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​08話*「フられんぼ」

 リュックを背負って薔薇園に挨拶を終えると、扉に二段構えの錠を掛ける。薔薇の模様が描かれた鍵を首から下げるわたしに、ルアさんは驚いた。

「……鍵とかはじめて見た」

「ふんきゃ、特注品ですよ。ルアさんには入られましたが」

「ごめん……俺……上空から入った」

 罪悪感でもあるのか目を逸らされる。

 同様に、普通の人は魔法で錠をするがわたしには魔力がないから、と言えないわたしも沈黙。

 東塔の廊下を抜けると昼食の時間のせいか多くの人達がホールを行き交っている。

 中央塔一階は受付をメインとし、東西南北の塔に繋がる渡り廊下以外は奥に第一、ニ食堂があるだけ。今朝爆発があった第一食堂にお義兄ちゃんもいると受付で教えてもらい、鼻歌まじりに向かう。

「モモカって……よく歌ってるよな。会った時も……今も」

「あ、すみません。うるさかったですか?」

「いや……なんかよく眠れそうな気がする」

「眠……もしかしてお義兄ちゃんに追い出されたから眠いんですか!?」

 テラスで寝ていた(草むしりしか見てませんが)のを思い出し、慌てて隣を歩くルアさんの手を握る。足を止めた彼は瞬きするが、首を横に振った。

 

「大丈夫……元々不眠症なんだ……体質的に」

「不眠症?」

「うん……騎士には多い。特に外を専門にしてると……いつ魔物に襲われるかわからないし」

 

 手を繋いだまま歩き出すルアさんに並ぶと、はじめて会った日をポツポツ語ってくれた。

 どうやらわたしが来る少し前に帰国したそうですが人混みが苦手らしく、静かな薔薇園で寝ていたそうです。薔薇嫌いなのにと疑問を問うと、繋ぐ手が強くなった。

「嫌いになりたくてもさ……思い出があると……嫌いになれないんだよ」

 

 人が行き交う中で彼の声はかろうじて聞こえるほど小さく、その瞳は遠くを見ている。

 ルアさんは不思議な人。普段はのんびり屋さんなのに騎士様になると容赦なくて……他の騎士様を知らないのでなんとも言えないが、ひとつ言えることは『楽しい』の感情がない。唯一、先ほど一緒に笑ってくれた時だけ。

 意を決したように唾を呑み込んだわたしは、繋いでる手を前後に大きく振る。突然のことにルアさんは目を丸くした。

「モモカ……?」

「良いことより嫌なことを覚えてることってありますよね。わたしも子供の頃に泊まったホテルで公衆電話の緊急ボタンを遊びで押して、警察に繋がって迷惑をかけたのを今でも覚えてます。家族旅行だったはずなのに……それ以外を覚えていないんです」

「“こうしゅうでんわ”って……何?」

 この世界にない物に首を傾げるルアさんに構わず、手を大きく振り続ける。

「でもそれって教訓ですよね。本当に大事な時しか押しちゃいけないとか、嫌な言葉を言われて傷ついたら自分も相手に言っちゃダメだとか」

 

