74話*「スタート」
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キラキラと輝くガラスが落ちていくと、まるで雫のように見える。
けれど、鮮やかな緑色が着色されたガラスも粉々となってしまえばただの欠片。無残にも散らばった中から手の平サイズのガラスを拾い上げた者は大きな溜め息を漏らした。
「みなさん、大丈夫っスかね……」
ヒビが入ったガラスに彼、メルスの銀色の髪と瞳が映る。
その表情はどこか心配そうに中央塔を見つめていた。揺れる瞳の先には数百もの魔物達が我先にと『王の間』に突入する光景。だが、青飛沫と一緒に壊れた窓から肉片が落ちてくると背中を向けた。
「お、俺は何も見てないっス。俺の仕事は……」
「あれ、セルジュは一緒じゃないんですか?」
予想外の声と一緒に聞こえたガラスを踏む音に、反射的に振り向いたメルスは剣を抜く。だが、目先に立つ者にピタリと切っ先が止まると、大きく目を見開いた。
「おはようございます、メルスさん」
「貴方は……」
声を振り絞ったメルスの手からガラスが落ちる。
音を鳴らしながら落ちた欠片には青い三角屋根と窓越しに見える鐘。そして、それらと同じ色を持つ者の微笑を映していた──。
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吹き通る風に乗るように、ウグムーさんが消える。
罵声らしきものをセルジュくんが上げるが、わたしは壇上を見つめた。変わらず微笑むノーマさんと、巨大な両手が飛び出している黒い本を。
指先の爪は刃物のように尖り、右手が振り上げられる。
それを止めるように棘のついた鞭が右腕を縛ると、今度は左手が上げられた。けれど、右手同様動きが止まる。目を凝らして見れば、糸らしきものが何十にも巻かれていた。
左右にはお義兄ちゃんとキラさんが歯を食い縛り、綱引きをしているかのように腕を引いている。その隙に跳び出したルアさんとケルビーさんが剣を振り上げるが、ノーマさんの胸元が光ると、魔物達が一斉に跳びついてきた。
「雑魚の……くせして!」
「うっぜーっ!」
振り下ろされた剣は魔物を斬り、その隙に両手は鞭と糸を引き千切る。
反動でお義兄ちゃんとキラさんが壁際まで飛ばされると、自由になった両手が地面に降り立ったルアさん達に迫り、慌ててジュリさんが『水氷結界』を巡らせた。けれど、拳を握った衝撃には敵わず、割れた水氷と一緒に三人は吹っ飛ばされる。
「きゃああああ!」
「みなさん!」
悲鳴が被ると、片腕でジュリさんを抱き留めたケルビーさんとルアさんが宙返りする。地面に足を着け滑る彼らに、本から跳び出した黒紐が迫る。
「シエロ!」
「ローボ!」
二人の声に、七色に光る鳥さんと炎を纏ったオオカミさんが跳び出し、黒紐を食い千切る。同時に息を切らしながら合流したお義兄ちゃんとキラさんが鞭や魔法で薙ぎ払い、セルジュくんと安堵の息をついた。
「見てる方もたまったもんじゃねーな。けど『完全解放』しないまま、いつまで保つか……」
「あれって『解放』してるんじゃないんですか?」
キラさんとジュリさんの武器を指すが、浅い呼吸を繰り返すセルジュくんは首を横に振る。
聞けば大幅な魔力を使う『解放』を長く維持するのは危険で、今のみなさんは武器だけ『解放』する少エネモード中とのこと。小エネ中は『解放精霊』が縮むらしく、確かにケルビーさんの傍にいるオオカミさん、そして宙を飛ぶ鳥さんには覚えがあった。
薔薇園火災時よりも小さいけど、輝きは変わらない鳥さん。
それがルアさんの『解放精霊』だとわかりつい見惚れてしまうが、捕まえようとしている黒い手に疑問を持つ。
「じゃあ、あの両手……ノーマさんのは『完全解放』?」
「わかんねーよ。アイツが『解放』できるなんて知らなかったし、兄上のとも違う……けど、途中で片手出てきたなら、やっぱ最後巨人とか出てくるんじゃないか?」
お兄さんも『解放』が使えるのか疑問が増えるが、自身の手のように動かすノーマさんを見直す。
巨大な本の中から出てきた黒い手や紐。でも、周りの魔物達は床から出てきているから、本とは別で考えた方がいいかもしれない。
「くっそ、ヤロー動く気さえないぜ。あの手がなけりゃ団長達が勝つってんのに!」
苛立つように足踏みするセルジュくんにわたしも気付く。
言われてみればノーマさんは壇上から動いてない。唯一ステンドグラスが割れた時……でも、途中で魔物の壁に覆われたから確かじゃないし、彼自身弱いと言ってた。それが本当かどうかはわからないが、一VS一ならわたしも団長さん達が勝つと思う。
何より、跳び出す魔物と同時に彼の胸元で光っている物が気になる。
