29話*「甲殻の砦」
*第三者視点で進みます
「っ!?」
最初に気付いたのは、青薔薇キルヴィスア。
順に騎士団長と魔力の高い者が月明かりと星空が見える窓を見た。暗闇の中で一人、灯りを受けていたフルオライト王も口を閉ざすと青の瞳を細める。
突然の沈黙に周囲がざわつくと、待機していたキルヴィスアが声を張り上げた。
「出るっ!」
「ちょっ、ルっちー!?」
王の言葉が途絶えたことでシャンデリアに灯りが点り、魔力で硬く閉じられていた扉が開く。警備をしていた団員とセルジュアートの従者ニ人は当然驚くが、険しい顔つきをした青薔薇に全員が道を開けた。
その背を見つめるムーランドは大きな息を吐くと、動揺する大衆の先、王妃の隣に佇むノーリマッツを見据える。ノーリマッツもまた王妃に一礼すると王の下へ寄り、一、二言話すと頷いた。
「構わん、緑も出ろ。他五色は待機。ただし、青の『解放』は許さん」
「「「「「「了解(デ・アクエルド)」」」」」」
命令に口を揃える団長達だったが、青薔薇キルヴィスアだけは何も言わず大広間から出ると、腰高窓の両扉を開けた。慌てて向かい風を相殺するムーランドはベレー帽を押さえながら青のマントを揺らす男に叫ぶ。
「絶対『解放』しないでよね! ボク、巻き込まれるのも他国に脅威を晒すのもヤなんだからさ!!」
その声に宙を浮き、壁に手を付けたキルヴィスアは振り向いた。
「十分。それ以上かかったら──てめぇごと散らす」
琥珀の髪を揺らしながら飛び立った男の殺気にムーランドは冷や汗をかく。だが、舌打ちすると後を追うように飛び出した。城の上空を飛び回る数百以上の黒い物体──魔物を消すために。
二人が去った廊下は静まり返り、残っていた者達はムーランド以上に戦いていた。
メルスとトゥランダも例外ではなかったが、上階から降りてきたエレベーターの扉が開くと慌てて振り向く。が、誰も乗っていなかった。
第四緑薔薇部隊の結界によって目に見えない薄い壁が国全体を覆い、殆どの魔物は触れるだけで消滅する。だが、上級魔物によって身体強化された中級魔物が体当たりすると小さな亀裂が入った。
臆することなく手を翳したキルヴィスアは静かに唱える。
「『風壁方陣』」
突風が巻き起こると中級達が次々に消滅し、亀裂が入った壁を修復する。剣を抜くことなく滅する青薔薇に、様子を窺っていた列席者は目を瞠った。
一方で、腕を組む赤薔薇ケルビバムと、杖を回転させる紫薔薇マージュリーは眉を顰める。
「青薔薇のヤロー……ムーランドに上級を任せる気か?」
「中々のSですわね。それにしても、こんな頻繁に魔物がフルオライトを襲うなんて……どういうことですかしら」
止めた水晶に口を付けたマージュリーは赤の双眸を細めた。
ケルビバムは何も言わず、キルヴィスアよりも上。フルオライト国旗の前で大苦無を左右に一本ずつ持つムーランドを見上げた。
ムーランドは、柄頭にあるニセンチほどの穴に人差し指を通すと回転させる。目先にいる魔物と下にいる青薔薇を交互で見ると大きな溜め息をついた。
「ひゃは~、ヤダヤダ。なんだって後衛のボクが前衛に出なきゃなんないのさ。しかも十分で片付けろって勝手すぎでしょ。何、モっちーの薔薇園に対するイジメ?」
文句を垂らす声は風を伝ったキルヴィスアにしか届かない。
自剣を握る青薔薇に、緑薔薇のタトゥーが描かれた横顔が向けられた。
「藍薔薇がボクんとこに潜り込んだとしても証拠なんて出ないよ。研究者は作り上げたものほど試験し、隠したがるものだからさ」
「……今、てめぇ自身が認めたとしか思えないんだが」