 当たり前のことだけど、感情が高ぶってしまうと忘れてしまうこと。

 その衝動を抑えることは難しいと思うし、ダメだとも思わない。でも、それだけじゃないと、爆発があった『第一食堂』の前で立ち止まると顔を上げた。

「それに、嫌で忘れたい思い出でも良い思い出になったりします。わたしもルアさんを踏ん付けたことは忘れたいですが、出会うことができた今は良い思い出になりました」

 当然踏ん付けるなど忘れてはいけませんがと苦笑する。でも、青水晶の瞳を見開く彼に、すぐ笑みを向けた。

「だから、薔薇に嫌な思い出があるルアさんに良い思い出をプレゼントするので楽しみにしててくださいね」

「…………もう貰った」

「ふんきゃ?」

 繋いでいる手にもう片方の大きな手が乗り、わたしの小さな手を包む。その両手は薔薇園の時とは違い温かい。何より目の前には優しい青水晶の瞳と微笑むルアさんがいた。

「モモカと会えたことがプレゼント……だろ?」

 楽しそうに握った手を小さく揺らす彼に、わたしは頬どころか全身が熱くなる。すぐにでも爆発しそうな脳内が、これだけで良い思い出になったと歓喜の悲鳴を上げた。

「私にとっては最悪な思い出と化した」

 冷ややかな声に熱も冷める。

 ルアさんとニ人で食堂を見ると、書類を握り潰すかのような音を出しながら眼鏡を上げるグレイお義兄ちゃんがいた。わたしは首を傾げる。

「お義兄ちゃん、眉がものすっご~~く上がってますよ。体調悪いんですか?」

「いや、ものすっご~~~~~~く体調は良い。そこの男をここから城外に蹴り飛ばせそうなほどにな」

「それはすごいや……」

 機嫌が悪そうなお義兄ちゃんをルアさんは気にする風もない。大物だなと思っていると、繋いでいた両手を離した彼に後ろから抱きしめられた。

「ふんきゃっ!?」

「その時は……モモカと一緒に空中散歩するよ」

「貴様……っ!」

 

 身を屈め、大きな両腕で抱きしめるルアさんはわたしの手を取るとお義兄ちゃんに向けて振る。彼の柔らかい琥珀の髪と頬同士が当たり、また爆発しそうになるが、目の前のお義兄ちゃんの方が爆発寸前。過去最高記録とも言えるほど眉が上がり、完全に書類を握り潰している。

「私の目の前でモモを人質に捕るとは……良い度胸だな」

「人質なんて……俺はそんな卑怯な手は使わないよ。良い思い出はいくつも作りたいじゃないか」

「ほう? ならば今まさに嫌な思い出を作った私は貴様を吊るし上げ、モモを助けて良い思い出に変えよう」

「それ……自分がモモカを抱っこしたいだけじゃないか……?」

 間のわたしなんぞ既に放置するように睨み合いが続く。

 周囲も顔を青褪め、誰一人として食堂に出入りできず、楽しいお昼時間が修羅場に変貌した。重い空気にわたしは慌ててルアさんの両腕を解くと片方はルアさんと、片方はお義兄ちゃんの手と繋いだ。

「三人一緒に手を繋げばいいんですよ!」

 

 笑顔のわたしに沈黙が訪れる。あれ?

 交互にニ人を見るがルアさんは溜め息、お義兄ちゃんは握り潰した書類で額を押さえている。首を傾げながら両手を揺らすと、上体を戻したルアさんが口を開いた。

「ま……いっか」

「不本意ではあるが今はいい……貴様、後で覚えておけ」

「良かったです。それじゃ、三人でお昼御飯に「すんじゃねぇーーーーーー!!!」

 一件落着、と思ったら食堂から怒声が響く。

 手を繋いだまま中に入ると、木椅子に足を組んで座る男性。イケメンさんなのに不機嫌顔でわたし達を睨む人がいた。

 葡萄色の前髪を上げ、肩の少し下まである毛先は跳ねている。

 細い瞳は茶。黒の首ありタンクトップに指抜きグローブをし、白のズボンに黒のブーツ。膝には鳶色のロングコートを乗せ、胸元にはシルバーリングのネックレスに、両耳には赤のピアス。

 そして、筋肉が付いた左肩には直径五センチほどの赤薔薇のタトゥー……あ!

「赤薔薇さんですか!?」

「ああんっ?」

「モモカ!」

「急に動くな」

 

 不機嫌顔の人のところへ勢いよく足を進めると、手を繋いでいたニ人を一緒に引っ張ってしまい慌てて謝る。そんなわたし達をいっそう怖い顔で見つめる男性はお義兄ちゃんに目を向けた。

 

「おい、眼鏡。なんだよこのガキ」

「吊るし上げるぞ。私の義妹だ」

「あんっ? このガキが……噂のねー?」

 なんの噂かわからず戸惑うが、眉を上げた男性は茶色の双眸をわたしからルアさんに移した。男性は口角を上げる。

 

「よう、久しいじゃねぇか青薔っ!!!」

 瞬間、ルアさんが腰に掛けていた剣の柄頭で勢いよく男性の額を突っ撥ねた。衝撃に男性は椅子ごと倒れそうになったが、机を支えに降りる。椅子が床に落ちる大きな音が響き渡り、一瞬で食堂は沈黙化した。

