直すとキラさんは一息ついた。

「『解放(それ)』に団長達も巻き込まれると多大な被害が出るからね。そういう意味で規定を作っているんだよ。本人も望んでできた規定だから、マドレーヌちゃん達ではどうしようもない」
「そんな……」

 キラさんは苦笑しているが、ルアさんにとっても危険すぎる。
 『解放』とルアさんがすごすぎるのかもしれないが、わたしからすれば全然想像できない。ゆったりマイペースルアさんが戦いを望み、誰も助けに入らないなんて。

「でも……一昨日の戦闘でルアさんを助けてくれた人がいましたよ?」

 

 思い出すのは彼とはじめて会った夕刻。
 現れた魔物が茨の蔓のような物で動きを封じられていた。あれはルアさんがしたものではない気がして首を傾げると、キラさんも同じように苦笑しながら首を傾げる。

「私からはなんとも言えないが……『解放』をしていないなら手出しできるのではないかい?」
「良い人もいると言うことですね!」

 だったらジュリさんも助けてくれるかもと力強く頷くと、立ち上がったキラさんに頭を撫でられる。

「ともかくだ、モモの木。ルーくんの『解放』後は時間を置いて近付きたまへ。力を使った後は意識が混濁していて危険だ。それは今日でわかっただろ?」
「……はい」

 左頬に手を当てると今でも思い出す。冷たい雨と切っ先と瞳。
 あの瞳には“殺気”しかなかった。目の前の存在を消す瞳。それが自分に向けられたことが酷く悲しくて怖いはずなのに、いま目の前にいても怖くない。それどころか傍にいたいと思うのはなんでだろ。

 頬が熱くなるわたしにキラさんは何かを言おうとしたが、ドンドンと扉を大きく叩く音に遮られる。インターホンがない世界なのでお客さんだとは思うが、次第にガンガンッと破壊音に変わってきた。

「ど、どちら様でしょ?」

 

 八つ当たりのような音に慌てていると、キラさんが思い出したように手を叩く。

 

「そうだったそうだった。灰くんがもうすぐ来ることを報せにきたんだった」
「ええぇっ!? これグレイお義兄ちゃん……じゃなくて、教えちゃったんですか!!?」
「当然、お泊りするなら保護者の許可は取らないとね。ルーくんのことも言ったとも」
「ふんきゃーーーーっっ!!!」

 悲鳴と同時に何かが壊れる音が盛大に響くと、執事のお爺さんが慌てて入ってきた。耳打ちで聞いたキラさんは笑いながら背を向け、わたしも急いで後を追う。

 ドアを閉める間際『おやすみなさい』と呟いて──。

 


~~~~*~~~~*~~~~*~~~~

 


 うるさい音に重い瞼を開く。
 虚ろな世界で薄っすらとモモカの顔が見えたが、すぐどこかへ行ってしまった。同時に渦を巻く頭の中で夕刻の出来事を思い出すと両手で顔を覆う。

「そう……だ……俺……モモカに……」

 

 だいぶん体調も良くなってハウスを出たら魔物を見つけて飛んだ。真っ黒なヤツらを散らすために。そんなヤツらしか見えていなかったせいで隼の維持もできず『解放』して……終わったらモモカが目の前にいて……。

「あ゛ぁぁーー……っ」

 鮮明になってくる記憶に顔を枕に埋めた。
 ヤツと重なって切っ先を向けるとか最悪だ。モモカは違うって抑えていたのに『解放』後で朦朧と……いや、それは言い訳だ。

 それより頭痛がないことに気付く。
 いつもは痛みが続くのに落ち着いているし、さっきまで確かに寝ていた。それが混濁する意識の中で聴こえた歌声のおかげなのか、十数年振りにゆっくり眠れた気がする。そして『瞼を開けて』に導かれるように開いた先には──。


「明日……謝って御礼……言おう」

 

 怖い目に合わせても傍にいてくれた彼女に謝って御礼言って今度こそ役に立とう。護衛だけじゃない、薔薇も咲かせるために……そのためにも休もうとゆっくりと瞼を閉じた──が。

『おおおおおお義兄ちゃん待ってくださーい!!!』
『モモ、ついてくるな! 私はお前に悲劇を見せるつもりはない!! キラ男、連れて行け!!!』
『あっははは! 玄関を破壊したキミにこれ以上壊してもらっては困るんだがな!! 先に葬ってあげようか!!!』
『その前にヤツを永眠させてやる!!!』
『お義兄ちゃーーーーん!!!』


 俺、明日──存在してるかな……。

*次話はモモカ視点からはじまります
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