61話*「陽の下」
無数の炎矢から護ってくれていた大きな黒褐色のお腹が主人と共に飛び立つ。
頭上から注がれる光は雲の切れ間から顔を出した月。白い鈴蘭畑を幻想的に魅せる月光は夜空を照らす唯一の光。けれど、それ以上に強く輝く光が目の前にあった。
ただ佇んでいるだけで迷い人を正しき道へと導く暖かな光。
暗闇どころか月光さえも払い除ける光は灼熱に燃える赤ではなく、静かに世界を照らす橙黄(オレンジ)。変わらない微笑と柔らかな赤の瞳に、激しかった動悸は落ち着きを取り戻し、その名をまた呼んだ。
「キラさ……ん」
「あっははは! 二度も呼ばれると幽霊にでもなった気分だ。集合場所にいないから困ってしまったよ、モモの木」
聞き慣れた笑い声は身を屈めると大きな手でわたしの頭を撫でる。
暖かな手と胸元で結われた金茶の三つ編み。そして、一人にしか呼ばれない名前に現実だとわかると、込み上げてきた嬉しさを伝えるように声を上げた。
「キラさん!」
「モモの木!」
「キラさんキラさん!」
「モモの木モモの木!」
「キラさんキラさんキラさん!」
「モモの木モモの木モモの木!」
「なんなんだよコイツら……」
気付けば抱き上げられ、笑顔でぐるぐる回るわたしとキラさん。
唖然とするセルジュくんの顔は以前のルアさんとナナさんと同じで、義兄弟でもやっぱり似ていた。けれど、宙に佇む二人の表情は違う。
服が血で汚れているルアさんは安堵の息をつき、ナナさんは苦虫を噛み潰したような顔。いつもならルアさんに向ける表情をわたし……を、抱き上げるキラさんに向けていた。
その目に怯むも、身体に巻きついた茨で身動きが取れないでいるナナさんとキツネさんの姿がある日と重なる。それは、ルアさんとはじめて会った日の夕刻。現れた魔物と対峙した時と同じ。
「ルアさんを助けてくれたのに似てる……」
呟きにキラさんは微笑を浮かべた気がしたが、悲鳴のような声に顔を上げる。
その声はキツネさん。九本の尻尾をひとまとめに縛られているのが嫌なのか、大きく体を振り動かし、引き千切ろうとしていた。その度に鋭い棘が刺さり、悲鳴と共に血が噴き出す。
「よせっ、ソラ! 『停地茨(ていちきょく)』では分が悪い!! 緑!!!」
「はいはい。ホント、虫も殺さないような顔しておきながらエグいことするよね、ヤっちー」
暴れるキツネさんと怒気を含んだ声を上げるナナさんに、オオカブトさんに乗ったムーさんは溜め息交じりで十字剣を握る。その瞳はキラさんを捉えているが、わたしを下ろした彼は右手を口元に持ってくると空を見上げた。
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。私はキミ達と違って、するべき仕事はしたとも。まったく、帰国早々カップル喧嘩を目にしたかと思えば次は義兄妹喧嘩とは……キミら、本職はなんだい」
眉を下げた微笑に、どこからか遠吠えが響くと全員が考え込む。数分後。
「モモカの……お手伝い兼……護衛」
「主(あるじ)の護衛だ」
「ひゃは、道化師」
「さすらいの旅人とかカッコイイか?」
「ふんきゃ、ニートになりました」
「キミら、本気で言うのはやめたまえ。あと、モモの木。悲しいから自虐はやめようか」
なんとも言えない眼差しがわたしに集中する中、苦笑するキラさんの手に頭を撫でられる。少し荒い撫で方に謝るように頷くと手が止まった。
「でも、再出発するためには真意を見極めないとね……」
「キラさ……!」
あまり聞かない低い声に顔を上げるが、鋭く冷たい赤の目が空に向けられている。わたしだけでなく、他のみなさんも喉を鳴らした。
それが合図のように、冷や汗を流すムーさんが慌てて十字剣でナナさん達の蔓を切ると、解放されたキツネさんの声が上がる。背に乗るナナさんも炎の洋弓を構え直し、ルアさんは二人とキラさんの様子を窺うように目を動かしていた。
キラさんは気にする風もなく話しはじめる。
「まず、宰相であるノーリマッツ・アガーラがこの事態の主犯であるのを念頭に置いて話そうか」
