異世界を駆ける
姉御
最終話*「異世界を駆ける姉御」
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窓の隙間から強風が吹き通り、開いていたページが飛ばされる。
溜め息をつきながら元のページに戻していると、バタバタと階段を駆け上がってくる音に続いて小さなノック音。返事を待たずしてドアが開いた。
「ただいま~お兄ちゃん!」
「んっ、お帰り」
二つ結びにした黒髪に黄色の帽子と赤のランドセルを背負った妹を横目に、参考書を片手で押さえるとシャーペンを持つ。そんな俺の元にやってきた妹は、机に黄色の花を一束置くと笑顔を向けた。
「なの花さん見つけたの。おにいちゃんが学校ごうかくできますよーに」
「……なんだよそれ」
跳ねた黒髪をかく。
今はもう三月だ。確かに俺は今年受験だが菜の花は関係ない。むしろ温暖化のせいか散りはじめている桜が嬉しかったと一息つくと、妹は首を傾げた。
「だって、ひな姉ちゃんがいっしょだと、ゆうき100ばいでしょ? お兄ちゃんのべんきょうのときじゃ、まだお姉ちゃんのお花さんさいてな……洋一お兄ちゃん?」
ペンを置き、座椅子にもたれ掛かった俺、洋一は天井を見上げた瞼を手で覆う。動悸が激しさを増しながら脳裏に浮かぶのは、二年前の冬に消えた女性──魚住陽菜多。
まだ高校一年だった俺と保育園児だった妹、愛と仲良しだった彼女は自分達の目の前でマンホールに墜ちた。そう、墜ちた。
すぐ消防隊が駆けつけたが、不思議なことに彼女どころか荷物も何も見つからない。自分と妹だけなら見間違いだと思われただろうが、目撃者は多数おり、神隠しだと世間を騒がせた。
けれど、二年経った今となっては風化したように落ち着き、愛も今年小学校に上がった。ピカピカのランドセル姿に、可愛い年下が大好きな彼女は大いに喜んで抱きしめただろう。俺が高校に上がった時のように……そんな姿と思い出が浮かぶからこそ、彼女が生きていると信じられる。
事件当初はショックで何日も塞込んでいた。
愛もわかっているのか違うのか『ひなねえちゃんは?』と泣きながら裾を引っ張り、兄妹で抱き合って泣いた日が幾度もある。
そんな時にネットで彼女のように消えた人達がいることを知り、俺は真相を突き止めるために警察官を目指すと決めた。ツンツンしていた茶髪も戻し、身体を鍛え、猛勉強する毎日だ。
けれど、時々わからなくなる。
こんなことして本当に彼女が見つかるのか。そもそも彼女は本当に墜ちたのか。自分と愛の見間違いなんじゃないのか。変わらない笑顔でひょっこり帰ってくるんじゃないのか。そんな想いを抱くのは都合がよすぎるだろうか。
でも考えていないと彼女を──好きだった人を忘れてしまう自分がいて怖い。“魚住陽菜多”なんていなかったんじゃないかって。自分を呼んでいた声は幻じゃないかって。
「お兄ちゃんお兄ちゃん! 黒い鳥さん!!」
身体が震えはじめていると愛の大きな声が響く。だが、返事どころか振り向くことも出来ず両手で顔を覆った。
『おーい! 洋一ーーっ!!』
聞き覚えのある声に身体が跳ね上がると、慌てて辺りを見回す。
誰もいない。いるのはランドセルを下ろし、ベッドに座って窓を……何かを咥えた鴉を見ている愛。なぜ鴉?