「ひゃははは、そんな風に聞こえたんならごめんね。解釈の仕方だって人それぞれじゃん」
楽しそうに笑うムーランドにキルヴィスアは鍔を押すが“何か”の気配に手が止まった。
その間にムーランドの周囲に風が集まると、大苦無を回す速度が上がる。同時に風に乗って聞こえてくる彼の声は、先ほどとは違い淡々としていた。
「ルっちーはさ、モっちーのために犯人捜ししてんの?」
「……何が言いたい?」
「ひゃははは、ボクもわけわかんないこと言うヤツは嫌いだよ。だからルっちーとモっちーも嫌い。けど……誰かのためにっていうなら好感持てるかな」
その表情は切なく、紫の瞳が揺れていることにキルヴィスアは目を丸くする。だが、背を向けたムーランドは大苦無を二本とも空に向かって投げると、瞼を閉じたまま左胸に付けた緑薔薇のコサージュを握った。
ゆっくりと開かれる紫の双眸は鋭く、目先の魔物を捉えると手を翳す。
「緑葉(りょくよう) 四方(よも)の嵐になりて 甲殻の砦(フエルテ)を拡散させろ──解放(リベルタ)」
翠の光が放たれると、目に見える風と緑の線がムーランドを中心に大きな円と薔薇を描き現れる。発光と同時に竜巻が覆い、羽音が空に鳴り響くと、大広間にいるグレッジエルの足が止まった。
極限まで吊り上がった両眉に、隣を歩く黄薔薇ナッチェリーナも足を止めると首を傾げる。
「私は……小ガキが嫌いだが、ヤツのアレはもっと嫌いだ」
「……我はカッコイイと思うがな」
黄薔薇のイヤリングを揺らしながらサファイアの双眸を窓に向けたナッチェリーナは小さな笑みを零した。
宙から下りてきた大苦無を、ムーランドが右手で掴む。
二つだった大苦無は四つの刃を持つ十字型手裏剣へと変わり、その大きさは彼の身丈ほどある。風で浮かせると、二十センチほどになった穴に片手を通し、頭上で回転させた。
「さっさと終わらせて引き篭もろうか、カスコ」
『ギシャアアアアーーーーー!!!』
嫌々な主人とは違い、羽音にも負けない声を上げる生物。
黒褐色に染まった体と六本の肢。鋭い頭角と胸角は数百メートルにも伸び、羽ばたかせる両翅には薔薇の模様。全長は角も合わせれば建物五階分以上はあり、目先の魔物達に緑の双眸を向けるのはムーランドの解放虫──ヘラクレスオオカブト。
カスコの頭部に降り立ったムーランドは十字剣を握ると笑みを浮かべた。
「『虹霓薔薇』が一人、緑薔薇騎士(ベルデロッサ)の名において、アンタらを──潰し落とす」
カスコも声を上げると上級魔物の軍勢に突っ込んだ。
頭角で魔物を捕え、胸部で投げ飛ばすとムーランドが十字剣を飛ばす。刃が魔物を粉々に斬り潰しては落とし、攻撃を受ければ黒い甲殻がムーランドとカスコを覆い弾き飛ばした。
後衛とは思えない力を発揮する緑薔薇に列席者は息を呑むが、橙薔薇ヤキラスは笑っている。
「『解放』したら、ルーくんじゃなくても脅威に映ると思うのだけどね」
「そのフローライト団長に散らされるよりはマシかと」
隣に立つヘディオードの指摘に、ヤキラスは同意する。
だが、そんな青薔薇が珍しく動こうとしないのが気がかりだった。魔物相手なら『解放』せずとも短気な彼は飛び出す。けれど今は難しそうに何かを考え、大広間に目を向けていた。
フルオライト王の隣に佇む宰相ノーリマッツも深緑の双眸を細める。
今夜の彼も七色の竜と薔薇の白マントを背負うが、中はグレッジエルのように黒の詰襟に白のロングコート、黒のズボンと靴を履いていた。変わらず胸元には金縁に黒の宝石が埋められたブローチが光る。
