06話*「心優しい」
食事を終え、時刻は十時を過ぎた。
お風呂から上がったわたしはパジャマワンピにバスタオルを頭に被ったままリビングへ向かう。ルアさんがソファに座っていた。
「……眠そうだな」
「ふんきゃ……ねむねふー……」
「モモ、こっちは気にせず寝ろ。明日も早い」
Vネックのシャツにズボンのお義兄ちゃんは食器洗いが終わったのか黒の革手袋を嵌める。なぜか家でも嵌めているんですよね……会った頃はしてなかったと思……あ、眠い。
頭が上下に揺れるわたしに慌ててルアさんが立ち上がるのが見えたが、先にお義兄ちゃんの腕に収まった。
「んきゃー……お義兄ちゃん……ありがとうです……食器も」
「毎日言わなくていいから行くぞ。ルア、風で食器の水分を吹き飛ばして拭いて棚に入れとけ」
「へ……俺?」
「ルアさ~ん……ありがとですぅ」
「へ……?」
お義兄ちゃんに抱き上げられると、瞬きしながら自身を指すルアさんになぜかお礼を言ってしまった。そのままニ階に上がると、果物の桃が彫られたドアプレートがある寝室へと運ばれる。
白を基調にした壁には薔薇と蝶のシール、本棚には絵本と薔薇図鑑。棚には小物が飾られ、床には金色の杯型トロフィー。
ベッドにわたしを座らせたお義兄ちゃんはバスタオルを取ると『火』と『風』の水晶に魔力を注いだ。魔力が高い人は自分の属性だったら水晶なくても使えるが、他の属性は使えないのです。濡れたままだった髪に送られる暖かい風に倒れそうになるも支えられた。
「もう少し待て」
「はい~……ルアさん今日……お泊りなんですか?」
「ああ。今すぐ叩き出したいところだが話ができた」
「そうですか~……じゃあ朝御飯とお弁当三人分……」
「ニ人分だ」
水晶を停めたお義兄ちゃんは溜め息をつきながらブラシで梳き、後ろでひとつの三つ編みにしてくれた。お礼を言ってお布団に潜ると、手袋越しでも気持ち良い手に頬を撫でられ、わたしは笑みを浮かべる。
「おやすみです……お義兄ちゃん」
「ああ……おやすみ、モモ」
頬にキスが落とされると、すぐ夢の中へと落ちた。
あ、ルアさんにも『おやすみ』言うの忘れて……──。
~~~~*~~~~*~~~~*~~~~
安らかな寝息が聞こえる。
モモは十時を過ぎると充電が切れたかのようにパッタリと寝てしまう。規則正しいと言えば正しいが無防備すぎるのも問題だ。
溜め息をつきながら手袋を外すと、柔らかい素の頬を撫でながら指先で唇をなぞる。
口を小さく動かす様子に頬が緩むが、階下にいるヤツを思い出し、舌打ちした。眼鏡を上げると灯りを消し、部屋を後にする。
リビングに戻ると、青薔薇騎士ことルアが皿を持ったまま唸っていた。
見るに、皿の直し場所がわからないようだが、棚を開けっ放しにしたまま次を開けるのはやめてもらいたい。
「貴様、やはり盗人か」
「いや……盗むなら皿よりワインがいっだ!」
背中を勢いよく蹴ったせいか顔面から転倒した。持っていた皿は『水』で浮かせ無事だ。当然抜かりはない。
皿を棚に戻すとワインを開け、ニつのグラスに注ぐ。
そのひとつを上体を起こしたルアに渡すとソファに座り、視線を送った。ワイン好きであるルアはすぐ向かいに座るとワインを揺らす。だが、白薔薇のプリザーブドフラワーと、立て掛けている自剣を見ているようにも思えた。
「俺がいない間に……フルオライトもデンジャラスな場所になったな」
「貴様が帰ってきたからじゃないのか。まあ『解放』しなかっただけ褒めてやるが」
「邪魔さえ入らなければな……“ナランハ”に報せただろ?」
ひと口飲んだ男の青水晶の瞳が細められる。
口元に笑みはあるが、それは戦闘時に見せる顔。時と場合で若干性格が変わるから面倒臭い。しかも『解放』という名の全力を出されたら手がつけられなくなる。それは宰相補佐として止めるべき事項だ。
「で……俺に何をしてもらいたいんだ?」