疑問に思っていると、窓を開けた愛が鴉を招き入れてしまったため追い払おうと立ち上がる。と、咥えていたものを落とした鴉が信じられない芸を見せた。
『愛ちゃーん! 元気してるか?』
「かかかか鴉が喋った!?」
「ひな姉ちゃんだ!」
ツッコミをしてしまったが、大喜びする愛に思い返す。
そうだ、確かに聞こえた声は……呆然と鴉を見ていると、また聞きたかった声が響いた。
『私が墜ちてどのくらい経ったかはわからないが私は元気にしてるぞ』
「陽菜多……さん?」
『ちょっとまあ非常識だとは思うが異世界みたいなとこに飛ばされてな……あ、別にからかってないぞ! というかコレ、本当に録音出来てるんだろうな?』
『ジョブジョブ、多分っだ!!!』
落ち込んでいた自分とは違い元気に話す鴉。もとい、陽菜多さんと男の声。まだ頭が付いていっていない俺とは違い、愛は嬉しそうに鴉を撫でている。
『と、まあ聞いての通りだ』
「いや、わかんないから……」
『それでな、そっちに戻る方法もあったのだが──残ることにした』
「え……?」
まさかの発言に目を見開くと、彼女の小さな声が静寂な部屋に響く。
『そちらに還りたいのも本当だ……けれど大事なものが出来てしまってな。迷って迷って自分の心に問い掛けたら……帰るよりも、そいつらと一緒にいることが私にとって幸せな道になってしまった。だから──ごめんなさい』
動悸が激しくなる。ただ呆然と鴉を見つめるしかない横で『お姉ちゃん……帰ってこないの?』と愛が鴉に問い掛けるが“録音”の声だけが続く。
『でも、洋一と愛ちゃんには話しておこうと思って、この鳩鴉もどきを代理に飛ばすことにした』
「は、鳩鴉もどき……?」
『愛ちゃん、お姉ちゃんは元気だからな。足元と周りには気を付けて遊ぶのだぞ』
「うんっ!」
元気な愛の返事に、握り拳を作る両手が震えるが『洋一』と、静かな声で呼ばれ、身体が熱くなる。
『本当……マンホールに墜ちるなどみっともない大人だ。そんな私を一番心配してくれているのは洋一だと思う。ごめんな』
「陽菜……多さん……」
『私は変わらず笑顔で駆け回っているから貴様も元気に前を走れ。あ、足元には充分気を付けてな!』
強調し過ぎだとは思うが、俺もマンホールを避けるようになったのは事実だ。そして確かにマンホールに墜ちたと言う彼女は変わらず元気な声で言った。
『いつかひょっこり帰ることが出来れば、たくさんたくさん愛でてやるから楽しみにしててくれ! ではまたな!!──以上、十五時十六分にお届けしましたポッカアー!』
あの時と同じように笑顔を向けていそうな彼女の声が終わると、鳩鴉もどきは消え、静寂が部屋を包む。開いた窓から流れてくる風にポツリと呟きを漏らした。
「今じゃ……ないのかよ」
「お兄ちゃん?」
声も、解かれた両手も、肩も震え、伏せた頬に流れるのは──涙。
「なんで今……帰ってこないんだよ……なんで……」
「お兄ちゃん泣いちゃだめ! 笑って!!」
「愛……?」
ポタポタと雫が落ちる横で、愛が鳩鴉もどきが咥えていた物を笑顔で見せた。
「だってお姉ちゃん、こんなに笑顔だもん。泣いてちゃおこられるよ」
それは一枚の写真。そこには黒髪の陽菜多さんが笑顔で映っていた。『異世界』と言っていたように、カラフルでイケメンすぎる男達と一緒に。
手に持ったままベッドに倒れ込むと、慌てて愛が顔を覗かせるが、俺は──笑っていた。
「なんだよ……大事なものって男かよ……何してんだよ……」
「鳥さん、またお姉ちゃんと会わせてくれるかな」
「あー……つーか、さっきの鳥って鳩と鴉どっちだ?」
今さらながらツッコミし忘れたことを思い出すと、苦笑しながら写真を見つめる。
まだ実感は沸かないが、確かにここに写っているのは彼女だ。だが写真を警察に持って行っても信用されないだろうと一息つくと、愛が勢いよく抱きついてきた。
「お姉ちゃん元気に走ってるって!」
「ホント、異世界に行っても駆け回るとか姉御らしいよな」
「いせかいをかけるお姉ちゃん?」