「んきゃ、確かめに行ってみましょう」
「へ? どこに?」
「ノーマさんのところです」
準備運動をはじめたわたしに、ルアさんに似た反応を返したセルジュくんはノーマさんを見る。そしてわたしを見る。その顔は真っ青で、震えながらノーマさんを指した。
「セルジュくん、人様を指してはいけませんよ」
「いやいや、わかってるけど違うだろ! ルンルン達さえ近付けないアイツにどうやって「今だから行くんです」
遮ったわたしの強い声に、セルジュくんは瞬きする。
ノーマさんの声で開いた本は第七章からはじまって、黒紐。そして六章で両手が現れた。連動していると考えるなら少なくとも残り五回何かが出てくる。それがセルジュくんが言うように巨人でもなんでも、時間があるといえた。
「みなさんが抑えてくれている今が近付けるチャンスだと思うんです」
「だ、だからってモンモンが行くことないだろ! 行くならオレが」
慌てて自身の胸板に手を宛てるセルジュくんに、背伸びしていたわたしは笑みを向けた。
『魔香封』の影響などで彼の息は上がっていて大量の汗をかいている。その点わたしは異世界人という特性のおかげかなんのダメージもないし、自慢じゃないけど足も速い。
「それに金髪のセルジュくんでは目立ちますから、魔物と同じ真っ黒なわたしが溶け込みやすいですよ」
髪を結い直すと白のエプロンを脱ぐ。
セルジュくんは言葉を失っていたが、大きく息を吐くと何かを呟いた。すると、体長四十センチほどの白の羽衣。青灰色の羽根に黄色の嘴と翠の瞳をしたカモメさんが風に乗って現れた。驚くと、カモメさんは魔物を細切れにするお義兄ちゃんのところへ向かう。
「宰相に言わねーと、オレが殺され……ほら、どやかや言ってきた!」
両手で耳を塞ぐセルジュくんは眉間に皺を寄せると、さっきの内容を話しはじめた。
魔物を蹴るお義兄ちゃんもカモメさんに向かって何か叫んでいて、分身との会話(?)みたいなのをしているように思える。こっちにきそうな勢いの義兄に、両手でバッテンを作ったわたしはセルジュくんに言った。
「お義兄ちゃん、子ガモとしてバレなかったわたしですよ! ちゃんとセルジュくんの背中にエプロンドレス付けて隠れてるアピールしますから行かせてください!! ついでに頭突きしてきます!!!」
「オレに何を付けるっわわっ!」
脱いだエプロンドレスをセルジュくんに被せる。
身長は彼の方が高いし、マントは隠れるのに適した物。そこに、エプロンを背中側につけたことで、前から見ればわたしがいるように見えます! 完璧です!! 普通に着ても似合いそうですね!!!
「オレ……王子以前に男としてダメかも……」
「んきゃ?」
両手で顔を隠すセルジュくんに首を傾げるが、お義兄ちゃんも額に手を当てている。
でも灰青の瞳と目が合った気がして、わたしは大きく頷いた。数秒ほど複雑そうな顔をされるが、大きな息を吐くと魔物を踏み台に跳び、宙で指揮者のように両手を動かす。
それに反応したのは団長さん達で、一瞬全員の戸惑ったような目がわたしに向けられた。
でもすぐに散開すると、ルアさんとケルビーさんが左右の手に斬りかかり、ジュリさんが援護する。周りの魔物はお義兄ちゃんが細切れにし、伸びたキラさんの大判ショールがわたしとセルジュくんの前を遮った。肩にセルジュくんの手が乗る。
「最初はショールを壁に進め。バレやすいから途中で消えるけど、そっからは宰相が細切れにした方に行けばいい」
「ふんきゃ、ありがとうございます!」
笑顔で礼を言うわたしとは反対に、セルジュくんは苦渋の色を浮かべる。
それでもぎゅっと瞼と口を閉じると背中を押してくれた。それが合図(スタート)のように、浮いた足が地面に着くと勢いよく駆け出した。
同時にわたしを隠すショールも足に合わせて動く。
当然のように魔物達が襲ってくるが、宙にどうやって浮いてるかわからないお義兄ちゃんが指を動かすと一瞬で細切れになった。床に広がる青飛沫と、死骸が埋め尽くす光景に心臓は早鐘を打ち、身体が震える。
こんな戦場を駆けることになるなんて思わなかった。すごく怖い。
なんでルアさんやお義兄ちゃん達は平然といられるのか、何を考えていれば気丈に振舞えるのか。口では強気なことを言えたのに、いざ走ると焦りや不安、恐怖で足が止まりそうになる。
でも、ノーマさんが気付いてる気配がないことに、やっぱり本と魔物を動かしている力は違うんだと、走っている意味がある気がした。
「第五章、はじまりの書に記されし輝石」
白文字が埋まったページが大きく捲られる音と、両手を動かすノーマさんの口が重なる。