ワインを数口飲んだルアはグラスをテーブルに置くとソファに背を預ける。先ほどとは違う目に私も目を合わせた。
「…………しばらく、モモの護衛を頼みたい」
「モモカの? なんでまた……」
瞬きしながらモモの名を呼ぶ男に内心苛立つ。ワインを一気に飲み干すと、ソファに荒々しく背を落とした。
「少々面倒が起きそうでな。私がしたいところだが来週の式典諸々で動けなくなる」
「で……俺?」
「そうだ。本来なら『虹霓薔薇』も動けなくなる時期だが“青薔薇”の貴様には関係ないだろ」
片眉を上げるルアに構わずグラスにワインを注ぎ、口に運ぶ。
通常各騎士団には数百人が所属し、団長は決められた区域の統治及び国外の町や村に部下を派遣させたりと多忙だ。特に式典も絡むと倍以上……だが、青薔薇と藍薔薇だけは違う。
この二騎士団は唯一統治区どころか部下すら持たない。つまり、団長のみの部隊。諜報専門の藍薔薇はともかく、目の前に座る青薔薇は異常な戦闘能力の高さと気紛れな性格に部下を付ける方が危険だと判断されたからだ。
当然そんな男に大事な義妹を預けたくもないし頼みたくもないが、キラ男も忙しい今、団内でも恐れられているこいつが適任だ。危険なリスクもあるが、モモ自身こいつを気に(消去)上に、薔薇嫌いのこいつが庭園に入っていたのを考えると……まあ、断ったところで構いはしないが。
「いいよ」
「ちっ」
「何……今の」
「空耳だろ」
ニ杯目を飲み干した私は立ち上がり、残りのワインを注いだジョッキサイズのグラスをルアの前に置く。目を丸くした男はジョッキと私を交互に見ると、眼鏡を上げた。
「護衛料金だ。ありがたく受け取れ」
「へ……これが?」
「当然だ。普段人の言う事も聞かずふらふら仕事する男には丁度いい」
「いや……俺ちゃんと外で……っと!」
文句を言いながらもちゃっかりジョッキを両手に持つ男の襟首を掴むと、引き摺りながら窓へ向かう。
「期間は来週の誕生祭まで。基本モモは薔薇園に掛かりっきりで昼食以外で外に出ることはない。だが正午に仕事が終わっていれば、その辺に遊びに行くことが多い。その際、周りに注意しろ」
「注意って……誰かに狙われてるのか?」
「誰、とまでは断言できないが……あくまで可能性の話だ」
「可能性だけで護衛って……シスっ!?」
カーテンと窓を開けるとテラスに放り投げた。
四月とはいえ夜はまだ冷える。白い息を吐きながらもジョッキを護ったルアを褒め称えてやっても良いが、気にせず続けた。
「あと、テラス(ここ)が貴様の寝る場所だ」
「えぇっ!?」
「私は貴様を招いたつもりはない」
「モ、モモカに招かれた!」
「モモは食事のみで“泊まれ”とは言っていない。だが、心優しい私が許そう。感謝しろ」
「いや、せめて家の中……」
「テラスだろうと庭であろうとウチの敷地内に変わりなく、表札の横を通れば“家の中”だ。では、おやすみ」
「ちょっ! グレ「それ以上騒いだりモモに怪我のひとつでも負わせたら──吊るし上げる」
灰青の双眸を細め睨むと勢いよく窓を閉める。
こじつけだろうがなんだろうが室内に入れるなど御免だ。ヤツなら外でも問題ないだろうし、まだまだ仕事をせねばならない。
眼鏡を上げなおすと、リビングの灯りを消した──。
~~~~*~~~~*~~~~*~~~~
朝の四時。
まだまだ寒い朝に上着を着てリビングのカーテンを開けると──ルアさんが草むしりをしていた。
「なななな何してるんですか!?」
「…………復讐計画……ついでに雑草生えてたから」
「ありがとうございます……?」
「くだらん。モモ、おはよう」
「グレイ……ちょっとこいこい」
既に政治部の服に着替えたお義兄ちゃんに後ろから頬にキスされるとルアさんが手招きする。彼の顔と服には土埃がつき、両手にはどこで拾ったのか袋を持っていた。片方には草、片方は……。
眉を上げたお義兄ちゃんがテラスに出ると、ルアさんは笑顔で草ではない方の袋をぶちまけ──!!?
