13話*「ご愁傷様」
上空を飛び回る魔物は先日ルアさんが倒した時の倍以上。
呆気に取られていると、八メートルはありそうな真っ黒な蛾のような魔物が四匹、こちらに向かって突撃してくる。逃げなきゃと思っても足がすくんで動けない。
だが、紫紺の髪を揺らすジュリさんが平然と前に立つ。
赤のガーネットの瞳を細めた彼女は杖を横に構えると、反対の指先で水晶を撫でた。
「選択(セレクシオン)──水(アグワ)」
低い声に光った水晶が透明から青に変化すると、回転させた杖を翳す。
「『水氷結界』」
瞬間、氷の壁が庭園を覆い、魔物がぶつかる音が響く。
震動に身を屈めながらお義兄ちゃんと同じ水属性と考えるが、さらに水晶を撫で『選択──風(ビエント)』と唱えれば、水晶が青から緑に変わった。
「『風円陣(ふうえんじん)』」
翳すと同時に竜巻が起こり、魔物を呑み込む。
甲高い悲鳴と共に跡形も無く消え去ると、さらに上空で爆発音と蒼い光が放たれた。直後、魔物が八つ切りにされるのが見えたが、ジュリさんの背に遮られる。そこに数人のメイドさんが駆け足でやってきた。
「団長!」
「お怪我は!?」
「大丈夫です」
微笑を向けるジュリさんに安堵を浮かべる女性達。
その服は団服に変わり、腰には剣。早変わりに驚きながら、ジュリさんの手を借りて立ち上がる。上空の激しい音に構わず彼女はメイド……部下達に命をだした。
「護りは庭園だけで構いません。魔物の残骸が多数墜ちてくる可能性が高いので各自警戒を」
「はっ!」
敬礼した部下達は急ぎ足で庭園へ戻り、わたし達は屋根のある西塔へ避難する。塔内も混乱が窺えるが、ジュリさんは気にすることなくアヤメの扉を閉めた。
「しばらくはこちらで待機してた方がよろしいようですわね」
「は、はい。助けてくれてありがとうございました」
「ふふふ、民を護るのも騎士団の勤め。御礼なんて必要ありませんわ」
微笑むジュリさんに考え込む。でも、御礼を言わないのもおかしい気がして頭を下げた。
「いえ、助けてくれた方に御礼を言うのは礼儀です。団長さん、騎士団のみなさん、いつも護ってくれてありがとうございます」
「まあまあ……どういたしまして」
少し驚いた様子で頬に手を当てたジュリさんだったが、すぐ笑みを向けてくれた。わたしも笑みを返すと彼女の持つ杖を指す。
「さっき青や緑になってましたけど……」
「ああ、これは特殊な水晶でして、呪文を唱えるだけで四大元素が使えますの」
普通は水晶ひとつで、一属性しか使えないはず。
なのに、たったひとつの水晶だけで四大全部が使えるなんて、すごい物があるんですね。目を輝かせながら杖を持たせてもらうが、やはり魔力のないわたしでは透明なまま。肩を落とすとくすくす笑われる。
「ふふふ、当然四大元素を使うのですから魔力が高くなければ扱える代物ではありませんのよ。魔法部隊であり、第七団長だからこその特権ですわね」
「紫部隊は魔法がメインなんですか?」
「ええ、第一部隊は赤男を見てわかると思いますが近距離部隊。そして第五部隊の青の君はオールラウンダー……つまり、攻撃と魔法の両方を持ち合わせた唯一の男」
「ルアさんすご……って、ルアさん!」
そういえば隼ルアさんをすっかり忘れていた。
慌ててアヤメの扉に手をつけるが、爆音に止まってしまう。冷や汗を流しながら考えるのは不吉なこと。たとえ鳥でもルアさんの分身なら鈍くさくて爆発に巻き込まれて……ややや焼き鳥に!?