“輝石”が引っ掛かったが、キラさんのショールがなくなったことで慌てて窓際に積み重なった魔物の死骸を壁に隠れた。少しだけ顔を出すと、必死に腰を振りながらわたしがいるアピールしているセルジュくんをノーマさんが見ている。その口元は笑っているのに目は笑っていない。
「異なる世界から現れた異世界人(モモカ)は、この世界に災厄を齎(もたら)す輝石(いし)だと云われている」
「え……?」
「何……言ってんだ!」
つい動揺の声を上げてしまったが、苛立った様子のルアさんとお義兄ちゃんが巨大な左手の指を五本とも斬ったことでノーマさんの視線が二人に移る。斬られた手からは噴水のように青飛沫が噴出し、ノーマさんの左手からも赤い血が垂れた。
その血を一瞬見下ろした彼は、宙に浮く二人に笑みを向ける。と、突如本の中から黒い閃光と同時に一線が放たれた。真っ直ぐ伸びる光線が目を見開いた二人に直撃する。
「青薔薇っ!?」
「朴念仁っ!?」
大きな爆発に、ケルビーさんとジュリさんも青褪めた顔で頭上を見上げる。
わたしは声を堪えるように両手で口元を押さえるが、黒煙から落ちてくる影に動悸は激しい。けれどそれは人ではなく白い布に包まれた物体。
ゆっくりと布が解かれると、息を荒げるルアさんとお義兄ちゃんが現れた。特に大きな怪我はないようで安堵すると、白い布がキラさんの手に戻っていく。どうやら彼のショールだったようで、立ち上がったルアさんは辺りの魔物を斬り、お義兄ちゃんは眼鏡を上げた。
「キラ男、助かった」
「うん……ちょっとヤバかった」
「次は護れないよ……専門じゃないし、修繕も難しくなるからね」
キラさんは苦笑するが、肩掛けに戻ったショールに空いた穴や焦げた痕を見つめる瞳はどこか切ない。そんな瞳と目が合い、身を屈めると、急ぐように足を進めた。
光線が出た以外本に変わりはないが、黒いオーラが濃くなっているのがわかる。背筋に感じる悪寒に両腕を擦ると、汗を拭ったお義兄ちゃんが壇上を見据えた。
「で、そんな根も葉もない与太話を信じろと?」
「信じられないだろうな。この国に『幸福の鐘』という厄介な代物があるせいで」
指先から零れる血を唇に付けたノーマさんの深緑の瞳が鋭くなる。同時に胸元の光が強くなると、黒い炎が渦巻く右手を上げた。
「第四章、地に墜ちた幸福」
五章から間がないことに、慌てて魔物の死骸壁を道なりに進む。
けれど、足に伝わる地鳴りに立ち止まってしまい顔を上げた。見れば、囲んでいた魔物達が数十体、本の中に吸い込まれ、ルアさんとお義兄ちゃんが斬った指を修復。それどころか、本の中から黒い角のようなものが二本出てきた。
ズブリズブリと鈍い音を鳴らしながら出てくる巨大な物体。
その姿にさすがの団長さん達も開いた口が塞がらず、ただ天井近くまで現れたソレを見上げた。黒い炎を帯びた真っ黒な上体と鬼のような顔を。
(ふんきゃあああああ~~~~~~!!!!!)
内心大絶叫のわたしはその場で丸くなる。
声に出さなかっただけ褒めてもらいたいですが、ぶっちゃけ怖すぎます! もう完全にホラーの域です!! 夜だったら完全にトラウマになってます!!!
「この中で言うとヤキラス、グレッジエル、セルジュアート……お前達は友好の象徴を知っているな?」
魔物の壁で姿は見えないが、目尻に涙を溜めるわたしとは違い、ノーマさんの声は淡々としている。同じようにルアさんの声も聞こえてきた。
「四方庭園にある……『幸福の鐘』のことだな? 魔物から国を護ってるって……」
「ほう、キルヴィスアも知ってたか」
「知っているというなら私達全員さ。キミが『薔薇庭園』を燃やさせたのは鐘を葬るためだったんだろ?」
いつも優しいキラさんの声はとても刺々しい。
でもどこか戸惑っているようにも聞こえ、丸めていた身体をなんとか起こす。映る光景に目を疑った。
ルアさん達団長さん三人とお義兄ちゃん。そして、セルジュくんが向かい合うのは本から跳び出た真っ黒な鬼さん。その傍には変わらず壇上に佇むノーマさんがいるが、その姿は右腕どころか顔の右半分まで真っ暗な炎に覆われていた。
言葉を失うわたし達とは違いなんともないのか、ノーマさんは続ける。
「自然と国を沈めるには巡らされた結界を破壊し、魔物に襲わせた方が手っ取り早いからな。私も半信半疑だったが、北のを沈めて真実だと知った……そしてしぶとかった南と東を沈めたことでもう少し」
「南のを壊したのもお前か!?」
怒声を張り上げながら前に出たセルジュくんは目を吊り上げ、憤怒の意を表す。両手を握りしめる彼のようにルアさんの顔も険しくなると、ふっとノーマさんは微笑んだ。
「ああ、コーランディアを地下に落としたのは私だ」
告白と笑みはいつもと変わらない。
それでも目は狂気に満ちているのがわかった────。