「キラ……知ってたのか?」
「料理長の話を私も聞いているからね。マドレーヌちゃん同様、おおよその検討はつくさ」
胸に痛みが走る名前と過去に瞼を閉じそうになる。
けれど鋭い瞳とは違う、いつもの優しい笑みで頭を撫でてくれるキラさんに動悸が一定のリズムを刻みはじめた。その心地良さに小さな笑みを零すと、同じ笑みを返したキラさんは空を見上げる。
「そして、恐らくムースくんと違って七輝ちゃんは計画の殆どを知らないだろう」
炎を纏うナナさんにキラさんの真っ直ぐな瞳が向けられる。
彼女の眉は上がったままで本当かどうかはわからないが、ムーさんはベレー帽を外すと手で回しはじめた。そんな彼を目の端に映したまま、恐る恐るわたしは訊ねる。
「計画って……薔薇園を燃やすことですか?」
「それもだろうが、一番は『幸福の鐘』だろうね」
「鐘?」
片眉を上げたセルジュくんと三人、上階が壊された塔を見る。
既に鐘なんて物はなかった『福音の塔』。すると、同じように塔を見ていたルアさんにキラさんは視線を移す。
「ルーくん。騎士学校の教科書に鐘のことは載ってたかい?」
「いや……だから俺……不真面目で……けど……聞いた覚えはない」
額に手を当て、唸るルアさん。
不真面目だったらどっちかわからない気がしますが、ジュリさんもないと言っていた。マリエットさんの話では必修のようだったのに。すると、セルジュくんが割り込むように言った。
「オレのには載ってたぜ」
「ふんきゃ!?」
「私もだ。授業でも習ったしね」
「へ……?」
同意するように頷くキラさんに、わたしとルアさんは目をパチパチ。他の二人にも確認を取ると揃って首を横に振った。あれ?
「ちなみにカルビーくんと藍薔薇は習っていないが、灰くんは習っている」
「お、お義兄ちゃん『幸福の鐘』のこと知ってたんですか!?」
「彼は火災のことを知らないだけさ。ちゃんと塔自体のことを聞いたかい?」
苦笑するキラさんに考え込む。
言われてみれば錆色ばかりに気を取られてて『この塔なんですか?』って聞くより先に『なんで屋根がサビてるんですか?』って聞いた気がします。出会って間もなかったので『知らん』と一蹴りされましたし、鐘についても『いつ鳴るんですか?』しか聞かなかったので『貴様が飛んで、頭でつくなら鳴るな』とか言われましたね。
そんな懐かしいことを話すと上空で爆笑された。
「ひゃははは! そりゃ確かに鳴るわ!! グっちー最高!!!」
「あやつ……テキトーにもほどがあるだろ」
「今の宰相から想像出来ねーな……」
「言葉数が足らないって……あいつのこと……言うんだろうな」
それ、ルアさんもですけどね。の言葉は飲み込む。
それにしてもキラさんとお義兄ちゃんとセルジュくんが知っていて、他のみなさんは知らない。その違いは……前者三人は騎士じゃない?
「確かに……グレイは一般……セルジュはトゥランダだから……俺達と違うけど……キラは……」
口元に手を寄せ考え込むルアさんはキラさんを見る。
わたしの推理、当たった気がしたのにハズレた気分になるのはなんでですかね。するとお腹を押さえ、笑いを懸命に堪えるムーさんが口を開いた。
「あの男が宰相になったのが今から十八年前……二十の時。今の団長で生まれてるのがヤっちーだけって考えれば自ずと答えは出……ひゃはは!」
「キラさんだけ……ん?」
ムーさんの背を叩きたい衝動に駆られながら、一瞬スルーしそうになった言葉に疑問を持つ。でも。訊ねるよりも先に顔を青褪めたセルジュくんが叫んだ。
「まさか、改ざんしやがったのか!?」
「か、改ざん?」
「教科書から……『幸福の鐘』を……消したか……」
「えええぇぇーーーーっっ!?」
吃驚の悲鳴を上げると、瞳を細めたルアさんはキラさんとムーさんを見る。二人は否定しない。
か、改ざんって……確かに宰相という立場を考えれば色々な決定権があるかもしれませんが、国のお宝ともいえる鐘のことを消していいんですか!?