「ひゃははは、あのルっちーがそんなヘマするわけないじゃん」
考えを読まれ、ビクリと身体を揺らすと振り向く。駆け回る人達とは違い、楽しそうに笑っている人が目の前にいた。
身長はわたしより少し高く、膝下まである白のファー付きマントを首元で蝶々結び。マントの下には薄緑のフリル付きブラウスが見え、腰には太いベルト。黒のショートパンツに太腿まであるソックスと白の六連バックルの付いたロングブーツ。
そして明るい茶髪のおかっぱに紫の瞳と白のベレー帽。左頬には緑薔薇のタトゥー……──昨日、東塔から出てきた人!
「まあ、緑の君。お久し振りですわね」
「ひゃっほーい、ジュっちー。そろそろケルっちーと遊んでないで潰し落とせば?」
「ふふふ、わたくしS気質がありますから早々に音は上げさせませんことよ。緑の君は面白みの欠片もない子供なのでご遠慮しますけど」
「あのさーボク、ジュっちーより年上なんだけど」
「年上さん!?」
つい口を挟んでしまい視線が刺さる。ひ、人を見た目で判断してはいけませんね。
固まるわたしにベレー帽を被った人は一瞬眉を顰める。けれどすぐ笑みを浮かべ、わたしに顔を近付けた。
「へ~……アンタがグっちーの義妹か……あの義兄と違って鈍くさそ」
可愛いと綺麗を併せ持った人だが、その笑みはノーマさんが悪戯を考えている時に似ていて咄嗟に反論した。
「よ、よく言われます! でも走るのは速いですよ!! かけっこしましょうか!!?」
「しないよ! なんだよアンタ!! グっちーより面どっ!!?」
共に握り拳を作って叫ぶが、大きな爆音と同時に塔が揺れ、よろめく。慌てて壁に手をつくわたしとは違い、ジュリさんとベレー帽の人は平然と天井を見上げた。
「派手にやってらっしゃいますわね。壊れたら弁償させませんと」
「上級も混ざってたみたいだけど、ルっちー相手じゃご愁傷様って感じ? ま、ボクの出番ないからいいけどさ」
「え、ルアさん戦っているんですか!?」
まさかの会話に割り込むと、互いに見合った二人は頷く。
体調が悪い中でと顔を青褪めるわたしとは違い、ベレー帽の人はジュリさんからわたしとルアさんの関係を聞き出す。と、面白そうな笑みを作り、背中を向けた。
「ルっちー……青薔薇の心配はするだけ無駄だよ。むしろ彼のせいで魔物が集まっているんだから自分で処理するのは当然さ」
「ルアさんのせいって……どういうことですか?」
訊ねても上体だけ向けた彼の表情は変わらない。
でも、細められた紫の双眸に一瞬恐怖を感じた。身構えるわたしに彼は楽しそうに笑う。
「ひゃははは、勘が良いヤツは嫌いだけど好きだよ。ボクはムーランド・アスバレエティ。アルコイリス騎士団第四緑薔薇部隊団長さ。こー見えて歳は二十三の男だかんね」
「ムーランド……さん」
「ひゃは、“ムー”でいいよ。ボクもアンタのことは“モっちー”って勝手に呼ぶからさ」
「モっちー……あ!」
塔が揺れても笑いながら歩き出すムーさんに慌てて叫んだ。
「ま、魔物退治しないんですか!? ルアさん一人じゃ……」
届いているのかいないのか、返答も振り向くこともなく彼は去っていった。
動悸が嫌な音を鳴らし、両手を胸元で組むとジュリさんを見る。ムーさんに限ったことじゃない。ジュリさんも団長さんなのに動かない。そんなわたしの視線に彼女は瞼を閉じたまま口を開いた。
「……なぜ、魔物が人間を襲うかご存知ですか?」
「え……っと」
「魔物とは魔力を餌とし、食すことで強さを増す生き物。だからこそ持って生まれた人間を襲い、自身の強化を謀ります」
ガーネットの双眸を小さく開いたジュリさんは杖の水晶を撫でる。
「特に団長であるわたくし達は高い魔力を持っているのもあり狙われやすい。だからこそ普段は国を離れ専用領地で暮らしています……しかし今は」
「誕生祭で団長さんがお揃いだから……?」
「……もちろん最低限抑えているつもりですが、その余波が魔物を引き寄せていると言われても否定はできません。護る側のはずが危険を招くなど、おかしな話ですわね」
杖を強く握るジュリさんは辛そうだ。
さっき御礼を言った時に驚いていたのはそれを考えていたからかもしれない。魔力のないわたしでは絶対にわからない想いが彼女たちに……ルアさんに。
徐々に揺れが治まり、天井を見上げる。
すると、アヤメの扉から部下の人が顔を出し、何かを話し終えたジュリさんがわたしを見た。
「戦闘は無事に終わったそうです」
「そ、そうですか。良かったです……戦った人達は大丈夫だったんですか?」
「青の君一人ですから大丈夫と……あっ!」
「ふんきゃ!?」
まさかの発言に大声を上げるとジュリさんは慌てて口元を押える。つまり、ルアさん一人で退治したってこと!? あの数を!!?
