異世界を駆ける
姉御
00話*「墜ちた」
小さい頃からスポーツ、特に走るのが好きだ。
駆け抜ける度に違う景色、行き交う人々、街並み。同じものは何ひとつない。が。
「遅刻するーーーーっっ!」
朝から全力疾走する私、魚住(うおずみ) 陽菜多(ひなた)、二十八歳。職業OL。
年末を前にして、悠長に景色なんぞ見てられるか! そもそも道路工事ばかりではないか!! 恨むぞ都会!!!
「ひなねえちゃ~~ん」
悲しみの疾走をする足を急停止させる声。
振り向けば見知った二つ結びの黒髪に、ピンクのコートを着た保育園児の愛ちゃん。そんな妹を抱えるのは、ツンツンの茶髪に黒の制服。マフラーを巻いた高校生の兄、洋一。
手を振る二人に、時間など忘れ駆け寄ると抱きついた。
「ぎゃあああぁぁーーっ! 朝からやめてくれよ、陽菜多さん!!」
「何を言う! これは私の愛だ!! ああ~癒されるな~!!!」
「変態思考だってそれ! ちょっ、胸!! 胸あたって苦しいから!!!」
愛ちゃんは嬉しそうなのに、わからぬ男め。まあ、可愛いから許そう。
洋一より身長のある私は一七十センチ。髪は茶に染めたショートボブで、グレーのパンツスーツ。手には白のコートとバックを持っている。
真冬にコートを着ていないのはただの暑がりだが、半分は豊満に育ってしまった胸のせいだ。
気付けば成長を続けた我が胸様は以前店で測ったらG。
おかげで白のブラウスはパッツンパッツン! そこまで育って貴様は何がしたいんだ!! おかげで可愛い服が着れんだろ!!!
いや、可愛い服なんて私には似合わんがな、うむ。
ちょっと寂しくなりながらニ人を腕から解くと、洋一は胸に圧迫されたせいか苦しそうに息を吐く。反対に彼の腕から下りた愛ちゃんはテコテコ歩きはじめた。うむ、可愛い。
「陽菜多さん……いつもムッスリ顔なのに、ホント小さい子とか好きだよな」
「可愛いのと年下が大好きだからな」
「それって俺も……」
「入るぞ」
洋一はガックシと肩を落とした。なんだ?
彼が言うように普段ムッスリ顔な私だが、本当はピンクや可愛い物が大好き。だが、口調からわかるように男勝りに育ったため“似合わない”と周りから言われ続け、集めたり愛でるだけにしている。
さらに年下=可愛いという式も成り立つせいか好きで、人を見ると瞬時に自分より年上か年下かわかるレーダーを持つ。しかも百発百中。
「ところで陽菜多さん、急がなくていいの?」
「あ、そうだった!すまんな愛ちゃん洋一、また……ん? 愛ちゃんはどこ行っ……!?」
振り向くと、点滅している横断歩道を渡ろうとしている愛ちゃん。
バックとコートを洋一に預けた私は急いで駆け出すと、道路に出た愛ちゃんを捕まえた──が、車が猛スピードで突っ込んできた。
「愛っ! 陽菜多さんっ!!」
「きゃあぁぁっ、危ないっ!!!」
洋一と通行人の悲鳴が聞こえたのと同時に愛ちゃんを抱え込むと、勢いよく地面を蹴る。宙に浮いた身体は突っ込んできた車の上を高く跳び越え、目を丸くする人々を横目に宙返り。反対の歩道へとスライディングしながら転げ落ちた。
「ったたた……」
スカートじゃなくて良かったと思いながら、腕の中の愛ちゃんを見る。
その顔は何が起こったかわからないといった瞬きをし、笑いながら確認した。
「愛ちゃん、ケガはないか?」
「うん……あい……おそらとんだ~」
「愛! 陽菜多さん!!」
顔を青褪めた洋一と通行人が集まるが、頬に傷、スーツが汚れただけで捻挫もしていない。確認しながら立ち上がると、突っ込んできた車の運転車であろうリーマン男が駆け寄ってきた。その顔は真っ赤。
「てめぇっ、突然出てきて危ねぇだろうが!」
なん……だと?
何かが切れそうになる私より先に洋一が食って掛かるが、男は『俺は悪くねーからな!』と、洋一を突き飛ばした。瞬間、私は男に回し蹴りを食らわしていた。
周りが息を呑む気配がしたが、構わず倒れ込んだ男の胸倉を掴むと怒号を響かせる。
「危ないのは貴様もだ! 十二月でクソ忙しいのはわかるが目視確認を怠るな!! わかったか!!?」
「は、はいぃぃ~~~~っ」
リーマン男は涙目で頷き、私はフンと鼻息を荒くする。
背後で『さすが姉御』と、洋一の呟きが聞こえた。姉御とか言うなコラ。
そして私のレーダーでは、リーマン男は年上。女性は年齢問わず大好きだが、年上男に興味はない。嫌いではないが反応しないな。
今回ばかりは関係ないかと顔を上げると、ビルのモニター時計を捉える。
指針に慌てて洋一からバックとコートを受け取ると駆け出した。
「本気で遅刻する! ひとまず警察に連絡して、私は仕事帰りに寄ると伝えてくれ!!」
「ちょっ、陽菜多さんはケガとかないのかよ!?」
「問題ない! 体操もしてたから身体は柔らかいんだ!!」
「そういう意味じゃなくて!」
ん? 何か違ったか?
昔から陸上も体操も空手も剣道もしていたから身体は丈夫だぞ。
そんな上の空だったせいか、愛ちゃんの『おねえちゃんまえ~』と言う声に反応が遅れた。
「なっ……!?」
気付けば『下水道工事中』の仕切り板を陸上の癖か、ハードル越えのように跨いだ。が、着地場所は丁度開いていた大きなマンホールで──墜ちた。
「ひいゃああああぁぁぁぁーーーーーーーーっ!!!」
久々に女らしい悲鳴を上げたが『陽菜多さーん!』と叫ぶ洋一の声が徐々に遠くなる。
カッコ良くきめておきながらこのオチはなんだ! 暗い場所は嫌いだが、せめて会社前に着いてくれ!! 今日は給料日なんだからーーーーーー!!!
そんな悲しい悲鳴と共に私は墜ちて行った──ボッスン!、と、水ではない柔らかい何かの上に。
……ん? 柔らかい?
顔に掛かっているコートを退けると目をそっと開け、柔らかい物の正体を確認する。
それは赤の柔らかいクッション素材に、縁が金色とえらく豪華な椅子。というより玉座?
見上げると天井も高いし広いし、壁には彫刻画のような模様があるし、シャンデリアまで……下水道ってこんな楽園だったのか。
「んなわけあるか!」
ツッコミをしながら急いで跳び起きる──刹那。
左頬、首、胸上、股の間に冷たいものが擦った。
「「「「動くな」」」」
響き渡る冷ややかな声に視線だけ動かすと、玉座を囲む四人の男達が鋭い刃を向けていた。
い、いったいなんなんだーーーーーーっ!!?