「そうそ、異世界を駆ける姉御だ」
一緒に笑いながら机にあった菜の花を手に取り、写真と交互に見る。
考えるのは警察官ではなく発明家にでもなろうかという夢。こっちから行ったら彼女はどんな顔をするだろうか。驚くか変わらず抱きしめられるか……それは嫌だ。
大きな溜め息をつくが、瞬きする愛に笑みを向けた。
「まずは、この連中よりカッコ良くならないとな」
「お兄ちゃんファイト~!」
元気に応援する愛の髪をぐしゃぐしゃにしながら窓の外を見る。
心地良い風に葉桜が揺れ舞う空。まるで自分の心の雲を取り払うかのように晴々としていてた。
願わくば、彼女も同じ空を見ているといいな──。
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青空が広がる世界に跳び出す四つの影。
女を先頭に階段を駆け下りると、背後から大声が届く。
「よっしゃー! 『青の扉』通れた!!」
「良かったな、エジェアウィン」
「ドベですけどね」
「うっせーよ!」
一緒にラズライトの街を走るアズフィロラとラガーベルッカに、エジェアウィンは声を荒げる。そんな彼らに、先頭の女ヒナタは笑いながら空を見上げると、何かが堕ちてくるのが見えた。
「あれだな」
「間違いない。しかしイヴァレリズもわかっているなら自分で助ければいいものを」
「今日はベルデライトに……ケーキバイキング行くって……言ってました」
「うわっ! いたのかよ、カレスティージ」
突然現れた男に驚いたエジェアウィンにカレスティージは頷くと、ヒナタに抱きつく。
「こらこら、スティ! ひっつくのは後にしろ!!」
「あとで……部屋にきてくれ「落としますよ」
黒い微笑みを向けるラガーベルッカの声に、カレスティージは目を細め睨み合うが、ヒナタの怒声が落ちた。
「だから後にしろ! あれが可愛い女子で年下で怪我したらどうしてくれる!! 無事助けたらキスでもなんでもしてやるから!!!」
「「「「よっし」」」」
大きく頷いた男達など気にせず木箱を土台に踏んだ彼女は屋根に着地し、同郷の下へ走る。
その様子を黒竜の旗が揺れる屋上で見つめる漆黒の髪と赤の瞳をした男が二人──十四代目国王と魔王だ。
『あらたな異世界人がきよったか』
「や~ん、仕事が増えたなり~」
ぐちぐち言う王に魔王は溜め息をつくとヒナタを見る。
彼女の首には赤のチョーカー、右耳には翡翠のイヤリング、胸元には藍のネックレス、左手首には赤いハチマキと紫のブレスレット。災厄をもたらす異世界人に幸福が訪れたかのように輝く宝石(ひかり)に、魔王の口元は弧を描いた。
『あやつとの“約束”守るのだぞ』
「マジ、ヒナに嵌められた」
すまし顔の魔王に、イヴァレリズは頬を膨らませる。
ヒナタは“イヴァレリズ”に『元の世界にいる友達に伝言を届けたい』と願い、“王”に『他の異世界人がやってきた時は還してやってくれ』と願った。その願いが反対であればイヴァレリズは聞かなかっただろう。だが“王”として聞いてしまった以上、責務を果たさねばならない。
大きな溜め息と共に立ち上がった王は国を囲う壁に目を向けた。
『天命の壁』。
魔物の侵入を塞ぐと共に“運命”に抗うかのように高き壁を乗り越え、新しい世界を切り開いて欲しいと願いが込められた壁。そしてその壁と扉は五百年経った今、一人の女性によって解放された。
笑みを浮かべた男は隣に佇む存在と共に影へと姿を消し、招かれた異世界の少女が降り立つ。
風の力で浮く少女は困惑しながら地面に足を付けると、同じ漆黒の髪と瞳を持つ女性と四人の男達が出迎えた。震える少女に女性は優しく微笑む。
「ようこそ──アーポアク国へ」
アーポアク。それは虹色の輝きを放つアンモライト石。別名“小さいありふれた石”。けれど、小さな石は強い想いで特別な宝石(いし)へと変わることが出来た。彼女と、彼女を包む男達によって。
そんな虹色にも負けない宝石を持つ輝石は、今日も異世界を駆ける────。
Fin