言葉を失うわたしとは反対に、セルジュくんがキラさんに問う。
「騎士学校のだけ載ってねーのか?」
「なかったよ。少なくとも二十年前から綿密に練られていた計画になる」
「で、でも、騎士学校のだけ消して意味があるんですか?」
「逆に一般を消す方がリスクが高い。私より上の年代の方々は当然知っているからね、問われ答えられなかったら怪しまれる。その点、騎士学校は入学と同時に寮生活になるから外部に洩れる率が低いんだ」
話しながら三つ編みを結った赤の紐を解くキラさん。
緩いウェーブが掛かった綺麗な金茶の髪を指先で梳く彼に、わたしとセルジュくんは顔を見合わせる。
絵本や昔話のように聞かされて育つものであれば誰もが知っていたかもしれない。でも、マリエットさんに聞くまでジュリさんも知らなかったということは国は鐘の存在を報せてるわけじゃない。お義兄ちゃんのように習った人が政治部や城内就職しても、鐘は各庭園で管理しているから関与することもない。
それを十八年も前から実行されていたことに寒気を覚えていると、頭上からルアさんの声が落ちる。
「けど……『友好の象徴』文を消すとか……騎士OBが多い教師陣が……よく承諾したな」
「古参の話では当然反対もあったそうだが『鐘に頼ってばかりでは騎士の名がすたるだろ』と言いくるめられたらしい」
「鐘に頼る?」
妙な言い方に首を傾げると、三つ編みをし直すキラさん。
長髪の男性をあまり知らないせいか、編み込む姿が新鮮で見惚れてしまう。そんなわたしの意識を戻したのはセルジュくんの両手を叩く音。
「もしかして、城を護ってるっつー……え、あれマジ話?」
「当然さ。教科書に嘘を書いてどうするんだい」
「二人で納得するなよ……」
驚くセルジュくんと微笑むキラさんを不快そうに見るルアさんにわたしも同意。
ついでにナナさんもルアさんと同じ顔してます。ソックリですとはさすがに言えないので、城を護るのと鐘がなんの意味があるのか問うと、二人は手を横に振った。
「鐘が城を護っているんだよ、モモの木」
「メルス達、緑薔薇部隊の結界とは別に城にも結界が張ってあるらしくてよ。それらは四隅に置かれた『幸福の鐘』から発せられる力で、魔物や外部の敵から護ってくれてるって習ったぜ」
「か、鐘がですか!? で、でも……」
信じられない効力に驚きながら崩れ落ちた塔を見る。
粉々に割れた青色屋根やレンガと一緒に混じった金色の物。今ではただの瓦礫となってしまった南や、錆びれた東の鐘にそんな効力が果たしてあるのか。
「道理で……ヤツらが現れる回数が増えたわけだ……」
吐き捨てるかのようなルアさんの声と空に答えがあった。
剣を構え、鋭い青の瞳が見据える先には宙を飛ぶ黒い物体。数千にもなる魔物の軍団が国を囲うように集まる悍(おぞ)ましい光景にわたしは戦(おのの)いた。
「お、オ○ムの群れにヤられるパターンでしょうか……」
「魔物ってオ○ムって言うのか!? つーか本気でアイツ、国を滅ぼす気だろ!! どーなんだよ姉上!!?」
冷や汗を流すセルジュくんの悲鳴に、ナナさんは一瞬怯む。
彼女を見つめるムーさんはベレー帽を被り直すと、魔物ではなくルアさんに十字剣を向けた。互いの鋭い目が交差する。
「やっぱり……ケルビー同様……お前らも足止めか」
「ひゃははは、大嫌いな魔物もいるんだから余裕でしょ?」
「お前が……薔薇園を燃やしてまでヤツに就く理由はなんだ?」
「ひゃは、知りたい? ボクはねー……──」
何かを話すムーさんの声は突進するオオカブトさんの翅の音に掻き消され、鋭い角がルアさんに向かう。
「ルアさん!」
「モモの木! 探検リュックからロープを出してくれ」
「あ、はい!」
「おいっ!」
割り込んだ声に慌ててリュックを開けるが、セルジュくんのツッコミと大きな音に青褪めた顔を上げる。オオカブトさんが突く先には分厚い風の壁を張るルアさん。
解放精相手でも汗をかきながら角を止め堪える彼に安堵していると、リュックからロープが抜かれた。