急いで薔薇園に戻ろうと駆け出すと、後ろから声がかかった。
「戦闘後すぐ彼に近付くのは危険ですわ!」
「大怪我してる方が危険ですよ! ムーさんもジュリさんもルアさんに冷たいです!! 仲間なのに助けてもくれないなんて!!!」
「そ、それは規定で……あ、モモカさん!」
冷や汗をかくジュリさんを振り切るように東塔へ向かう。
必死に呼び止める声が聞こえたが、今はただ薔薇園に戻ることだけしか考えられない。ムーさんに宣言した通り走るのは得意。実際はこの世界に墜ちた時に付いた特典なのか、身体能力が急激に上がって足も速くなった。字は読めないけど言葉は話せるという変なチート。
でも、今のわたしにはありがたい。
大勢の人がいるであろう中央塔は避け、南塔を通る遠回りでも、のんびり歩けば三十分ぐらいが十五分で着いた。本当にルアさんが戦って薔薇園に戻ってるかなんてわからない。それでもと息を荒げながら鍵を開け、扉を押す。
開いた先は──黒い雲が覆った空と大粒の雨。
リュックからバスタオルを取り出すと頭に被せ、中に入る。
せっかく綺麗に咲いていた蔓薔薇の花弁が地面に張り付いているのを横目に、急ぎ足でアーチを通り過ぎ、辺りを見回した。
「ルアさーん! いますかー!? いたら返事してくださーい!!!」
必死に叫ぶが、横殴りの雨と風に煽られ、聞こえているかもわからない。
水溜りと滑る地面に苦戦しながら『ルーくんハウス』を目指す──と、地面に俯けで倒れ込んでいる物体があった。
「ルアさん!!!」
駆け寄ると髪も服も、落ちている剣も青色と土に染まっている。
けれど琥珀の輝きは変わらない、ルアさんだ。膝を折り揺すると、ゆっくりと彼の瞼が開かれる。
「ルアさん! しっかりしてください!!」
「…………く……ろ……」
「ルアさ──きゃっ!」
揺れている双眸に顔を覗かせると、大きく目を見開いた彼の手に勢いよく跳ね除けられた。その強い力に体勢を崩し地面に倒れ込むと、頬に土がかかり痛みも走る。片目を開いた先には起き上がるルアさん。
同時に彼の双眸と目が合うが、ムーさんに感じた時以上の恐怖が襲う。その細められた双眸からは素人のわたしでもわかる──殺気。
「ル、ルアさん……?」
「……は……す……い……」
震えるわたしの声も何かを呟く彼の声も、雨と風で消され届かしない。顔を伏せた彼は落ちていた剣を拾うと、覚束ない足取りでわたしに近付いてくる。魔物が迫ってきた時のように身体が動かない。でも、目は彼を捉えていた。
大きく息を呑んでいると左頬に冷たい物が擦る。
それが彼の持つ剣だと気付くのにとても時間がかかった。まるで“敵”を認識するかのように、わたしが彼の双眸に映っている。
動悸も激しく喉も痛く、声を発せられないわたしの目前に立つ彼は何かを言っているが聞こえない。でも──
「──は、殺す」
残酷な言葉はハッキリと届き、振り上げられた剣が下ろされた────。