「*#$£☆★׶ΣΨДИфーーーーーーっっ!!!」
お義兄ちゃんの声にならない悲鳴と同時に大きな水柱が上がると、まだ日も昇っていない空に虹が現れた。ルアさんがぶちまけた袋には蜘蛛、ミミズ、カメムシ……etc。
お義兄ちゃんの唯一の弱点である──虫が大量に入っていた。
お義兄ちゃんが薔薇園の管理ができない最大の理由です。
* * *
「あっははは! それはまた朝から愉快なことをしているものだね」
「笑いごとではない!!!」
「外で寝かせたお義兄ちゃんが悪いんですよ! ルアさんもルアさんですけど……」
「だってよ? ルーくん」
「いや……仕返しはシッカリしないと……」
「ところでキラさん、ルアさんとお知り合いなんですか?」
ひと騒動終え出仕すると、中央塔ホールでキラさんに会った。
お義兄ちゃんの機嫌の悪さと、縛られ引き摺られてきたルアさんの理由にキラさんはまだ笑っている。そんな彼とお義兄ちゃんが有名すぎるのか、周りの視線を感じた。その顔が赤い人と青い人がいるのに不思議がっていると、笑いを堪えたキラさんがルアさんを見る。
「ルーくんはお得意さんさ。ワイン好きだからね。いない間も良いのを取っておいたけど、どうだい?」
「……量が多いなら家に送ってくれ」
「貴様、仕事を終えてから飲めよ」
「ルアさん、お仕事ですか」
「うん……モモカの護衛」
ロープを解いたルアさんは出会った時と同じ服装で、左腰には剣を掛けている。そんな彼の言葉に首を傾げると、機嫌の悪いお義兄ちゃんが口を挟んだ。
「暇人のようだからモモの手伝いをさせることにした。草むしりでも水やりでもなんでもコキ使っていいぞ。当然、害虫(ヤツら)の駆除もな」
「え……でもお忙しいんじゃ」
「別に……コロポックルとか思って」
昨日今日会った人に手伝いなんてと戸惑うが、お義兄ちゃんも頷く。しばし考えたわたしは笑みを浮かべると頭を下げた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします!」
「うん……よろしく」
優しい笑みを返され、顔が熱くなる。
すると、横で笑っていたキラさんが思い出したように訊ねた。
「ところで、ルーくん。家に送ると言ったが、キミ今はどこに住んでるんだい? コロコロ住処を変えているだろ」
「うん……今はモモカん家「認めていないっ!!!」
まさかの発言に驚くが、お義兄ちゃんの怒声によって遮られる。
ルアさん、とても謎な人ですね。ここまでお義兄ちゃんを怒らせるのも弱点を知ってる人も少ないのに。そんなニ人の喧嘩を楽しそうに見ているキラさんにわたしも思い出す。
「キラさん、昨日は新しい種をありがとうございました」
「おや、見つかってしまったか。なに、以前モモの木に貰った薔薇から取った物だからね。キミの物でもある」
「今度はもっと素敵に咲かせて持っていきますね!」
「いや、あれは…………何やら焦げ臭いね」
「んきゃ?」
片眉を上げたキラさんはわたしの後ろを見る。
その声に喧嘩していたニ人も気付くように振り向き、つられるようにわたしも──刹那、大きな爆発音と共に目の前が赤く真っ暗に染まった────。