一メートルほどの輪っか、もやい結びを作るキラさんの髪は普段よりぎゅっとキツく結い直された三つ編み。はじめて見る姿に瞬きしていると、右手でロープを大きく縦に回しながら、集まりだす魔物を見る。
「この数を見るに、東南北の鐘は落とされている」
「北もですか!?」
「彼が宰相補佐になると同時に引き継いだ北塔庭師。その二十年前から国を襲う魔物が増えたからね。それまでも少数は現れていた……恐らく東の鐘が焼け焦げたことで効力が落ちていたんだろ。極めつけは……」
勢いよく振り回す音と風を聞きながら、わたしも南塔に目を向ける。顔を伏せたセルジュくんは震える両手を握りしめた。
「兄上……生きてんなら……どこにいんだよ……」
「フクロウを見たと言うなら国にはいると思うよ。城のどこかに監禁っていうのが有力だ……それにしても絵画くん。ヘルスメーターくんといい、臭いね」
「今ここで言うな! どんだけ染みついてんだ!! ちゃんと寝る前に香も焚いてんのに!!!」
「お香?」
頭を抱えて叫ぶセルジュくんに何かが引っ掛かり、考え込む。
お香……嫌な臭い……セルジュくん……夜……造花……お線香。浮かぶのは誕生式典。
「ふんきゃ! 思い出しました!! この臭いはお線香です!!!」
「は?」
「五十三階の突き当たり、造花の薔薇で埋め尽くされて、すっごい変な臭いがするお線香が置かれた部屋ですよ!」
「いやいや、五十三階は衣裳部屋だけで、んな怪しい部屋はねーよ!」
「あれ?」
手を横に振るセルジュくんに瞬きする。
あれ? 知らない? イズさんにからかわれた? あれれ?
「……アタリかもしれないね」
硬直するわたし達にキラさんはくすくす笑うと懐から紙袋を取り出し、わたしに投げる。そのままルアさんがいる方へ走り出した。
「キ、キラさん!?」
「『地上高(じじょうこう)』」
告げる声に地鳴りがすると、彼の足元の土が空高く突き上がる。目先にはオオカブトさんと、突きを堪えるルアさん。
「キラ!?」
「ナナちゃん!」
ムーさんの声と共にナナさんが洋弓を構える。けれど、四本の炎矢を引く彼女の両手と瞳は揺れ、狙う相手は変わらない微笑を浮かべた。
「迷いがある“王女様”が誰を射るんだい?」
「っ、“四つの射撃”!!!」
「『停地茨』」
震える手から炎を纏った四つの矢が放たれると、五階建ての高さまで突き上がっていた土から無数の茨が飛び出す。けれど、捕らえられたのはムーさんとオオカブトさん。
「ちょっ!?」
ムーさんの慌てる声と同時にジャンプしたキラさんは左手で握った大判ショールを大きく円を描くように回し、向かってきた炎矢を叩き落とす。そして右手で回すロープを投げ、オオカブトさんの片肢に引っ掛け、ぶら下がった。
振り子のように揺れるキラさんに、茨で縛られたムーさんの怒声が落ちる。
「カスコ! ヤっちーをルっちーにぶつけろ!!」
『ギシャアアアアーーーー!!!』
「おっと」
硬い甲羅で護られているせいか、棘があまり効いていないオオカブトさんは主人の命に従うように大きく肢を振る。片手でロープを握っていたキラさんは簡単に息を荒げるルアさんの元へ放り投げ出された。満面笑顔で。
「ルーくん! 受け止めたまえ!!」
「い、嫌だ!!!」
悲鳴にも聞こえる声を上げたルアさんは逃げようとする。が、キラさんの右足が横腹に大当たりし、竜の銅像がある噴水に勢いよく突っ込んだ。水飛沫を上げる彼は今日、水難の相でも出てるのでしょうか。
唖然とするしかないわたしとセルジュくんを他所に、キラさんは墜ちながら月を見つめる。
「ふむ、やはり太陽がないと抑制が利かないね。夜は嫌いだ……月が隠れていないのはもっと……」
「キラさ……ん?」
「でも……叱らないとね……大人として」
そう呟く彼の表情は切なく、赤の瞳でナナさんとムーさんを捉えると、ショールを大きく振り上げた。まるで真っ白な羽衣のように舞う美しさと声に目を奪われる。
「大地 恩寵(グラーシア)受けし鼓動 陽の下で唸りを上げたまへ──解放(リベルタ)」
宙で橙黄色の円と薔薇が描かれた────。