「ノーリマッツ……本当に大丈夫なのですか?」
「ご安心を、ニチェリエット妃」
か細い声に、振り向いたノーリマッツは微笑む。
そこに座るのは翠の双眸を揺らす女性。後ろ上で団子にされた金色の髪は真珠の付いたコームで留められ、白のAラインドレスのレースは床に届き、裾には金糸で細かく薔薇が描かれている。肩にはショールを羽織り、胸元には青の宝石が埋められたネックレス。
彼女こそフルオライト国王妃、ニチェリエット・フルオライト。
歳は四十を越すが、白い肌と華奢な身体。身長も一六十前後しかなく、三児の母とは思えないほど幼い。不安がる王妃をノーリマッツが落ち着かせていると、ナッチェリーナが壇上へ上がり、一礼した。
「失礼いたします。ある……アガーラ宰相。急ぎ、お耳に入れたいことが」
変わらず眉を上げ、口もへの字。
だが、壇上の下でグレッジエルが同じ顔をしているのに気付いたノーリマッツもまた眉を上げた。
「どうし「ノーマ……」
彼の問いは低く静かな声によって遮られた。
振り向いた先には銀色の玉座に座りなおした男。
金茶の前髪は上げられ、ショートの毛先は肩に届くかどうか。
白の詰襟は少し開かれ、床下まで届くローブには七色の薔薇が所々に描かれていた。足を組み、間から白のズボンと靴を覗かせ、口髭と顎髭を手で擦る。
やつれ衰えた身体と表情をしていても、青の双眸だけは力強い。現フルオライト国王──ツヴァイハルド・フルオライト。今宵、五十二歳を迎えた。
「ノーマ……ニーチェを下がらせておけ」
「は……王妃をですか?」
聞き返すと歓声が上がる。それは外にてムーランドが全魔物を潰し落とした声。その時間、十二分。
しかし『解放』を解いたムーランドは十分越したことよりも、十分越しても何もしてこなかった青薔薇に恐怖していた。二本に戻った大苦無を腰ベルトに戻すと、息を荒げながら背を向けているキルヴィスアに声をかける。
「ルっちー……?」
「ムー……会場の結界を強化しろ」
「ひゃ……ちょっ、ルっちー!?」
瞬間、剣を勢いよく抜いたキルヴィスアは、あろうことか大広間の窓ガラスを斬った。
突然のことに客人達は悲鳴を上げるが、破片はムーランドの風によって飛び散ることはない。だが、キルヴィスアが剣を持ったまま王の下へ突撃する姿に慌てて団長達が動いた。
「ルーくん!」
「アンニャロー、何考えてんだ!」
「!? 橙の君、ケルビー、お待ちになって!」
駆け出すヤキラスとケルビバムにマージュリーが制止をかけると、天井から黒い球体が勢いよく落ちてくる。ノーリマッツとナッチェリーナも驚くが、その球体にキルヴィスアは剣を振──。
『ふんきゃ~~落ちるのはイヤです~~~~!!!』
『ちょっ、モンモン暴れんなあああぁぁーーーー!!!』
「っ!!?」
聞き慣れた声に剣を止めたキルヴィスアは、黒い球体と共に足を滑らせながら床に着地する。同時に床に落ちた球体にヒビが入ると、大きな音を鳴らし破裂。白薔薇の花弁が飛び散る中から現れたのは──。
「ったた……いったいなんだって……お。よう、ルンルン」
「セルジュ……と……!?」
キルヴィスアの目に映るのは王妃と同じ金髪と翠の瞳を持つ第二王子、セルジュアート。起き上がった彼の下敷きになり、白薔薇の花束を持つ人物の“黒”にキルヴィスアはまた剣を握るが、顔を横に向けた漆黒の双眸と目が合うと止まった。
大きく目を瞠る彼とは反対に、彼女は変わらない笑顔を見せる。
「あ、ルアさん!」
「モモ……カ?」
それは、ここにいるはずのない少女だった────。