 立ち上がった男性はお義兄ちゃんよりも身長があり、十センチ差はあるルアさんを睨む。

「何すんだ、てめぇ……」

「てめぇこそ、その名で呼ぶんじゃねぇよ……散らすぞ」

「ル、ルアさん……?」

 男性と同じように不機嫌そうに青水晶の瞳を細めたルアさん。その低い声と知らない口調に戸惑っていると、お義兄ちゃんに耳打ちされる。

「たまにあいつ性格変わるから気を付けろ」

「ふんきゃ!?」

 まさかの二重人格!? で、でも“怖い”のと違いますよ!! この表情“さらに怖い”ですよ!!?

 慌てるわたしを横目にお義兄ちゃんは睨み合うニ人に口を挟んだ。

 

「ルア、その辺にしておけ。ケルビーも昼食の時間を潰す気か。殺るなら外に行け」

「ああん? 眼鏡、てめぇ逃げる気かよ。ガキ一匹に甘々なシスごんっっ!!!」

 お義兄ちゃんの横蹴りが男性のお腹に大ヒット。

 余程効いたのか、男性はお腹を押さえたまま屈み込み、正気に戻ったルアさんは『グレイに優しさは一ミリも感じられない』と頷いた。今度は眼鏡を上げたお義兄ちゃんが男性を睨む。

「フられんぼの貴様に言われる筋合いはない。とっとと仕事に戻れ」

「フられてねぇ!」

「久々に帰ってきたのに相手してもらえず、暴発なんぞ侵したドアホの台詞ではないな」

「やっぱフられたのか……カッコ悪っ」

「ガキと仲良く手ぇ繋いだままのてめぇらに言われたかねぇよ!!!」

 怒声を上げながらわたし達を指す男性。

 そう、わたしはまだニ人と手を繋いだまま。けどニ人は気にすることなく冷めた瞳で男性を見ると皮肉った。

 

「ケルビー……羨ましいんだろ……自分はフられて手も繋げないから」

「寂しんぼのドアホめ」

「やかましい! こんのシスコンと青薔がっ!!!」

 

 柄頭と足蹴りが男性を襲った。

 男性も男性ですが、さすがにわたしも止めますよ。暴力はいけません。

 

* * *

 なんとか不機嫌なニ人を止めると、立ち上がった男性は椅子を戻し、わたしを見る。

 額にはルアさんの柄頭の薔薇模様がスタンプのように付いているが、顔が怖くて笑えない。その額を撫でながら苛立ちを発した。

「ちっ、帰って早々面倒なヤツらに会っちまったぜ。昼飯はここで食うのか?」

「い、いえ。お弁当あります」

「あんのかよ。ま、ない時はいつでもこいよ。しばらくはオレ様が仕切るから美味いもん食わしてやる」

「ふんきゃ?」

 言ってる意味がわからずにいると、コートを肩に掛けた男性の双眸と目が合う。

「ガキ、名は?」

「モ、モモカ・ロギスタン。十六歳です!」

「オレ様の名はケルビバム・ラッシード。歳は二十五。アルコイリス騎士団第一赤薔薇部隊団長兼食堂部副料理長。ま、短い期間だがよろしくな」

「ふんきゃ?」

 

 そう言って立ち去るケルビバム……ケルビーさんを見送る。

 手を外したお義兄ちゃんを見ると、くしゃくしゃになった書類を伸ばしながら疑問に答えてくれた。

 

「青、藍薔薇以外は副業をしている。黄薔薇は微妙なところだが」

「副業?」

「趣味みたいなものだよ……ケルビー、ああ見えて料理好きで巧いんだよな」

「ああ。あの顔と性格では想像もつかんが腕は確かだ」

 

 普通の表情で調理場を見るルアさんと、滅多に褒めないお義兄ちゃんに言われると食べたくなる。せっかくお弁当持ってきましたが今日は食堂で……と思ったらニ人に手を差し出された。リュックからお弁当を出すと二人の手に乗せる。

 ルアさん大喜び、お義兄ちゃんは不機嫌と、スタートに戻ったかのように口喧嘩がはじまった。

 必死に止めるわたしを周りの人達は顔を青褪めながらも苦笑いで見ていた。違う視線を向けている人がいることなど知る由もない────。

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